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「だから今後も僕の婚約者と名乗らないでくれ。おまえとは単なる同郷だ。馴れ馴れしく話しかけるなよ!」


「どういう事ですか……? ネッカル様」


 レイラは目の前のネッカル・フェーンジム・マルアートを、困惑して見上げる。


 正式な国交をしないと有名なエイン独立国が、外の国の文明成長に危機感を募らせ、一昨年ルミエナ自由都市国のルミエナ総合学園に、一人の若者を留学させた。

 それがレイラの許嫁のネッカルである。この学園は十六歳からの受け入れなのでふたつ歳下のレイラは遅れて今年入学したばかりだ。


 珍しい国からの留学生であり、滅多に見ない黒髪黒眼という容姿も相俟って、入学式後の全生徒参加の歓迎パーティで、レイラはそれなりに注目されていた。


 長い間、外国と積極的に関わらなかったエイン国が、今後の外交員を育てるために、婚約男女を国際学園に送り込んだ。それがネッカルとレイラだ。

 二人はエイン国初の外交官夫婦になる予定である。

 今日の入学歓迎パーティでネッカルは終始穏やかな顔で、緊張するレイラをエスコートしてくれた。


「今日は入学パーティだからエスコートしたまでだ。今後は話しかけるな」


 ところがパーティ終盤に人気の無い中庭に連れ出され、いきなり冷たい顔で告げられた。レイラがびっくりしたのは仕方がないだろう。


「これから婚約者の私を放置するのですか!?」


 レイラが非難したのも当たり前だ。ルミエナ学園では専門分野を学べるが、国際学園を名乗るだけに、様々な国からの学生を有する。各国で活躍が期待される人材達の交流目的として、二ヶ月に一度は自由参加の大規模な夕会食が開かれる。これは大陸に多い貴族制国家の夜会を模した疑似社交会で、婚約者がいれば当然同伴するのが常識だと、入学したばかりのレイラだって知っている。


 ネッカルはそれを放棄すると明言したのだ。意味が分からない。

 レイラの口振りが気に入らなかったネッカルは目を吊り上げて、彼女に苛々と怒鳴った。


「煩いな! どうせ成人したら地味なおまえと結婚するんだ! 在学中くらいは好きにさせろよ! たった三年の自由生活だ! 青春を謳歌したいんだよ。分かったな! おまえも学生の間に恋愛すればいい!」


 ネッカルは言い捨てると踵を返して大股で彼女から去っていった。

 残されたレイラは肩を震わせて俯いた。実に儚げな美少女然としている。しかしネッカルの姿が見えなくなると、彼女は顔を上げて叫んだ。


「ばっかじゃないの!! 自分が女遊びをしたいからこっちに同様にしろって!? 罪悪感持ちたくないだけでしょうが!!」


 そのままバサリと大きく髪が揺れる勢いで右前方に顔を向けると、更に声を張った。


「ねえっ、シュラターンさん! あなたもそう思うでしょ!?」


 生垣の間にあるベンチに寝そべっていた少年は、名を呼ばれてびくりと身を揺らす。誤魔化しもできず、仕方なく身体を起こして座り直した。あたりはもう暗く、ぼんやりとした外灯からもベンチは少し離れている。だから二人からは死角になり見えないと思っていたので、気配を消してやり過ごしていたのだ。


「気が付いていたのか……」

 少年は鳶色の瞳をしばしばさせ、柔らかそうな栗色の短髪を掻きながら気まずそうに立ち上がる。


 そんな彼にレイラは、「視界の端に映ったから」と近づく。

 

「ごめん……、ちょっと涼んでたら言い争いの声が聞こえて……離れる事も戸惑って……」

 結局覗き見したようになったので、彼は言い訳もしどろもどろである。


 リギル・シュラターン。レイラのクラスメイトだ。

 教室で全員が順番に、出身と名前だけの簡単な自己紹介をしただけで直接話してもいないのに、リギルはレイラが自分を覚えていたのが意外だった。なんせ今日入学したばかりなのである。


「先客はあなたよ。周囲も確かめず、あいつが大声出すんだもん。仕方ないわ」


 ほうっと憂鬱そうに溜息を吐くレイラに、リギルは「誰にも言わないから」と約束する。


「助かるわ……ありがとう」

 

 しばらくの気まずい沈黙の後、リギルは「ひと気のないこんな暗がりに長居は良くない。会場に戻りな」と促した。


「そうね。婚約者殿がどんな女性と談笑しているか確認しなくちゃね」

 凛とした顔でレイラはリギルの言葉に従った。


 大きな会場で人がひしめき合う喧騒の中なのに、レイラはすぐにネッカルの姿を見つけた。なんせ彼の緑の髪は銀のような眩さを持ち、シャンデリアの灯りに映え、よく目立って美しいのだ。

 そのネッカルに寄り添う金髪の女性が、彼の親しい相手なのだろうか。レイラは彼女の情報を持っていた。


(カーヴェラ王国のロージリン・フェイロル侯爵令嬢。ネッカル様と同じ学年で、確か芸術科だったわね)


 __父親が王国の副宰相だから、その愛娘と仲良くなるのは国から推奨されていた。しかしネッカルとロージリンの距離は、ただの友人にしては近すぎる。


(ネッカル様、まさか他国のお嬢様にハニートラップ仕掛けているんじゃないでしょうねえ)


 一瞬そう考えたレイラは、すぐに“否”と判断した。

 ネッカルは浅慮だ。決して地頭は悪くないのだが、短絡的な性格である。攻略の思惑など無く、ただ綺麗で優美なロージリンに惹かれているだけに違いない。


 見た目だけは貴公子然とした婚約者を眺め、レイラはこの一年は自分たちの将来の正念場になるだろうと覚悟したのだった。






 レイラにとっては不愉快だった入学パーティの翌日は、昨夜の疲労もあるからとの事で授業は休みである。

 寮生のレイラは早速学園内を探索してみようと、学園内の案内図を確認する。ネッカルとは学年が異なるために教室棟が違う。男子寮は三棟あるそれらを挟んで反対側だし、ばったり出くわす可能性が低いのが救いだ。遭遇すれば気分が悪くなる。


 寮を出て、まずは総合棟に足を運んだ。一階は学生課や救護室、訪問者との面会室などがある。二階は仕切りのない大広間で談話室になっており、飲み物や軽食を提供する設備もあるため、喫茶ルームと呼ばれている。寮費に含まれていないので利用は自腹だ。


 せっかくだから生菓子とやらを堪能したい。そうして注文フロントに行くも、飾りのサンプルの美しさに目を奪われる。十種類あるうちの、どれを頼めばいいのか。


 目を爛々とさせて「どれにしようかな」と思案しているレイラに「今日はフルーツタルトだそうだ」と背後から声が掛けられた。

 振り向くとリギルであった。


「おはよう。そうなの?」


「おはよう。ほら、日替わりで決まっていると書いてあるだろ」

 レイラが彼の指差したところを見ると、説明の書かれた張り紙がしてあった。


「本当だ。ちっとも気がつかなかったわ」

「サンプルに一直線だったもんな」

「嫌だわ。変なとこ見られちゃった」

「まあ初見だと見入るのは仕方ないな。飲み物はなんにする?」

「そうねえ、ホットミルクティにしようかしら」


 リギルが店員にフルーツタルトと紅茶を二つ頼んだので、慌てて財布を取り出すと、彼は二人分をさっさとカードで支払った。

 レイラはそれに目を丸くする。


「それって噂のスファイヤカードよね。初めて見たわ」


 このルミエナ国でのみ使える、薄い金属製の四角い支払いカード。商業ギルド金融機関の口座に紐付けられていて、残金がある限り使える魔道具の一種だ。信用のある者しか持てない代物である。当然店舗側にも対応する魔道具が無いと使えない。まさか学園内で使えるとは思わなかった。学生の彼が持っているなら親名義のものだろう。

 口調はざっくばらんな彼でも、所作は綺麗だし、きっといいところのお坊ちゃんだ。


「ルミエナ国ではかなり浸透しているぜ。まあ大陸中に広めるのはなかなか難しい。各国の通貨問題もあるし、ギルド機能も国によって細かい部分は違うしな。でも仕組みは何かの魔道具に応用できそうだろ? このカードは実験的な試みなんだよ」


「さすがルミエナ自由都市国家の建国時から協力している大商会ね」

 言いながら自分の分のケーキセット代を渡そうとするレイラを、リギルは制した。

「婚約者に冷遇されて傷心中のお嬢さんを、慰めたい気分なんだよ」

 場合によっては益々傷つく言い方だ。レイラ的には、悲嘆より怒りの方が大きくて婚約者を罵倒したくらいなので、リギルは明るく言ってくれたようだ。


「ありがとうシュラターンさん、慰められてあげるわ」

「ははっ、光栄だね」

「ねえ、私がネッカル様の許嫁だと知っていたでしょう?」

「……どうしてそう思う?」

 警戒したのか、若干リギルの声音が固くなる。


「あなた、スファイヤ商会の人だもの。学園に入る時に生徒の情報は持たされているはずよ。私たちと同じで、人脈を広げるための入学ではなくって?」


 国を背負っているのだ。レイラはリギルの身元を知っていた。

 商人の端くれであるリギルは、エイン国の彼女とお近づきになるに損は無い。そしてリギル同様、レイラも大商会の一員である彼と交流を目論んでいる、と手の内を明かす。これは拙いながら交渉である。

 

「なるほど」

 きっかけは想定外だが、リギルは肩の力を抜く。


「じゃあ、ぜひとも友人になってほしい。気軽にリギルと呼んでくれ。ぶっちゃけると、うちの販路拡大より神秘のエイン国そのものに興味がある」


「商人がそれでいいの? まあ情報収集から始めないと、エインは理解できないわよね、多分」


 人懐っこい笑顔で話しかけるリギルに、レイラも笑みを返す。婚約者に暴言を吐かれた悲愴さは彼女に無い。リギルはそれが不思議だった。


「婚約者殿は、パーティ開始時は君に気を遣って優しそうだったのにな。あれは外面で、二人きりだとあんな感じなのかい?」


「尊大なところはあったけど、基本的に優しかったわ。あまり会わなかったこの二年で増長したみたいね」

 片眉を上げたレイラは、「まさか地味だと詰られるとは思わなかったわ。前は綺麗だと褒めてくれていたのよ」と肩を竦めた。


「艶やかで緩く波打つ黒髪に黒い瞳。君は美しくて目立ってるぜ? 地味なんて発想はどこから来るんだろう。エイン国でも崇められる色だよな?」


「ありがとう。うーん……どうなんだろ。崇められているのかは複雑なのよ、そのへん」


「そういうのを詳しく教えてくれよ。文化理解がないと商談は成立しない」


「そうね、ルミエナ建国当初からここを本拠地にしているスファイヤ商会について、私も知りたいわ。エイン国との交易相手に値するかどうか」


「俺は学生だ。そんなに重要な情報は持たないよ」


「あら、随分謙虚なのね。六ヶ国語を操り、貿易担当補佐として各国を回っているのに?」


「通訳として同行しているだけで、俺の本来の所属は魔道具開発部だ」


「若いのに有能だと聞いた通りだわ。これからよろしくね」


 交流する同世代の相手として国の指示があったのだろうと、リギルは考えた。思った以上にレイラは有益な相手になりそうだ。


「君の婚約者殿も、各国の上流階級のお嬢様を通じて、顔を広げているのかもな」

 彼は打算で女性と仲良くするのでは?と、遠回しにレイラを慰めてみた。


「単に好みの女性と親しくなりたいだけでしょ。男友達と賭け事や飲酒も楽しんでるようだし。国を離れたもんだから、はっちゃけて自由を満喫したいだけだわ」


「辛辣だな」


「蔑ろにする宣言をされたのよ? 腹が立ってんだから仕方ないでしょ。私は彼とは別に人脈を作るわ。ねえ、良かったらあなたの要人を教えて。ご実家が商会のお得意様の方とか」


「いずれは紹介しろってか? 君って案外強かだな。婚約者に冷たくされても泣くどころか憤ってるしさ」


「そうね。否定はできないかも。淑女っぽくない私と交流するのはお嫌?」


「いや、見た目だけの淑女より、外交官の卵の女性の方が価値がある」


 リギルの言葉にレイラはふわりと笑った。初めて他者に言われた価値。リギルとは良い関係が築けそうだ。


 女生徒の友人が出来るより先に、男子生徒と仲良くなってしまった。婚約者のいる身では褒められた事ではないけれど、その婚約者が自分を放置するのだ。婚約者に文句を言われる筋合いは無い。

 

 ネッカルより母国の役に立ってやろうと、レイラはひっそりと決意するのだった。




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