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親子鑑定魔道具という物がある。個人で頻繁に使う物ではないから、大抵大きな神殿や病院が有しており、金を支払って鑑定してもらう。リギルが入院していた国立病院にもあるだろう。
どこかの国の貴族社会がこの魔道具で、乗っ取りや不倫が暴かれて混乱を極めた実例がある。正当な結果が出ても『陰謀だ』『嵌められた』『魔道具の不備だ』と反論で大騒ぎになって、親子鑑定魔道具は<悪魔の証明器>との不名誉な別名もある。不義の子とされた子が母親とも血の繋がりがない取り換え子だったり、真実を追うのが大変な事例も多数あった。
その魔道具の存在を思い出したロージリンは、もう言い逃れできない。
「ロージリン、真実を話しなさい!」
父に恫喝され彼女は、とうとう号泣する。
「誰の子か分からないのよ! ネッカルが一番優しかったし、子供ができたらその婚約者から奪えると思ったのよ!!」
とんでもない女性だ__そうレイラが思っていると、フェイロル侯爵は娘を平手打ちした。ロージリンの泣き声がまた大きくなった。
「ああ、お腹の子が……暴力はいけません」
学院長がおろおろする。我に返ったらしい侯爵は再度振り上げた手を下ろし、一同に頭を下げた。
「大変申し訳ありません。娘の話を鵜呑みにしたのは私の落ち度です。謝罪賠償はまた日を改めます。娘にじっくりと話を聞くので今日はこれで失礼します」
侯爵も一杯一杯だったのだろう。一方的に会談を終えると、泣き叫ぶロージリンを引き摺って出て行った。
残された者が無言になっていると、居た堪れなくなった学園長が「あとはご自由に」と言い残してそそくさと退出する。
「……ネッカル、卒業前にとんだ醜聞だな」
「申し訳ございません」
冤罪だったものの揉め事は揉め事なので、学園まで足を運んでもらったキプイラドに素直に謝罪するしかない。
「……キプイラド様」
レイラが低い声を発したので「うん?」と彼女に顔を向ける。
彼女はしっかりとキプイラドの目を見て、言い放った。
「ネッカル・フェーンジム・マルラート様との婚約解消をお願いします」
「レイラ!! 絶対俺の子じゃない!!」
ネッカルは叫ぶ。
「違っていたけど、あなたがロージリン様と肉体関係にあったのは事実ですよね。学生のうちに恋をしたい、でしたっけ。まさかそこまで深い仲とは思いませんでした。ではミーアさんも同様なのでしょう。そして彼女たち以外とも遊んでいますよね」
「そこまで爛れた生活をしていたのか!? 国に留学させてもらっているのを忘れたのか!?」
私の監督不行き届きだな、とキプイラドはがっくりと肩を落とした。
「学業は疎かにしていません! 成績も“優”と届いているはずです!」
「ここは自由都市のルミエナ国際学園だ。多数の国から人材が集まっている。おまえが外交官となった時、学生時代のおまえを知る者とも会うだろう。若かりし日の私生活が足枷になるかもしれないと、想像できなかったのが問題だ」
ネッカルの反論を元首秘書は切り捨てる。
「ロージリン・フェイロル嬢の妊娠騒動は隠せまい。相手はおまえではないかとの噂はついて回るぞ」
「そ、そんな……!」
「当然でしょう。場所も弁えず触れ合っていたのは、多くの生徒が目撃しているのですから」
レイラもキプイラドの言い分を支持する。
「レイラ、悪かった。こんな事になるとは思わなかったんだ。今は深い仲の女性はいない。婚約解消は思いとどまってほしい」
ネッカルはレイラに詫びる。
「……ネッカル様、幼い時からの許嫁に、恋情を向けるのは難しかったのは分かります。私も同様ですから。でもいずれ家庭を築く相手としての愛情はありました。私があなたに淡い恋心を抱いていた時期があったのも確かです。
それも私の入学日に崩れました。培っていた愛情が徐々に目減りしていきました」
ネッカルは項垂れてレイラの言葉を聞いていた。何も言い返せない。
「それでも私は卒業すればあなたと結婚するつもりでした。苦渋を舐めるこの一年さえ越えればと自分に言い聞かせて。でもさすがに複数人との子供を拵えるような行為をした浮気は容認できません。あなたを夫として見るのは無理です」
ここまで拒絶されると言葉を継げない。
「再構築は、無理なのか……」
「はい、だいたいネッカル様、あなたの実家で花嫁修行と称して住まわされていた私の境遇を、気にかけた事すらないでしょう?」
「家族からは君が頑張ってくれていると聞いて、安心していたんだが……」
「そりゃあ婚家に馴染もうと頑張ってましたよ。でも私の意思は否定されるし、嫁は口答えするもんじゃないと言われ続ければ大人しくなるのは当然でしょう。あなたはそんな私の変化なんて気が付きもしなかった」
「いや、君が大人になって、お淑やかになってるものだと思っていたんだ」
「そうですか、無関心じゃなかったんですね」
「僕は今まで君以外との結婚は、一瞬たりとも考えた事はない……」
「残念です。もう私はあなたとの結婚は考えられません」
「……答えは出たな」
黙って聞いていたキプイラドが息を吐きながら呟く。
「ネッカル、おまえたちは幼い頃から信頼関係を築いていたはずだ。それを裏切ったのだから諦めろ。ユリダール元首に報告する。追っておまえたちの家に婚約解消を通達する」
「…………分かりました」
ネッカルは肩を落としてやっと答えた。
「……本当に、すまなかった……」
ネッカルの謝罪を背中に受けながら、振り返らずにレイラは退室した。
「良かったー! 婚約破棄したんだね、おめでとう!」
ネッカルと破局したと報告したら、真っ先に喜んだのがコルサマロンだった。
マーサとグラティスは複雑な表情をしている。卒業後は彼と結婚するとレイラはずっと言っていたから、本意かどうか測りかねているのだ。
「やっぱり浮気者は受け入れられないから、後見人に正式に願い出たの」
レイラの意思と知って、マーサとグラティスはようやく笑顔になった。
「そうよね、いくら顔が良かってもねえ。結婚相手には誠実さを求めるわ」
グラティスはしみじみ言った。
「そうだよレイラ! 浮気する男はまた浮気するから駄目だってジャム工場の奥さんが言ってた! 旦那さんにいっつも怒ってる!」
マーサはご近所の奥様情報を披露する。
「外交官夫人じゃなくなるから……どうしようかな」
自分で選ぶ未来を考えるとわくわくするけれど、国に留学させてもらっているのは、ネッカルとの結婚ありきでの待遇だ。最悪支援を打ち切られるかもしれない。レイラの実家では学費を工面できないから退学するかも、と不安になる。
「それこそ奨学金制度を利用すれば?」
いつの間にかリギルが側にいた。
マーサが「びっくりした。いつからいたのよ」と言ったのも当然だ。リギルは離れた場所で友人数人と話していたのだから。
「マロンちゃんが大声で『婚約破棄おめでとう』なんて言うから、何事かと思うじゃないか」
ほら、とリギルが顎で指し示したのは、彼が先程まで話していた男子生徒たちだ。彼らはびっくりした顔でこちらを見ている。
「だって普通は『婚約おめでとう』だろ」
「マロン! あんた声が大きいのよ!」
マーサに叱咤されてコルサマロンは「ご、ごめん、レイラ」と涙目である。
「いいわよ、いずれ噂話は出回るものなんだから」
本人はすっきりとした顔である。
「で、本当に婚約破棄したのか……? 彼、君に対しての態度をすごく反省していたと思うんだけど」
リギルは心配そうだ。
「そうね、でも<学生時代だけの思い出の恋>なんて、結局不誠実の言い訳だったのよ。本当の恋なら卒業後も続くものじゃないの?」
レイラは婚約解消に至ったいきさつを一同に説明した。
「……そ、それは完全な不貞行為よね」
グラティスの顔は引き攣っていて、生々しすぎる話にマーサもコルサマロンも反応に困っていた。
「超えちゃいけない一線だったのにな」
リギルも言葉に詰まる。そんな彼にレイラは「面白おかしく語られそうだから、ロージリン様のお腹の赤ちゃんの父親がネッカル様じゃない事だけは正確に流してよ」
と頼んだ。
「俺は情報屋かよ」
「あながち間違いじゃないよね。顔が広いからあちこちから聞かれると思うのよ」
「はあ……」
「エイン国の未来の外交官に隠し子騒動なんてあったら困るの」
「そこは親子鑑定でしっかり否定されるだろ」
「甘いわ、リギル」
グラティスはキリリとした顔で彼に詰め寄る。
「例えばカーヴェラ王国に出向したら『我が国の令嬢との間に子供がいるらしいですな』なんて言われるかも。真偽は関係ないのよ。交渉相手が嫌がる事を突いてくるんだから」
「うわ、えっぐ」
思わずコルサマロンの口から出た。
「そうなの。ネッカル様が気まずいのは自業自得だけど、エイン国の評価が下がるのは避けたいのよね」
「そうか……別にマルラートを庇うつもりじゃないのか……」
どことなくリギルがほっとしているように見えて、レイラは内心「おや?」と思った。しかし問うほどでもない。
「ま、托卵は卑劣だ。そこはきっちりと否定しとかないとな。その冤罪は男として許せねえ」とリギルは意気込んだ。
「それでさ、レイラちゃんは卒業後、どうするつもり?」
「国で何が出来るかよねえ。私“外交官”じゃなくて“外交官夫人”の予定だったから、役に立たないと思うのよ。かと言って、血筋を求められての結婚はお断りだし」
今更エイン精霊国にいた時の価値観には戻れない。
「きっとネッカル様の弟か従兄弟との結婚話が持ち上がるわ。彼らもネッカル様と精霊力があまり変わらないから、次代の高魔力者を産める私と結婚する事で当主になる可能性が高いの。それは絶対嫌だわ。ネッカル様とは袂を分かったけど、彼が嫡男として頑張っていたのは確かだもの。その場所を奪いたくない」
レイラの温情のように聞こえるが、そもそもネッカルと今後も顔を合わせる総本家一族の嫁の立場なんて真っ平ごめんだ。結婚に縛られるのではない、もっと自由な生き方がしたいのが本音である。
「で、切実なのが、国費で留学している私はこれからどうなるんだろうって話。卒業したいんだけどな」
「だから、成績が“秀”か“優”だと無利子の奨学金制度があるよ。ルミエナ自由都市国の公的機関に就職すれば奨学金は返済無用だ。ただし、五年は勤めないと後から返済義務が生じるけどね」
「リギル、それ本当? だったら頑張るわ。ルミエナに就職出来るなら嬉しい!」
目を輝かせるレイラにリギルは眩しそうな顔をした。
「公的機関を失敗しても、スファイヤ商会なら絶対大丈夫だ。研究員にぜひ欲しい。奨学金も無理なく返済出来る給料が出る」
「なーに生き生きしてんのよ。レイラがフリーになったのがそんなに嬉しい?」
マーサがにやにやしている。
「な、何言ってんだよ!」
揶揄われて焦るリギルを、レイラはただ静かに見つめた。




