*** 29 東東京大会準々決勝戦1 ***
この物語はフィクションであります。
実在する人物や組織に類似する名称が登場したとしても、それはたぶん偶然でありましょう……
翌日。
夏の全国高等学校野球大会、東東京地区準々決勝戦が始まった。
1回の表、相手チームの攻撃。
上野のリードはほとんどが落ちる系の球だった。
新防具と昨日の練習で相当に自信をつけたんだろう。
初球だけは真ん中高めのボール球ストレート。
予想通り1番打者は見送った。
この時代のバッターって、ほとんどが初球を見送るからな。
球をよく見るためだそうだが、特に打席が一巡するまではほとんど初球には手を出して来ないし。
でもこれでストレートに目が慣れたな。
おかげで次からの変化球には混乱してくれるだろう。
そして2球目。
上野のサインは、ストライクゾーン真ん中から落ちてワンバンする80センチフォーク。
ベース上では最も激しく落ちるために、見送られたら主審がストライクとコールしてくれるか難しいところだ。
高校生はもちろん、プロでもまだフォークを投げる投手は少ないから、ワンバンしたことだけをもってボールとコールされても仕方が無いだろう。
未熟な球審ほど、キャッチャーの捕球位置を見てコールするから。
だが幸いにも、途中までど真ん中だった球筋を見て、バッターは空振りしてくれた。
「へいへい! ボールをよく見て行こうぜ!」
相手側ベンチから声が飛ぶが、こいつこそ俺の球見てなかったんじゃね?
次のサインは回転軸がやや左側を向いたフォーシームジャイロボール。
普通のストレートのCD値(空気抵抗値)がおよそ0.35なのに対して、この球種はボール後方の乱流が抑えられるせいでCD値は0.16以下。
つまり、あらゆる球種の中で、初速と終速の差が最も小さい球になる。
そして、俺の手を離れてからの10メートル程は、バッターから見た球の視野内での移動が少ない。
まあ視野内角度3度ほどの移動だろう。
故にあまり速い球には見えないわけだ。
だが球が打席に近づくにつれて視野内角度変化は大きくなって行く。
特に低めの球だとより大きいだろう。
この角度変化の大きさを勘違いして、みんな「伸びのある球」と言ってるわけだ。
実際に速度が伸びてるわけないのにな。
しかも俺の左向き軸フォーシームジャイロの落差は、落ち始めからベースまでで最大40センチを超える。
ということは、当然視野内角度変化も更に大きくなるということだ。
たぶんそれは20度ほどにもなることだろう
バッターには初速より終速の方が速くなっているように見えるそうだ。
俺も一度打席で見てみたいもんだよ。
落ちる球なのに異様に伸びて来るように見える球。
まあ高校生には打てんわな。
初見だったらプロにも打たれない自信がある。
はは、さすがの上野もミットの土手にボールを当てたか……
でも判定はストライク。
見送った1番打者は茫然としているわ。
4球目は内角真ん中の高さにカットファストボール。
時速150キロの速さに加えて、俺の今の握力170キロのおかげでホームベースの手前3メートルから20センチ以上落ちる球だ。
例え見送ってもストライクと判定されるように、わざわざ真ん中の高さに投げている。
あのマリアーノ・リ〇ラのカットボールですら、ベースの3.5メートル手前から落ち始めたそうだから、今の俺のカットボールは将来のメジャーリーガーも含めて世界一なんじゃないか?
1番打者は空振りして三振。
可哀そうに蒼ざめた顔して俯いてベンチに戻って行ったよ。
監督さんに「ボールをよく見ろ! 最後の球なんかバットとボールが20センチも離れていたぞ!」とか怒られてるみたいだ。
なにか反論したらしいけど、そのせいで余計怒られてるわ。
ここにも暴君監督がいたか。
まあこの監督も、よほど目がいいか打席に入らなければ俺の球は理解出来んだろう。
はは、主審も首を傾げてるわ。
まあ、アマチュアの審判だったらこれほどの変化球は見たことがないだろうからな。
2番打者に対しては、初球は高めの明らかにボールになるコースからストライクゾーンを通過してワンバンする110センチフォーク。
コースはど真ん中。
これはバッターに対するというよりも、主審の目のチェックのつもりで投げている。
ベース上を通るときは完全にストライクの球を、上野の捕球位置直前でワンバンするだけでボールと判定するかどうかのテストだ。
おお、一拍置いた後にストライクとコールしてくれたか。
よし、合格!
さすがは準々決勝審判だ、今までのカス審判とは大違いだ。
それになんか主審の表情が変わったな。
むちゃくちゃおっかない顔になってるけど、その分真剣になってくれているんだろう。
2球目は内角やや低めから落ちるカットボール。
俺の感触ではぎりぎりストライクゾーンをかすってはいるが、上野の捕球位置はまたもや地面すれすれ。
まあサインを出した後、ずっとそこに構えていたからパスボールも無い。
今までは、上野も投げられたボールの最初の軌道を見てミットを上げたり下げたり右往左往してたけど、コイツもようやくプラトーを抜けたからな。
それでも、まっすぐ胸に目掛けて来るように見える球を捕球するのに、ミットを地面につけたままというのは怖いだろうに……
3球目のサインは上向きの回転軸を持ったフォーシームジャイロボールだった。
この球はジャイロの効果で落ちるものの、さらにサイドスピン成分がマグヌス効果を誘発して左に曲がって行くことになる。
投げ出しは右打者の内角高めで、ストライクゾーンを通るときには外角低めになる球だ。
最初はちょっと速いだけのストレートに見えて、40センチ落ちて40センチ曲がる球だからな。
それも初速より終速の方が速いように錯覚して見えるんで、高校生ぐらいだとまず打てないだろう。
まあプロでも10打席は見なけりゃ打てないか。
ストライクとコールされた球を見送ったバッターは、可哀そうに茫然としてたわ。
3番バッターが左打席に入った。
おお、随分と打席のピッチャー寄りに立ってるな。
俺の変化球の曲がりっぱなを叩こうというのかな?
それともセーフティーバントでの出塁を狙っているのか?
まあ我が校の失策率は有名だからなあ。
お、上野も気づいたか。
サインは内角高めのボール球に見えて、実はベース手前で落ちてストライクになるカットボール。
まあ最もバントしにくい球種とコースのひとつだろう。
感心感心。
バッターは見逃し、主審のコールはストライク。
だが、俺たちは打者の左手がピクリと動いたのを見逃さなかった。
やはりバント狙いか。
まあこのチームの1~3番の出塁率は平均で4割超えてるそうだから、セーフティーバントにも自信があるんだろうし、なによりも俺たちの守備の弱さに付け込もうっていうことだろう。
上野の2球目のサインは左向き軸のジャイロ。
それも最大威力でだ。
それだと、例えストライクゾーンのど真ん中を通っても捕る前にワンバンするぞ。
まあまだ1ストライクだからパスボールでも大丈夫っていうことか。
それとも新防具と自分の進化に絶対の自信があるのか……
投げ出しは内角ギリギリ高めに見えるストレート。
予想通りセーフティーバントの構えを取るバッター。
だが……
ホームベース8メートル手前から落ち始めたジャイロは、バントの構えのバットの遥か下を通ってからワンバンし、上野のミットに収まった。
バントの空振りという屈辱を味わったバッターの顔が赤く染まる。
続けて3球目は内角に150キロのカットボール。
バッターはまたもやバントの構えに切り替えた。
まあ意地もあるんだろう。
それでも、ホームベース3メートル手前から急激に落ちた球は、バットの遥か下を通った。
スリーバント失敗でアウト。
というか空振り三振か……
可哀そうにまたもバッターは監督に怒鳴られてたけどさ。
いつかあの監督にも投げてやりたいもんだ。
1塁側の我が応援席は大いに沸いていたけど。
初回の我がチームの攻撃は3者凡退。
いやけっこう痛烈な当たりもあったんだけど、相手の好守に阻まれて出塁出来ず。
やっぱり守備のいいチームっていうのはいいねぇ。
2回の表。
うーん、今日は高低だけの変化球で大丈夫そうかな。
曲がらずに落ちるジャイロとカットボールとフォークで。
時折ボールになるストレートも交えて……
これなら上野もパスボールが無くって自信をつけられるかもしらん。
まあ、横への変化球は次の試合に取っておこう……
4番に対して初球はプレーンなフォーシームジャイロ。
ボールの回転軸がやや左側を向いた球だ。
投げてからベースに届くまでには、重力に引かれてけっこう落ちる。
まあバックスピンをかけないフォークが落ちる原理と一緒だな。
21世紀には「フォークこそが本当のストレートであって、バックスピンのかかったストレートは上向きに曲がっている変化球だ。ただ重力で落ちている幅と、回転の揚力で上がっている幅が同じだけ」って言ってたやつもいたっけか……
そしてこのジャイロは、ボールの回転によるマグヌス効果が加わって、さらに落ち幅を大きくしてくれるわけだ。
はは、4番の目が真ん丸になってるよ。
そうか、ベンチで1~3番がベース手前で強烈に落ちる球って言うのを疑っていたんだろう。
それじゃあリクエストにお応えして2球目も同じ球。
ただしコースは外角ギリギリ。
あー、すっごいスイングだわー。
バットとボールが20センチぐらい離れてたけど……
3球目はカットボールだったけど、手を出さずに見送り三振。
そうか、第1打席は捨てて、第2打席以降で打てるように切り替えたのかな?
5番も同様に球筋見る気満々だったんで、速球1つとフォーク2つで見逃し三振。
フォーク以外の変化球が無かったんで、ちょっと残念そうだったわ。
まあ、見たがるヤツに見せてやる義理も無いし。
6番には割と打ち気が感じられたんで、見た目ストライクからボールに落ちる球で三球三振。
まあホームベース後ろでワンバンするような球は打てんわな。
15年後に、イ〇ローがベース手前でワンバンした後の球を打ってヒットにしてたけど。
2回の裏の我がチームの攻撃は、4番が凡退したあと5番がポテンヒットで出塁するも、後続が続かずチェンジ。
3回の表の相手下位打線の攻撃は、軽いジャイロを主体にあっさり凡退。
そうそう、ジャイロボールって実はあんまり肘や肩の負担にならないんだよ。
21世紀だと、ものすごいフォークとか強烈なカットボールを持つピッチャーは、先発じゃあなくってほとんどクローザーになってるだろ。
あれは強烈な変化球って肘や肩に負担がかかるからなんだよな。
つまり、彼らは選手寿命を出来るだけ伸ばすために、クローザーに回ったわけだ。
でもジャイロボールに必要なのは、ほとんど握力だけなんだ。
あとの投げ方はストレートとあんまり変らないし。
その点で、今の最大握力170キロの俺にとっては、ジャイロもあんまり負担じゃないんだ。
実際には120キロぐらいの握力しか使ってないし、筋持久力も相当鍛えて来てるし。
握力170キロ使って全力で左向き軸ジャイロなんか投げようものなら、落差が1メートル近くなっちまうからな。
主審が未熟だと、どんなコースに投げても8割方ボールって判定されるかもしらん。
ということで3回の表も三者三振。
おお! これで9者連続三振か!
あー、相手チームの監督、怒鳴らなくなって来てるぞー。
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