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紫氷山

 その山には青紫の雪がふる。パープルスノーは長い年月をへて山に積もり、誰が言ったかやがてこう呼ばれるようになった。



 紫氷山、と。



 うす暗い灰色の空のした。アスターはいつもの黒いジャケットとジーパンという攻めた格好でたき火をしていた。



「さみー……」



 当たり前であった。



 強靭なからだのおかげで霜焼けや凍傷にはならないが、冷気はいくらか伝わるのである。



「今ごろウズメたちはラヴァを倒してるかなぁ……」



 と独りごち、火の前で両手をさするアスター。


 眼前にそびえた巨大な氷山をながめていると急に腹が減ってきた。ジーンズの亜空間ポケットから干し肉を出してかじる。



 塩味がとても味気ない。噛めば噛むほど肉の旨味ではなく塩分がでてくるこの感じ。



 懐かしい。龍皇庭園での暮らしに戻ったかのようだ。この懐古感に不満を持つということは、それだけアスターの味覚と胃袋がウズメの手料理に飼い慣らされてしまったことを意味するのだろう。



 心のなかで哀れな自分に合掌。



 ひとまずの空腹を紛らわすために、味気ないジャーキーを口に押し込めて水で流し込んだ。水のほうが美味く感じる……。



「さて……寝るか」



 そろそろ日が落ちる頃合いだ。夜の吹雪く氷山で行動するなんて間抜けのすることだ。



 焚き火にしていたファイアの魔法陣をしまって、かわりに寝袋を取り出した。革製の寝袋の中にもぐりこみ、イモムシのようになって目を閉じた。寝袋の下から積雪の冷たさを感じながら。



――数時間後。



 ドォン!という地響きと衝撃音で目が覚める。なんだなんだと目を開けば、視界いっぱいの雪野原に極太の氷柱が何本もぶっ刺さっていた。



「魔法か」



 見上げて夜の闇に目を凝らせば、空中で羽ばたく存在が何体か確認できた。氷飛竜(アイスバーン)が5体。白い竜皮と水色の外甲殻が特徴的な飛竜で、中級レベルの魔物だ。



 アスターからすると空を飛んでいるのが面倒なだけの竜である。



 かの飛竜たちは明確にアスターに殺意を向けていた。まるでそれが命令であるかのように。



 魔物の本能というのはかなり正確で、自分より強いと判断出来る相手にはまず勝負をしかけてこない。



 それは飛竜側も理解しているはずだ。だとすれば、彼らは上位の存在の命令、あるいは支配を受けている可能性が高い。



「偵察か……せこい真似を」



 おそらくは紫氷龍(ヒョウ)の仕業だろう。まあ適当にやるか……とアスターは雪を適当にかき集めて固めた。



「お返しするぜ」



 ギュ、と高度を増した氷の塊を振りかぶって投げた。吹雪を巻き込んで投擲された氷塊は、風圧を受けて砕けて礫となりアイスバーンたちの体を貫いて仕留めていく。



 ギャアギャアと断末魔の叫びを上げながら墜落していくアイスバーンの群れ。まあこんなものだろうと納得したアスターはまた寝袋に入って惰眠を貪り始めた――のだがこれが間違いだった。



 30分後。



――ドォン!



「またか……」



 再び襲いかかってきたアイスバーンを同じように処理して眠りにつく。



さらに30分後。



――ドォン!



 ……イラ。



「懲りねえな」



 以下略。その後数回同じことを繰り返されたアスターはついにキレ散らかした。



「っざけんじゃねえぞ! てめえ等まとめて・いっせいに・かかってこいや! ぶっ殺してやる!」


 殺意マシマシで寝袋から飛び出てきたアスターは、魔力を漲らせて威嚇する。



「まあまあ落ち着きたまえよアスタークン。怖い目つきがさらに飢えた野獣みたいになってるよ〜?」



「誰が野獣だ……ってお前は王城で会った妖精!」



 こんな辺境のダンジョンでいきなり声をかけられたことはなにより、その声の主を見てアスターは驚きを隠せなかった。



 雪より白く氷より透き通る白い髪を揺らして立っている少女。虹のような淡い彩光を纏う妖精の羽を凛と伸ばした彼女は、アスターを見てニコニコと無邪気な笑顔を浮かべていた。



「やぁやぁ、また会ったね。皆は僕のことを"天帝"なんて呼ぶけど、それじゃ味気ないから親しみを込めてゼフィと呼び捨てにしてくれていいよ。僕も君のことは親しみを込めてアスターと呼ぶからさ」



「馴れ馴れしいな!? いいけどさ」



 気さくというか気軽というか。とにかくぺらぺらと口の回る妖精種である。これでも魔法のスペシャリストというのだから驚きである。さぞかし魔法の詠唱も早いのだろう。



「で、ゼフィは何しにここへ? 王城から動かないんじゃなかったのか?」



「ああうん。それはね。ちょうどいい身代わり(ビャッくん)が来てくれたから……あ、何でもないよ秘密にしといてね」



「その様子だと何回も脱走してるなお前?」



「テヘ……☆」



 これは懲りてないなと思いつつとアスターはアイスバーンの群れに向き直った。アイスバーンたちは牽制以上のことはしてこないつもりらしく、一撃をして様子を見ては離脱するという、非常に腹立たしい戦法を取っている。



 そんなイライラしたアスターを不憫に思ったのか、ゼフィは「ちょっとオニイサン」とアスターの背中をつついた。



「あれ、どうにかしてあげようか?」



「え、できるのか?」



「いや僕を誰だと思ってるのさ。あんな小細工は通用しないよ。衝撃緩和(プロテクト)



当たり前のように高等魔法を使いこなし、瞬く間に周囲一体に進入不可のバリアを張る。



「ギャ!?」


「ギャア!」


 大きな魔力の動きに気づいたアイスバーンたちは、バリアに向かって魔法を放ったり体当たりをしているがびくともしていない。



 数分ほどそんな応酬が続いたあと、アイスバーンたちは悪態をつくように最後の魔法を放ってから立ち去っていった。倒された仲間たちは地面に放置だ。せっかくの命がもったいないので後で回収しておこう。



 静かになり、吹雪のヒューヒューという音しか聞こえなくなった。



 一仕事終えたゼフィは「よっこいしょ〜」と年寄りじみた掛け声を出して雪の上に座った。



 申し訳ない気持ちになったアスターは自分の持っていた剣鹿(ソードディア)の毛皮マットを取り出して「これに座れば?」と提案した。



「へー、見た目はアレだけどいいモノだね。ありがたく使わせてもらうよ」


「おう」


 ソードディアの毛皮はアスターが大の字になっても余裕なくらいには大きいので、子供サイズのゼフィが座ると、童女がピクニックにでもきたのかという光景だった。



「それでゼフィがここに来た理由はなんだ?」



「開口一番それ聞いちゃう? アスターは腹芸苦手?」



「……得意じゃないから聞いてんだ」



「だよね。隠すつもりはないよ。ここに来たのは王都の状況を伝えるため。そして紫氷龍アブソブルムの討伐を手伝うためさ」



「ヒョウの討伐はわかるけど、王都の状況ってのはどういうことだ?」



 つまりこの妖精はメッセンジャーの役目も兼ねているということだが、問題はその中身だ。アスターが帰還したら伝えればいいのに、今こうしてゼフィがやってきたというのは興味深い。



「それは君の奴隷……じゃなくて仲間のホトちゃんについてだよ」



「!? ホトに何かあったのか!」


 少女が血の海に沈み、動かない。そんな良くない想像が勝手に脳裏を流れた。ゼフィは慌てて首と手を振って否定した。



「いやいやまさか!? 多少怪我はしたみたいだけど、無事に"闇影"討伐に成功したようだよ」



「そ、そうか? ふう……よかった」



 ほっと緊張の糸が緩み、アスターは敵地だというのにだらしなく笑ってしまう。



「うん……よかったね」



 年相応の笑顔を浮かべたアスターに対して、ゼフィは意外だなと内心思った。隔絶した力を持つ割には人間味を失っていないというか。初めて会ったときは、内包する莫大な魔力が相まって得体のしれない怪物に見えていたから。



 ゼフィは人間が感じさせてくれる、いい意味で期待を裏切られる瞬間が好きだった。



「ところで君、よく寝れてないでしょ? あの程度の夜襲なら僕の魔法で何とかなるから休みなよ」



 アスターはしばらく面食らったあと「いいのか?」と返した。



「いいとも。こう見えて大陸イチの魔法使いだから安心しなさい」



 ドヤ顔でトンと胸を叩くゼフィ。



 自分で言うのかと苦笑しつつ、この妖精は"天帝"とまで呼ばれる最強種だったと思い出した。心強い援軍である。



「なら遠慮なく休ませてもらうよ」



「うん、おやすみ」



 皮の絨毯に寝転んで数秒。気を張っていたせいからか、あれほど軽かった瞼が溶けだしたように目を覆ってしまった。自分でも驚くほど、睡魔に身を委ねてしまったことにアスターは驚く。


(明日、俺がヒョウを倒せば一件落着か……)



 身内を手に掛けることが出来るだろうか。少しの不安を抱いたまま、吹雪の音とともに氷山の夜は更けていくのだった。

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