*** 57 進化する東大野球部 ***
この物語はフィクションであります。
実在する人物や組織に類似する名称が登場したとしても、それはたぶん偶然でありましょう……
結局俺は、その後の明寺大打線もパーフェクトに抑えて、第1戦の勝利投手になった。
それからいつもの通り2戦目は控えに回って1-5で負けたけど、とうとう優勝のかかった第3戦にこぎつけたんだ。
そして……
月曜だというのに満員の神宮球場には、スーツ姿のおっさんやジジイたちが大量にいた。
このひとたち、みんな会社サボって見に来てるエラいさんなんだろ。
だいじょーぶかニッポンの大企業っ!
この日の俺の変化球も冴え渡った。
明寺大の打者たちは初見の変化球にまったく歯が立たない。
まあ、各人に1戦目には投げなかった球種を投げたからな。
ついでに俺は場外を含むホームラン2本で大活躍。
そうして……
6大学史上初の東大の優勝まで遂にあとひとりとなったんだ。
もう、応援席のおっさんやジジイたちはみんな号泣よ。
全員で枯れた声出して応援歌を歌ってるわ。
そうした大声援の中、俺は最後のバッターを三振に打ち取って、静かに小さくガッツポーズを決めたんだ……
ということで、俺の1年生春の6大学野球の成績は、
投球成績
・勝敗:10勝0敗
(内、アルティメットパーフェクトゲーム1、パーフェクトゲーム2、ノーヒットノーラン3)
・自責点:0
・防御率:0.0
・被安打:4
・奪三振:212
打撃成績
・打率:9割5分
・本塁打:23
となったんだ。
東大グラウンドに帰ってからは、みんなに胴上げもしてもらえたよ。
全員が試合に出られた4年生の先輩方はいつまでも号泣してたわ。
翌日には、ささやかながら大学構内で優勝パレードも行われた。
今まで誰もそんなことしたことなかったんで、裏方の女子マネさんたちがひーひー言いながら走り回ってたわ。
都内の豪勢なホテルで、野球部OB会主催の優勝祝賀会も行われた。
ここにもやっぱり大量のおっさんやジジイが来て大騒ぎだったけどな。
途中酔っぱらったオヤジに酒飲まされそうになったんだけどさ。
「まだ未成年ですのでご遠慮させて下さい」って言ったら、「わしの酒が飲めんというのかっ!」って怒り出すんだよ。
だから仕方ないんで、「代わりに私の特製ジュースを飲んで頂けませんか」って言って、クエン酸マシマシのジュース飲ませたら白目になってたよ。
口からダダ洩れしたジュースで、高価そうなスーツがデロデロになってたし。
そうした一連の行事が終わると、またみんなさらに真剣に練習を始めたんだ。
努力する才能を持った人たちが勝利の味を知ったんだから、そりゃまあ真剣になるわな。
その頃八王子製作所が新しい筋トレマシンを開発した。
今までのバーベルを使うものから、鋼鉄のワイヤーロープで繋がったウエイトを持ち上げる形式や、オイルダンパーを使うものになっている。
しかもオイルダンパー部分も負荷重量を計測出来る優れモノだ。
或る程度以上の重量になるとバーベルはちょっと怖いんだよ。
250キロ以上ともなるとバーがけっこう撓ってるし、万が一にも破損でもしたら大事故に繋がるから。
それでまた会長さんがその上級者用マシンのプロトタイプを寄付してくれるって言うんだ。
初優勝のお祝いだってさ。
だから、ベンプレやウエイトスクワットが200キロ超えた奴が優先して使えることになったんだ。
ま、まあ最初の内は俺しか使わなかったけど……
東大野球部の練習方法が一段進化した。
まず打撃に関しては、最低でもスイングスピードを130キロに上げるための練習が始まっている。
アメリカから輸入したヘッドスピード計測器をバットのヘッドに装着し、各人のヘッドスピードを定期的に測定して行くようになったんだ。
「なあ神田、ヘッドスピードを上げたり飛距離を伸ばすために必要な筋肉ってどの筋肉なんだ?」
「やっぱり前腕筋群や上腕筋群か? それとも背筋か?」
「いえ、実は大腿四頭筋と利き足の内転筋群なんですよ。
ですから、普通のウエイトスクワットとワイドスタンス・スクワットなんか有効ですね。
特に内転筋群のためのワイドスタンス・スクワットでは、膝をつま先より前に出さないことと、膝とつま先を同じ方向に向けることに気を付けてください。
その代わりウエイトは少し減らします。
それからウエイト無しのサイドランジやツイストランジなんかも有効です。
もちろん他の部位も鍛えるべきなんですけど、どちらかというと『飛距離は足腰、バットコントロールは腕と肩』っていう感じですかね」
「そうか! ありがとう!」
実は21世紀の初めごろに「松〇秀喜のホームランの秘密」っていうMHKの特集番組があったんだ。
そのなかで他のプロ野球選手たちと松〇選手の各筋肉の力を測定して比較してたんだよ。
それで、不思議なことに全身の部位別筋力って、松〇選手も他の選手とほとんど違いが無かったんだ。
ただし、びっくりするほど違ってたのが唯一大腿四頭筋群の力だったんだよな。
それから同じような試みがアメリカのゴルフ番組でもあったんだけど、飛距離の大きなゴルファーって、利き足の内転筋群を相当に使ってたんだ。
ドライバーの飛距離練習をすると、利き足の内ももが筋肉痛になるとも言ってたし。
あはは、ウエイトスクワット用のマシンが常に順番待ちになってるわ。
空いたスペースでは、みんなサイドランジやツイストランジやってるし。
みんな向上心強いわぁ。
でもこれ実にいいことだよな。
実際に測定するのは難しいんだけど、やっぱりコーチや先輩に言われた練習をそのままやるのと、自分で取り組もうと思った練習をするのとでは、効果も全然違うと思うんだ。
特に向上心の強い人ほど。
それからもちろん毎日少しずついろいろな守備機会の練習も行われた。
特に有効だったのはピッチングマシンを使った守備練習だったよ。
コーチや上級生がノックすると、どうしても正確に狙ったところには打てないしな。
それにマシンは疲れを知らないし、少しは曲がる球も投げられるからラインドライブ捕球の練習も出来たし。
こうして東大野球部は日比山メソッドを取り入れた練習を重ねていったんだ。
さらに熱心だったのは、4年生のキャッチャーの先輩たちだった。
もう毎日毎日鬼気迫る勢いで俺の球受けるんだよ。
最後の秋の大会で、なんとしてでも俺の球を受けたいそうだ。
就活とか大丈夫かねって心配してたら、東大初優勝に狂喜した野球部OBが社長や会長を務める超一流企業からとっくに内定もらってたんだと。
だから俺も徹底的に練習に付き合ったんだ。
それにしても、「大変な努力の結果、一度でも大成功した経験を持つ人」って強いよな。
向上心や克己心が強い人も。
それでもう、6人のキャッチャー全員が、夏にはパスボールしなくなって行ったんだ。
おかげで俺のピッチングもけっこう進化したんだぜ。
ストレートのMAXスピードは168キロになったし、MAXフォークの落ち幅も130センチになったんだ。
あと、カットボールも落ち始めがベースの2.5メートル前になって、変化幅も安定して25センチになったし。
これなら秋の大会で多少対策されてもなんとかなるんじゃないかな。
そんな或る日、俺はキャプテンから相談を受けたんだ。
「なあ神田、俺たちもお前に頼るばっかりじゃなくって、自分たちだけでももっと勝てるようになりたいと思うんだ。
それにはまず打撃だと思うんだが、恥ずかしながら俺の打球はゴロばっかりなんだよ。
それで、『神田メソッド』でなんかいい練習方法はないかな」
うーん、すげぇよこのひと。
4年生のキャプテンが普通そんなこと1年生に聞くかよ。
それだけ打てるようになりたいんだな。
さすがは向上心偏差値93だわ……
「あの、実は日比山でもやっていたいい練習方法があるんです。
ですが、一見見た目は初心者向けの方法なんで、先輩に対して失礼になるかもしれません」
「ぜんぜん構わんよそんなこと。だからどうか教えてくれ」
「それでは用具の準備もありますんで、明日からでよろしいですか?」
「もちろん。楽しみにしているよ」
それで翌日、俺は支柱部分の高さを変えられるティーバッティング用のスタンドを用意して、グラウンドに行ったんだ。
そしてトスバッティング用のネットの5メートルほど前にスタンドを置き、キャプテンの身長に合わせてストライクゾーンど真ん中の位置にボールをセットした。
同時にネットの同じ高さに、直径10センチほどの円形の布をヒモで結びつける。
「こうしてティーに置いたボールを打って、的に当てるだけの簡単な練習です。
それではまず俺がやってみますね」
それで俺は10球ほど打ってみたんだけど、俺の打球は全部吸い込まれるように的に当たっている。
「それではキャプテン、打ってみて下さい」
「おう」
1球目。
芯の1センチ上を叩いた結果、打球は的の30センチ下に当たった。
しかも右方向にも10センチほどズレている。
「な、なぜだ……
確かにボールを見ながら振ったのに……」
「人間の目と手はそれほど連動していないそうなんです。
ですから例えば目の前の物を掴もうとしたときでも、目で見ながら無意識に手の位置を変えつつ掴んでいるそうですね。
ですからこれは、目と手を連動させる練習になります」
「そうか!
俺は今まで目で見たところにバットを振れていなかったんだ!
この練習でそのズレを修正するのか!」
はは、さすがの理解力だわ。
それから先輩はものすごい集中力で50球近く打ってたんだ。
途中でコーチが見に来たようだし、その後には監督も来ていたよ。
「だいぶボールの芯に当たるようになりましたね。
それではボールの位置を外角高めに変えてみましょう。
もちろん的の位置も変えますね」
今度も最初のうちはぜんぜん的に当たらなかったんだけど、30球も打つとだんだん的に当たるようになって行く。
「次は外角低めにセットして……
その次は内角高めと内角低めです」
一連の練習が終わった。
やはり打つたびに打球の散らばりが収まって行く。
「それでは次は、ボールの位置をど真ん中に戻して、ボールの芯の2ミリ下を打つ練習をしましょう」
「に、2ミリだと…… それって1円玉の厚さと同じだろうに……」
「ええ、その位置を打てると打球が内野の頭を超えますし、パワーがつけばホームランになります。
ボールの芯を打つと、どうしても内野へのライナーになってしまいますから」
「なあ神田よ、お前ずっとこの練習をしてきたのか……」
「はい、小学生と中学生の頃はかなりやっていました。
目と手の連動が上手くいくようになってからは、高校ではあまりやっていませんでしたけど」
「神田…… お前は確かに野球の天才だが、野球の上達方法を考える天才でもあったんだな……」
(21世紀の練習方法を参考にしたとは言えんわなー……)
そうした一部始終を見ていた監督が、マネージャーさんに指示してティーバッティング用のスタンドとネットを10セットも買ってたよ。
そうして東大グラウンドではカキンカキンとティーバッティングの音が絶えなくなったんだ……