想い出の味
一刻も早く赤ワインを届けるため、アスターと青龍は北の森上空を突っ切って西の森へ急ぐ。
立ち塞がる者のいない空を全速力で飛んだ甲斐あって、西の森には半刻ほどで到着した。ちなみにアスターは、振り落とされないように青龍の背にしがみついていただけである。
「主様、グリフォンが出迎えにきたようです。降りますか?」
「頼む」
アスターの目は、西の森の中央から駆けてくる四足獣の姿を捉えていた。
青龍は西の森の低樹林に降り、ワインの入ったオーク容器を慎重に地面に降ろす。密封された容器には浮遊魔法が掛けられており、さらには風魔法で防御がなされている。
中身が零れないようにした完全な対策だった。
アスターがワインが漏れていないか最終確認をしていると、グリフォンが大地にゆっくりと身を降ろした。嘴を開いて猛禽の眼を細めた表情ときたら、好物を前にしたキマイラそっくりだ。
「待ったぞ、人間の子よ。その荷を見るに、ワシの好物を探り当てたようだな?」
「ああ……キマイラのヒントがなかったらちょっと危なかったけどな」
アスターはにやりと笑い、酒樽――酒箱と言ったほうがいいかもしれないが――を開封した。一瞬、濃い葡萄の甘さが香り、森林の中を染みるように広がっていく。
「獣肉でもなく、魚肉でもなく、果肉でもなく、それでいて清き水でも鮮血でもない物を我に差し出せ…………答えはワインだ!」
アスターは強調するように、酒樽の縁に手を添えた。
それにうむと頷くグリフォン。
「少ない手がかりからワインを見い出したことは見事。だが、重要なことを忘れてはいないだろうな?」
「我、汝に課すは我が嗜好の追求なり、だろ? もともと、飲まれなきゃ完成品とは言えないんだ。たっぷりと味わって貰うぜ。俺たちが作ったワインをな」
自信をもって勧めると、グリフォンは愉快そうに翼を羽ばたかせた。
「そこまで言うのなら、早速モノをいただこうかのう」
「おう、グッと飲め!」
別に急かす意味合いなどなかったが、グリフォンは足取り軽く寄ってくる。それだけ果実酒が待ちきれないのだろう。
酒樽の8分目には、さながら血の水面が張っていた。グリフォンは陽光が煌めくワインを睨み、一息に嘴を突っ込む。
(いった……!)
しばらく喉をごきゅごきゅと鳴らす音が響く。
始めこそ威勢よく飲み下していたグリフォンは、10秒も経たないうちに頭を上げた。 檸檬色の嘴の周りには、べっとりと赤ワインの汁がまとわりついている。
「……これはワインというよりジュースだのう」
その通りだった。本来、辛口が多いとされる赤ワインだが、今回の試作品はロゼワインのような甘さを持っている。
それはアスターが余計な果汁を省く作業、"血抜き"をしなかったからだ。
("血"抜き……正直、グリフォンの試練を正確にこなすなら、やった方が正答に近かっただろうな。だけど……)
アスターは試練に反してでも、貫きたい信念があった。
それはキマイラがぽつりと懐かしむように呟いた言葉"四聖の誓いを立てる前は、よく葡萄や林檎を一緒に食べたものだ"から来ていた。
「なあ、グリフォン。この赤ワインの材料はどこで採ったと思う?」
「そんなものワシの縄張りにしか生えておらなんだから、西の森のに決まっておろう」
「だよな。正直、俺は驚いたよ。あんなにも綺麗に並んで、豊かに実った葡萄たちがほぼ手付かずで自生しているってことにさ」
「…………」
そう、アスターたちが使った葡萄の木には食い荒らされた跡が一切なかった。それどころか、余分な枝木を剪定した跡まであったのだ。
猛禽類の嘴で千切った形跡が見られたので、アスターはすぐにピンときたものだ。
「あの葡萄たちは明らかに手入れされていた。その主はお前なんだろう? ただ好物で育てていたんだったら、実った端から平らげたっておかしくはない。なのにそれをしなかったのは……」
――昔のように、誰かと一緒に葡萄を食べたかったからじゃないのか?
アスターは問い質すように、グリフォンの金色の瞳と見つめ合う。
「カカ……憎らしいほどよく見ておるわ。そうだ、ワシがあの葡萄を育てた。昔はキマイラとよく啄んだものぞ」
おそらく四聖の誓いが立てられるまでは、グリフォンとキマイラは仲良くつるんでいたのだ。その象徴こそ葡萄や林檎の果樹園であり、思い出だったのだろう。共に果実を育み、喰らい、過ごした――そんな過去の様子が鮮明に浮かぶ。
グリフォンは眠るように瞼を閉じた。
「いつからだろうか……あそこの土に落ちるのが葉や枝だけではなくなり、熟れ過ぎた葡萄や林檎が多くなったのは。もったいない、もったいない、そう思いながら、ワシは大地の肥やしになっていく果実を見送るしかできなかった」
年々、果樹園の収穫量は多くなっていき、それに反比例するようにグリフォンの食べる量は減っていった。グリフォンの喉には、大好物の果物を遮ってしまうほどの棘が刺さっているのかもしれない。
「そこにこのワインよ」
開眼したグリフォンは、改めて赤ワインを口に含んだ。そして、果実酒が驚くほど素直に喉を通っていくのに気づいた。まるで喉につっかえていたものなど初めからなかったかのように、とろけるような甘みが腹に落ちていく。
「カカカ、甘いのう。甘すぎて昔を想い出しちまうだろうが……」
しかし不思議と嫌ではないとばかりに、気高い鷲獅子は再び葡萄酒を飲み始めた。ひたすら言葉を介さず、ただ時折、懐かしむように顔を上げる。
そんな酒盛りが続き――――
「ふぅ……ワシの完敗よ」
ワイン一樽分をぺろりと飲み干し、グリフォンは潔く敗北を認めた。キマイラや青龍もびっくりの掌返しだった。
「これでダメならどうしようかと思ったけどな」
「まあ結果良しではありませんか、主様。それにしても、よくこれだけ飲んだものですね……」
青龍はその潔い飲みっぷりに感嘆していた。
濃度が低いとはいえ一樽分のアルコールを摂取してケロリとしているのは、さすがグリフォンというべきか。竜や龍種は生まれつき酒に弱いと聞くし、青龍などは一口でへべれけになってしまうだろう。
(酔った青龍か……ちょっと見てみたいな)
「主様、なにか良からぬ知恵を働かせていませんか?」
「いや何でもないよー?」
青龍に表情を勘付かれないようアスターは目を背けた。キマイラと違って勘が鋭いのが、この従者の有能なところであり、困った部分でもある。
視線を逸らした先にはグリフォンが蹲っていた。その物憂げな表情と佇まいに、アスターまでしんみりしてしまう。
「なあグリフォン。お前は四聖の誓いがあったままでいいと思うか?」
「カカカ、嫌な尋ね方をしおるのう」
分かり切ったことを、と言いたげだ。グリフォンはおもむろに立ち上がり、空になった酒樽をアスターの前に差し出す。
「四聖の誓いなど知ったことか。古臭い因習にとらわれるなぞ下らない。このグリフォン、これからはアスターのために全力を尽くそう!」
「おおっ!」
「やりましたね、主様!」
アスターと青龍は飛び跳ねて喜んだ。そんな二人を尻目に、グリフォンは茶目っ気たっぷりにウィンクする。
「だから次は、誰かと一緒に飲めるくらいのワインを用意してもらうぞ、アスター?」
「うえっ!?」
(まさか初めからそのつもりでこの試練を……?)
深読みのしすぎだとろうと自分を諌めるアスターだが、如何せん相手は知恵を司るグリフォンだ。敗北すら謀略の範囲内であり、最初から思惑の内だったのではないかという恐ろしさすらある。
アスターは内心で慄きながら、こくりと頷く。
「分かったよ。ただし、それは赤龍の件の後でも構わないか?」
「是非もない。カカ、ワシがこの時を何年待ったと思うておる。その程度、ほんの数秒と変わらんよ…………っ!?」
ほんわかと談笑していたグリフォンは、突然息を飲むように嘴を閉ざした。アスターが小首をかしげていると、青龍もまた神妙な面持ちになっていた。
アスターの脳裏に嫌な影がちらつく。
「どうした青龍、グリフォン?」
「主様、まずいです。南の森から赤龍の気配がしません」
「なっ!?」
青龍の言葉を信じるなら、赤龍が東の森に侵略を始めたと捉えて間違いない。グリフォンも鋭い嘶きで同調する。
(風飛竜が偵察は、俺たちへの嫌がらせじゃなかった。本当の狙いは、俺たちの隙を伺い、戦力を分断することだったんだ……!)
アスターは歯がゆさから強く歯軋りした。
「アスターが東の森を離れ、キマイラが孤立する瞬間を狙いおったようだ。まさか赤龍が知恵を働かせようとは思わなかったわ」
「ええ、頭空っぽで短気な赤龍の行動とは考えられません」
「お前ら、仮にも同じ主に酷いな!?」
出し抜かれたことを認めたくないのか、青龍とグリフォンは互いに愚痴り合っていた。魔物でも愚痴を言うのか、という驚きはさて置き。
キマイラの安否を確認すべく、アスターが浮足立つ。
「青龍、全速力で飛ばしてくれ。できないとは言わせないぞ」
「それは身に余る信頼ですが、ワタシよりも適任の者がおりますゆえ、そちらに任せたいとおもいます……頼みますよ、グリフォン」
「もうちょっと辛抱ならんのか、あやつは……む?」
未だに赤龍に対する恨み言を呟くグリフォンに、青龍はツンと鼻先を向けた。アスターは青龍の言葉を信じ、グリフォンに頭を下げる。
「頼む。俺をキマイラの所へ連れて行ってくれ」
「なぜ頭を下げておる」
グリフォンはカカカと笑い、アスターの首根っこを啄んで自分の背中に乗せた。臙脂色の羽毛がズボン越しに肌をくすぐり、アスターの声にならない叫びが木霊する。
「なかなか重いな……まあ、問題はないか」
「おい、まだ返事も聞いてないぞ!?」
「……? さっき言ったであろうが。ワシはアスターのために全力を尽くすとな。それがキマイラのためならば、力を貸すのに是非もなし!」
その言葉を皮切りに、ぶわっと風が逆巻いた。下から上に吹き荒れるグリフォンの風の鎧。浮遊魔法とは違う純粋な風魔法。
ミシッと大気が軋んだ瞬間、アスターは体が重力に逆らうのを感じた。
「っ……!」
一瞬にして西の森の空が視界に入ってくる。
グリフォンはアスターの反応を面白がりながら悪戯っぽく笑う。
「カカカ、驚くのはまだ早い。ここからが天を駆ける者の神髄ぞ?」
「え――――?」
パッ……――――と空気の裂ける音を置き去りにして、グリフォンは爆発的に加速した。
浮遊魔法での飛行が生易しく思えるほど、グリフォンの激走は荒々しい。上下左右に振り回されるなど当たり前、たまに挟まる宙返りがあれば天地がひっくり返る。
西の森の地表はあっという間に視界から消え去っていく。
「カッカッカ、仕切りの無い空は気持ちええのう! もう南の森だわい!」
(はあ、嘘だろ!? まだ十秒経ったかどうかって所だぞ!?)
アスターが疑心に駆られて地表を覗けば、確かに緑豊かな西の森はどこにも見えなかった。
代わりに赤土の地面が露出し、まるで荒野のような景色が見える。おそらくここが南の森だろう。よく観察するとハゲているのではなく、紅葉樹林や小高い丘陵が目立っているだけだと分かる。
グリフォンの全力疾走に戦慄するのも束の間、進行方向上の空に風飛竜がたむろっていた。
「ギャア!ギャア!」
「ギェーッ!!」
風飛竜たちはグリフォンを迎撃しようと配置された、赤龍の配下たちのようだった。しかし、その程度で爆走を止めるグリフォンではない。
「邪魔をするかっ! サイクロン・ロード!」
風飛竜たちが襲い掛かってきたのと、鷲獅子の嘶きはほぼ同時だった。上級の風魔法・サイクロンが発動し、グリフォンがストラーダバーンたちの群れを駆け抜ける。
「ぎぴぇっ」
鋼鉄を切り裂く竜巻をその身にまとい、グリフォンは血風を巻き起こした。ストラーダバーンの群れは、瞬きする間にバラバラに切り刻まれながらミンチになった。
(ひえっ、マジで容赦ねえ……)
サイクロンの中心で見ているだけだったアスターは、撃墜された飛竜たちに黙祷を捧げた。
アスター的には少し目を瞑っていただけだったが、グリフォンが南の森を駆け抜けるには十分すぎる時間のようだった。
「見えたっ!」
その言葉でハッと目を開ける。
眼前では、地上で吠えるキマイラが、空を飛ぶ紅の飛龍――――赤龍と対峙している。
赤龍は、蛇龍の青龍とは正反対の形態をしていた。一対の龍翼を持つ|飛竜《ワイバーン》タイプを素体とし、火の粉を散らす紅玉の龍鱗を煌かせている。
これぞ龍といった模範的な種だった。
「喧嘩の仲裁、頼むぞアスター!」
アスターが姿を確認したと同時に、グリフォンが急制動をかけた。一気に慣性が働き、アスターは空中に放り投げだされる。
「おう!」
短く返事を返したアスターは、一直線に赤龍に肉薄する。そこでようやく高速で接近するアスターとグリフォンに気付く赤龍。
「ガアッ!?」
なんで空に人間が!? という、赤龍の驚きの色が見て取れる。
アスターは一度握った拳を開き、大きく振りかぶった。魔纏装は最低限に調整し、赤龍を殺さないように調整してある。
思えば、キマイラに出会った時も"これ"で対処していた。
「これが俺の"初めまして"だ、この野郎!」
「ギャアアアアアッ!?」
――――アスターは赤龍の横顔を平手で張り倒したのだった。




