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最終話です。お付き合いありがとうございました。
しばらくしてレイラの元に、正式に婚約が解消された旨と、今後も国費での留学を認めるとの書状が届いた。
それとは別にセシル・ユリダールの私的な手紙があったので、レイラは慌てて中を検める。
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__“月神の護り子”は四大総本家のいずれかとの婚姻が決まる。それは問題ないのだろうか__元首になってからずっと考えていた。
今回の風の総本家嫡男と“月神の護り子”の破局は問題提起となった。エイン精霊国内で“護り子“の運命を決めるのは、優秀な子供を一族が囲い込みたいのが本音で、結局数の多い者の意見が勝り、希少な者はその流れに組み込まれてしまっていた。
しかし精霊より格上である神の護り子は、本来自由であるべきなのではないか。
君は精霊魔法の代わりに、自身の魔力による魔法を発現した。それはエイン精霊国の中では目覚めなかっただろう。世界を知り魔法に触れたからこそ成し得た君の努力の成果である。
今後はエイン精霊国に縛られる事なく邁進すればいい。薬草や魔石に自分の魔力を入れる事が出来ればと、魔法応用科を選んだのを活かして“魔法薬師”を目指すのもいい。どの道を選ぼうと、エイン国は君の今後を後押しする用意がある。
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激励の言葉が綴られているセシル・ユリダールの想いにレイラは目頭が熱くなった。
“月神の護り子“の婚姻は、有力者が囲うことによって、護り子が誘拐されたり、無知な者から“妖精の加護なし“の誹りを受ける事を防ぐ側面もあった。大精霊より上位の神の怒りに触れないよう、大事に有力者の一員にされたのだ。
祖国では風の総本家総領夫人になるために、上流作法を厳しく躾けられるのも仕方がないと思っていた。実際マルラート家はレイラを虐げたりはしていない。農家の娘が今後恥をかかないようにと、教育してくれていたのだ。
エイン精霊国の価値観のままなら、黙ってネッカルと結婚しただろう。
元首が解放してくれた未来。これから生まれる“黒の子供”はのびのびと育てられたらいい。そして自由な生き方があるのだと、レイラを指針としてくれればいい。
「良かったな、これからも学園に通えて」
国からの支援続行の通知にリギルも喜んでくれた。
「うん、“秀”で卒業出来るように頑張るわ」
「で、なんか将来の目標を立てたのか?」
「私、魔法使いになりたい」
「……レイラちゃんなら、そう言いそうな気がした」
「せっかくの魔力を活かさないでどうするのよ」
意気込むレイラは「卒業したらルミエナ国立魔法研究所に入りたいなあ」と希望を述べた。
リギルは片眉をぴくりと上げた。
レイラは知っているのだろうか。研究所からスファイヤ商会が人材を引き抜いている事に。
「そしていずれはスファイヤ商会の魔道具開発部で、リギルと一緒に仕事したいな」
屈託のない笑顔のレイラにリギルは胸がいっぱいになる。憂いも迷いも断ち切った清々しい様子のこの彼女が、本来の姿なのだろう。
「なあ、レイラちゃん、俺の恋人になってほしい」
突然のリギルの言葉にレイラは目を見開く。
「……婚約者がいるから言えなかった。レイラちゃんが好きだ」
揶揄ってなどいない、真剣な顔だ。
マーサが言っていた通り、好意は言葉の端々や態度で分かる。婚約解消をしたレイラにリギルが一気に距離を詰めてきたのは、そういう事だろうとは思っていた。
(でもマーサ、やっぱり言葉はあった方がいいわ。嬉しいし、安心するもの)
「私もリギルが好き」
「!! ほんとか!?」
リギルは体を張ってネッカルとカイル・ジニアースの魔法から守ろうとしてくれた。大袈裟ではなくあの時の彼は、未知の魔法に対抗してレイラの為に命を賭けていた。
彼に親しい友人以上の感情があると、自覚するには十分な出来事だった。
二人の交際を友人たちに報告すると、彼らは手放しで祝福してくれた。
「イブンがグラティスにやっと告白してくっついたと思ったら、レイラとリギルは早かったねー」
コルサマロンは手を叩いて喜んでいる。
「婚約解消後のリギルの推し推し感は、結構えげつなかったよね」
マーサが揶揄う。
「婚約者持ちに手を出すわけにはいかなかったからね。リギルの自制心は天晴だったな。片思いが終わって本当に良かったよ」
ロジュの言葉から察するに、リギルはかなり以前からレイラを思ってくれていたようだ。
「いつから好きでいてくれたの?」
レイラに顔を覗き込まれてリギルは照れ隠しにそっぽを向く。
「……最初から可愛いなとは思ったけど許嫁持ちじゃん。あいつと仲違いするところを見て複雑だったよ。エイン国の要人だし。惹かれても無駄だし」
リギルの返答は言い訳だらけでレイラは笑ってしまう。
「ほんと最高の気分だよ!」
今の本音を零しているので、レイラはこれ以上の追及はやめようと思った。
婚約解消以降、レイラがネッカルの姿を見る事はほとんど無かった。きっとレイラを見かければ姿を隠すのだろう。
「今は放課後も勉強しているよ。不得手な語学も、その国の留学生に教えてもらったりしている」
相変わらずのリギルの情報網で、ネッカルが腐らずに学生生活を送っているのを知りレイラは安堵した。憎くて別れたとも違う感情なので、ネッカルにはちゃんと総本家の次期当主になってもらいたいのだ。
その後に開催された懇親会にもネッカルは参加しなかった。
「元首が参加させなかったんだ。彼が誰を同伴しても、どうしてもロージリン嬢の影が付き纏うからね」
「どうして私は母国の内情をあなたから聞くのかしらね?」
「俺は君の恋人だから、関係ある情報収集は欠かさないよ」
のらりくらりとそんな事を言う。
懇親会では堂々とパートナー参加しているリギルは恋人としての振る舞いを隠しもせず、ロジュに「牽制があからさまだね」と指摘されるも「黙れ」と皇族を一刀両断していた。不敬も甚だしい。
そしてリギルの実家に招待された時は緊張した。とても大きな邸宅で、さすがは建国者の子孫であると思わされた。リギルには歳の離れた幼い双子の弟妹がいて可愛らしい。ルミエナ自由都市国は自由恋愛の国だけど、自身が相手の身内に気に入られるかどうかは別問題だ。ご両親は気さくで、交際を反対されなかったので一安心である。
スファイヤ商会本店にも連れて行かれ会長に会うと、「リギルと別れてもうちに就職してほしい」と勧誘され、「縁起でもない」とリギルが会長を睨んでいた。
随分気安い。と思えば親戚らしい。シュラターン家とスファイヤ家は関わりが深い為、両家の中でロマンスが生まれても不思議はない下地があったのだ。
一番の懸念事項、カイル・ジニアースの処遇についてだが。彼の扱いは本当に困ったらしい。レイラたちに対する傷害罪の減刑は却下され、カイルは慰謝料と賠償金を支払う事で一応の解決となる。司法取引と多額の保釈金を提示して交渉するカイルには手を焼いた。国際犯罪対策機構としては国家転覆罪とかを適用したかったものの、結局主な罪状は傷害罪の他は詐欺止まりだった。
野放しは出来ない危険人物。__気になる事は危害が発生しようと突き詰めたい。自分の魔法で戦況をひっくり返すのが大好き__愉快犯でないだけマシだろう、常識という概念のない魔法使い。しかも深層心理には虐げられた一族としての恨みを抱え、外見上は躁な部分が目立つ、なんとも厄介な男だ。
魔法使い用の牢に入れているが、いつ脱獄するか分からない不安がある。なんせ規格外の大魔法使いなのだ。
「逃げないよ。指名手配されたままじゃ生きにくいじゃないか」
そうほざくが、どこまで信用出来るやら。
「保釈金も没収してもらっていいよ。私は別に金に執着しない」
などと余計な事を言うものだから<逃亡の意思あり>との解釈もされて、あまりにも政治面生活面に於いて思慮が浅いのが露呈していた。
とにかく能力と人格がちぐはぐなのである。
「私が彼の保証人になろう」
そんな混迷裁判の中、天涯孤独のカイルを引き取るとローレインが名乗り出た。
「彼は普通の人間の手には負えんよ」
魔力を封じたとして、生身の身体で鉱山や公共事業に送り込んでも大して役に立たない。これだけの能力者を只の罪人扱いも勿体無い。それなら自分の研究を手伝って貰いたい。それがローレインの主張である。
異例中の異例で、ローレインの助手としてカイルは外に出る事になった。
「あー、あの人は私を色眼鏡で見ない良い人だよ。四年間? そのくらいなら彼の元にいるよ」
ローレインを信頼しているらしいカインも乗り気で、釈放後、自身が勝手に提示した保釈金を「名目は寄付でもなんでもいいよ。世間で言う誠意?ってやつだから」と言って、裁判所に置いて行った。
当然詐欺に該当する被害者たちにも慰謝料賠償金を一括で支払い、彼の資産はどれほどあるのかと、国際犯罪対策機構は騒然となったものだ。
「ローレイン卿が従属の魔道具をカイルに装着するのも、嫌がらなかったそうだよ。尤もそれが釈放の条件だから拒否は出来ないけどね」
「変な落とし所ね。でももうこっちに関わらなくて世間に迷惑かけないならいいわ。リギル、そっちの六番の薬草箱取ってくれる?」
「ほいよ」
かなり重要な話をしているのに、レイラたちにとっては実習課題の方が大事なのだ。
もうすぐ一学年が終わる……。
__今日はネッカルたちの卒業式である。
途中挫折した者や家庭の事情で学園を去った者もいる。
ハリ帝国第二皇子ウォーダは体面上は皇族理由での自主退学となった。人気がある皇子ではなかったので、ロジュに詳細を聞きに来る上級生もいなかった。<皇太子の座を賭けたお家事情の為>なんてフェイクは、誰が流した噂なのか。
ロージリンの方はフェイロル侯爵が情報操作したのか、単に<体調不良の為>、こちらも自主退学した。ネッカルがとっくに彼女と別れていたのは周知だったから、彼が注目される事はなかった。
リギルの調査でもロージリンの腹の子の父親は特定出来なかった。特定しても侯爵は認められないかもしれない。
(あの女、同時期に貴族だけじゃなくて、平民のイケメン二人とも関係持ってたからな)
この事実に侯爵は絶句して、娘を詰るのも忘れて立ち竦んだらしい。
ロージリンは隣国の祖母のところに静養の名目で送られ、そちらで出産する。生まれた子は養子に出すのが決まっている。ロージリンはその後修道院行きか、どこかの後妻にやって監視されるそうだ。
下級生としてリギルと一緒に既に卒業パーティ会場にいるレイラは、ネッカルが誰を伴うのだろうと気になった。以前ならロージリンと卒業生同士で現れただろうが。……当日になってふと思ったのだから、レイラの中でネッカルはすっかり過去の男である。二人が婚約関係にあった事など、この会場でどれだけの人が知っているだろう。
会場が騒がしくなる。ひと組の男女の登場にどよめきが起こった。彼らの登場にレイラはびっくりして目を丸くした。
ネッカルの隣にいるのはセシル・ユリダール元首だった。赤銀の髪にルビーの瞳。緑銀の髪にエメラルドの瞳のネッカルと同じ人種なのは一目瞭然。二人が並んでいる姿は溜息が出るほど美しい。
「彼女はエイン独立国の元首だ」
誰だろうあの綺麗な女性は!と興奮する会場に、誰かが正解を放った。
元首はレイラを見つけるとネッカルを促して近寄ってきた。
「やあレイラ、久しぶりだね。元気そうで良かった」
「ユリダール様も、お変わりなく」
元首に挨拶をしたレイラは隣のネッカルにも笑顔を見せた。
「マルラート様、ご卒業おめでとうございます。今後のご活躍をお祈りしています」
「ありがとう、アルジャナ嬢。君には甚大な迷惑をかけて本当に申し訳なかった。これからエイン精霊国の為に精進すると誓うよ」
ネッカルはすごく落ち着いた顔付きをしていた。
「まさか一国の元首が、卒業生のパートナーを務めるとは思いませんでした」
リギルももうネッカルに興味を失っていたから知らなかった。
「栄えある卒業者第一号が女性関係で馬鹿をやらかしただろう? キプイラド秘書長に進言されてな。悪評を払拭するには卒業式には私が隣に立ち、エイン独立国はネッカルを尊重していると示すのが一番だとさ」
「面目ございません」
忌憚ない元首の言葉に、ネッカルは一瞬情けない顔をした。
「まあいい。広告塔だろうが何でもやるさ。赤塗れで目立つだろう?」
ネッカルの黒の燕尾服に合わせているらしい深いワインレッドのドレスは、落ち着いており彼女によく似合っている。
「とても美しいです。大きな真珠のイヤリングとネックレスがいいアクセントですね」
「ああ、ラマ・ローウェンス帝国が御機嫌取りに贈ってくれたものだ。いい品だよ」
二人の会話に、ネッカルは自然とレイラの左手を見て、薬指に馴染みのない石があるのに気が付いた。かつてはネッカルの風の精霊石の定位置だった。その指輪も婚約解消後に返された。吹っ切ったつもりが、少しだけ息苦しくなる。
角度によって赤や緑、青、黄に輝く。なんの宝石だろうか。視線を感じたネッカルが顔を上げると、リギルが見つめていた。
「俺が彼女のためだけに作った指輪型魔道具ですよ。四大魔法の守護を込めています」
「魔道具……」
(完敗だ。レイラを守護する魔石が婚約指輪だとはね)
彼女をよろしく頼む、は違う。幸せにしてやってくれ、なんて偉そうには言えない。ただ、どれも、ネッカルが失った婚約者への真摯な気持ちだった。




