プロローグ
コツコツと、リビングの窓を硬いものが叩く音がした。安価な氷菓を前歯でガリガリし、優雅で怠惰な午後を過ごしていた私は、視線を音のする方に向けると、一羽の鴉がレールサッシの上でウロウロしているのを見つけた。使い魔のフギンだ。鍵を上げ開けてやると、ムッと湿気と熱気が入ってきた。
「おかえり」
「まったく、外はすごい暑さだぞ」
フギンはぴょんぴょんと跳ね、すさかず扇風機の前に陣取った。この鴉、古の生き物らしくクーラーは嫌いだとうそぶく割に、扇風機は愛用するようだ。暦の上では9月の半ば、そろそろ秋の気配がしてきてもおかしくないというのに、外は凄まじい残暑で、TVは連日のように熱中症対策コーナーを繰り返し放送している。鴉が自ら課しているパトロールも容易ではないらしい。
「トカゲリーナのごはん、見つかった?」
トカゲリーナとは、先日我が家の一員になった《水トカゲ》の愛称である。トカゲは水の魔素を好んで、家の近くの井戸に住みついたのだった。これは大変ありがたい幸運だった。彼女の涎は、国内最大シェアを誇るネットオークション兼フリーマーケットサービス《メルオク》で、高価に取引されるのだ。トカゲリーナ様が滞在するようになって、わびしい食パン生活から、ハムのせマヨぶっかけ食パン生活がおくれるようになったのは、記憶に新しい。
ただ、いかんせん彼女はすこし偏食気味で、裏山で自生する植物しか口にしないのだ。
「いつもの木で多少は桑の実が採れたが、もう少々カサがほしい所じゃな……。あやつ、家庭菜園の菜っ葉で妥協してくれんかのう」
「トカゲリーナ様の仰ることですし、筆頭稼ぎ頭ですし。少し休んだら、もう一回行ってきてくれる?」
「お前さんが探してきてもいいんだぞ」
「ワタクシは今、ガリガリ君とランデブーで忙しくて〜」
「……」
フギンは恨めしそうに私を睨めつけた。フギンは使い魔であるゆえ、契約主である私の命令に逆らえない。私が魔力持ちで良かったと思うのは、こういうショーモナイ雑用を、遠慮なく命じることができることだ。
「そう言えば、ここへ戻る途中に面白いものを見たぞ」
「面白いもの?」
「まあ、すぐ分かるだろう」
フギンは意味深に言葉を濁す。そして、くちばしで翼を整え、小屋の二階へさっさと引っ込んでしまった。いつも、私が一階にいるときは同階にいることが多いのに。私は『おもしろいもの』が何かぼんやり考えながら、溶けゆくガリガリ君のしっぽを口に放り込んだ。フギンの言う通り、答えはすぐ、チャイムと共にやってきた。