*** 27 新型防具開発依頼 ***
この物語はフィクションであります。
実在する人物や組織に類似する名称が登場したとしても、それはたぶん偶然でありましょう……
夏の全国高校野球大会地区予選、東東京大会でベスト8に残った我が日比山高校野球部は、いつもの新木場グラウンドでけっこうマジメに練習を行っていた。
特に重視されたのはもちろん守備練習だ。
東東京大会5試合でのチームエラー33というのは、どうやら大会史に残る大記録となってしまったらしい。
いつも予選1回戦で敗退するような高校の中には、「1試合失策数15」とかいう記録を持つようなヤツラもいるが、そういう連中はコールドゲームで9回まで戦えないか1~2回戦で姿を消すので、この5試合でのエラー33の記録の更新は難しいそうだ。
そして、そのエラーもさることながら、公式記録には残らないものの上野のファンブルも実に多かったんだよ。
5試合で100超えてたもんな……
ありがたいことに、『都立の星』となりつつある我がチームには、続々と寄付金が集まっている。
まあ日比山高校と言えば、昔は東大合格者数日本一の学力名門校だからなぁ。
日比山から東大等の一流大学に入り、社会人となった先輩方は、それぞれが社会に出て大活躍をしている。
上場企業の役員どころか社長会長になっている方々も少なくない。
そうした先輩方が、我々の活躍を見てポケットマネーを寄付してくれているそうだ。
東東京大会の5回戦は、日曜日だったこともあって、スタンドには年配で貫禄あるおっさんたちがけっこういたからな。
試合前にみんなで名刺交換していたのは笑ったけど。
そんなおっさんたちも、試合が始まると夢中になっていた。
子供のように目を輝かせ、高校生たちと一緒に校歌や応援歌を歌い、俺のノーヒッターゲームの瞬間が近づいてくると手に汗握り、そうして試合終了後はぼろぼろ涙を零しながら学生たちと肩を組んで校歌を歌ってくれたんだ。
そんな大先輩方の中に、八王子製作所という野球用品メーカーの会長さんがいた。
野球部のOBでもある。
俺たちレギュラー陣は、準々決勝を前にして、集まった寄付金を握りしめてその大先輩のところにお願いをしに行ったんだよ。
挨拶をしたのはもちろんキャプテンである俺だ。
「先輩、本日はお忙しい中我々後輩にお時間を割いて頂きまして、本当にありがとうございます」
とんでもなく貫禄のある会長さんは終始ご機嫌だった。
「いやそんなことはどうでもいい。
それよりも東東京大会ベスト8おめでとう!
前の試合はスタンドで観戦させてもらったよ。
あの勝利の後の校歌は、今までの生涯で味わったことのない感動的な校歌だった。
この年になって感性も摩耗してきた老人に、あれほどの感動を与えてくれたこと、こちらこそお礼を言わせてくれ。本当にありがとう」
はは、この時代にしては珍しい人だな。
この頃って、
「礼を言わせてくれ」って言っただけで「ありがとう」を言わない人。
「お詫び申し上げます」って言っただけで「ごめんなさい」を言わない人だらけだったからな。
「日本人だったら謝意や謝罪の気持ちは伝わるハズだ!」とか勝手に屁理屈を捏ねて、実際には感謝もしてないし謝罪の気持ちも無い、っていう心理なんだろう。
それとも謝罪してしまったら、後で損害賠償訴訟の際に不利になるとか考えているのかもな。
「私は実際に謝罪したことはありません!」とかなんとか言えるように。
でもこの先輩はきちんと「ありがとう」と言ってくれたか……
「それで、今日はどんな用件でわざわざこんなところまで来てくれたのかね?
野球部への寄付金の件だったら、今野球部OB会が中心になって集めまくっているから心配は要らないぞ。
まあ、みんなわたしと同じで『感動をありがとう!』という意味の感謝の寄付金なんだろう」
「その件につきましても、我々は本当に感謝しております。
おかげさまで、練習で縫い目の切れたボールを使うことも無くなり、バットも凹んだものを使わずに済むようになりました」
「それは我が野球部OB会の怠慢だったな……
それでは今日の用件はどんなものなのかな?」
「はい、実はやや特殊な野球用具を作って頂けないかと思い、伺わせて頂きました」
「ほう、特殊な野球用具とな……」
会長さんの目が鋭くなった。
ああこのひと、野球も大好きだけど、野球用具の開発はもっと好きなんだろう。
「ええ、予選をご覧下さっていた先輩ならばもうお分かりでしょうが、わが校の弱点は、何と言っても守備力の低さです。
予選5試合でエラー33というのは、全国でも珍しい記録だそうですからね」
後ろに控えている部員たちが項垂れている。
「はは、確かにそうだ。
だがキミの自責点はゼロのままだろう。
さらには予選5試合で四死球ゼロだ。
加えてチーム打率はまだ低いものの、キミ自身の打率は敬遠四球ばかりのせいで9割以上もあるじゃないか」
はは、このひとすっげぇよく見てるな。
この分なら俺たちの今後のために力になってくれるかもしらん……
「ええ、ですから我々は今後も内外野の守備やバッティングに関しては努力を続けていくつもりです。
甲子園を目指して。更には甲子園でも勝てるように」
会長は満面の笑みを浮かべた。
「甲子園出場だけでなく、その先をも見据えておるのか……
それは実に頼もしいことだ」
「まあ内外野の守備やバッティングについては我々が努力するしか無いのですが……
ですが3点ほど、道具の改良によって我がチームの勝つ可能性を上げることが出来るかもしれないのです」
会長さんの眼光が鋭くなった。
「少し待ってくれ。今用具開発部長を呼びに行かせる」
そう言った会長さんは部屋の隅に控えていた男性秘書を振り返った。
直ちに立ち上がった秘書は、一礼して部屋を出て行く。
すぐに50歳ほどに見えるおじさんが部屋に駆け込んで来た。
可哀そうに少しはーはーしているようだ。
やっぱり部長といえども会長に呼び出されたらけっこう緊張するんだな。
「か、会長! お、お呼びとのことで!」
「うむ。
まあ、それほど緊張することではない。
こちらにいる高校生諸君は、我が母校、日比山高校野球部のみなさんだ」
「おお! あの都立の星の!」
「それでな。
キミも知っての通り、彼らの試合では失策が多い。
それで、これからも守備練習を重ねていくつもりでいるそうなんだが、いくつかの点については、用具の改良でエラーを減らせるかもしれないということなんだ。
よってキミにも彼らの話を聞いて貰いたいと思ってな」
開発部長さんの目が光った。
いや光ったどころかギラギラだ。
ああそうか、このおじさんは根っからの技術者なんだな。
伊達に用具開発部長をしているわけでは無さそうだ。
「それでは、この部屋には男性しかいないので、少々ご無礼なことをさせていただきます。
上野、ズボンを下ろしてお前の悲惨な足を皆さんに見せてあげてくれないか」
「はい先輩」
1年生キャッチャーの上野は、立ち上がるとゆっくりとユニホームのズボンを降ろした。
途端に会長と部長が息を呑む。
視界の隅では会長秘書が仰け反っているのも見える。
その上野の足と言えば……
大小さまざまな大きさの青あざが無数についている。
全部で30か所近いが、あざの上からさらに打撲したのか、紫色や黒になっているものも多い。
特に酷いのはヒザの周囲だ。
もはや完全に真っ黒になり、かなりの腫れも見えている。
また、股間のファウルカップの周辺も真っ黒だ。
カップのおかげで急所への直撃は避けられたものの、ファウルカップの周辺部のクッションが薄いせいで、その周囲が完全に黒く変色している。
「こ、これは……」
会長さんが蒼ざめた。
部長さんも蒼くなった額に玉の汗をかいている。
「実はこの上野は、普通のキャッチングはかなり上達しています。
通常のストレートであれば、ほぼ全ての球を受けますし、ましてやボールを後ろに逸らしてしまうパスボールもしません。
つまり、こいつがこんなケガをしてしまっているのは、すべて私の変化球のせいなんです」
会長さんと部長さんがごくりと唾を呑み込む音が聞こえて来た。
「こいつは、パスボールやファンブルの多さへの批判とこれほどのケガにも負けずに、私の球を受け続けてくれました。
外部の人たちは上野の失策を批判しているようですが、たぶん東京、いや全国のどんな優秀なキャッチャーが球を受けても、パスボールは増えこそすれ減りはしないでしょう。
そしてすぐに歩けないほどのケガを負って、長期の治療を余儀なくされると思います」
会長さんの手が少し震え始めた。
「き、キミはどんな優秀な高校生キャッチャーが球を受けても、上野くんより失策が増えるというのか……」
「ええ。
それでもこいつは必死になって私の変化球に喰らいついて来てくれました。
上野だからこの程度のアザで済んでいるんです。
まあ、練習中は段ボールをガムテープで太ももに巻いたりしてますが……
口はばったい言い方で恐縮ですが、たとえプロのキャッチャーでも私の本気の変化球を初見で受ければ、失策もアザの数も変わらないと思いますね」
「キャッチャーが捕れないほどの変化球か……」
「だ、だがわたしの見たところ、神田くんは速球派の投手ですよね。
たまにスローボールやカーブも投げてはいるものの……」
「ええ、東東京都予選では3回戦までは変化球はほとんど投げていませんでした。
ですが、4回戦と5回戦では、勝つために変化球の比率を上げています」
「そ、そうは見えなかったんだが……」
「それは、私の変化球が打者の手元に来てから変化するからです。
スタンドからご覧になっていたとすれば、普通のストレートと全く区別はつかなかったことでしょう。
気づけるとすれば打者とキャッチャー、それから審判ぐらいなものでしょうか」
(あのNYヤ〇キースのクローザー、マリアーノ・リ〇ラのカットファストボールも、TVのスロー再生見たぐらいでは変化のパターンはほとんどわからなかったからな。
それでも練習で初めてあの松〇に投げてやったときは、松〇は仰け反って驚きの声を上げていたそうだし。
後で「あんな球を打てる奴がいるとは思えない」とも言ったそうだしな。
まあだからこそ通算セーブ数600以上とかいう怪物だったんだろうけど……)
「そうだったのか……」
「ええ、ですからこいつのパスボールは1回戦や2回戦では大した回数ではありませんでした。
でも3回戦、4回戦と進んで私の変化球が増えるごとにパスボールやファンブルが増えていったんです。
おかげで『勝ち進むごとにどんどん下手になって行くキャッチャー』なんて言うヤツまでいる始末です」
「それほどまでの変化球か……」
「それがキミが今までの全5試合で自責点ゼロだった秘密なんだね。
失点はエラーがらみのみで被安打数僅かに1。
5試合でパーフェクトゲーム2回、ノーヒットノーラン2回という快挙の理由だったのか……」
「そうかもしれません。
そして人間はどうしても痛みを恐れます。
こいつは痛みをものともせずにキャッチングを続けてくれていますが、それでも体は正直です。
最初は捕れない球でも体に当てて前にこぼしてくれていましたが、これほどまでの打撲傷を負ってしまうと、体は無意識に球から逃げようとしてしまいます。
これが試合を重ねるごとにファンブルが増えて行った理由でもあるんですが。
ですからお願いです。
こいつがこれ以上ケガをしないために、防具を作ってやって頂けませんでしょうか。
急所から大腿部の内側、そして膝から脛を完璧に守る軽くて強力な防具を……」
「なるほどよくわかった。
日比山高校野球部OBの、そして野球用具メーカーの会長としても、この依頼は是非受けさせて頂きたい。
開発部長、どうかね?」
「むろんです。
ですが……
実は他の用具のための開発予算の消化が進みすぎておりまして……」
「構わん。
会長特別予算を支出する。
それでも足りなければ私の個人資産から出そう。
つまり予算は無制限だ」
「ははっ! ありがとうございますっ!
ところで神田くん…… 次の試合はいつだったかね?」
「3日後です。
それに勝てれば準決勝戦はさらに2日後になります」
「うーん、そうか。
それでは急いで簡単なマークⅠ防具を用意させて貰おう。
そうして同時にマークⅡ防具の制作に入ろう。
それで構わないかね?」
俺たちは全員立ち上がり、会長さんと開発部長さんに深々と頭を下げた。
「「「 ありがとうございます! 」」」
会長さんは実に愉快そうな顔をしていたよ。
自分の会社が俺たち後輩の役に立てるかもしれないのが、よっぽど嬉しいんだろうな。
俺が集まった寄付金渡そうとしても、笑って一切受け取ってくれなかったし……
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