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夢を叶える首長尾鳥  作者: すずき あい
6/10

6 離れない手、離さない手


翌日、ノマリス家を訪ねたヴィーラは、アレクサンダーと共に再び庭園のガゼボで向き合っていた。


「あの…ヴィーラ…昨日はその…色々と」

「そ、うね。うん。色々あったわね…」


まだ色々と話すことはある筈なのだが、顔を合わせるとお互い何から言うべきかすっかり思考停止してしまい、ただ今は頬を赤らめながら俯き合っていた。



「ヴィーラ、その…もう、婚約解消とか、思ってないよ、ね?」

「うん…一応」

「一応!?」

「あ…じゃなくて、ない。思ってないから。ただ、ちょっと今はまだ…その、混乱してるって言うか、実感がないって言うか」



ずっと解消する予定の契約婚約だと思い込んでいたのだ。今は明らかにアレクサンダーを意識している自覚はあるものの、長年染み付いた感覚はなかなか払拭出来る自信がなかった。



「ごめんなさい」

「謝らないでよ。俺もちゃんと伝えてなかったし。でも、ヴィーラにはストレートに言った方がいいって良ーく分かったから。これからどんどん伝えてくから」

「オテヤワラカニオネガイシマス」



思わず片言になってしまったヴィーラに、アレクサンダーは彼女の膝の上に置かれた手を取ってスルリと自分の親指で手の甲を撫でて来た。長い間剣を持ち続けた彼の手の表面は硬化してしまっているが、ヴィーラは不思議と不快感は覚えなかった。

今までのアレクサンダーはどこに行ってしまったのだろうと思う程、こちらを見つめる目に熱が篭っている。婚約を結んでから、ずっとこんなに分かりやすく好意を伝えていたのだろうか、とヴィーラは思ったが、そもそもそういった感情を想定もしていなかったので見逃していたと言われればそんな気もする。

それにウィリアムには、こんな目で見られたことはなかったかもしれない。


「あ、確認したいんだけど」

「何?何でも聞いて」

「パット様のことだけど…ちゃんとしないといけないんじゃない?」

「パット?あいつが何を…って言うか、あいつヴィーラに抱きついてたんだよな……コロス…」

「ま、待って待って!」


パットの名前を聞いた途端、アレクサンダーが怒りの形相になって低い声で物騒なことを口走った。


「伯爵令嬢相手にそんなこと言っちゃ駄目でしょう!辺境領で仲良くしていたのでしょう?」

「ハクシャクレイジョウ?」

「え?グレッグ伯爵のご令嬢でしょう?」

「あ!」

「『あ!』って何?『あ!』って」


突然何かを思い出したような反応に、全く訳の分からないヴィーラは混乱する。そんな中でもアレクサンダーは手を握ったまま離そうとしない。


「これ…あまり大きな声で言えないんだけど…いい?」

「……うん」


急に声を潜めるアレクサンダーに、聞かない方がいいような気もしたが今更そういう訳にはいかないだろう。

アレクサンダーは、スルリと移動してヴィーラのすぐ隣に座る。そして手を離したかと思うと、すぐにその手は肩に回ってそっと抱き寄せて来る。内密の話をする為だろうが、顔を耳元に近付けられて気持ちが集中して、却って耳に微かに息がかかるのを感知してしまい顔に熱が集中する。ヴィーラの顔に赤みが差しているのを見て、アレクサンダーは思わずクスリと笑った。それが更に刺激になったのか、思わず彼女が手の動く範囲で届いたアレクサンダーの太ももをペシリと軽く叩いて無言の抗議をした。


「パット…実は男、なんだ」

「へ?」


---------------------------------------------------------------------------------



パットことパトリシア・グレッグはグレッグ伯爵の庶子であった。彼が生まれた時は、1週間前に正妻が嫡男を産んだばかりという最悪のタイミングであった。生まれた時から小さくて可愛らしい容姿をしていた彼を、娘として育てることを条件に伯爵が認知したのだ。勿論正妻には男であることは秘密で。成長してからも、名は体を表す伝説が発動したのか、パットは小柄で華奢、いつも潤んでいるような緑の大きな目と薔薇色の頬で、儚く愛くるしく庇護欲をかき立てる夢の美少女が出来上がってしまった。



「正妻の息子の地位を脅かさないように、あくまでも病弱のためずっと領地から出られなかった双子の妹、って態でね」

「嘘でしょ!?あんなに可愛いのに?」

「ヴィーラの方が可愛い」

「ちょっと、真顔で混ぜっ返さないでよ」

「事実なのに」


アレクサンダーは耳元で囁いている態勢をそのままに、少し顔をずらしてヴィーラのこめかみにキスを落とした。一瞬何が起こっているか分かってなかった彼女が真っ赤になって固まる。


「やっぱり可愛い」


アレクサンダーの台詞は殆ど声になっておらず、より一層ヴィーラに顔を寄せて来て、息遣いだけが耳朶をくすぐる。


「もう!ちょっと離れてちょうだい!話し辛いわ」

「ええ〜」

「婚約者の距離感!節度!」


そのまま抱き抱えて膝の上に乗せようとするアレクサンダーに、ヴィーラは精一杯抵抗を試みる。彼は少々残念そうにしていたものの、これ以上やると本気で嫌がられかねないとみてサッと身体を離した。その辺の匙加減は、長年の幼馴染みの功績である。



「でもまさかパット様が男性だなんて…聞いても信じられないわ」

「それ、本人の前で絶対に言わないで」

「そりゃ言わないわよ。内密にしてるんでしょう」

「当人はそこまで隠してないよ。学園に入る時点で性別なんてごまかせる訳ないだろ。実家の正妻殿の耳にさえ届かなければいいらしいし、それをごまかすのはグレッグ伯爵に丸投げだって。自分からは大っぴらに言わないだけ。ただ、そう言われると、あいつ張り切って脱ぐから」

「はい?」


どう見ても可愛らしい美少女にしか見えないパット。実は男でしたと言ってもまず信じてもらえる方が少ない。そういう時、彼は大変良い笑顔で密室に連れ込んでは服を脱ぐことにしていた。それはもう躊躇なく。楽し気に。


「それは…アレクも脱がれたの?」

「…あまり思い出したくない…」


因みに脱いで見せる相手は男女問わないらしい。

ただあの愛らしい見た目であるので、パットに近しい男性の殆どが同じ目に遭っていた。鼻の下を伸ばして着いて行って、ほぼ全員が青い顔をして帰って来るそうだ。


「ふーん。パット様可愛いからねえ」

「ちょっ!俺はそんなやましい気持ちで連れ込まれたんじゃないから!俺があんまりヴィーラにしか眼中にないから面白がって強引に見せられたの!」

「そういうことにしとくわ」

「うう…やっぱりいっぺん殴っておけば良かった…」

「ちょっと止めなさいよ!?」


辺境領にいた頃は、新人含めて若い騎士全員がパットに連れ込まれて目の前で脱がれている。長く領直属で魔獣の解体に長けているベテラン騎士達は、曰く「骨格が男」とあっさり見抜いていたのでつまらなかったパットもわざわざ脱いで見せなかったそうだ。

だがそのおかげというか、わずか研修期間の半年で、隣国から入り込んだ間諜をパットの功績で数名捕らえることに成功していた。


「でも、絶対に言わないでよ。ヴィーラ相手でもあいつ全部脱ぐから」

「全部!?」

()()

「絶対言わないわ…」



---------------------------------------------------------------------------------



3日後、レナードがどのように掛け合ってくれたのか不明だがアレクサンダーの配属先の確定は一旦保留となった。それと同時に正騎士の認定も保留となったが、アレクサンダーはそれほど気にしていないようだった。

そしてクロヴァス辺境領からグレッグ領への研修先変更が急遽決定したとのことで慌ただしく出発して行った。出発直前にノマリス家とオルタナ家に挨拶に来たが、本当に急な変更で準備が大変だったらしく彼の顔には珍しく疲労が浮かんでいた。



「行ってらっしゃい。体調に気を付けてね」

「行って来る。ヴィーラも気を付けて」



短い挨拶だけを交わして、急いで馬車に乗り込むアレクサンダーの背を見送った。


ヴィーラの抱えているささやかな「秘密」は、結局時間が取れなくて話せないままだった。正式に婚姻する前には話しておかなくてはならないので、彼が研修を終える予定の半年先になるだろう。


もし、帰って来ても忙しくて時間が取れなかった時に備えて、ヴィーラは今のうちから手短かに話す内容を纏めておこうかと考えていたのだった。



---------------------------------------------------------------------------------



王城の騎士団から直々の知らせが来たのは、それから4ヶ月が過ぎた頃だった。


ノマリス家から呼び出しを受けてヴィーラが向かったところ、応接室では子爵夫妻が沈痛な面持ちで待っていた。その様子に、アレクサンダーに何かあったのではないかとサァッと血の気が引くのを感じた。



「王城から連絡が来てね」

「ア、アレクに何かあったんですか?無事ですか!?」

「ヴィーラちゃん、落ち着いて」



重い口調でノマリス子爵が口を開いたので、思わず詰め寄るようにヴィーラが近寄る。それを宥めるように夫人がヴィーラの肩を抱えて向かいのソファに座らせた。一緒に並んで座ってくれた夫人の体が、小刻みに震えているように思えたが、もしかしたら自分の方が震えているのかもしれない。ヴィーラにはどちらが震えているのか分からなかった。


「大丈夫だ。アレクは無事だよ」

「良かった…」

「…先月、アレクが派遣されていたグレッグ領を、大きな盗賊団が襲ったそうだ」


ノマリス子爵の言葉で安堵したが、続く報告に一瞬息が詰まった。


「その際に数名を逃したそうだが、盗賊団はほぼ壊滅だそうだ。ただその残党を追っている途中…」


彼は一旦言葉を切って、深く息を着く。そして意を決したようにヴィーラを真っ直ぐ見つめて来た。


「待ち伏せしていた残党と乱戦になり、アレクサンダーは誤って仲間の騎士の一人に重傷を負わせしまった」


ヴィーラは、思わず胸にあるペンダントを握りしめていた。緑の石をアレクサンダーの瞳の色と似た金属が飾るお気に入りのもの。それを手の中に収めても、ひどく金属が冷たく感じた。気が付くと上手く息がつけずに、短くて浅い呼吸を繰り返していた。


「アレクサンダーは幸い軽傷で済んだ。それに任務中の予想もしない襲撃に、まだ研修中の新人騎士同士の事故だ。しかし…」



新人騎士を率いて指揮を執る指導官が、その日はいつもと違っていた。突然の盗賊団襲撃で、人手があちこちに割かれていたことも災いした。

その時の指導官が、事故が起こったのはアレクサンダーが命令を無視した行動を取った為だと証言したのだ。アレクサンダーは、指導官に二手に分かれて探索するように指示され、向かった場所で待ち伏せをされ挟み撃ちに遭ったと報告した。不運にも二手に分かれた際に、アレクサンダーの向かった方向に指導官が同行していなかった。

その時の襲撃者は、合流した騎士に全員その場で斬られて死亡。混乱の中目撃者はおらず、唯一証人になれる者はその時に共に行動していた重傷を負った新人騎士なのだが、一命を取り留めたもののまだ意識が戻っていない。その為アレクサンダーの処遇は未定のまま、グレッグ領から王都に戻されたということだった。



「こっちに、戻って来てるのですね」

「ああ。しかし、処遇が決定していないので騎士団で謹慎扱いになっている。許可が出るまで我々も会うことは出来ない」

「そんな…」


騎士である以上、怪我の危険は常に伴う。そして魔獣だけでなく治安維持の為に人を斬ることもあることくらいヴィーラも承知していた。しかし、誤ったにしろ仲間に傷を負わせてしまったアレクサンダーの心情を思うと、ヴィーラですら胸が潰れるような心地がするのだ。当事者である彼の苦悩は計り知れなかった。



「…あまり考えたくないことだが、怪我をさせた相手は高位貴族の者だった。もし相手に万一のことがあった場合やアレクサンダーの命令違反と確定すれば、ノマリス家は爵位を返上して謝罪金を支払うことになるだろう。アレクサンダーの騎士の道も閉ざされるかもしれない」

「そこまで…」

「ヴィーラ嬢。そうなったら君との婚約も解消せざるを得まい。またしても我が家の息子達のせいで迷惑をかけてしまったことは幾ら詫びても足りない程だ。我々も出来る限りのことはさせて貰うが…念の為覚悟だけはしておいて欲しい」

「ヴィーラちゃん、ごめんなさいね。うちのバカ息子達のせいで…」

「おばさま…泣かないでください。私は…」


ヴィーラに寄り添うように座っている夫人は、目を真っ赤にしてハンカチで溢れる涙を拭っていた。



「私は、アレクと一緒にいます」



ヴィーラは一切の迷いなく、そう言い切った。その真っ直ぐな視線を受けて、ノマリス子爵は僅かに息を呑む。


「ヴィーラ嬢…気を遣わなくてもいい。もう既に君の名誉を我が家はこれ以上ない程傷をつけてしまったようなものだが…どんなことをしても君だけは悪いようにはしない」

「もう決めたことです。私は、アレクの手だけは、離したくないのです」

「ヴィーラ嬢…」



もう涙で声にならない夫人は、ヴィーラを無言で抱きしめて来た。そしてノマリス子爵は、感極まった様子でそれ以上言葉を紡がずに頭だけを下げた。


「願ってください。怪我をした騎士様のご無事を。アレクの騎士になる夢が叶えられることを。きっと大丈夫です。だって、()()()()()()()()


「そう…そうね。大丈夫ね。ヴィーラちゃんがついてるんですもの」

「ああ、そうだな」


ヴィーラの言葉で、夫妻は少し落ち着きを取り戻したようだった。


(いざとなれば、私が交渉材料になればいいわ)



ヴィーラの持つ「秘密」は本当にささやかなものではあるが、国に取って必要な物だということは知っている。いや、正確にはここ以外の国に流出したら少々厄介と言った方が正しいだろう。



ヴィーラ自身は、何の爵位も後ろ盾もない。今の身分は実家ではオルタナ子爵家当主の妹、そして次期ノマリス子爵家当主の婚約者というだけだ。それがはるかに高みにいる存在にそんな交渉をするのは命知らずなことかもしれない。しかし、ほんの僅かでも可能性があるのならアレクサンダーの助けになりたかった。


今、その胸の内を告げてしまうのは子爵夫妻が負担に思うだろう。それにもし交渉するのであれば何も知らなかった方がいい、とヴィーラは密かに決意を固めたのだった。



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