*** 19 退部するキャッチャー ***
この物語はフィクションであります。
実在する人物や組織に類似する名称が登場したとしても、それはたぶん偶然でありましょう……
俺が30球ほど投げ終わると、キャッチャーを交代してもらいさらに30球を投げた。
「それでどうでしたか? 体に当てて弾いた感想は」
「うーん、まあ最初は怖かったけど、痛くはないからすぐに慣れるかな」
「俺もそうだったよ。
むしろ、いつもの格好でキャッチャーやってた時の方がよっぽど怖かったからな。
ファウルチップとか」
「ここまでは順調ですね。
それじゃあ、次は俺はマスク目掛けて投げますんで、球をマスクで受けて弾いてください」
「「 !!! 」」
「そのとき、無理して前に弾こうとすると、たとえギブスで固定していても首を痛めるかもしれません。
ですから、無理せず後ろに倒れて下さい」
「な、なんのためにそんな練習するんだ!」
「俺の決め球のひとつに『カットボール』という球種があります。
この球は、ベース手前3メートルまでは普通の直球に見えるんですが、そこからベースにかけて急に下に20センチ落ちます。
キャッチャーまででしたら35センチですね。
時速150キロで投げられたボールが4メートル進むのには、0.08秒しかかかりません。
ですから変化してからバットをコントロールしても絶対に間に合わないんです。
最初からボールの下20センチを目掛けて振らないと打てない球なんですよ」
「「 ………… 」」
「でも高校生で『球の20センチ下を狙ってバットを振る』なんていう練習をしたことあるやついませんよね。
だから偶然ヘタな打者に打たれる以外には、絶対に打たれない自信があるんです。
でも……
真ん中高めの絶好球に見えて、キャッチャーまでで35センチ落ちる球なんですよ。
つまり、そのときキャッチャーは、腹の前に構えたミットを動かさずに、自分の顔面目掛けて迫って来る球を見ていなくてはならないんです」
「「 ……………… 」」
「まあ、そのときつい顔の前にマスクを上げてしまったとしても、胸のプロテクターで弾いて前に落とせるから問題は無いでしょう。
でも、この球は2ストライクから投げる決め球ですから、振り逃げを避けるためにもキャッチして欲しいんです。
ですから胸で弾く練習と、マスクに迫って来た球を安心して見ていられるための練習が必要と思いました」
「な、なるほど……」
「その変化球こそが、甲子園に行くための決め球だっていうのか……」
「はい。
あの全体大付属も、この球にだけはかすりもしませんでしたからね。
それに、この球ならば三振が取れて、うちの守備エラーでランナーを出さずに済みますから」
「わ、わかった……」
「そ、それにしても、吉祥寺先生はそんな球よく捕れたな……」
「あのひとは、昔全体大が学生選手権で優勝した時の主将でキャッチャーでしたからね」
「「 !! 」」
「ですから、俺が『必ず先生が構えたミットの中心から半径5センチ以内に投げ込みますから、ボールの投げ出し方向に惑わされずにそのままミットを動かさずにいて下さい』とお願いしたら、その通りにしてくれたんです。
さすがでしたよ」
「そ、そんなことをしていたのか……」
「また、俺のもう一つの決め球はジャイロボールなんです」
「ジャイロボール?」
「ええ、『まるで加速しているかのように見えながら、50センチ落ちて50センチ曲がる球』なんですよ」
「「 !!!! 」」
「これもコントロール可能です。
ですから、例えばキャッチャーが外角低めに構えたとしたら、俺はその50センチ上で50センチ右を狙って投げるんです」
「そ、そんな球誰も打てないだろう……」
「ええ、打てないでしょう。
そして、この場合にもキャッチャーには、たとえ球が自分の体や顔面に向かって来ていても、ミットを動かさない『勇気』が必要になるんです。
ですから、この練習はその『勇気』のためのものですね」
「な、なるほど……」
「それ以外に、1メートル落ちて80センチ曲がるカーブもありますんで」
「げっ……」
「な、なあ神田……
その球一度俺たちにも見せてくれないか?
その方が目的意識を持てるだろうから」
「なるほどそうですね。
それじゃあ順番にバッターボックス付近に立ってみてください。
俺はコントロールには絶対の自信がありますから、デッドボールはありません。安心してください」
「わ、わかった……」
それで俺は、2人に投げてやったんだよ。
カットボールと、俺のMAXジャイロ、それから最大カーブ。
ついでにシンカーと俺の最高速158キロの速球も。
全部で50球ほど投げてやった後は2人とも顔面蒼白になってたよ。
「こ、これが神田の全力投球……」
「これがあの全体大付属をノーヒットノーランに抑えた球……」
「こ、これを俺たちあと7か月で捕れるようにならんといかんのか……」
「む、無理だ……」
「いえ、さっきみたいな練習を重ねていけば、すべて捕球するのは無理としても、少なくともパスボールや横に弾く捕球ミスは無くせるでしょう。
それだけで十分ですよ」
「そ、そんなこと言ってもお前……
こんな装備着けて試合に出るわけにはいかんだろうに」
「それに盗塁阻止率0になっちまうぞ!」
「防具については俺も今考えてます。
ですからお2人は、今は目の前の練習のことだけ考えていて下さい」
「「 ……………… 」」
あー、2人に俺の全力投球見せたのは間違いだったかなぁ……
なんかすっかり委縮しちゃったよ……
しかも7か月では無理だとか、こんな装備つけて試合に出られないとか、盗塁阻止率とか、練習しなくて済むイイワケばっかり言ってるし。
なんで『どうしたら俺の球を捕れるようになるのか』って考えないんだろうなぁ……
他の部員たちの練習はまあまあ順調だった。
冬も深まって日が落ちるのも早くなったけど、この新木場グラウンドには照明設備があるからな。
なんかみんなもプロになったみたいだって喜んでたわ。
その日の夜。
「勇者さま」
「ああ、神保さん」
「試合でも使用可能なキャッチャー用の防具、私共がお作りしましょうか?」
「それって、ミスリルとかオリハルコンとか使うんじゃないでしょうね……」
「あの金属は軽量かつ超硬質ですので最適かと」
「それ、万が一バレるとオーパーツになっちゃいますから」
「それでは、地球の資源を使ってタングステン合金製など如何でしょうか?」
「それもバレたら歴史が変わっちゃいますよ」
「そういえばそうでございましたな。
それでは、金属の秘密に気づいた技術者を抹殺するとか……」
「大天使さんがヒトゴロシなんかしちゃダメですってばっ!」
「それでは記憶の消去とか……」
「それ万が一の時は100人の記憶消去とかするんですか?」
「もちろんです。
1000人でしょうが10万人でしょうが技術的に問題ございません」
「問題大アリですってばっ!」
「それでは如何いたしましょうか……」
「防具よりも今必要なのは、彼らのキャッチャーとしての勇気とやる気なんです。
ですから俺ももう少し頑張って考えてみます」
「畏まりました……」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
俺とキャッチャー2人は練習を続けた。
荻窪先輩も大塚も、それなりには頑張っていたよ。
でも、特に大塚はどうしても恐怖心が克服できなくて、表情もどんどん暗くなっていったんだ。
まあ、こいつを詳細鑑定してみたら、『恐怖耐性』が35しか無かったからな。
だから、少しずつ荻窪先輩との差が開いて来てたんだよ。
そんな折、みんなからの提案で、冬休みに新木場グラウンドにある宿舎で合宿をしたいっていう声が上がった。
まあ、毎日通うよりは楽だし。
それで顧問の御茶ノ水先生に相談してみたら、驚いたことに監督者として一緒に泊まり込んでくれるって言うんだ。
部活の合宿は監督者がいないと許可されないからな。
さらに先生は、奥さんを連れて来て俺たちのメシも作ってくれるそうだ。
先生夫婦には子供がいなかったし、奥さんも何度か練習を見に来てて、明るく元気に練習してる俺たちを気に入ってくれてたらしい。
その話を聞いて感激した神保さんが、先生たち用に超豪華な宿舎も作ってくれたよ。
配下の天使たちも魔法も総動員して突貫工事で俺たちの宿舎に隣接したやつを。
150平米もある2LDKの部屋で、まるで高級ホテルのスイートルームみたいだったわー。
それでもさすがに先生たちと渋谷だけにメシを作ってもらうわけにはいかないもんで、部員たちの母親が交代でメシ作りに来てくれることになったんだ。
因みにウチの母親に言ったら、「それ給料はいくら貰えるの?」って聞いて来たんで、みんなに頭下げて免除してもらったんだけどな。
そうしてもちろん、大塚の母ちゃんもメシ作りに来てくれたわけだ。
そして、他の部員が明るく元気に練習してる中、自分の息子がグラウンドの隅で座布団だの段ボールだのを身に着けて、体中にボールぶつけられてるのを見ちゃったんだ。
3学期が始まると、大塚が俺のところにおずおずとやって来た。
「すまん神田、お、親が部活辞めろって言うもんで……
そ、それで俺…… た、退部させて貰いたいと思って……」
どうやら実際には、大塚の母ちゃんは「あんまり辛いんだったら辞めてもいいんじゃないの?」って言っただけなんだけどな。(神保さん情報)
でも、俺も大塚の気持ちが分かったから、「今までお疲れさま」って言って、退部届を受け取ったんだ。
それからは、俺と荻窪先輩のサシでの練習になったわけだよ。
3月に入っても、まだ先輩のキャッチングはそれほどは上達してなかったわ。
まあそうだな、防具付きで俺の50%出力の変化球をかろうじてパスボールしないぐらいかな。
しかも半分以上はファンブルだったし……
もう4カ月も練習してきたのにその程度だったんだよ。
そして、あと4カ月で夏の大会の予選が始まっちゃうんだ。
それで俺は考えたんだ。
このまま防具付きでキャッチングの練習を続けるか、それとも少しずつ防具を減らして行って実戦に近い状態で練習するか、どっちがいいかって。
それでまあ、先輩本人とも相談した結果、1日の練習のうち前半は今まで通り防具で固めた状態で練習をして、後半は防具を減らして練習することにしたわけだ。
そういう練習を始めて数日後。
「ぎゃぁ―――――――っ!」
防具を減らした実戦練習中に、俺の50%パワーのカーブを受け損ねた先輩が、ボールを太ももの内側に当ててのたうち回って痛がったんだ。
俺も慌てて『キュア』かけてやろうと思って駆け寄ったけどさ。
でも……
(あれ?
そういえば薄い革に金属の板を貼り付けたものを太ももに巻いてたよな……)
それで防具を全部外して、ボールが当たったところを魔法でチェックしてみたんだけどさ。
これ……
マジで軽傷じゃね?
うっすらと青アザになってるけど、どう見ても叫びながらのたうち回るほどのケガじゃないぞ?
ま、まあ取敢えず『痛覚軽減Lv0.1』と『キュアLv0.001』かけてやるか……
それで先輩もようやく落ち着いたんだけど、しばらく休みたいって言うんで、俺も一緒に座ってたんだ。
そのとき、先輩に詳細鑑定かけてみたら、驚いたことに『傷害耐性』のLvが20しかなかったんだ。
つまり筋肉痛とかの『痛み』にはまあなんとか耐えられるんだけど、ケガっていうものに対する恐怖心が極端に強い奴だったんだ。
どうやら、両親が異常に過保護なひとで、小さいころは絶対にケガをしないように外遊びを禁じていたらしいな。(神保さん情報)
それでよく野球部なんかに入ってたと思うんだけどさ。
今までは苦しい思いはしても、ケガをしたことは無かったらしい。
そりゃそうか、今までは根性練ばっかりで、碌に野球の練習なんかやってなかったんだから。
それでほとんどケガをしたことのない先輩は、うっすらと蒼くなった打撲傷を見て、すっかり震え上がっちゃったんだわ。
それからの3週間は、絶対に防具を外そうとしなかったし。
でももうそろそろ4月だろ。
だから宥めすかして、また防具を少しずつ減らして行ったんだ。
でも……
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁ~っ!」
あー、また大げさな悲鳴上げてるわ……
これも薄っすら蒼くなってるだけじゃん……
タンスの角に足の指ぶつけた方がよっぽど痛いぞ。
どうやら先輩の家では、タンスばかりじゃなく、全ての家具の角に巨大なクッションがついてるそうだけどな。(神保さん情報)
それでとうとう、荻窪先輩が野球部辞めるって言い出したんだわ。
まあ、仕方ないか。
傷害耐性偏差値20の人に、俺の球受けさせるのはもともと無理があったんだろうから。
それにしても、もう3月だっていうのにキャッチャーがいなくなっちゃったよ……
そしたら元キャプテンの田町先輩が、「俺がキャッチャーやるから鍛えてくれ」って言ってくれたんだ。
それで俺も荻窪先輩で懲りてたから、田町先輩をじっくり詳細鑑定してみたんだわ。
ほう、『向上心』『根性』『意志の強さ』は軒並み偏差値70以上もあるのか。
『責任感』に至っては78もあるぞ。
『苦痛耐性』は72、『傷害耐性』は74か、『恐怖耐性』も65。
これなら大丈夫かも知らんけど……
念のため、『キャッチャー適正』も調べて……
うわっ! 38しか無いっ!
そういやあ、このひとキャッチボールあんまり上手じゃなかったよな……
それで俺、部員全員の『キャッチャー適正』も鑑定してみたんだけどな。
みんなせいぜい平均値の50ぐらいでしかなかったんだわ。
仕方ないな。
新入生に期待したい気持ちもあるけど、田町先輩も1年かければそこそこになるだろう。
今年の夏の甲子園は諦めるとするか……
それでも、ストレートとチェンジアップと縦の変化球だけで、東東京大会ベスト8ぐらいまでは行けるかもしらんしな……
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