ポエム波平作品展(川柳・俳句・詩など)
令和元年から3年までの、思ったことや考えた事を書き綴ったものです。
・名を知らぬ 道咲く野花に 名を呼ばる
道行くと、小さくとも鮮やかに、名前の知らない花が咲いている。
「私はここだ、ここにこそ私はいる」
その花は、己の存在を道行く私に主張しているようにも見え、それがまるでわたしの名を呼びかけているようにも見えた。
・日が暮れて 風で鳴く鈴 虫の声
(日が暮れて 風で鳴る鈴 虫の声)
静かな秋の夕暮れと共に陽は落ち、役目を終えた風鈴の音と虫たちが鳴きはじめる。
風鈴の鈴の字と、虫の字を連動して鈴虫とした言葉遊びとなっている。
風鈴の音を鳴るで表し、虫たちの鳴き声ともに「鳴」の文字を重ねている。
風で鳴る か 風で鳴く か非常に迷っている。
・揺れ浮かぶ 雲船乗らん 風の彼方に
空に浮かぶ雲が船の形となって風に流されていく。
人はいずれ、その雲に乗って、何処か遠くへ行くのだろう。
・ともに行く 彩る景色と 秋の風
良い意味で捉えるか、あるいは逆か………
並ぶ行く二人の道のりにはさまざまな事が起こる。
そして二人の心情もまた変化していく。
それは良い方向なのか、悪い方向なのかは誰にも分からない。
・イカしてる 目指した半生 イカれてる
イカしたオヤジとイカれたオヤジ、言葉は似ているが意味は大きく異なる。
・風前の 灯火が声 千里まで
何かを残すならば、死んだ名より生きた言葉を残したい。
・言の葉も もみじる寺の 風と空
もみじの花言葉には節約・遠慮・自制・大切な思い出・美しい変化と意味合いが多くありますが、ここでは何の意味合いを入れましょうか?
・川岸に 赤く咲くは 彼岸かな
彼岸花の花言葉には、悲しい思い出・諦め・情熱・独立などがあります。
(※解釈によっては恐ろしくなります)
・想いこそ 心に宿る 翼かな
今の若い人たちにエールを送る。
・浪漫を追い求めれば 現実に潰される
現実だけを見たら 生きる意味が分からなくなる
浪漫は夢という言葉に置き換えても良いかな?
あるいは欲望など。
うん、世知辛い!
・賢者とて 経験せねば 痛みはわからぬ
学んだだけの人物は悪魔になりうる。
経験に学ぶ者は悪魔にはなり難い。
そう思いたいものである。
・神は愛であり その愛は存在 そこにあるということそのものである
言葉として表せるすべての物事、認識出来るものに神は宿る。
存在すること、認識すること、認識が出来ることが神の愛だと私は思っている。
二進法における0と1、無か有かとも言い換えれるが、この二つを認識出来なければ、この世は存在しない。
・人も世も 波打つきわの 境界の彼方に
この世の中に絶対などは無く、だけれども人は絶対を追い求める。
また同時に人は求める心と諦めの心の狭間で揺めきながら生きている。
直進的であり波のような存在であり、そのような世の中で生きている。
私たちは確実に存在する曖昧な存在なのだろう。
・人の弱さの産物が神であるならば
神の存在を示すのは人の弱さである
人は一人で生きて行くことは出来ない
だから人は人を愛する
愛すること無しに存続は無い
存在し得ない
それ故に人が存在すると言うことは
そこに愛が存在したからである
存在し得るための愛
それを神と呼ぶのだろう
神は人の心にこそ宿る
だから存在しているあなたは紛れもなく
愛そのものの存在なのだ
有名な物理学者が無神論者ではなかったように、私は宗教における神の信者というわけではない。
認識出来ない存在を、「認識した」「存在した」と言うほど私は私を愚かだと思いたくはない。
だが私は私を認識する事は出来るのだ。
何年か後で見て赤面するんだろうなぁ。