*** 23 上野入部 ***
この物語はフィクションであります。
実在する人物や組織に類似する名称が登場したとしても、それはたぶん偶然でありましょう……
「最後にもうひとつ。
『野球が上達する方法』について説明させてくれ」
はは、みんな身を乗り出して来たよ。
「野球に必要とされる動作って、実は非常に難しいものが多いんだ。
守備とかバッティングとかね。
しかも日常生活の中ではほぼ全く無い動きだし。
つまり、野球が上達するためには、難しくて日常生活に無い動きを毎日繰り返して体に覚え込ませなきゃなんないんだ。
でも、毎日激しい練習をしてると、筋肉や骨を痛めてケガをしちゃうよな。
そうすると、毎日練習出来なくなって、却って野球がヘタになっちゃうんだ。
そういう意味で、俺たちは体を痛めやすい『根性練』もしていないよ。
だから俺たちの練習は、体を酷使しないような短時間で、難しい動きを毎日少しずつ繰り返すようにしてるんだ。
そういう意味で毎日練習しているわけだな」
(ん? 上野くんの顔色が急に暗くなったぞ? なんでだ?)
「でも君たちにも都合はあるだろう。
例えば塾に通いたいとかなんとか。
だから毎日の練習を推奨してはいるけど、強制はしていない。
毎日来られないなら野球部を辞めろなんて言わないよ。
そういうことをよく考えた上で入部するかどうか考えて欲しい。
今日は野球部の練習見学会に来てくれてありがとう。
それじゃあこれで解散しよう」
そしたらさ、上野くんが残ってて俺に相談があるっていうんだわ。
だから誰もいない食堂で話を聞いたんだ。
「あ、あの……
ご、ご相談があるんです……
お、お気を悪くされないで聞いて頂けませんでしょうか」
「もちろん」
「あの、私は去年の夏、中学の時の先輩で日比山高校に進学したひとに聞いて、野球部の練習は火木日の週3日だって思ってたんです……」
「それは例のアホなコーチがいたときだね。
コーチを馘にして、俺がトレーニングコーチになってから練習を毎日にしたんだ」
「あ、あの…… そ、それで……
わ、私、中1の時に父を亡くして母と二人暮らしで……
母が毎日必死で働いて私を高校に行かせてくれてるんです……
だから高校を出たら就職しようと思ってるんですけど、それでもせめて大好きな野球を続けたいと思って…… せめてあと3年間続けたいと思って……
でも母の疲れた顔を見ると、アルバイトもしたくって……
だから週4日、家の近くの終夜営業のレストランでアルバイトしようと思ってたんです……」
(だからこいつ、電車賃を節約するために自転車で来てたのか……
それも小さくてボロっちいやつで……)
俯いて話をしていた上野くんが顔を上げて俺の目を見た。
その眼には涙が滲んでいる。
「で、ですからどうか、どうか週に3日しか練習に出られない私を許してください!
お見捨てにならずに野球部に入部させてくださいっ!」
「わかった。安心してくれ。
この俺が、キャプテンとしてのこの俺が、全責任をもって君の入部を歓迎する」
「あ、ありがとうございますぅっ!」
上野くんが帰ったあと、俺はひとり食堂の椅子に座っていた。
周囲に人がいないことを『気配察知』で確認する。
(神保さん)
(はい勇者さま)
(今からそちらにお伺いしてもよろしいでしょうか)
(とんでもございません。今すぐにわたくしがお伺い致します)
その場に神保さんが現れた。
「あの、神保さんに折り入ってお願いがございます」
神保さんが微笑んだ。
「光栄の至りにございます……」
「あの、まずは上野くんという入部希望の1年生の家庭環境について、調べてやっていただけませんでしょうか……」
「ご安心ください勇者さま。すでに調査は完了しております」
「さ、さすが……」
「なにしろ勇者さまの夢である野球で、有力な相棒になる可能性の高いお方さまでございますからね。
それ以外にも、先日来、入部希望者全員を調査しておりました」
「さ、さささ、さすが……」
「上野さまは確かに父上さまを事故で亡くされ、現在母上さまと四畳半一間のアパートで2人暮らしをされておられます。
そうしたご不幸にもかかわらず、上野さまは中学時代は都大会でベスト16にまで残るチームを率いるキャプテンとしてご活躍されていました。
母上さまは、ご子息にせめて高校には行って欲しい、せめてあと3年間は好きな野球をやらせてやりたいと、ろくに休みも取らぬまま、毎日朝7時から夜9時まで14時間も働いておられます。
それも月8万円などという薄給で。
ですが、気持ちが荒むご様子もなく、親子とも実に仲の良い生活ぶりでございます」
俺はテーブルに両手をつき、頭もテーブルにぶつけるように下げようとした。
だが、マッハで飛んできた神保さんが俺の頭を抱えて元に戻したんだ。
「お願いでございます。
女神さまのご婚約者さまであらせられる勇者さまに、御頭など下げて頂くのは畏れ多過ぎます。
それに……」
「それに?」
「そのようなことが万が一神界の知るところとなれば、例え女神さまがお許し下さったとしても、大天使会議の総意により、わたくしは間違いなく3階級降格の上天使見習いからやり直すこととなりましょう。
せっかく2万年も努力して大天使にまで成れたというのに……」
(に、にま……)
「勇者さまはわたくしのような者に御頭を下げられる必要はございません。
ただ『神保、○○につき良きに計らえ』と仰られればいいのですよ」
「そ、それでは神保さん。
上野が普通に暮らせるように、そして毎日好きな野球が出来るように、なんとか計らいをお願い出来ませんでしょうか……」
神保さんは実に嬉しそうに微笑んだ。
「畏まりましてございます。すべて私共にお任せくださいませ」
「あ、ありがとうございます……」
「それでは勇者さま。
お手数をおかけして恐縮ではございますが、明日放課後吉祥寺先生のお部屋でわたくしと上野さまをお引き合わせ願えませんでしょうか」
「は、はい……」
翌日の放課後。
教頭室には、吉祥寺先生と御茶ノ水先生、それから神保さんと俺、そして緊張した様子の上野くんがいた。
はは、神保さんが上野くんを安心させようとして、神々しいオーラを全開にしてるよ。
「上野くん。
君ももう知っての通り、私は神保通商社長の神保という。
同時に神田くんと日比山高校野球部の支援者でもあるんだが」
「は、はい」
「それで本業の会社の方で、この度女性社員のための寮を作ることになってね。
五月のゴールデンウィーク明けには入寮を始めようと思っているんだ」
「は、はい……」
はは、話がどこに向かってるかわからない上野くんが混乱してるよ。
「そこで、そろそろ寮の管理人を募集しようと思ってるんだが、まずはこの求人広告の原稿を見てもらえないかな」
【求人広告(原稿) : 神保通商株式会社】
・正社員募集 月給12万円
・賞与あり
・年齢不問
・休日 日曜日
・職種 女性社員寮管理人
(入居予定者6名、朝食のみの調理、寮周辺の掃除等)
・職場 新木場駅徒歩5分
・寮内の管理人室に住み込み可 (住居費無料、家族同居可)
・福利厚生有
(同居子弟への奨学金、中学生以下月額2万円、高校生以上月額3万円等)
・他、応相談
すげえなこの求人。
まさに上野のお袋さんにぴったりじゃん。
しかも給料12万円って、この時代の一流企業の大卒初任給以上だな。
加えて住居費無料に奨学金までつけるのか。
これ、上野ん家の可処分所得が優に5倍以上になるぞ……
あー、上野くんがびっくりしてるよー。
「それで上野くん。
今日帰ったら、家でお母さまにこの求人広告を見せてあげてもらえないだろうか。
それで、もしもこの仕事を希望して頂けるなら、一度お母さまに会わせて頂きたいんだ」
上野くんが涙目になった。
吉祥寺先生と御茶ノ水先生は満面の笑みだ。
「あ、あの……
どうしてわたしたち親子にこんなに親切にして頂けるんでしょうか……」
「いや、特別に親切にしているわけではないよ。
これはあくまで雇用契約だからね。働いてもらうことにはかわりないんだ。
ただ、実際の求人を始める前に、神田くんの知り合いに声をかけただけだよ」
「で、でも……
い、いくらなんでも、条件が良すぎて……」
「わたしは、神田くんたち日比山高校野球部に甲子園に行けるようになって欲しいんだ。
そして君は入部希望者の中では唯一のキャッチャー志望だからね。
だから君にも毎日練習に参加して、1日も早く神田くんの球を受けられるようになって欲しかったんだ」
「は、はいっ!」
「だが、念のため言っておくけど、無理をしてはいけないよ。
どうしても嫌になったら野球部を辞めても構わないし、そのときにお母さまを馘にしたりもしない。
そんなことをしたら、わが社の女性社員たちが困るからね。
だから、この求人はあくまでビジネスなんだ。
君のこれからの人生とは全く関係が無いから心配しなくていい」
「は、はい…… う、ううっ……」
あー、上野くんとうとう泣いちゃったよ……
その後神保さんは上野母子と会い、新築の女性社員寮の見学に連れていったそうだ。
この女性社員寮……
いつもの天使さんたちが新木場球場に隣接した土地に突貫工事で建てたシロモノで、周囲は警報機付きのフェンスで覆われている。
1階に広い食堂と調理室と寮室が3つ、2階も寮室が3つ。
そして食堂と調理室の上が「管理人室」になってるんだ。
それも2LDKで120平米もあるやつ。
ベッドやクローゼットまで置いてあったもんなー。
そして、あまりのことに茫然としていた上野親子に神保さんが言ったんだ。
「それで如何でしょうか。
わが社で働いて頂けませんでしょうか……」
上野とその母ちゃんは、何度も何度も頭を下げて涙目でお礼を言っていたよ……
因みに、この寮に住む6人の女性社員は全員ダミーで、女性天使さんたちばかりだ。
当然、品行方正が服着て歩いてるような人たちだから、寮の管理にも何の問題も無い。
寮で朝食を取った後は普通に出勤するけど、行先は神界や神保さんのところで天使としての仕事をしている。
ま、まあ、あまりにも仕掛けが大掛かり過ぎて、これがすべて上野親子のためだとは誰も思わないだろうなぁ……
なんか俺がすっごく嬉しそうな顔してたんで、神保さんたちは神界の女神さまから直々にお褒めの言葉を頂いたそうだ。
それでまたモチベーションMAXになって、俺と会うごとにキラキラした目で「ご用命はございませんか?」って聞いてくるんだよー。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
新入生18人が正式に入部した。
最初は軽い全体練習に参加させて、受験勉強で鈍った体を慣らさせてやる。
それから徐々にいつもの日比山の練習に戻して行ったんだ。
上野も嬉々として毎日練習に参加していたよ。
お袋さんの顔色もどんどん良くなっていたし。
それで俺は神保さんに、あの6人の女性天使さんたちにお礼を言いたいって頼んだんだ。
あんな退屈な仕事をさせて申し訳ないとも思ってたし。
神保さんはちょっと困った顔をした。
「それがでございますね勇者さま。
あの6人は、上野さまの母上さまが作る朝食にすっかり魅了されてしまいまして……
今や女神さまから頂戴した下界手当を全て使って、食べ歩きを始めておるのでございますよ。それもほとんど毎日のように。
ですから今勇者さまから感謝の御言葉など頂戴したら、ますます増長してしまうかもしれません……」
(そういえばあの天使さんたち、最近ちょっとふっくらしてきてたな……)
毎日↓ランキングタグをクリックしてくださっている方。さらにブクマ下さる方。
あまつさえポイントすら下さる方。
誠にありがとうございます。とても励みになりますです。




