*** 133 MLB選手会連合会長 ***
この物語はフィクションであります。
実在する人物や組織、用語に類似する名称が登場したとしても、それはたぶん偶然でありましょう……
また、リアルとは異なる記述があったとしても、それはフィクションだからです……
みなさま、リアルとフィクションを混同されないようにお気をつけ下さいませ。
俺は指でナイフの刃をつまんだまま、FBI捜査官の方につかつかと歩いて行った。
「はいこれ、大事な証拠物件です、どうぞ」
「き、君…… だ、大丈夫かね……」
「ええ、普段時速150キロを超える球を打ってる俺たちですからね。
80キロ程度のナイフなんか素手で掴むのは簡単ですよ」
「そ、そうか……」
「でもこれからは気を付けてくださいね。
これ、スペツナズナイフって言いまして、ソビエトの特殊部隊が使ってるナイフなんです。
こうしてバネで飛び出すことで、相手の意表を突いて暗殺するための武器ですから」
「わ、わかった……
す、済まないがあとでもう少し事情聴取させて貰えるかな」
「ええもちろん。
でもお届けさせて頂いた報告書に全部書いてありますよ?」
「そ、それでも頼む」
「わかりました。
ですが今夕はMLBオーナー会総会にも参加する予定なので、それが終わってからでもいいですか?」
「も、もちろんだよ」
それでグロビンや副書記長たちが連行されていったあとは、俺は残った面々に向き直ったんだ。
それにしてもみんな凄まじい面構えだわ。
勝負の世界で20年近くも生きてると男はこんな顔になるんだな……
「さて、これで犯罪者はいなくなったことだし、本題に戻ろうじゃないか。
まずは労使交渉についてか」
「いや、その前にやることがある」
「ミスターモーガン、なんだいやることって?」
「もちろん選手会連合の会長選挙よ。
労使交渉の場に着くにしたって、俺っちの代表がいないままじゃあ話になんねぇだろ」
「それもそうか」
「みんな聞いてくれ。
NYヤンキース選手会長の俺は、選手会連合会長として、このユーキ・カンダを推薦する」
「俺もボストン・レッドソックスの選手会長として、ユーキを会長に推薦する。
俺たちがアカの手先に利用されるのを防いでくれた恩義は山よりもデケぇ」
「ロサンゼルス・ドジャースも推薦する。
MLBを救ってくれた恩義は海よりも深い」
「NYメッツも推薦する。
こいつの度胸はすげぇ。
きっとオーナーたちとも堂々と渡り合えるに違ぇねぇ」
「もちろんモントリオールも推薦する。
野球選手としての実績も申し分ないし、なによりも博士様だ。
頭脳も素晴らしいぞ」
「俺も推薦する」
「俺もだ」
「それじゃあ、ユーキを会長に推薦する奴ぁ手ぇ挙げてくれるかい。
ははは、やっぱり全員推薦かよ。
ということでユーキよ、会長を引き受けてくれるな」
「おいおい、俺はメジャー4年目の若造だぜ」
「いや、歳は関係無ぇ。
メジャーってぇとこは実力勝負だ。
お前ぇさんはついさっきその実力を存分に見せてくれたばかりだ」
「そうか……
それじゃあ1年だけ引き受けさせて貰おうか。
労使交渉が無事終わったら俺は引っ込まさせてもらうわ」
「はは、無事に終わったらな」
「ところで俺たちの主張はどうすんだ?
いくらなんでもオーナー会のいう『年俸5年間凍結』は呑めないぞ」
「それについてももう心配は要らねぇ。
これは明日まで極秘にしておいてもらいたいんだが……
俺は今晩のオーナー会議にも出て、あのセルグとかいうコミッショナー代行を解任させてくるわ」
「なんだと……」
「まだなんかネタ掴んでるっていうのかよ!」
「任せておいてくれ。
もう既に有力球団のオーナーたちの内諾も得てあるんだ」
「わはは、さすがはユーキだ!」
「会長に推薦した甲斐があったぜ!」
「それじゃあ白紙に戻る労使協定はどうなるんだ?」
「それについては俺が作った案があるんだけど聞いてくれないかな」
「わはははは、もうそんなもんまで作ってやがったのか!」
「はは、内々にオーナー会の一部の連中には見せてあるんだけど、賛成してくれるとさ。
もちろんギガンテスのオーナー会からは全面的な支持を取り付けてあるし」
「それじゃあ、俺たちがその案に賛成したら、労使交渉は妥結したも同然ってぇことか……」
「そいつぁ楽しみだ。すぐ見せてくれや」
「まずは説明させてくれ。
これは俺の考えなんだけど、MLBってぇビジネスは普通の企業活動とは違うと思うんだ。
なにしろ合衆国政府から特別団体に指定されてるんだからな。
しかも球場なんかは全部地元自治体の負担で建てて貰ってるだろ。
だからさ、オーナーも選手も『儲けは全部俺たちのもんだぜ!』ってぇわけにはいかねぇんじゃねぇかって思うんだよ」
「そうか、20年に一度球場を建て替えるとしたら莫大なカネがかかるな。
それを球団が負担してたらほとんどの球団が赤字経営になっちまうのか……」
それで俺はいつものパン屋の例えを説明したんだ。
「でもギガンテスは、お前さんの活躍で球団収入が5年前の20倍近くになってるんだろ」
「確かにギガンテスは勝ち続けた結果、大幅に収入が増えた。
だけどよ、勝ち続けられて儲かったってぇことは、同時に『負けてくれた相手がいたからだ』ってぇのもまた事実なんだわ」
「そうか……」
「なるほどな」
「だから勝ち続けた球団が有頂天になって選手年俸をバンバン上げてったら、やっぱり少しマズイと思うんだ。
負けてくれた相手にも少し分け前を払うべきだろうよ。
もちろん直接払ったら八百長を疑われちまうから、MLB本部を通じて赤字球団に補填金が行ってるんだけど。
今の制度って、広告だの放映権料のかなりの部分がMLB本部に上納されてるけど、これが赤字球団への補填金の原資になってるわけだ」
「なんでMLB本部に分け前を払う必要があるのか疑問だったんだが、あれはそういうことだったのか……」
「ウチの球団なんか毎年けっこうな金額をMLB本部から受け取ってるそうだわ」
「だからさ、例えば『球団の選手年俸総額の増加率を上限15%に抑える』っていうこともそれなりに意味があることだと思うんだ。
それから、『メジャーリーガーの最高年俸の増加率を一定以下に抑える』っていう方針にもな。
俺個人としてはやっぱり15%でもいいんじゃねぇかって思ってるんだが」
「でもお前さん、もう年々20%ずつ5年間年俸が増える契約を結んじまってるんだろ?」
「先日球団にも相談したんだけど、契約書を書き直して増加幅を15%に抑える契約にするのは問題ないそうだ。
この労使協定が妥結したら、そう書き直して貰うつもりだ」
「手前ぇの年俸を減らす交渉か……」
「初めて聞いたわ……」
「まあ俺が提案する案を俺が破ってたらみっともねぇからなぁ」
「お前さんの覚悟はよくわかった。続けてくれ」
「だからもちろん、球団オーナーが手にする配当金も純利益の15%までに抑えて貰う。
そうして、もしも大型金銭トレードなんかで選手年俸合計が20%増とかになっちまったら、その分配当金を減らして貰うか、それでも足りなければオーナーの持ち出しにして貰うんだ。
ついでに選手年俸合計の計算は、シーズン開始時点の数字プラス、シーズン中の金銭トレードで払った金額のみを加えて貰おう」
「それはなぜなんだい?」
「優勝の見込みが無くなった時点で、選手を大量放出して年俸総額を抑える行為を抑止するためだ」
「なるほど……」
「ほんっとよく考えてるわ……」
「それからさ、俺たちがなるべくたくさんの年俸をゲットしようとして交渉する理由って、主に2つだと思うんだ。
まずは引退後の不安だよな。
日本には『武士の商法』ってぇ言葉があるんだけど、武士が商売始めようとするとまず上手くいかねぇっていうことを皮肉ったものなんだ」
「はは、確かに俺たちが引退後にビジネスに手ぇ出しても、悲惨な末路しか思い浮かべらんないわな」
「しかもメジャーリーガーってぇのは怪我の多い職業だ。
だから明日にも大怪我して引退を余儀なくされるかもしんねぇ。
だったら少しでも多くの年俸を欲するのも当然だわ」
「だがユーキの開発した防具のおかげで、MLBの打球事故は激減したぞ」
「そうだ、俺なんか去年デッドボールを5発も喰らったがなんともなかったからな。
あれは俺たちにとって神の福音だわ」
「それにあの『ユーキ診療室』のこともある。
俺は足首を酷く捻挫して90日間の故障者リスト入りを覚悟していたんだが、ミスターカミヤマのゴッドハンドのおかげで、僅か3週間でゲームに復帰出来たんだ」
「そんなにすげぇのかい?」
「思わず神に祈りたくなるほどだぞ。
あれも俺たちにとっては大いなる福音だ」
「そうか、ユーキはそんな貢献までしてくれてたんだな……」
「ま、まあそれは置いといてだ。
俺は俺たちの引退後の不安を取り去るために、MLBの選手年金の大幅拡充を提案したいと思っているんだよ。
今の雀の涙年金じゃどうしようもないからな」
「年金か…… 具体的にはどんなものなんだ?」
「メジャー在籍1年につき、引退後は死ぬまで年間6000ドルが支払われるっていうのはどうかな。
上限は年6万ドル支給だ。
今のアメリカ人の年収の中央値は2万ドルだから、例え貯金が無くたって贅沢しなけりゃ十分に生きて行けるだろう。
武士が無理して商売をする必要も無いわけだ」
「それに加えて今からカネを貯めておけば、もっと楽に暮らせるか……
俺ぁ納得したぜ」
「俺もだ」
「それにしても、そんな資金がMLB本部にあるんか?」
「実はけっこう巨額の資金があるんだ。
ここ数年でMLBの球場広告やテレビ広告のスポンサーが激増してるからな。
MLB本部の分け前も相当なもんになってるんだよ」
「それもユーキの功績か……」
「あのバーチャル広告もユーキのアイデアだったんだろ」
「ウチのガキなんざぁ、あの広告が面白いから、ボールパークに行くより家でテレビで見たいとか言ってるしな」
「それに日本のテレビ局も莫大な放映権料を払うようになったっていうし、日本企業からも広告依頼が殺到してるそうだし……」
「それもユーキの活躍があってこそか……」
「だからこのまま行けばMLB本部の資金はさらに莫大なものになって行くだろう。
しばらくは支給される年金も最終構想の半額程度にする必要があるが、俺の計算では5年ほどで満額支給が可能になるはずだ。
もちろん既に引退している選手も含めて」
「すげぇ……」
「お前さんの稼ぎが引退したメジャーリーガーを養うんか……」
「まさにメジャーを背負って立つ男か……」
「なあユーキ、くれぐれも体には気を付けてくれよ。
お前さんに万が一のことがあったら、この遠大な計画が全部パーだからな」
「はは、みんなの活躍も込みなんだぞ。
それからさ、俺たちが年俸増額を要求するのって承認欲求もあると思うんだ。
例えば去年は5勝しか出来なかったピッチャーが今年は15勝したら、やっぱり年俸は大幅に上げて貰いたいよな」
「もちろんだ。
チームの成績が低迷してたから年俸は5%アップしか出来ないとか言われたら移籍したくもなるわ」
「俺の話で申し訳ないんだけど、俺の昨シーズンの年俸って200万ドルだったろ。
でも球団がコンサルタントに今期の適正年俸を計算させたら、最低でも2000万ドルっていう結果が出たそうなんだよ。
だけどオーナー会の申し合わせでMLB最高年俸の増加率は20%以内に抑制するっていうのがあったんで、ギガンテスのオーナー会は随分心配したそうなんだ」
「そりゃあそうだ。
40-40なんていう超伝説を作ったのに、年俸増加がたったの20%だったら俺だったら激怒するだろうな……」
「倍増でも足りないな」
「だから、オーナー会は球団株式を出し合って、俺を4%の株主にしてくれたんだ。
これでカンベンしてくれって言って。
球団所有権の無償譲渡は年俸にはカウントされないそうだから。
それでさ、5勝した翌年に15勝したけど球団が赤字だから年俸は5%しか上げられない、でもその代わりに球団の1%オーナーになってくれって言われたらどう思う?」
「お、俺が球団オーナーの端くれかよ……」
「そうすれば球団が儲かれば僅かながら配当も貰えるし、ボールパークのホーム裏にオーナー席も貰えるかもだ。
そうだな。1人で見ててもつまんねぇから、2席貰えるようにするか。
引退しても、毎日球場に行ってタダで後輩たちのゲームが見られるぞ」
「おおー、いいなぁそれ……」
「球場によっちゃあホーム裏席のチケット入手は大変だしな」
「それに毎試合見てたらそれこそ何万ドルもかかるし」
「家族や友人とわいわい言いながらいつでもゲームが見られるんか……」
「楽しそうだなぁ……」




