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【転生勇者の野球魂】  作者: 池上雅
第5章 メジャーリーガー篇
90/157

*** 90 日米親善試合その後と1985年シーズン開幕 ***


この物語はフィクションであります。

実在する人物や組織、用語に類似する名称が登場したとしても、それはたぶん偶然でありましょう……

また、リアルとは異なる記述があったとしても、それはフィクションだからです……



 



 翌日の対オールジャパン戦は、俺はベンチからの観戦だった。


 ウチの先発陣が3回ずつ調整登板のつもりで投げてたよ。

 ヒットは合計3本ばかり打たれてたようだけど、まあ無得点に抑えていたわ。

 打線はまた打ちまくってたぞ。

 だから結局28対0でウチの勝ちだったけど。


 それで試合がデーゲームだったもんだから、夕食はみんなを神保さんが借り切ってくれたレストランに連れて行ったんだ。

 監督を始め、ドクターやスタッフまで総勢40名を引き連れて。

 そこでまたみんなに超高級松阪牛を振舞ったんだ。

 みんなすんげぇ勢いで食べてたわ。


 それでその場で土産用の肉の注文を受けたんだけどさ。

 100グラム1万円もする超高級肉をひとりで10キロも注文するやつがいて驚いたよ。

 さすがは高給取りのメジャーリーガーだわ。


 残念そうな顔して注文しなかったスタッフさんたちには、帰国後にサンフランシスコの空港で1人3キロずつ肉を渡したら、すっげぇ喜ばれたけど。

 胴上げされそうになったんで思わず逃げたわ……




 オールジャパン戦の翌日は休養日になっていた。

 それで俺は神保さんと役所に行って、必要な手続きを済ませたんだ。

 日本の法律に違反したりしたくなかったから当然だよな。




 その翌日のラビッツ戦にも俺は先発した。

 ジョーのヤツが気を利かせて先発マスクはミゲルだったけど、こいつもジョーの直弟子だけあって、けっこうなサイン出すんだ。

 おかげで俺が首を横に振ったのは3回だけだったな。



 俺のピッチングについてはだいたいいつも通りだ。

 三振は25で、1塁は踏ませず。

 まあパーフェクトゲームか。

 俺の球は1回や2回見ただけじゃぁ打てないからな。


 3回からはパーフェクトゲームを逃れようとして、早くもセーフティーバント攻勢が始まったんだけどさ。

 サードのフィリーとファーストのクリスがベース前5メートルまで出て来てたから、成功なんかするわけ無いよな。

 初めて見るカットや1.5メートルフォークをバント出来る奴もほとんどいなかったし。

 サービスで左のナックルも投げてやったんだけど、これもぜんぜん打てなかったわ。



 でもさ、ラビッツの投手陣はまたボコボコにされちまったんだ。

 打者一巡の攻撃どころか打者二巡の猛攻とか喰らって……

 1塁側の観客は点差が開くごとにどんどん帰っちまってたんで、試合が終わるころにはもうガラガラだったわ。



 試合結果は66対0でウチの勝ちだったよ。

 まあ実力的にはしょうがないんじゃねぇか?


 でもラビッツの選手たちはみんな相当にショック受けてたみたいだからなぁ。

 大事なシーズン開幕前にこんなメに遭ったら、当分の間役に立たねぇだろう。

 まあ俺の知ったこっちゃないけど……




 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇




 MHKはギガンテスの日本での試合を見て、MLBとの放映権契約に踏み切ったそうだ。

 どうやら前年に始まったBS衛星試験放送の目玉コンテンツにするらしい。

 それに、いまさら人気凋落間違いなしの国内プロ野球にカネを払うよりは、莫大な放映権料を支払ってでもギガンテスの試合を選んだらしいな。

 しかもその放映権料を捻出するために、ラビッツとの放映権契約を全て打ち切るんだと。


 ラビッツ球団にとっては号泣面にジャイアント・ビーだが、どうやら今まで年間6試合ほどの中継しか許さなかった上に法外なカネを要求していたそうだから、MHKも腹に据えかねていたらしい。


 それで開幕までまだ少し間があったもんだから、MHKは昨シーズンの俺が投げた試合を『特集、神田投手の奇跡の軌跡』と称して毎日放送し始めたんだわ。

 おかげでBSチューナーが売れまくっているんだとさ。


 まあ当然かもしらん。

 日本人青年がたったひとりで海を渡り、入団テストまで受けた後に、あのメジャーリーグの並み居る強打者たちを打ち取って大活躍してるんだもの。

 そりゃまあ夢中で見るだろうさ。


 それで気をよくしたMHKは、サンフランシスコやモントリオール市内の様子まで紹介し始めたんだよ。

 そう、あの乳児から大人までみんなモヒカンになっちまってる様子だ。

 それからあのモントリオール名物俺への応援プラカードも字幕付きですべて。


 ついでにあの8年前のオリンピックで俺が金メダル取った映像も再放送してたわ。


 当時の日本人にとっては相当な驚きだったらしいな。

 なんせここまで知名度が高くってアメリカで受け入れられてる日本人は、他にいなかったから。

 とうとうスタンフォードの医学部長のインタビューまで放送したらしいぞ。

 そこでまた医学部長が笑顔で俺のこと褒めまくるもんだからもうタイヘンよ。


 んでもって視聴者は当然疑問に思うよな。

『ここまで凄まじい活躍をしていた日本人の若者がいたのに、なんで俺たちはそれを知らなかったんだろう?』って。

 それで読買グループが神田勇樹のことを記事にしたマスコミは、人気球団ラビッツへの取材から排除するって脅迫していたことがバレちまったんだよ。

 しかも、理由はラビッツに勧誘したのに断られたんで、オーナーが激怒していたからだっていうんで、日本中が呆れ返ったそうだ。



 それからもうひとつ日本人が驚いたこと。

 それはアメリカのボールパークの雰囲気だったんだ。

 なにしろ家族連れや女性客が山ほどいるんだから。


 当時の日本の野球場って、女性や子供は絶対に行ってはいけない場所だったんだよ。

 ナイトゲームなんか、それこそ深夜の歌舞伎町並みに治安の悪い場所だったんだ。

 一升瓶抱えて泥酔したオヤジたちが、汚ねぇヤジばっかり叫んでるところだったし、場内警備なんかも皆無だったから。

 だから女性も子供も、贔屓の野球チームの応援に球場に行くことすら出来なかったんだわ。

 特に酷かったのが兵庫県と愛知県にある球場だったけど。


 それがMLBだとぜんぜん違ってたわけだ。

 鳴り物使った煩ぇ応援も無いし、素晴らしいプレーには敵も味方も拍手するし。

 当時の日本人の目には、とても同じスポーツの試合とは思えなかったそうだ。


 おかげであっという間にMLBが日本中に受け入れられていったんだわ。



 MHKとMLBとの契約は、どうやら最初は俺が登板する試合だけのものらしいんだが、生放送じゃなくってほとんどは中継録画にするそうだ。

 まあ、13時間から17時間もの時差があるから、生放送だとデーゲームは深夜になっちまうし、ナイトゲームだと朝になるからな。

 だから中継録画でも仕方無いだろう。


 それも、どうやら夕方18時からの放送にしちまうそうなんだよ。

 もう完全に日本プロ野球に喧嘩売っとるわ。

 MHKも、今までの読買グループのやり方をよっぽど腹に据えかねていたんだろうなぁ……




「ところで神保さん」


「はい勇者さま」


「これで日本でも俺のことを報道し始めたっていうことですよね」


「はい」


「っていうことは、俺の今シーズンの年俸とかも報道されてますか?」


「もちろんでございます。

 巷では相当な衝撃をもって話題になっていました」


「それじゃあ俺の両親が、今まで育ててやった養育費を払えとか言って来ませんかね」


「それが…… 新聞に『神田勇樹選手の今期年俸は180万ドル!(推定)』と出ていたのを見たようなのですが……

 どうやら為替相場というものが理解出来なかったらしく、『ラビッツに行っていれば3000万円も貰えたのに、わざわざ飛行機代払ってアメリカなんぞに行って、たったの180万円しか貰えないのか!』と言って笑っていました……」


 しょーもな!



「ですが近所の知人から180万ドルとは4億円以上のことだと聞いて、慌てて養育費の支払いを要求する手紙を書いたようでございます」


「やはり……」


「ですがご安心ください。

 普通の官製ハガキに日本語で、『あめりか、()()んてす、神田勇き』と書いてポストに入れたために郵便局で無視されていました。

 また、差出人の名も書いていなかったせいで、郵便局の『宛先不明郵便』扱いになって、仕舞い込まれております」


 なんだよ『がぎんてす』って!

 それから息子の名前ぐらい漢字で書けよっ!



 ん?

 いくら何でも子供の名前を漢字で書けないなんて有り得ないだろうって?


 いやこの時代は有り得るんだよ。

 なんせこの時代の親世代の高校進学率って50%以下だろ。

 ついでに中学校も中学校教師もマトモじゃなかったしな。


 だから、碌に漢字も書けない奴らが親になってたんだ。

 まあ『人間ヤればデキる』からな。


 それで子供が生まれたときに名前を考えるのに困るわけよ。

 知ってる漢字とか100コぐらいしか無いし。


 でもこの時代には、どこの街にも『姓名判断』っていう看板出してる店があったんだ。

 まあ基本は姓名占いの店なんだけど。

 でもってこういう店にカネ払うと、ごリッパな名前を考えてくれるわけよ。

 でもって、それをそっくりそのまま出生届に書くもんだから、『子供の名前も漢字で書けないアフォ~な親』が出来上がるわけだ。


 よく『日本の識字率は江戸時代から95%以上だった』とか得意げに言ってるやつがいるけどさ。

 それって、せいぜい『ひらがな+漢字100コ』だったんだな。


 加えて英語はもちろんカタカナにすら不自由しているジジイも多かったし。

 カタカナって奈良時代に作られた由緒ある日本語なのにな。


 ある人がエッセイに書いてたんだけど、おもちゃ屋の店頭に『ヒーコキ(・・・・)あります』って張り紙がしてあって驚いたそうだ。

 どうやら『飛行機』のことらしかったんだけど。

 きっと漢字がわからなかったんでカタカナで書いたんだろうけど、それですら間違えてたんだな。

 

 それで『わたしは読み書きが出来ます』とか『日本の識字率は100%です』とか言われてもなぁ……




 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇




 1985年のシーズンが始まった。

 ホームでの開幕ゲームの先発は俺だ。

 へへ、俺もついに開幕投手になれたか。


 お、ホーム裏にはまた市長さんたちがいるな。

 ベンチ上にいるのはワイルドキャッツファンクラブのひとたちか。

 あ、アメリアさんもいる。

 そういえばジョーが指定席券を大量購入してたっけか。

 はは、ジョーもいいとこあるじゃねぇか。

 こうなったら俺もみっともねぇピッチングは出来ねぇな……



 それで久しぶりにゾーンに入った俺は、またパーフェクトゲームをやらかしちまったんだ。

 まあ、ホセを始めとするみんなの守備にも助けられたけど。

 おかげで試合後はみんなすっげぇいい笑顔だったわ。




 そうそう、上野が日本から取り寄せた八王子製作所の防具を見て、サクラメントのひとたちはみんな唸ってたそうだ。

 アメリアさんの会社のチタン合金製品も、強化プラスティック製品製造会社も皮革加工会社も、それからケブラー繊維製品の会社も、それぞれの会社は相当に優秀なもんを作ってたんだがな。

 それらを組み合わせると、これほどのもんが出来るのかってみんな驚いたんだと。


 しかも上野がそうした防具をフル装備して、みんなに頼んでボールを投げつけてもらったそうなんだよ。

 そのうちみんな自分のチームのピッチャーを連れて来て、みんなで寄ってたかって上野にボールをぶつけたそうだ。

 その後は打者用防具もつけて、同じことをしたそうだし。


 でももちろん上野は平然としてるわけだ。

 そりゃそうだよな。

 俺の球が当たっても平気なんだから、アマチュアの投げる球なんか痛くも痒くもないわ。


 その後はみんな防具を借りて装備して、おんなじようにボールぶつけてもらったそうなんだ。

 それで十分に納得した社長さんたちは、もう自分たちの野球チームにこの防具が欲しくて欲しくて堪らなくなったんだと。


 まあ後はどこで組み立てるかっていう問題と、コストの問題だけだよ。

 そうしてみんなが防具一式を持ち帰ってコストダウンの方法を研究している間に、上野たちはアメリカでの特許や実用新案の出願を勧められたそうだ。


 それで上野と渋谷が渋谷物産のサンフランシスコ支社に行って、そうした手続きの仕方を教えてもらおうとしたら大騒ぎになったらしい。

 まあそりゃそうだ。

 会長の孫で社長の娘が、次期社長候補と一緒に頭下げに来たんだものな。

 ついでに次期社長候補のビジネス武者修行のためだっていうし。

 それでみんなが走り回って手続きをしてくれたんで、上野たちも安心して日本に帰って結婚式が出来たんだ。



 結婚式そのものはかなり地味だったそうだわ。

 まあ、上野側の参列者に配慮したんだろうけど、式も披露宴も50人ぐらいで行われたらしい。

 本気でやれば、1000人を超える招待客ぐらい集めるのは簡単だっただろうけどな。


 式に出席していた渋谷物産の副会長さんたちは、ずっとおんおん泣いてたそうだ。

 なんか孫娘が結婚するような気分だったらしいぞ。

 上野側の主賓は八王子製作所の会長さんだったそうだけど、これからは渋谷物産グループとはかなりの友好関係になっていくんだと。



 上野のお袋さんも息子の晴れ姿を見てずっと泣いてたそうだ。

 それで式の後、渋谷涼子の父ちゃんと母ちゃんが、敷地内に離れを建てるから引っ越して来たらどうかって言ってくれたらしいんだけどな。

 でも上野の母ちゃんは『大恩ある神保社長に少しでも恩を返したいから』って言って断ったそうだよ。

 さすがは上野の母ちゃんだわ……


 そうして正式に渋谷信哉になると、渋谷(上野)たちは新婚旅行がてらサクラメントに戻って来て、そこで家を借りて一緒に暮らし始めたんだ。

 なんか渋谷涼子が本格的に上野に惚れてて凄かったよ。

 お前誰だよっていうぐらいデレてたし……



 その間にも渋谷物産サンフランシスコ支社により、すべての出願は終わっていたらしい。

 それだけじゃなくって、渋谷物産オタワ支社に依頼して、カナダの中規模チタニウム鉱山と精錬工場まで買っちまってたんだと。

 ま、まあ「なんでも少しずつ手を出す」っていう渋谷物産の方針の一環らしいんだけど……


 それで原材料のチタンインゴットの供給体制まで整って、ついでに「渋谷物産サクラメント出張所」まで出来ちまってたそうだ。

 どうやら本社の副会長さんの陣頭指揮だったらしいんだが、渋谷一族って会社の中でもけっこう愛されてるんだな……

 サクラメントチタニウムのアメリアさんもこれには相当驚いてたらしいぜ。



 それで俺、この話聞いて唸っちゃったんだ。

 ほら俺2021年までの大まかな歴史知ってるだろ。

 それで1990年代になると、ゴルフクラブのドライバーヘッドが軒並みチタン製に代わって行くのも知ってたんだ。

 だからチタン鉱石の価格もすっげぇ上がって行くんだよ。


 渋谷物産…… また大儲けしちまうのか……



 こうして野球防具の原材料や部品の供給体制も整い始めたんだ。

 それでとうとう日本の八王子製作所から、あの専務さんが開発部の部下を連れてサクラメントにやってきたんだ。

 航空貨物便で送った工作機械が到着するのと同時に。

 それでサクラメントの地場産業の社長さんたちの前で、各種防具を製作していったんだ。

 まあ、渋谷(上野)が一生懸命通訳しながら。

 でもみんなマイスターだから、技術者同士あんまり言葉は壁にならなかったそうだわ。


 そしたらなんとホームゲームの前にジョーが専務さんに会いに来たんだよ。

 あの防具を作ってくれたマイスターにどうしてもお礼が言いたかったらしい。


 専務さん…… 涙目になってたわ。

 サクラメントの各企業の社長さんたちも大硬直してたけどな。


 ついでに涙目のアメリアさんにハグされてジョーも硬直してたぞ。

 なんか大木にセミがとまってるみたいだったけど……


 それにしてもジョーが真っ赤な顔になったの初めて見たぜ♪

 その顔の写真撮ったらぶん殴られそうになったけどな……





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