*** 56 優勝決定戦(対明大戦) ***
この物語はフィクションであります。
実在する人物や組織に類似する名称が登場したとしても、それはたぶん偶然でありましょう……
優勝のかかった東大vs明大戦。
いよいよその第1戦が始まった。
初回の東大の攻撃。
1番バッターの俺は打席に立った。
それにしても大学野球っていいよな。
ランナー無しでの敬遠四球ってほとんど無いし。
でもやっぱり明大バッテリーはゾーンぎりぎりを狙って来てるか。
四球になってもOKっていう攻め方だ。
それにしても不思議だよ。
どうしてみんな「ボール球を打ってもヒットにはならない」っていう思い込みが強いんだろう?
長身の選手にとってはストライクゾーンは縦に広がるけど、横はベースの幅のままだろ。
だから外角のボール球って、かなり打ちごろの球なんだけどなあ。
ああそうか、今の野球指導者たちって長身の人がいないのか。
昔はみんな背ぇ低かったもんな。
背が高いって言われてもせいぜい180センチで、2メートル近い人がいないからこの感覚がわからないんだろう。
あー、来たよ来たよ。
外角にベースからボール1個しか外れてない絶好球が。
それじゃあ頂きますっ!
バキャッ!
あー、なんかヘンな音したぞー。
あー、バットが粉々だー。
打球はどこ行った?
ありゃー、力の無い打球がふらふらとレフト方向か。
お、かろうじてスタンドに入ったか。よかったよかった♪
はは、キャッチャーがバットの破片を見つめてるよ。
出来ればスイングで砕けたんじゃなくって、不良品だったって思ってくれないかね。
それにしてもマイッタよ。
俺今ほぼ芯で打ってたぞ。それでも樫の木バット粉砕かよ。
うーん、これ以上丈夫なバットってあるんかね?
あー黒檀とか紫檀とかかー。高そうだなー。
(お任せください勇者さま)
(あ、神保さん)
(先日あの八王子製作所の専務様にエンシェント・トレント材のバットをお渡ししました。
それで各種計測をお願いして、承認の印であるBFJのロゴも頂戴しております。
それを勇者様のバットケースに入れておきましたので、お使いくださいませ)
(あ、ありがとうございます……)
(神界にてエンシェント・トレント材からバットを削り出す際に出た削りカスは、わたくしの同僚の大天使が『地獄の業火Lv800』で焼却も致しておりますのでご安心ください)
(………………)
ま、まあ、誰にもわからないから大丈夫だよな……
それにしても、まさかエンシェント・トレントも異世界でバットにされちまうとは思わんかっただろうなぁ……
1回の裏の明寺大学の攻撃。
最初はいつも通り球審チェックだな。
投げ出しかなり高めのボール球で、落差1.2メートルのワンバンフォークと。
「ストライーク!」
お、合格合格。
やっぱ6大学野球ともなると審判のレベルも高いな。
それじゃあ念のため、横の変化はどうかな。
カーブでチェックするか。
「ストライーク!」
はは、これもOKか。よかったよかった。
それじゃあ次はチェンジアップで。
「ストライーク、バッターアウッ!」
おし! これならなんとかなりそうだ。
それにしてもバッター、全部見逃したか。
あ、なんか打者がベンチに戻って監督とコーチに報告しとる。
なになに?
「初球は投げ出しかなり高めのボール球で、そこから減速しながら大きく落ちる球でした。
ホームベース通過までの落差は1.2メートルほどだと思います。
あれたぶん、フォークって言われる球種でしょう。
2球目はカーブでしたが、途轍もない変化幅でした。
投げ出しコースは内角いっぱいで高さは私の頭より上です。
それが大きく曲がりながらストライクゾーンを通って外角低めに遥かに外れていましたから。
3球目はスローカーブなんですけど、何故か投げ終わった後にボールが後から出て来たように見えました。一瞬偽投球かと思ったほどです」
「よし、フォークとカーブとスローカーブだな。
すぐに対策を考えよう。
それにしても、キャッチャーがほとんどミットを縦に動かしていなかったな。
念のため後でネクストバッターサークルの2番打者にも聞いてみるが、たぶん横にも動かしてはいなかっただろう。
凄まじいまでの変化球コントロールだ。
だが逆に考えれば、それだけ球種を特定出来て対策が立てやすいということだ。
コーチは変化の様子と球種をノートに書き留めておいてくれ」
「はい」
(さすがは分析魔、知将と言われるウチの監督だ……)
おー、俺の球種を研究しようっていうのか。
例え今日は対策が間に合わなくっても、第3戦に向けての戦略かな。
ふーん。
それじゃあ研究してもらおうじゃないの。
2番打者に対しての初球は50センチフォークにしよう。
どうせ打って来ないんだから、やや高めから低めギリギリでいいか。
「ストライーク!」
次は80センチフォークで、高めボールから低めギリギリに。
「ストライーク!」
最後は50センチジャイロでやや高めから低めギリギリへ。
「ストライーク、バッターアウッ!」
明大ベンチ内にて、2番打者の報告。
「おい、1番への投球に対して、キャッチャーはミットを横に動かしていなかったか」
「いえ、全く動かしていません」
「やはりそうか。それじゃあ球種を報告してくれ」
「はい。1球目は投げ出し高めボールで、そこから減速しながら大きく落ちる球でした。
ホームベース通過までの落差は50センチほどだと思います。
あれたぶん、フォークって言われる球種でしょう」
「………………」
「2球目も同じ球種です。
ですが落ち幅が大きくなって、80センチほどでした」
「確かに80センチか?」
「ええ、高めゾーンいっぱいから低めゾーンいっぱいでしたから」
「そ、そうか……」
「それから3球目なんですけど、だいたいのコースは1球目と同じで50センチほど落ちたんですが、落ち方が全然違いました。
1球目は減速しながらカクンと落ちましたが、3球目はするっと落ちてそこから伸びて来るんです。
あんな球は見たことがありません」
「そ、そうか。
それじゃあ1球目を50センチフォーク、2球目を80センチフォーク、3球目は50センチ謎ドロップと命名するか……
あ、1番打者への1球目は120センチフォークだな……」
3番打者の報告。
「初球は縦にするっと80センチ落ちながら加速しました」
「命名80センチ謎ドロップだ」
「2球目はするっと50センチ落ちながら、同時に50センチ右に曲がりました。
しかも落ち始めてから加速したように見えました」
「命名50センチ謎右ドロップだ」
「3球目は2球目とほぼ同じですが、落ち幅と曲がり幅がそれぞれ80センチになりました」
「80センチ謎右ドロップだ」
2回の裏の明大ベンチにて。
4番打者の報告。
「初球はするっと50センチ落ちながら、同時に50センチ左に曲がりました。
しかも落ち始めてから加速したように見えました」
「命名50センチ謎左ドロップだ」
「2球目は1球目とほぼ同じですが、落ち幅と曲がり幅がそれぞれ80センチになりました」
「命名80センチ謎左ドロップだ」
「3球目は球が滑るように右に流れていきました。
あれたぶん、スライダーっていう球種だと思います」
「命名スライダーだ!」
【明大コーチ】
(あ、監督の額に青筋が……)
5番打者の報告。
「1球目はど真ん中に来た速めのストレートが、打席前2.5メートルほどから突然落ち始めて、ベース上では20センチほど落ちていました」
「命名短距離20センチドロップだ!」
「2球目は同じような球だったんですが、落ち始めと同時に左にも20センチ曲がっていました」
「命名短距離左ドロップだっ!」
「3球目は遅い球だったんですが、左右と下に20センチほど、上には5センチほどの変化を繰り返す球でした。
あんな球は見たことがありません」
「命名フラフラ球だっ!」
【明大コーチ】
(あ、監督の額の青筋が太くなって来た……)
6番打者の報告。
「と、突然左投げに変わったんで驚きました……」
「球種は!」
「は、はい、1球目は遅い球だったんですが、左右と下に10センチほど、上には5センチほどの変化を繰り返す球でした。
あんな球は見たことがありません」
「命名左フラフラ球だっ!」
「2球目は、これも左腕からだったんですが、右方向から左方向にかけてすーっと滑るように変化して来ました。
あれたぶん、スライダーっていう球種だと思います」
「命名左スライダーだっ!」
「3球目はたぶんカーブです。
でもあんな大きなカーブは見たことがありません。
遥か右上から左下にかけて曲がり落ちて行きました。
落差も左右変化も1.5メートルぐらいありました」
「命名左カーブだっ!」
【明大コーチ】
(あ、監督の顔面が怒りのあまり真っ赤に……)
「おい! ノートを見せてみろっ!」
「は、はいっ!」
ノートを睨みつけている監督。突然ノートを床に叩きつけた。
「18種類もの変化球にどう対策しろっちゅーねんっ!!!」
【明大コーチ】
(はは、ついに知将もブチ切れたか……
それにしてもあの投手、『変化球怪獣』の異名は伊達ではなかったのだな……
7色の変化球どころか大別して10色、細かく分ければ18色の変化球か……
あ、このあいだウチの5歳の娘に買ってやった高級クレヨンセットと同じ色数だ……
娘はあまりの色の多さに、お絵かきも出来ずに涙目になって混乱してたっけ。
ははは、ウチの打線もきっと涙目になるんだろうなあ……
それにしても、これだけの球種を持っていて、かつ高校時代195試合で四死球ゼロということは、この変化球を好きなだけコントロール出来ているっていうことか……
ノーヒットノーランとパーフェクトゲーム合わせて120試合という奇跡も当然だったんだなぁ……)
あ、なんか明大の監督がノートを床に叩きつけてる……
あははは、さては俺のあまりの球種の多さに混乱したか。
さて、相手の監督をからかうのはほどほどにして、次の回は俺の打順が回って来るな。
それじゃあエンシェント・トレント製のバットを素振りしてみましょうかね。
あ、これすげぇ……
長いくせに軽い…… たぶん980グラムぐらいだ……
長さは41.8インチか。ルールぎりぎりだな。
それに満振りするとほんの僅かだけど撓る感じがする……
あー、これ、21世紀のメジャーの流行と似てるな。
やや細くて軽いバットを鞭のように撓らせて、速いスイングで打つっていう。
これで折れなければ最高のバットだわ。
お、俺の打順か。
試しに満振りしてみよう。
ふんっ!
ボグッ!
な、なんかまたヘンな音したぞ……
打球は……
あっ! もうあんなところにっ! レフトスタンドの上超えてるっ!
あー、これ神宮第2球場に届いたかも……
ば、バットは……
お、ぜんぜんなんともないぞ!
す、すげぇよエンシェント・トレント!
俺はベースを回りながら神保さんに思考コンタクトした。
(神保さん、素晴らしいバットをありがとうございます!)
(いえいえ、どういたしまして。
ですがそのバット、取り扱いには多少の注意が必要でございまして……)
(といいますと?)
(はい、水分の多い環境に置きますと、根を出して歩いてどこかに行ってしまいます)
(げげっ!)
(さらにそのまま水場や太陽光線の豊富なところに行きますと、巨大化して行きます)
(げげげげっ!)
(最終的には表面に顔を生じさせ、意識も持ちますね)
(さ、さすがはエンシェント・トレント……)
(そうなりますと人も捕食し始めますのでお気をつけくださいませ……)
(怖ぇよっ!)
そのころ神宮第2球場ではグラウンドキーパーが首を傾げていた。
(はて、なんでこんなところにボールが落ちてるんだ?
それも縫い目がブチブチに切れて、半分中身が出かかったボールが……
誰かのイタズラか?)




