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「以前のロジュとの話覚えてる? ルミエナの建国者」
「ええ、バイジャリカ王族の落胤で、代理としてルミエナ・シルフォン・ザラードって女性が表舞台に立っていたって話よね」
「それ、違うんだ」
「え? あのリギルの話、嘘だったの?」
「嘘というより」とリギルは緩く首を振り、「巷に流布している諸説の中で一番信憑性が高いとされてるものだ」と気まずい顔で、「皆を騙す意図があったわけじゃない」と続けた。
「あの時の俺はスファイヤ商会の一員として話したから」
弁明も覇気がない。
「……ルミエナ・シルフォン・ザラード本人が、当時のバイジャリカ王の妹だ」
「えっ!? 本物の王女様!?」
「そう、正妃の娘だ」
「どうしてまた……王位継承で揉めたの?」
「王女は兄王に認められない恋をして、駆け落ちしてこの土地に逃げた。兄王は怒って王女を連れ戻そうとしたが、反撃に遭って手を引いた」
「駆け落ちにはそんなに多くの協力者がいたの?」
「いや、王女の恋人が当時の王宮魔法使いの中で若くして頭角を現していた、クラーク族の青年だった」
青年は王女を貰い受けたいが故に出世街道を走っていた。戦争で功績を上げ続けてついに伯爵位まで戴いたのを機に、王に王女の降嫁を願い出る。しかし王は許さなかった。美姫と評判の彼女を、他国との政略結婚に使うつもりだったからだ。
悲観した二人はそうして手に手を取って逃亡した。青年は傭兵を雇い自ら指揮し、バイジャリカの最果てに布陣を敷いて王国兵を待ち受けた。戦慣れしていて戦場で武勲を挙げていた彼に王国兵は敵わない。壮絶な兄妹喧嘩のような様相に、無闇に兵を失うのは得策ではないと悟った兄王がとうとう折れる。
もう二人の邪魔はしないが、王女の名は王家の系図から抹消する。辺境地はそのまま青年魔法使いに譲渡するが、完全にバイジャリカとは切り離す。
そんな王の条件を飲んで、二人は新天地に根を張った。王女は以降クラーク族風の名前“ルミエナ”を名乗る事となる。
二人が目指したのは身分差のない国。彼らは潤沢な個人資産を持っていたので商人たちにも声を掛けた。王女御用達の商会の元役員が彼らの理想に投資を決めて、ルミエナ国でスファイヤ商会を立ち上げた。勿論王女たちの身分は承知の上だったが、王女にはバイジャリカとの密約がある為、それは誰も口にしない。
しかし『隠された王族が建国をするらしい』と、ほぼ事実が噂として流れるのは止められなかった。
ルミエナ自身もその夫サイダル・シルフォン・ザラートも、バイジャリカ国王も関係を完全否定したから、結局都市伝説のようになって現在に至る。
共和制統治を目指す大義として『王家の不遇の落胤が理想世界を掲げ、彼は前王に瓜二つだから姿を現せない。妻が代弁者となっているのだ』との憶測も、当時は激しかったものの、国が形作られるうちに噂は下火になった。
「それでジニアースが俺に興味持ったんだろ。……俺がルミエナとサイダルの直系の曾孫だから……」
「はあっ!?」
ここにきての大暴露である。
「じゃあリギルってバイジャリカ王家の血筋なの!?」
「双方無関係だって話がついてるから他言無用だぜ。ただ王家とクラーク族の血が合わさった結果、子孫は並々ならぬ魔力を引き継いでいる」
「そっか……だからあれほどジニアースに対抗できたんだ……」
「あいつの言う、魔界の魔素を借りるなんてやり方は分かんねえけどな」
「シュラターンは偽名なの? シルフォン・ザラードが正しいの?」
「いや、“シルフォン・ザラード”はルミエナ夫妻の一代限りで、子供らからシュラターン姓を名乗ってるんだ。元王族を利用したい輩が多すぎて、子孫の血筋を分かりにくくする為だと。当時はいろんな国から移民が流れ込んでいた時期だから、どさくさに乗じて曖昧になるのを狙ったらしい。王政をやめたいルミエナには自分の出自は邪魔だったんだろうな」
二人の話が途切れた。
「レイラちゃん、俺も二日後には退院して寮に帰る。もう怪我の責任は感じなくていい。来なくて大丈夫だよ」
「違うわ! 純粋に一緒にいたいだけよ!」
レイラは言ってから口を噤む。言葉の選び方を間違った気がする。
「じゃあ余計に駄目だ。婚約者のある身だろ。周囲に誤解される」
「リギル!?」
「マルラートさんとちゃんと和解しろよ」
そうだ。ネッカルは歩み寄る気配を見せている。今回の事件で、彼も思う所が多々あるに違いない。……再び彼と同じ方向を向く時期にきていた。
「そうね……」
何故だろう。とても憂鬱で億劫だ。
リギルが学園に復帰すると男子女子関係なく多くの生徒が彼を囲んだ。リギルの交友関係の広さを物語っている。
「うーん、広く浅く付き合うのが本来の“リギル”だよねえ。僕たちに近づかなければあんな調子なんだよ」
ロジュは相変わらず彼の人当たりの良さに感心している。
「みんな心配してたもんねえ。さすが人気者だわ」
マーサもロジュに追随する。
「……ねえ、レイラ、リギルと何かあった?」
黙ったまま会話に入らず教科書を見ているレイラに、意を決してグラティスは声を掛けた。
「別に? 普通に話してるけど?」
そうなのだ。彼らは表面上普通に見える。ここしばらくリギルがレイラに近かった理由も聞かされ、なんにせよレイラが危険から脱した事に安心していた。
ロジュやイブンは昔の二人の距離感に戻っただけと納得しているが、女性陣は違和感を持っていた。
「そう? なんだか互いに遠慮してるみたい」
コルサマロンは直球である。
「そりゃそうよ。私に関わったせいで彼は被害を受けたんだし。当たり障りなく付き合うでしょ」
レイラは笑ったが、その笑顔はなんだか自嘲的で、彼女たちは返せる言葉を持たなかった。
レイラは事件後、ネッカルに誘われて一度学食を共にした。女子生徒の恨みがましい視線に晒されるし、会話も弾まず気まずいだけの食事に、ネッカルも苦痛だったのか、それ以降声を掛けてこない。
どう彼との仲を修復するべきか……レイラが迷っているうちに、ある日の放課後、学長に呼ばれた。客人が来ているとの事で、奥まった応接室に案内された。立派で重厚な扉である。きっと要人向けの場所だ。レイラが何事かと警戒してびくびくしたのは仕方ないだろう。
中に入ると学長とネッカルと、エイン国の前首長、土の一門の当主であるシェイク・ノクトーラ・キプイラドが立っていた。
「キプイラド様……?」
予想外の人物にレイラは目を丸くした。
二十五年に渡りエイン精霊国を纏めていたキプイラドは、セシルの秘書長として働いている。娘と言っても差し支えのない年齢の、新首長“元首”セシルに国造りを手伝って欲しいと頭を下げられた彼は、彼女を補佐すると決めた。小娘に使われると卑屈になる事もなく、新しい未熟なエイン独立国を支える為に尽力している人格者だ。
__そんな多忙な彼がどうしてルミエナ学園に?
「久しいな、レイラ・アルジャナ。元気そうで良かった」
「祖国で何か……?」
「いや……」
歯切れの悪いキプイラドに不安になるのはネッカルも同様であるらしく、入室したレイラをちらりと見ただけで、落ち着きなく自分の足元に視線を落とした。
再び扉が開き入ってきたのは、なんとロージリン・フェイロルと、壮年の男性であった。かつての恋人の登場にネッカルはぽかんとした。ロージリンに付き添う男性に睨まれて口を閉じたのは、不穏な何かを察知したのだろう。
「全員揃いましたな。ではどうぞお座りください」
学園長が青い顔で着席を促した。
キプイラドを挟んでネッカルとレイラはソファに座る。対面にロージリンと強面の男性。威圧感増し増しのその男性は、「カーヴェラ王国の副宰相のひとり、フック・フェイロルと申します」と名乗りに語気を強めた。
ネッカルが息を呑んだ気配が伝わってきた。顔色の悪い元恋人と、その父親が現れたのだ。レイラがここに呼ばれた事は、波乱の予感しかない。
(修羅場かな。ネッカル様、綺麗に別れられなかったのね……)
レイラは他人事のように考えていた。
「ネッカル・マルラートとレイラ・アルジャナの学園後見人の、エイン独立国の元首秘書長のキプイラドと申します」
国の要人二人とも時候の挨拶すらしない異様な空間だ。
「言っておきますが、私は今日、これの父親として来ております」
「そのように伺っております」
ロージリンを顎で示す横柄な態度のフェイロル侯爵に対し、キプイラドは冷静に答えている。
「単刀直入に言うが、娘はそちらのネッカル・フェーンジム・マルラートの子を身籠っています」
「なっ!?」
「はあっ!?」
「えっ!?」
一斉に驚きの声が上がって、誰がどう言ったかは不明である。
「まさか!!」
続いての大声の主は明白だった。名指しされたネッカルである。
(え? そこで真っ向から否定して大丈夫? 国際問題にならない?)
レイラは婚約者としての立場を忘れて純粋に国の心配をした。
「違うんだ、レイラ!!」
立ち上がったネッカルに見下ろされて、レイラは自分が彼の婚約者だと思い出した。なるほど、これは他人事ではない……。
「違うとは? では娘とは清い関係であったと?」
ロージリンの父親の詰問口調に「それは……」と口籠もる。もはや白状しているも同じだ。
「ネッカル……」
ロージリンは涙目で彼を見つめている。
(これは! 父親として責任を取らないといけないわ!)
「ネッカル様、避妊道具を使っても百パーセントは防げませんのよ?」
レイラはネッカルに非難の目を向けているだけで、そこに<他の令嬢を妊娠させた婚約者>に対する悲観さがない事にネッカルはショックを受ける。しかも彼女に避妊の指摘をされるなんて思いもしなかった。
学園内ではあちこちで性に関わる赤裸々な話が聞こえてくるのだから、レイラが耳年増になるのも仕方ないのであった。
「……ロージリン嬢は妊娠何ヶ月ですか?」
ネッカルはじっとロージリンの腹を見つめる。
「え、と……四ヶ月だったかしら……」
腹を撫でる彼女に父親が「何を言ってる。魔道具で調べたら三ヶ月に入ったところかどうかくらいだったろ」と、彼女の勘違いを訂正した。
ネッカルがあからさまに安堵の息を吐く。
「では父親は僕じゃありません。別れて四ヶ月経ちますから」
フェイロル侯爵は弾かれたように娘の顔を見直す。ロージリンは蒼白で、気弱な令嬢なら気絶している場面である。
「お父上の前で暴露するのもなんですが……ご令嬢には僕以外の親しい男性が複数おりましたし……」
誰の子供かはっきり分からないと示唆するのは残酷だ。しかしネッカルも被った火の粉は払わなければならない。
「本当か、ロージリン!!」
「信じて! お父様! 父親はこの人よ!」
「では生まれてから親子鑑定を要求します」
ネッカルはもう落ち着いていた。




