9 何を捨てても手に入れたかったもの
怪我の表現あります。ご注意ください。
「ただ、それに関してはグレック伯爵令息の証言だけで物的証拠は見つからなかった。いや、証拠は処分されてもう出て来ることはないだろう。このままだとアレクサンダーは命令違反の処罰を受けはしないが、騎士団内では仲間を負傷させた者として不名誉の誹りを受けることになる」
「重傷を負わせたのは事実です。異論はありません」
「それでいいのか?正騎士の認定も遠ざかるし、私の下を外れた先では真実を知らぬ者から正当な評価を受けられなくなるだろう。上の方針では、真実を公にすることは可能だが大事になることを避けようとしているぞ。このまま不幸な事故としてお前が不名誉を被ることが一番穏便に済む道だ、と。が、私は有望な若者の将来に瑕疵を残すことが最善とは思えん。グレッグ伯爵令息も、お前に責を負わせるくらいなら全てを明るみに出しても構わないと言っている」
「パットが…」
「まあ、そうなるとあいつの立場は色々と難しいことにはなるだろうがな。グレッグ領を潰すとなると、上もさすがにいい顔はせんだろうからなあ」
(これ、私が聞いていいのかしら)
肝心のことはぼかして話しているのだろうが、だんだんと話が大きくなっているような気がして、ヴィーラは少しソワソワとした居心地の悪さを感じた。
「…俺は…このまま表沙汰にするつもりはありません」
「いいのか?若者らしく『権力には屈しません!』とか言ってもいいんだぞ。言えるのは今のうちくらいだからな」
「変に煽るのは止めてください。第一、その団長の言う若者って、いつの時代の若者像なんですか」
「ぐっ…意外とダメージ来たぞ」
「ヴィーラを勝手に名前で呼んだ仕返しです」
「そこ拘るのか」
「ヴィーラを冗談でも口説こうとしたことは、今後何年もかけて仕返しして行くので」
「執念深過ぎるだろう!」
多分このやり取りはお互いに気兼ねなく軽口を言っている類のものなのだろうが、アレクサンダーの目が割と真剣なので隣にいるヴィーラは落ち着かなかった。
「ただ…ヴィーラがいいと言ってくれるなら…彼女にだけは本当のことを知っていてもらいたい、です」
不意に、アレクサンダーの目がヴィーラの方を向いた。その金茶の目の奥には、微かな暗さと一目では読み取れない程の複雑な感情が渦巻いているようだった。
「ご令嬢。本当のことと言っても全てを話せる訳ではない。そして表沙汰にしないと決まってしまえば、この件に関しては後で王城の魔法士により沈黙の誓約魔法を結んでもらう事になる。それがある以上、アレクサンダーが今後どんな不名誉を被ったとしても貴女自身も一切の反論は出来なくなるが…それでも良いだろうか」
魔法士による沈黙の誓約魔法とは、秘密にしたい内容を知ってしまった者が他言出来なくなる魔法だ。精神に作用するものなので、魔法士と掛けられる者同士の合意がないと使用することは禁じられている強力な魔法である。
この魔法を掛けられた者は、たとえどんなに強力な自白剤を飲まされても口外することはないと言われている。
これを無効にするには術者よりも強い魔力を持つ者が上書きする以外にないが、もともと強い術者でなければ掛けられない魔法の為、殆ど上書きは不可能な上、仮に成功しても掛けられた側の肉体がまず保たない。それ故にわざわざこの魔法を無効にしようと思う者はおらず、この魔法を掛けることは秘密保持と同時に秘密を知る者を守る意味合いもあった。
「…私は、今は彼が不名誉を負ったとしても、必ずそれを払拭出来る騎士になると信じています。ですから、私の反論は無用です」
「では、話を…真実を聞くと?」
「はい」
視界の端で、アレクサンダーがヴィーラを抱きしめようと腕を伸ばしかけるのを見て、すかさずそれを目で制する。さすがにこれ以上人前でベタベタされるのは避けたい。
(何故そこでそんなにしょげるの!?)
アレクサンダーの犬耳の幻影再びだった。
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「そもそも盗賊団のグレッグ領襲撃は、次男パトリシア・グレッグ暗殺計画の一部だった」
レナードが静かな声で話し出した。ヴィーラは予想よりも重たい真実に、思わず息を詰めていた。
正妻の産んだ嫡男より僅か1週間だけ遅く産まれた愛人の庶子。それがパットだった。グレッグ伯爵は、正妻に間違いなく長男を後継にすると安心させる為にパットを女と偽って納得させた。
だが最初からか、いつからかは不明だが、パットが男だったということは正妻にはとっくに筒抜けだった。しかし、正妻は長男が後継である証のように、パットの性別について夫には敢えて追求しない態度であった。
「彼自身は次男であるし、家から正式に繋がりを絶って出る為に功績を上げて爵位を賜ることが目標、と予てより主張していた。それが、学園卒業後に風向きが変わって来た。嫡男がなあ…どうにも凡庸なヤツだった。そこでグレッグ伯爵が、密かに次男を後継に据えようと画策を始めた。だが、その場を切り抜けようと産まれた子を女などと適当にごまかしてすぐにバレたような人間が、当然奥方の目を欺ける筈もなく…腹に据えかねた奥方が遂に実力行使に出た」
新人騎士の研修は、領地を持っている貴族の出の者は一度は自領に派遣されることが通例だった。その機会を狙っていたらしい。
パットが自領に戻る時期に合わせて、盗賊団に子飼いの部下を潜入させターゲットをグレッグ領になるように唆した。その討伐に出たパットを任務中の不慮の事故として暗殺者に襲わせて殺害する。それをお膳立てしたのは正妻だった。
盗賊団の残党を追うという形で、パットを含む新人騎士を指導官が連れ出し、二手に分かれる指示を出してパットの行く方向に暗殺者を潜ませた。その指導官も正妻の腹心だった。
ただ、パットとアレクサンダーが新人騎士にしては規格外に強者だったのは彼らの誤算だった。
「本当は彼を孤立させたかったんだろうが、アレクサンダーが常に隣にいてくれたと言っていたよ」
「クロヴァス領での研修の成果です」
クロヴァス領では魔獣や害獣を駆除することが大半だったので、必ず二人以上で動くことをまず叩き込まれた。対峙している時は1頭に見えても背後に群れが潜んでいることが多い為、絶対に単独で深追いするな、一人になったらどんなに好機でも進まず引け、ときつく教え込まれたのだ。それは魔獣だけでなく、つい功績を焦りがちな新人には対人でも有効な教えであった。
盗賊の仕業に見せかける筈が、剣だけで倒すことが出来ない。焦った彼らは、正体を疑われることより確実に仕留めることに方向転換し、強力な毒を使ったのだ。服の袖の中に隠せてしまうような小さな矢で、威力は殆どなかった。しかし、そこに猛毒を塗っておけば、恐ろしい殺人兵器になる。
「何とか暗殺者を半数行動不能にしたそうだが、状況が不利と見た奴らはそれを用いた。もう暗殺者というのを隠していられなくなったのだろう。そして彼は…脛と足首、肘の辺りに毒矢を受けてしまった」
「毒を…」
「ああ。僅かな切り傷でもそこから肉が腐る厄介な魔物の消化毒だったのだろうな。それこそ暗殺者しか入手出来ない、盗賊団ごときが持つような毒じゃない」
その毒は、血流に乗って全身に広まるものではなかったが、傷が見る間に広がり、そこから肉や骨が溶けて行く。手持ちに強い回復薬や、近くに治癒魔法士がいれば何とかなっただろうが、密かにそれらを遠ざける作戦は成功していた。
このままでは毒を受けた場所が広がり、内蔵にまで達してしまえば手の施しようもなく死があるのみ。そこでアレクサンダーは、学園で学んだ対処を正しく実行した。末端で受けた毒は、体の基幹部に到達する前にその毒を受けた部分ごと切り落とすという方法を。
「……迷ってる暇はなかった。いや、その時は、ないと思った。だから…」
アレクサンダーは、その時の光景を思い出しているのか、遠くを見るような目で低く呟いた。その声には、他に方法がなかったのかと自問を繰り返し悩んで来た後悔の色が強く滲む。
「お前の判断は正しい。その後治療に携わった医師の所見を読んだが、実に見事に毒を受けた部位を負担の少ない形で落としていた。関節を狙って周囲の骨を一切折らずに一度で斬ってあった、と。良い腕だと褒めていたな。その後の処置も早かったおかげで彼は一命を取り留めた」
「運が良かっただけです」
その後、味方の騎士達と合流して救出されたが、その際の混乱に乗じて生け捕りにしていた暗殺者は全員殺害されていた。そして毒を使われた証であった切り落とした手足も、いつの間にか痕跡も残さず消えていた。パットの体の方には毒を使われた形跡が残っていない。そして指導官がアレクサンダーが命令違反をしたと嘘の証言をした。
パットが意識不明に陥ってしまっていたこともあって、いくらアレクサンダーが証言しようとも事実がどこにあるのか分からないまま今日にまで至ってしまった。
この暗殺を計画していた側が、パットの実力を甘く見ていたことが幸いしたのかもしれない。潜り込ませた人員が少なく、アレクサンダーの命令違反の証言を一方的に信じる方向に傾くことはなかった。当事者の意識が戻り公平な審議が終わるまで王都に戻して謹慎とされたことが、結果的にアレクサンダーの命も救った。
もし指導官の偽の証言が信じられていたら、新人が罪の意識に耐えられなかった為に自害した、などと理由をつけて処分されていた可能性もあった。
「グレッグ伯爵令息の証言から、指導官もそもそもその資格などなく、証言も取り上げられる筈がなかったんだが、そこも正妻が手を回していたことが判明した。幸い、誓約魔法は使われてなかったので正直に喋ってもらえたようだ」
その「正直」と言った瞬間、レナードの空気が不穏なものになる。どう考えても、言葉通りの「正直」ではないのだろう。ヴィーラはそこは知らない方が良さそうなので敢えて考えないことにした。
「国は、国内一ともいえる穀倉地帯のグレッグ領を、個人の感情で盗賊団を呼び寄せて荒らそうとした事態を重く見た。これが明るみに出れば領地没収の上、爵位剥奪になるだろう。主家一族は犯罪者の烙印を押される可能性もある。しかしこれまでの伯爵家の働きもあり、罰を与えると他の貴族との力関係が崩れるだろうし、何より迂闊な者に後を任せるわけにはいかない。無駄な内紛を避ける為、上層部では暗殺計画そのものを表向きにはなかったことにしようとした」
国としては、グレッグ伯爵が長男よりも次男のパットを後継に据えようと考えて正妻の逆鱗に触れたことが、今回の騒動の要因であると判断した。だが今後の影響を鑑み、その暗殺計画自体をなかったこととし、単純な盗賊団襲撃事件としたのだ。ただ、やはり裏側で関わった人間はそのままでは済まされない。表向きは違う理由で、一線から穏便に退いてもらうように命じた。
グレッグ伯爵は、今後3年以内に健康不安から長男に爵位を譲り隠居するように申し渡された。隠居先やその後の処遇については長男に一任されるらしいが、幼い頃から母と共に蔑ろにされがちだったという事なので、穏やかな隠居生活は望めないだろう。
正妻は腹心の部下との不貞行為が発覚し離縁となり、実家に戻されることになった。しかし実家は既に弟夫婦が当主になっているので、こちらもどこかに隠居と言う名の幽閉か修道院に送られるかのどちらかになるらしい。
その腹心の部下は、仕えている主家の妻に手を出したとして、法に則った処罰を受けたということだ。もっとも、処罰後の行方は分かっていないという事になっているようだが。
そして伯爵夫妻は、おそらく数年後にそれぞれ「病死」と報じられるだろう。
どちらにしろ、もう関係者達は表舞台に出て来ることはない。
「あの家もなかなか複雑でね。正妻と愛人が姉妹同士だったこともあって、確執は根深かったようだ」
「えぇ…」
ヴィーラはうっかり声が漏れてしまった。王族に連なる家門や高位貴族などは、その血を存続させるために複数の配偶者を持つことはあるし、その青い血を保つ為だけに家柄重視の政略結婚も多い。下位貴族はそこまで血筋を存続させることに拘りはなく、基本的に一夫一妻が主流だ。後継は血統が重要視される風潮はあるが、僅かでも血縁であればどんなに遠縁でも後継に迎えることは難しくないのだ。ノマリス家とオルタナ家のように家が近所だし仲が良いから、という単純な理由で縁を結ぶことも多い。ヴィーラも貴族であるので、高位貴族の血への拘りも理解しているし否定する気もないが、下位貴族の家で育ったせいかどこか感覚的に拒否感があった。
「上層部は、パトリシア・グレッグ伯爵令息と伯爵家との縁を完全に断ち切って、今回の件は彼とは無関係であり、ただ事故に巻き込まれた不幸な一介の騎士であることを提案した。が、彼自身は巻き込まれたアレクサンダーの名誉と将来に傷が付くのであれば、全てを公表してグレッグ伯爵家の一員として処断されることも辞さない、と主張している」
全てが明らかになれば、アレクサンダーは正しく毒殺の危機から仲間を救った騎士として功績を認められるだろう。しかし、それが公になるということはパットの実家の存続は厳しいものとなるし、パット自身も元凶として連座を免れるのは難しい。侯爵家と遜色ないほどの権勢を持っていたグレッグ伯爵家が没落するとなれば、あちこちの影響は計り知れない筈だ。
話し終えた後レナードが、もう一度確認するように「どうする」とアレクサンダーに問いかける。
「…俺は、やはりこのまま穏便に済ませたいです。俺は別に騎士を辞めるわけじゃない。手足を失って騎士の道が閉ざされた上にパットが罰を受けるくらいなら、俺の名誉なんて大した問題じゃない」
「それで妻に苦労を掛けることになっても?」
「う…」
「私は苦労で死ぬ程弱くはありませんよ?」
「…のようだな」
「ヴィーラ…!」
思わず感極まったアレクサンダーが再びヴィーラに抱きついて来て、今度は制し切れずにソファに倒れて半ば押し倒されたようになってしまった。体勢を立て直そうにも、さすがにアレクサンダーの体重がのしかかっているのでびくともしない。
「……なかなか独り身には目の毒なんだが」
「そう思ってるなら止めて!」
呑気な様子で眺めているレナードに、ヴィーラは相手が騎士団長だということもすっかり忘れて大きな声を上げてしまった。
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面会終了の時間が来たらしく、アレクサンダーは迎えに来た騎士二人に連れられて行ってしまった。ヴィーラはこのままレナードの執務室に残り、沈黙の誓約魔法を掛けてくれるという魔法士を待つことになった。
二人が部屋に残ることにアレクサンダーは激しく抵抗したが、それを見越して迎えに来た騎士らはアレクサンダーに負けず劣らず大柄で力自慢だったらしく、強引に挟み込んで部屋の外に引きずり出す。そして大声で叫ぼうとするのも想定内だったようで即座に猿轡まで噛まされてテキパキと連れ去られたのを、ヴィーラは敢えて見なかったことにしたのだった。
魔法士が来るのを待つ間に、とレナードがどこかに頼んで執務室まで紅茶と焼き菓子が運ばれて来ていた。甘い物が得意ではないと、レナードはヴィーラに視線を向けながら紅茶だけを飲んでいる。なんだか自分が茶菓子にでもなった気分だった。
「あの…少々伺っても?」
「どうぞ。折角なのであいつがいない間にゆっくりと口説こうと思いましたが、レディの質問は優先しなくてはね」
しれっとそんなことを軽く口にして来るので、レナードがよく人をからかうことが難点であるとヴィーラも実感した。
「パ…トリシア様ですが、何故夢を叶えたと仰ったのでしょうか。命を助けたのは確かかもしれませんが、その…騎士になる夢を絶ってしまったのは…」
「彼の夢が騎士になることではなかったからですよ」
「彼の夢は、家から自由になることでした」
パットは自分を令嬢として扱う父親や周囲をおかしいと自覚した頃から、グレッグ家から出たいと思っていたそうだ。その方法を色々と画策していたが、まだ成人前だったことや、やはりグレッグ伯爵の権勢が強かったこともあり全く上手く行かなかった。
「彼が言うには、生まれた時から母親に生き写しで、父親の執着がひどかったと」
「それは…そこまでお美しかったんでしょうが…ちょっと…」
パットの儚気で可愛らしい容貌にそっくりであれば、彼の母親の美貌も相当なものだ。しかし、あくまでもパットは息子である。母親に対するような愛情を向けられても彼にとってはただの執着に過ぎないだろう。
「彼は…一時は家から逃げる為には自分の命を絶つ以外方法はない、とまで考えたこともあるそうです。学園に入って、彼は報賞として騎士などに与えられる一代限りの爵位を賜れば伯爵家から籍を抜くことが出来ると知った。嫡男でなければ、難しいことではない。そして、魔法士よりも騎士の方が賜りやすいことを聞いて、急遽騎士科に進路変更した程だった」
「それが…今回のことで縁が切れたということですか…でも、そんな結果って」
「確かに失ったものは多かったろう。しかし、彼は生きて夢を叶えた。…そう、思っていただけませんか。彼の為にも」
「……はい、そう、します」
パット自身がそう思っている以上、ヴィーラに言うことはないのだ。そう思って、ヴィーラは香り高い紅茶を複雑な想いとともに飲み干した。とても高級な茶葉で淹れられた紅茶はとても美味しい筈なのだが、その一口は喉の奥に言いようのない苦味を残した気がした。
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「ヴィーラ嬢、私からも質問しても?」
「はい。何でしょうか」
「今後の参考に、私の求婚を断った理由をお聞きしたい」
「ゴフッ!!」
唐突に言われて、ヴィーラは思わず噎せ返る。紅茶や菓子を口に入れていなくて良かったと心底思った。もしそうだったら、淑女として終わっていたところであったろう。
「あれ、ただの冗談だったのでは?」
「さあ?」
「止めてください!アレクに言いつけますよ!」
自分でも内心「子供じゃないんだから!」と突っ込みつつ思わず口走ってしまった。
「まあ一応冗談ではありますが、冗談でなくなっても構わない相手にしか言いませんよ」
じっとりと睨まれてるのも全く気に留めていない様子で、レナードは笑いを堪えながら答えた。その灰色の目からは、本気なのか冗談なのかは全く読めなかった。
「私は、これでも結構モテるんですよ」
「…はあ」
「だから、冗談でも本気にされかねないということです」
「ソウナンデスカー」
「ですからそういう冗談を言う時は、本気にされて娶ることになっても構わないと思う相手にしか言わないことにしてるんですよ」
「コウエイデスワ」
すっかり棒読みの相槌になってしまったヴィーラに、その反応が余計に面白かったのかレナードはとうとう笑い声を漏らした。
「まあ正直、貴女はあいつ以外に靡くとは思ってませんよ。少々羨ましくもあって、ついつい揶揄いたくなってしまう」
「そのうち後ろから刺されても知りませんよ」
「これでも騎士団長を長らく務めていますからね。それが成功する人間が出て来たら喜ばしい」
「アレクがきっと第一号になると思いますわ。楽しみになさっててくださいませ」
「……言いますね」
ヴィーラは何となくレナードとのやり取りが分かって来たような気がした。人を揶揄う割に、ギリギリこちらを激昂させないところでサッと引く。このやり取りは、ヴィーラにベタベタして怒らせたり本気で嫌がったりされる前に絶妙に引くアレクサンダーに似ていた。本人達は否定するかもしれないが、根っこのところでは似ているのかも、と思ってしまった。
「で、理由は?」
「…まだ聞きますか」
「ええ、是非」
ヴィーラは少々逡巡してから、言葉を選びながら口を開いた。
「ええと、私は、自分が加護持ちだと知る前から、何となく自分の役割を察していたと言うか。誰かが夢が叶ったと喜ぶ隣で、それを祝う係だと思っていた節があると言うか…」
神殿で調べてもらった際、ヴィーラの加護は全く自分には効果がない、むしろ他者に与える分普通より自分の分が少ない可能性が高い、と告げられた。周囲には夢を叶える為の「幸運の種」を蒔くことは出来ても、自分の夢は叶うことが難しい。些細なことの積み重ねではあったけれど、心の中に根差した諦めに似た感情。決して不幸になっている訳でもなければ、幸運に見放されていた訳ではない。だが周囲が努力が実って行く姿を見送り続けた、長年澱のように降り積もった諦観は重い。
「でも、アレクは。彼だけは私の子供の頃の夢を叶えてくれるんです」
「私では無理だと?」
「はい、絶対無理です」
「そうですか。それでは仕方がありませんね」
「申し訳ありません」
幼い頃、憧れて擦り切れるまで繰り返し眺めた絵本の一場面。今思うと、ただの子供向けの夢物語ではある。過去の小さなヴィーラがもしかしたら最初に夢を見て、最初に諦めた夢の一つ。その諦めた夢を再び拾い上げて、叶えられるのはアレクサンダーだけなのだ。
「そんなにいい笑顔で断られると、諦めたくなくなりますね」
「あのですねえ…」
いちいち反応を返すからレナードも揶揄って来るのだというのは分かっているが、それでもヴィーラは呆れたような視線を送らずにはいられなかった。その反応を待っていたかのように、レナードはどこか楽し気だった。