*** 49 驚愕する東大野球部 ***
この物語はフィクションであります。
実在する人物や組織に類似する名称が登場したとしても、それはたぶん偶然でありましょう……
食事が終わった者から高校生たちは皆自由に動き始めた。
グラウンドに戻ってストレッチを続ける者、先輩に内角球の打ち方を教わっている1年生、食堂で参考書を開いて勉強を始める2年生。
俺もグラウンドに出てストレッチを始めた。
「おーい上野。
今日は俺がレギュラー陣のバッティングピッチャーをするから、すまんが後で肩作るの手伝ってくれ」
「「「「「 おおーっ! 」」」」」
「ありがとうございますっ!
みんな憧れの神田さんの球が打てて大喜びですっ!」
午後の練習が始まった。
「今日は全員50メートル走の計測もするからなー。
各人交代で計ってくれ。
それが終わったら、いつもの通り20メートルダッシュ20本と筋トレだ」
「「「「「 はいっ! 」」」」」
このグラウンドの横には、アンツーカーの50メートル走路が2本、筋トレ用のマシンが置いてあるミニ体育館も作られている。
俺はマウンドに立った。
はは、久しぶりだわ。
「それじゃあまず普通のストレートを2球投げるぞ。
それで打つ感触を取り戻してくれ。
その次は対戦相手のエースを想定した球を4球だ。
つまり左の変化球、特にカーブとスライダーだな」
「あの、神田センパイ。
センパイのびっくり変化球も少し投げてやって頂けませんか?
みんな見納めになりますから……」
「ああいいぞ」
東大のみなさんは、ホームベースの後方5メートルほどに設置された移動式フェンスの後ろに並んでいる。
ここに立てる見学者は関係者のみだ。
他校の偵察要員はもちろん、マスコミにも許可を出したことは無い。
あの全体大付属の水道橋監督だけには許可してるけど。
そしたら当初は毎日来てたんで驚いたけどな。
それでなんかすっげぇ真剣な顔で俺たちの練習を最初から最後までずっと見てるんだよ。
特に水や大豆ドリンクや野菜ジュースを飲んでるときなんか、ずいぶんとおっかない顔になってたわ。
あれ怒ってるって言うよりも真剣になんか考えてるっていう表情だったな。
俺が投げた1球目のど真ん中ストレートをバッターは見送った。
キャッチャーの上野が苦笑している。
「おいおい、打たなきゃダメだぞ」
「で、でも、何しろあの神田センパイの球ですからね。
この目に焼き付けておこうと思って……」
「はは、その気持ちは大いにわかるが、これはバッティング練習だからな。
投げて下さってるセンパイにも申し訳ないぞ」
「はいっす! 次は打ちますっ!」
カキーンっ!
おお、けっこうなライナーが飛んでったわ。
こりゃセンター前だな。
「それじゃあ次は初戦の相手エースを想定した投球な」
俺は6本指グラブを右手に嵌め変えて、左腕でスライダーを放った。
バットの芯を外した打球は、ショート方向へのゴロになっている。
「もう少しバットの芯を意識して振ってみろ。
芯の部分しかバットが無いと思って」
「はいっ!」
カキーン!
今度はセンター前かな。
外野が前進守備だったら頭を超えたかもしらん。
うんうん、筋トレの成果が出て来てるなぁ。
「次はカーブだぞー」
「はいっ!」
やや力の無いフライが外野に飛んで行った。
「あのな、変化球打ちのコツは、打球の強さをすべて大腿四頭筋と大腿の内転筋と背筋と腹斜筋に任せることなんだ。あと腸腰筋にも。
つまりまあ下半身の筋肉だな。
んでもって、腕や肩の筋肉はほとんどバットコントロールに使うんだ。
それを意識して打ってごらん」
「はいっ!」
カキーンっ!
おほー、これセンターの頭を超えたな。
よしよし。
「その調子で練習を続けてくれ。
それじゃあ最後に本気変化球を2球投げるぞー」
「は、はいっ!!!」
はは、上野のヤツ、ライズボールのサイン出しやがったよ。
俺が投げた球は、投げ出しから9メートルほどだけ見れば、真ん中低めの絶好球に見える。
思わずテイクバックして打ち気になるバッター。
だが……
ピッチャープレートとホームベースの中ほどから急上昇を始めた球は、上野の頭上1.2メートルを通過して、バックネットの8メートル上に突き刺さった。
バッターはフルスイングで空振り。
あーなんかこいつ、目がキラキラしてるわー。
2球目は投げ出し真ん中で高さは完全なボールに見える球。
バッターは振るかどうか躊躇っているようだ。
でも……
ベース手前8メートルほどからボールは急激に減速しながら落ちて行く。
ストライクゾーンを通過した後、ワンバンして上野のミットに綺麗に収まった。
俺の全力、落差1.2メートルフォークだ。
それにしても上野はワンバンキャッチ上手くなったよなぁ。
キャッチングだけだったら高校選抜級だわ。
ところでどうだい後輩くん、2球の変化幅合計2メートル以上のびっくりコンビネーションだぜ。
別名「バッターイジメ」の配球だな。
東大の先輩方は……
あー、全員目も口も真ん丸になってるわー。
「あ、ありがとう…… ございました……」
「なあ上野。
こいつらに俺の変化球なんか見せて、却って委縮しちゃったりしないか?
甲子園前に大丈夫か?」
「へへ、みんな神田センパイの変化球を見た後は、他の投手の変化球が子供の投げた球みたいに見えるそうなんです。
だからどんな投手のどんな変化球でもビビらずに打てるようになるんですよ。
甲子園前に貴重な練習をありがとうございます」
「そうか、なるほどな。
そしたら俺の全力変化球、もう少し多めに投げるか……」
「ありがとうございますっ!」
それから俺は9人のレギュラー陣相手に真剣に投げてやったんだ。
ライズボール。
落差1メートル超のフォーク。
曲がらずに落ちるジャイロ。
曲がりながら落ちるジャイロ。
投げた瞬間打者がボールを見失うカーブ。
一見普通のストレートに見えて、打者手前3メートルから急激に落ちるカットボール。
急激に落ちながら右に曲がるシンカー。
ボークと間違えられそうになるチェンジアップ。
そして左投げのナックルボール……
『18色の変化球』と呼ばれる俺の球に誰もバットが当たらない。
でも……
最後に上野が打席に入ったんだ。
キャッチャーは置かずに。
そしたらさ、上野のヤツ、俺の渾身の変化球を半分ぐらい打ち返したんだわ。
さすがに無数の青アザ作りながら、2年間俺の球を受け続けただけのことはあるよなぁ。
特にジャイロには完全にタイミングが合っていたし……
うん、頼もしいキャプテンに育ってるよ。
他の連中もみんな大尊敬のまなざしだし。
「「「「「 ありがとうございましたーっ! 」」」」」
バッティングピッチャーを終えた俺は、東大のセンパイ方のところに戻ったんだ。
「か、神田くん……
み、見たことのない変化球ばかりだったんだけど……」
「こ、これが高校時代195試合で自責点ゼロのピッチャーの球……」
「テレビで見てストレートだと思ってた球が、全部変化球だったよ……
それもトンデモな……」
「か、神田くん、よ、よかったら、後で球種の名前を教えてくれないか?」
「はい、畏まりました」
「…………」
うーん、監督、コーチ、キャプテンがおっかない顔になってるぞー。
それから俺たちは、グラウンド脇のスペースに移動した。
「さーて、それじゃあ俺も久しぶりに50メートル走を計測してもらおうか」
スターターが音の小さなスターティングピストルを鳴らした。
あー、やっぱりけっこう体ナマってるわー。
全盛期には程遠いな……
「ゴール! タイムは6秒10!」
やっぱり…… 自己最高より0.15秒も遅いわー。
「ろ、6秒10……」
「日本記録にあと0.25秒……」
「長距離走だけでなく、短距離走までも……」
「ば、ばけもの……」
その後も高校生たちの計測は続いている。
「おい、これで3人目の6秒台前半だぞ……」
「他のみんなもほとんど6秒台後半か……」
「ウエイトスクワットなんかの筋トレをすると、みんな驚くほど記録が伸びるんですよ。
それが嬉しいらしくって、すぐに筋トレに真面目に取り組むようになりますね」
「「「「………………」」」」
俺たちはみんながウエイトトレーニングをやっているミニ体育館に移動した。
みんな思い思いにバーベルを挙げている。
ベンチプレスのウエイトが100キロになっているのを見た監督の目が見開かれた。
「あ、神田さんだぜ」
「神田センパイも筋トレなさいますか?」
「おう、ベンプレとスクワットだけな」
「おーいみんな、神田さん向けにウエイト装着してくれー」
「「「「 はいっ! 」」」」
そうそう、けっこうな額の寄付金が集まってたからさ。
100キロ以上のウエイトで行うベンプレとスクワット用の機器は、本ちゃんのものを買ったんだ。
それ以下のウエイト使うときは今まで通り手作りの機器だけどな。
それ以外にも、つま先から足首までを覆う分厚い鋼鉄製のガードもたくさん作ってもらってあるし。
万が一ウエイトを足に落としたりしたら大変だからな。
「重さはどうしますか?」
「うーん、結構なブランクがあるから220キロにしてくれ」
「はい」
「に、220キロ……」
「ま、マジか……」
(ほんとは自己記録280キロだけどな……
『身体強化』使うと1000トンだけど……)
ベンチプレス用ベンチの支持台にバーが置かれ、その両側に鉄製のウエイトが次々と装着されていく。
本物の競技用バーがしなり始めた。
見るからに巨大なバーベルの出来上がりだ。
「準備出来ました!」
「ああ、ありがとう」
はは、後輩たちも全員俺の周りに集まって来たよ。
ベンチのサイドにはやはり鋼鉄製のガードが置かれた。
これは万が一バーベルを落としてもケガをしないためのガードで、俺の胸よりも少し高い位置に高さを調節してある。
落としたらヘタすりゃ死ぬからな。
俺はウエイトトレーニングベルトを腰に巻く。
これまだ日本ではほとんど売られてないんで、アメリカからの輸入品だ。
そして、手にロジンバックを叩いた俺はベンチに仰向けになった。
左右にはガタイのいい後輩たち4人が、それぞれバーの端に手を当てて補助をしてくれている。
俺はバーに手を当てて少し力を込めた。
ギシっと鳴るバーベル……
「ふんっ!」
支柱からバーベルが浮いた。
そのままバーベルを降ろしてまた持ち上げる。
「ま、マジかよ……」
「ほ、ほんとに挙がったよ……」
「こ、これは現実の出来事なのか……」
俺は無事8回の挙げ降ろしを終えた。
「ふう~っ、次回はもう少しウエイト増やせそうだな」
「「「「 おつかれさまっス! 」」」」
はは、後輩たちが腰を90度に曲げて最敬礼してくれてるわ。
まあ、センパイを尊敬してるというより、筋トレは重いの挙げたやつがエラい単純なもんだからな。
次はスクワット用のバーベルだ。
ベンチプレスよりもやや高い位置にバーの支持架がある。
「重さはどうしますか?」
「うーん、今日は300キロでいいかな……」
「はいっ!」
さらに巨大なバーベルが出来上がった。
「「「「「 ………… 」」」」」
もちろんバーベルの下にはやはり鋼鉄製のガードが置いてある。
高さは、バーを持った俺が例えバーベルを挙げられなくなっても、ヒザの曲げ角度が60度以下にならないように調節してあるんだ。
それ以上曲げるとヒザを痛めるからな。
そうそう、この時代って、まだ高校生に「うさぎ跳び」をさせるコーチとかいたんだよ。
「これが一番根性が鍛えられるトレーニングだ!」とか言って……
それで自分の無知と無理のせいで生徒がヒザぶっ壊すと、「根性が足りないせいだ!」とか「運が悪かったな」とかホザくんだ。
誰かが言ってたよ、「無知は罪ではない。だが、その無知を放置することは大いなる罪である」って……
それにこれって、実は当時大いに人気があったテレビのスポ根漫画『巨人の〇』の影響もあったらしいんだ。
そのテレビアニメのオープニングテーマ曲が流れる中で、主人公が苦しそうにうさぎ跳びやってるんだよ。
そのときの歌詞も『男のど根性』とか言ってたし。
それ見た野球指導者たちが、『根性鍛えるためにはうさぎ跳びだ!』って思い込んじゃったんだ。
な、当時の監督だのコーチだのってアフォ~ばっかしだろ。
漫画家やその原作者がスポーツ医学だのトレーニング論だの知ってるわけないだろうに。
テレビの影響で、仮面ライダーごっこだの戦隊ヒーローごっこだのやってるガキンチョとレベル変わんないよな。
ったく、トレーニング方法を勉強する気も無いアフォ~で怠け者の指導者のせいで、どれだけの才能ある野球少年が膝を壊して野球を諦めるハメになったことか……
これこそが、当時の日本プロ野球がメジャーに全く歯が立たなかった理由なんだろう。
さらに余談だが、当時のグラウンド整備には直径50センチぐらいあるバカデカいコンクリート製のローラーを使ってたんだよ。
重いもの引っ張るから足腰の鍛錬にもなる!って言われて。
ローラーかけてるときに前傾しすぎて、足がローラーの下敷きになって足首潰されて病院送りになる奴が続出したんで今はもう誰も使ってないけど。
しかも実際に使ってみればわかるけど、雨の後のグラウンドとかに使うと却って波打ってデコボコになっちまうんだよ。
乾いたグラウンドだと地面は全然平らにならないし。
な、当時の指導者ってアフォ~だろ。
どうせなら立方体のコンクリの塊引っ張ればよかったのにな。
それでさ、監督だのコーチだのが練習が終わった後に、『おい1年生! グラウンドに『コンダラ』かけとけ!』って命令していたそうなんだ。
『ローラー』じゃあなくって『コンダラ』な。
これ……
なんでかわかるかい?
あのアニメのオープニングテーマが流れるとき、主人公がデカいローラー引っ張って汗を流してる画が出るんだけどさ、その時の歌詞が『思い込んだら』だったんだよ。
そう……
それを見た監督やコーチは『重いコンダラ』だと文字通り思い込んじゃったんだ。
だからあのローラーのことをみんな『コンダラ』って言ってたんだわ。
な、当時の野球指導者ってマジでアフォ~ばっかしだろ。
まあ碌に勉強もせずに野球ばっかしやってた奴がそのまんま指導者になってたからだろうけど。
精神年齢もガキンチョと変らなかったんだろうな。
閑話休題。
俺はバーベルを首の後ろと両肩に置いたクッションに乗せた。
長いバーの先には左右8人の後輩たちが手を添えてくれている。
「ふん!」
ギシリという音と共に持ち上がるバーベル。
俺はまた8回のスクワットを繰り返した後に、バーベルをそっと架台に戻した。
「し、信じられん……」
「さ、300キロ……」
「こ、これも現実のことなのか……」
「ウエイトリフティングもオリンピック代表級……」
「俺は、たった8回の筋トレで効果があるのかとか言ってしまっていたが……
その最高の成果がここにあったか……」
俺の視野の隅に握力計測器が入った。
「おっ、握力計か。ついでに測っておくか……」
俺は片手で2台の握力計を握った。
だってふつーの握力計の最大目盛りは100キロだからな。
握力計ぶっ壊して、何度渋谷にツノ生やさせたことか……
2台目を壊したときにゃ「その隅っこでバケツ持って立ってろ!」とか言いやがるんだもんなあいつ……
俺は思い出し笑いを堪えながら、そのまま手に力を込める。
「ふー、こっちは100キロ、こちらは80キロで計180キロか。
でもって左手は合計175キロか。
握力はあんまり衰えていないな」
(壊さなくってヨカッタヨカッタ……)
「ひ、180キロ……」
「に、2台いっぺんに……」
「それでは失礼して筋トレ後のルーティンをさせて頂きますね」
俺はまず、今酷使した筋肉を全て伸ばすストレッチをした。
そして20分後にはやはり全ての部位にアイシングを施し、最後に大豆ドリンクを1リットルほど飲む。
その後も東大野球部の面々は、日比山高校野球部の練習を熱心に見続けていたよ。




