生き残るには
その夜。蒼月の淡い清光に照らされ、アタシは動く。
枕もとにキマイラのヌイグルミを置き、ご主人は呑気に寝ている。寝台の上に、ナイフが鞘ごと置いてあった。近場にあったもので殴ろうと思っていたからちょうどいい。これを喉元目掛けてぶっ刺してやろう。
アタシはナイフを引き寄せる。
その柄を引き抜き、ギラついた青白い刃を抜き放てば。このナイフはもう鞘には戻せない。振り下ろすほかアタシに選択肢はない。
ちらっとタオルケットがはだけたウズメ姉さんを見る。
――――「ちょっとした約束なんだ。」
――――「アスターとオレの。」
ウズメ姉さん……アタシなんかによくしてくれてありがとう。でもアタシはこの刃を振り下ろさなければいけない。
明日のアタシが、今日より自由なアタシであるために。
この男を殺す。
そうして決心がついて、ついにナイフを振り上げるけれども。その瞬間、隷属の首輪を通して、アタシの全身にとてつもない痛みが走る。
歯を食いしばり、気合で耐えてアタシはーーーー
「よう、そうやって前の主人も殺そうとしたのか?」
「!?」
目の前が痛みで真っ白に染まる直前。
唐突にご主人が目を覚まし、その言葉の力だけでアタシのナイフを押しとどめる。
まずい。動揺して動きを止めてしまった。報復という言葉がよぎり、アタシの体を固まらせる。そんなアタシの事情を知っているとでも言いたげに、ご主人はその場から動こうともしなかった。
いちいち腹立たしい。
「ぐ……なんで避けないんですか? 殺されたいんですか?」
「避けたら、ベッドに穴が開くだろ。後で怒られんのは嫌だし」
精一杯の気力を込めた問いは、しかし、ご主人には毛ほどの圧力にもなっていない。実にあっけらかんと対応される。これにはアタシも苛立ち、ナイフの柄を握りしめて応えた。
「……額に穴を開けたいみたいですね」
「穴が開くか試してみるか? 別に止めはしないぜ?」
「そうですか。じゃあさようなら」
さらに首輪が痛みを与えてくるが知ったこっちゃない。アタシが痛みに耐えかねて死ぬより、ご主人を殺す方が早い。
ギラリと殺意を剥き出しにしたナイフをご主人に降り下す。この近距離ならご主人には止められない。
――――殺った!
そう確信した瞬間。
ナイフの切っ先から衝撃が走り、手の中から柄の感触が消える。
アタシの握力が低い、というより、まるで金属にでも弾かれたような。背後でトッという音が響き、床にナイフが突き立ったことを教える。
なぜ? まさかこれが冒険者が使うっていう"魔纏装"? それにしてはご主人の様子になに一つ変わりはない。
これは、なに?
「は? くぅ……なんで……?」
「今ので殺せると思ったか? 残念、俺はそれじゃ死なない」
それを訊いてアタシは愕然する。これじゃあ首を締めようったって、アタシの非力じゃ逆に押し倒されるのがオチだろう。
ナイフが刺さらなかったかことはこの際、どうでもいい。
アタシの目的はここに潰えたのだから。
「まったくアスターはオレをヒヤヒヤさせる天才か?ちょっとはしがないメイドの気持ちを考えてくれ」
そこに、とうとう騒動を察知したウズメ姉さんが起きてくる。いやどうだろう。起き抜けにしては1連の事柄をその目できたような言いぶり。
まさか、最初から…
「……お、起きてたんですか?」
「いや熟睡していた」
アタシは心の中でずっこけた。とんでもない肝っ玉だ。自分の主人が刃を向けられたというのに、もう終わりかと言わんばかりの様子。あきらかにメイドの常識から外れている。
「しかし、いくらなんでも隣で寝ている奴の気配がなくなったら不自然に決まってるだろうに。事前にアスターが"様子を見たい"と言っていたので気付いても手を出さなかっただけだ」
なぜ、そんな面倒なことを? と疑問を持って。それからアタシは「ああ、またハメられたんだ」と思う。見事に騙されたのはさておき、結果は受け入れるべきだ。
つまり二人ともグルだったんだ。
ウズメ姉さんの優しい態度は罠であり、アタシに信用させるための囮りだったのだろう。
「なるほど、これはとんだ茶番だったってことですか。アタシの滑稽な姿を見て笑うために買ったんですね。で満足したら、アタシをまた奴隷商に引き渡すんですか?」
「茶番じゃねえよ。俺は純粋にお前が主人を殺す動機を知りたかっただけだ」
「またそれですか? 嫌ですよ。そもそもソレ答えなきゃいけないんです?」
「もちろん」
ご主人はベッドから跳ね起きて、アタシに指を突きつける。
「俺は殺されかけたわけだからな。理由くらいちゃんと聞きたいね。奴隷商に行くか決めるのは答えを聞いた後でいい」
「嫌だって言ったら奴隷商に連れていくんです?」
「そんな横暴なことするか。言いたくなるまで色々試してみるだけだ」
「むしろ拷問じゃないですか……」
幼女趣味の上に、加虐趣味までお持ちとは。
まったくもって救いようがない。
「どう思ってくれてもいいが、ちょっと休憩しようぜ。お客さんが来てくれたみたいだからな。うん、気配は5人か」
「え?」
瞬間、ウズメ姉さんが窓を開け放つ。その表情は険しい。
アタシはと言えば、状況が掴めずに右往左往していた。
「昼間、冒険者ギルドにいた連中か?」
「関係はあるだろうな。でも本人じゃない。もうちょい手練れの連中みたいだ」
「あの、どういうことです? 冒険者ギルドとか、手練れとか……」
冒険者ギルドだとか、手練れだとか、あきらかに堅気の人間から出てくるものではない。どちらかというと暗殺を気にする悪徳貴族のよう。
「軽くまとめると、ちょっとしたトラブルで命を狙われている感じ」
「人はちょっとしたトラブルで命まで狙わないと思うんですけど」
「理由もわからんまま殺そうとしてきたのはどこのどいつだ」
「アタシですが何か?」
そこはしれっと開き直り、ついでに居直っておいた。絶対に弱みは見せたくない。非を認めればご主人に借りを作ることになる。そんなことは絶対、絶っっっ対に認められない。
たとえアタシが悪くてもだ。
「で、外の奴らはどうする? オレが掃除してきてもいいのか?」
ウズメ姉さんは、そんなアタシの心情などには構う様子もない。恐ろしげに指をパキポキと鳴らしがら物騒な言葉と殺気を吐き散らす。あまつさえ窓に素足をかけ、ネグリジェ姿で出陣しようと構えている。
「いいよ。でも吐かせたいことが山ほどあるから殺すなよ」
「あいわかった。気を付けてみよう」
瞬間、ウズメ姉さんの姿が音もなく消えた。
*
宿屋にウズメ姉さんが帰ってきたのは、それから10分経ったかどうかという頃だった。待ってる間、外が焼けたように明るくなったり、かと思えば再び闇に沈んだり。ウズメ姉さんが暗躍してるんだろうな、という出来事が起こった。
ついでに言えば、ウズメ姉さんは一人で帰ってきたわけではない。
袖の破けたネグリジェ姿の背には黒ローブの人間を担いでいた。まるで一仕事終えた農夫のように、ウズメは「よっ」と黒ローブを床に横たえる。
そして、ウズメ姉さんは黒ローブを連れてきた経緯をつらつらと語り始める。
ご主人とウズメ姉さんはアタシをほったらかし、しばらく黒ローブの正体を探っていた。
「持ち物見る限り、ただの暗殺者だな」
ただの暗殺者とはいったい……?
アタシはご主人の神経を疑いつつ、黒ローブの体を突っつく。人の死体を見るのはママ以外では初めてであり、ちょっと不気味な感じがした。
「こ、この人、なんなんですか?」
「俺とウズメの暗殺を依頼された奴」
「うわあ、なんでそんなに命狙われてるんです? ご愁傷様ですね」
内心でさっさと殺されてしまえばいいのに、とか考えていたのがいけなかったんだろう。
ヘラヘラ笑うアタシに、ご主人はきっぱりと言い放った。
「他人事みたいに言ってんじゃねえ。俺たちと行動してるお前だって、今後こういう手合いが差し向けられることだってあるかもしれないんだぞ?」
…………。
「…………あ!?」
なんてことだ!?
その可能性は考えていなかった!
「ま、その辺も含めて明日、俺らとホトの今後を話し合おうぜ?」
「……もうどうにでもなれですよ」
ご主人が死ぬのが先か。
アタシが死ぬのが先か。
圧倒的に分の悪い賭けが始まろうとしていた。




