#01 プロローグ
それは突然だった。
学校でぼんやりと授業を受けていたら何の前触れもなく世界がブラックアウトした。
意味がわからない。
視神経に異常でもきたしたのかとも思ったが、音も聴こえなくなっていた。
匂いも感じられず、身体の感覚もない。
だとしたら脳疾患か何かだろうかとも思ったが、今も意識だけはハッキリとしている。
状況がわからないまま時間だけが過ぎていく。
ただ思考を巡らすことしか出来ない現状はかなりキツイものがある。
正直、今の環境に耐えかねていた私は死んでしまったのかも知れないと思い始めていた。
もし死んでしまったのならいっそ意識を失ってしまった方がマシだ。
いっそこれが夢ならよかったのに眠ることも目覚めることも出来なかった。
やがて時間感覚が麻痺して一体どれだけの時が経ったのか気にもしなくなった頃、私は今まで経験した覚えのない記憶があるのに気付いた。
それはひとり分の人生ではなく、明らかに複数人分あった。
時代も国も人種も性別もバラバラで、どうやらそれは私の前世のようなものであると察した。
私は前世の記憶を娯楽作品だと思うことにして多数の人間の記憶を楽しむことで気を紛らわした。
累計で数万年分の人生を楽しんだ辺りで今までとは全く別種の記憶を取り戻した。
それは近未来的な世界で生きていた私の記憶だった。
それこそが私の本当の記憶であると知ると同時に今まで体感して来たものが作り物であったと知った。
惑星型記録媒体【楽園】に保存された人格情報のひとつ、それが本当の私。
私たち人類は外宇宙へと生存圏の拡大することを放棄し、欲望を生み出す肉体を捨て去ることで生命として新たなステージに登るという方針を採択したのである。
もちろん反対する者も居たし、抵抗する者も少なからず居た。
だけど物質界に別れを告げ、全生命を情報生命化する計画が強制施行された段階で拒否権などないに等しかった。
それは生命を情報化するに当たって用意された極小の機械装置に問題があった。
いわゆるナノマシンなのだが、それには接触増殖機能が組み込まれており、触れた物質を強制的に同種のナノマシンとして加工していったのである。
その侵食速度は凄まじく、人々に逃げる選択肢を選ばせる猶予さえ与えることなく惑星を丸々記憶媒体に置換した。
【楽園】に情報生命として保存されてしまった私たちは肉体を失ったことで三大欲求も必要としなくなった。
食事をとる必要もなく、眠る必要もない。
次世代に生命を繋ぐ必要もなくなり、性欲が生じることもない。
代わりに情報が保存されている生命体は永遠に近い命を得たが、新たな命が育まれる可能性を失った。
私たちは失うものもなく得るものもない日々を過ごし、生きているのか死んでいるのかさえ曖昧になりつつあった。
やがて人々は【楽園】に保存された惑星の情報を基にかつての世界を再現した生死が存在する仮想世界【固有宙域】を個人個人で用意し、その中へと没入していった。
固有宙域内では、自身の精神を侵されることを考慮してか情報生命化した他者との接触は完全に絶たれていた。
それでも【楽園】から人格情報の複製体を読み込むことでコミュニケーション相手には事欠くことはない。
再現された世界は宇宙開発がまだ未発達の年代を選ぶ者が多く、彼女もそうだった。
何度となく固有宙域内で生き死にを繰り返し、満足と言わないまでもそれなりにそんな生活を楽しんでいた。
それが途切れたということは、私はなんらかの事情で【楽園】から切り離されたと思われる。
ただ私の意識が残っているということは人格情報が保存されたナノマシン集合体は無事だということだろう。
それならまだ望みはある。
ナノマシンの接触増殖機能がまだ健在ならば、遠からず流星物質を取り込むなりして記憶容量を増やし、機能拡張して外部情報を視覚的に取得出来るようになるかも知れない。
兎にも角にも周辺状況がわからなければ手の打ちようがない。
そのときを境に私は私が保存されているナノマシン集合体にどういった機能と情報が残されているか探り回った。
結果、私は現在の記憶容量でも自身のアバターと小規模な仮想空間を用意することが出来るとわかり、すぐさまそれらを構築した。
真っ暗だった空間に25㎡程度のワンルームを創り出し、アバターは固有宙域が失われる直前まで使用していた学生の姿を選んだ。
窓の外は相変わらず真っ暗で何も見えない。
娯楽もないので私は自身の体感した人物たちの記憶を壁の一部に映像を投影して適当に流させた。
記憶容量の増設と機能拡張を待っている間、暇なので他に出来ることを探っているとアバターを得たことで不必要ながら眠ったり食事を摂ったりすることも可能になっていた。
引きこもりのような生活を約数ヶ月続け、ついに周辺宙域の情報を取得出来るようになり窓の外に映し出される。
私はすぐさまナノマシン内部に保存されていた星海図と照らし合わせて現在位置を確かめたが、一致するものは見つからなかった。
完全に未開拓宙域を漂流してしまっているらしい。
ただ救いだったのは近くに【楽園】と同程度の惑星を発見出来たのである。
あの惑星に漂着出来れば他者の人格情報はなくとも新たに私専用の【楽園】を構築可能だった。
足りない人材の人格情報は私の前世めいた記憶を流用すればいいと考えた辺りで私は良い案が浮かんだ。
惑星を丸々ひとつ私的に使えるのなら再び物質的な肉体を得て繁殖させて新たな世界を一から創ってしまえばいい。
そう考えた私は私の人格情報が保存されたナノマシン集合体を惑星にではなく、その惑星の衛星に漂着するよう軌道修正した。