指名手配・勇者
「これより、選定の儀を執り行う」
声の主はこの街の領主だ。領主の隣には司祭が立ち、若者たちを見渡している。
「これから、一人ひとり、この石の前に立ちなさい。そして、自らの手で聖剣を引き抜くのです」
そう言って、領主は台座の上に立てられた石を指さした。
「聖剣を引き抜いた者は勇者となります。勇者となった者には、魔王を倒す旅に出てもらうことになるでしょう」
「おぉ……!」
若者が歓声を上げる中、司祭の言葉が続く。
「聖剣を引き抜きし者よ。その手に握った瞬間、あなたたちは真の勇者となるのです。その覚悟を持って引き抜いてください」
「はい!」
元気よく返事をした若者が、列を離れて前に進み出た。ロディだ。そのとき、彼の歩みを止める声が飛んできた。
「待て。俺が先に行く」
別の若者の声だった。ゲイヴである。彼は列を離れ、前に進んでいた若者を押し退けて嫌味っぽい笑みを浮かべた。
「泣き虫ロディが勇者のはずない。それに勇者である俺が最初に挑戦したほうが時間がかからなくて済むだろ?」
自分が勇者だと確信したような言い方に、ゲイヴの自信が感じられた。
ロディとゲイヴは幼馴染だった。
年の頃も同じで、お互い競って腕力を付けてきた。昔から喧嘩をするときはいつもロディが負けていた。今回もその例にもれず、自分の順番を譲る気はないようだ。
ロディは唇を噛みしめた。でも、ここで言い争っても仕方がないと思い直す。
「わかった」
そう言うと、ロディは後ろに下がった。失敗したゲイヴの悔しがる顔を見てやるのも悪くないと思った。
「ふんっ」
ゲイヴは鼻を鳴らした。彼は胸を張って堂々と歩き出した。
「まずは俺からだな」
「はい。どうぞこちらへ……」
司祭に導かれ、台座の前に立つ。
「では、そちらの聖剣を抜いて下さい」
ゲイヴは言われるままに聖剣へと手を伸ばした。柄を握る。しかし、びくともしない。何度か試してみるが無駄だった。
「おかしいな……」
焦りながら何度も挑戦するゲイヴだったが、まるで抜ける気配はなかった。次第に苛つき始めたのか、乱暴に手を動かし始める。だが、それでも聖剣は動かない。
その様子を見ていたロディは内心ほくそ笑んだ。ざまあみやがれと思っていた。
「次の者に代わりなさい」
司祭の指示に従い、ゲイヴは舌打ちをして次の若者へと場所を譲った。ついにロディの番が来たのだ。
彼は前に出て、慎重に手を伸ばす。
――カチャッ。
乾いた音を立てて、あっさりと引き抜いてしまった。あまりの手応えのなさに拍子抜けしてしまうほどだ。
「おぉ……」
周りからはどよめきが起こった。拍手さえ起こる始末だ。ロディ自身も驚いていたが、すぐに調子に乗って笑顔になった。
「新たな勇者の誕生です!」
領主が高らかに宣言した。ロディは照れ笑いをしながら振り返ると、ゲイヴに向かってVサインをして見せた。
*
ロディは王宮に招待された。まっすぐ進んだ先にある扉を開けると、豪華な装飾の施された広間で、天井には巨大なシャンデリアがぶら下がり、床一面には赤い絨毯が敷かれている。壁際にはずらりと鎧姿の騎士たちが並び、その中心に王座がある。
「よくぞ参った」
玉座から声がかかった。ロディは顔を上げ、王を見つめた。そのときの王の表情に疑問が浮かぶ。
なぜ王は睨んでいるのだ。勇者として選ばれて世界を救う男を。
「けがれた悪魔の子め」
そう聞こえたのは気のせいではない。王が口を動かした。
「どういうことですか?」
ロディは思わず立ち上がり、王に詰め寄ろうとした。だが、たくさんの騎士たちに阻まれる。そこで気付いた。彼は騎士たちに囲まれていたのだ。
王は玉座からロディを見下ろした。
「お主が悪魔の子だと言ったのだ」
今度ははっきり聞こえた。王はこちらに向かって話しかけている。だが、周りの騎士たちは微動だにしない。まるで、自分だけが別の世界にいるようだ。
「なにかの間違いです!」
ロディは必死で訴えた。
「間違いではない。お主は悪魔の血を引いている」
王は断言する。
「そんなはずありません!」
すると、王は眉間にしわを寄せた。
「お主が抜いた聖剣。あれは勇者を選ぶための神器などではない」
ロディはやけに軽い聖剣に目を落とした。
「そいつは悪魔の子を炙り出すための道具なのだよ」
王は笑みを浮かべながら言った。
「えっ……」
ロディの顔から血の気が引いていく。全身の血流が止まってしまったかのように体が冷たくなっていく。心臓が激しく鼓動を始めた。
「私たちは勇者を選ぶためだと国民たちを偽り、聖剣のちからで悪魔の子を炙り出してきたのだ。お主もそうであるように悪魔の子らは、おとなになるまで自分が悪魔である自覚がない。だから脅威になる前にその芽を摘んでおくのだよ」
王は騎士のひとりに指示をした。
「連れて行け」
騎士たちが一斉に動き出し、ロディを取り囲んだ。そして乱暴に腕を掴み上げる。
ロディはその腕を振り払った。弁明の余地はない。ここにいたら殺される。逃げなければ……。
彼は走り出した。背後からは足音が聞こえる。振り返ると何人もの騎士が追いかけてきている。彼は息切れしながら階段を駆け上がり、廊下を走り抜け、王宮の外へと飛び出した。
ロディは走った。後ろを振り返る余裕もなくひたすら前へ前へと走る。やがて森が見えてきたところで足を止めた。木陰に入り込み、呼吸を整える。汗ばむ額に手を当てた。
いったいなにが起きたというのか。
ロディは自分の身に起きたことを整理しようとした。だが、頭の中に霞がかかったようでうまくいかない。思い出せるのは王の言葉だけだ。
彼は拳を強く握り締めた。爪が皮膚にくい込むほど強く握る。
俺は人間じゃない?
自分の体を見下ろすと、筋肉質な腕が見える。確かに普通の人間のものとは違うかもしれない。だが、それはただ単に鍛えられたものだと思っていた。
本当に違うのか? でも、それならどうして今まで気付かなかったんだ……。
彼は頭を振って混乱した思考を追い出そうとしたが無駄だった。彼の脳裏には王の声がこだましている。
『けがれた悪魔の子め』
あの瞬間からすべてが変わった。
「うあああッ!」
彼は絶叫した。そして地面に突っ伏すようにして泣き叫んだ。
……どうしてこんなことに。なぜ自分が選ばれてしまったのか。なんで、よりによって自分なのか。自分はどうすればいいのか。これからどんな目に遭うのか。恐ろしい想像ばかりが頭の中を巡る。
……誰か助けてくれ。
そう思ったときだ。ふいに背中をさすられる感触があった。驚いて顔を上げると、目の前に見知らぬ女が立っていた。栗色の長い髪を垂らし、心配そうな表情を浮かべている。歳は二十代半ばといったところか。黒いマントに身を包み、腰からは長剣を下げていた。
彼女はゆっくりと口を開いた。
「大丈夫?」
その声を聞いて、ロディは少しだけ落ち着きを取り戻した。涙を拭きながら立ち上がる。
「あ……」
言葉を返そうとしたのだが、うまく出てこない。
「怪我はないみたいね」
女は彼の全身を見回して言った。それから手を差し伸べてくれる。
「立てる?」
ロディは無言のままうなずいた。差し出された手をしっかりと掴み、なんとか立ち上がることができた。
「じょうでき!」
「……馬鹿にしてますか」
「まさかまさか。あんよが上手」
女は屈託のない笑顔を見せたあと、真面目な口調になって続けた。
「あなた名前は?」
「ロディです」
「私はエアリス。よろしくね」
エアリスはようやくロディの聖剣に気付いたようで目を丸くした。そしてなにやら紙を取り出して、ロディの顔とその紙を見比べる。
「……これ、あなたよね?」
彼女が手にしていたのはロディの手配書だった。殴り書きで『腰抜け勇者』と書かれている。どうやら魔王退治に恐れた勇者が逃げ回っている、という触れ込みらしい。
「……私に着いてきて。あなたをおじいさまに会わせたい」
ロディは彼女の言葉に従った。この場に留まりたくはなかったのだ。それに、今の自分に選択の余地などないと思った。
森の奥深くにある小屋の前に来ると、エアリスは扉をノックすることもなく開けた。中にいる老人に向かって呼びかける。
「おじいさま、ただいま!」
「おお、エアリスか。ご苦労だったのう」
室内にいたのは初老の男だった。白髭を伸ばし、丸眼鏡をかけ、ゆったりとしたローブをまとっている。
「こちらの方は?」
男はロディを一通り眺めると、顎に手を当てた。
「お主が連れてきたということは、勇者じゃろう?」
「うん、そうなの」
エアリスの言葉を聞くと、男は眉間にシワを寄せた。彼はロディのことをじろりと睨んだ後、首を傾げた。
「お主に邪気は感じ取れん」
「どういうことですか?」
ロディがたずねると、男はこともなげに答えた。
「お主は悪魔の子ではない」
*
ロディとゲイヴの喧嘩の種といえば、大抵は「どちらが勇者に相応しいか」という題材だった。
「お前が、俺に勝てるわけねえだろ」
ゲイヴは鼻で笑った。ロディより一回り体格が大きい。顔も厳つい。
「やってみなきゃわかんねーだろ」
「いいや、わかるさ。お前みたいなガキじゃあ、俺は倒せねぇよ」
「なんだと!」
「かかってこいよ!」
ゲイヴが挑発する。それにまんまと乗るのがよくなかった。
「後悔させてやる!」
ロディは走り出した。勢いよく拳を突き出す。しかし、勢い任せの拳はあっさりかわされてしまう。
「腹がガラ空きだ」
そう言って、ゲイヴは回し蹴りを放った。それをまともに食らい、ロディの身体は吹っ飛ぶ。壁に激突して床に落ちた。
「ぐ……」
ロディは腹を押さえてうずくまった。
「おまえが勝てないのは身体が小さいからじゃない。ここだよ、ここ」
ゲイヴは自分の頭を指さしてみせた。その瞬間、ロディの中で何かが弾けた。怒りに任せて立ち上がる。そしてまた殴りかかった。だが、やはり簡単にあしらわれてしまう。
「感情に流されて頭を使わない。おまえの弱点だな」
そんな調子で毎回、喧嘩の最後はゲイヴの勝利で終わっていた。それでもゲイヴは不安だった。いくら喧嘩が強くても勇者に選ばれるとは限らない。どういう基準で勇者を選んでいるのだろうか。それがいつも頭の中にあった。
ある日のことだった。いつものようにロディとの喧嘩を終え、家に帰ろうとしたときである。
ふと思い立ち、ゲイヴは王宮に潜り込もうと企んだ。こっそりと忍び込み、情報を探り出す。前々から王家には臭い部分があると思っていた。勇者に選ばれるための秘訣かなにかを隠しているに違いない。それさえわかれば、努力は惜しまない。自分が選ばれる可能性が高まる。ゲイヴは期待した。
そこでゲイヴは信じられない真実を知ったのだ。
勇者選定の当日、彼はロディを挑発して順番を抜かした。そして聖剣がわずかに抜け、自分が悪魔の子であると確信した瞬間、演技をはじめた。聖剣が抜けない演技である。
ロディがこちらに向けたVサインをゲイヴは直視できなかった。