*** 13 教頭先生との投球練習 ***
この物語はフィクションであります。
実在する人物や組織に類似する名称が登場したとしても、それはたぶん偶然でありましょう……
夏の甲子園東東京代表が決まった頃、俺は吉祥寺教頭先生の部屋を訪れた。
「本日はお時間を取って頂き、ありがとうございます」
「いやかまわんよ。その椅子にかけたまえ。
君は各運動部の大勢の怪我人を、オリンピック仕込みのマッサージで治してくれたそうだからな。
学校関係者としてもお礼を言いたかったんだ。
ありがとう」
「いえまあ、ただのマッサージですから」
「それで今日はどんな用件なんだね?
あのコーチがまた問題を起こしたのかね?」
「いやまあいつも問題児ではあるんですが、今日はその件じゃあないんです。
あの、先生はたしか全体大野球部にいらっしゃったんですよね」
「ああそうだが?」
「それでは、お忙しいところ誠に申し訳ないんですが、その人脈を生かしてどこか野球強豪校との練習試合を組んで頂けませんでしょうか。
出来れば東東京大会ベスト4ぐらいの実力のあるところだとありがたいんですが」
吉祥寺先生は、しばらく俺の顔を見つめていたよ。
「詳しく説明してくれないか」
「はい。
野球部の部員全体の意識改革を促したいと考えました。
もし彼らがまともな練習をし、普通の守備と普通のバッティングが出来るようになって、そして私がピッチャーをしたとしたら……
甲子園出場も夢ではないと教えてやりたいのです」
はは、また穴のあくほど俺の顔見てるよ。
「君はそれほどまでに自分の投球に自信があるというのかね……」
「はい。
ですがあの威張ることしか考えていない無能なコーチでは、例え練習試合といえども私に投げさせたりはしないでしょう。
ですから練習試合当日は、先生が臨時監督として采配を振るってやっていただけませんでしょうか」
はは、先生の目が鋭くなったわ。
「わかった。
だが、試合相手もあることだ。
一度私に君の投球を見せてくれないか?」
「あの、キャッチャーはどうしましょうか」
「私はこれでも現役時代はキャッチャーだった。
私が君の球を受けようじゃないか。
幸いにもここにミットだけは持っているからな」
「あの……
重ねて申し訳ないんですが、メットもマスクもプロテクターもレガースもつけて頂けませんでしょうか。
もちろんファウルカップも、出来るだけ頑丈なものを。
私は人殺しにはなりたくないんです」
「………………」
「もしご自宅にお持ちでなければ、わたしの方でご用意させて頂きます」
「わかった。明日自宅から持ってくるとしよう」
「ありがとうございます。
明日土曜日は練習が無いので昼食後13時に校舎裏でお願いします」
「了解した」
その晩俺は校舎裏に土魔法でマウンドを作り、ピッチャープレートとホームベースも埋め込んでおいた。
それからあといくつかの防具も先生の体格に合わせて作ったんだ。
翌日の13時。
約束通りの時間に吉祥寺教頭先生は現れた。
キャッチャー用防具の入った大きなバックを持っている。
「今日はありがとうございます。
先ほどからコンクリート壁に向かって投げて肩は作っておきました」
「うむ、それでは防具をつけるので少し待ってくれ」
おお、さすがは全体大野球部の元主将キャッチャーだな。
キャッチャー姿が実に様になってるよ。
「先生、恐縮ですがこちらの防具もお願いします」
「なんだねこれは?」
「こちらは太ももに着けて頂く防具です。
柔らかい皮に鉄板を張り付けたものですね。
こちらは首を保護するギプスです。
首に巻いたあと、こちらのベルトで止めてください。
それからこちらは左手首を保護するサポーターで、その上からテーピングさせて頂きます。
さらにこれは、キャッチングする腕を保護するアームガードです。
そして最後につま先を保護する鉄製のガードです。
ベルクロテープで装着して下さい。
後これは固いフェルト地ですが、ファウルカップの上に入れて下さい」
「まさに完全武装か…… こんなものをどこで?」
「小学校時代から私のピッチング練習につきあって下さる方がいらっしゃるのですが、その方のために作っていたものです」
あ、吉祥寺先生の目が真剣になったわ。
「わかった、使わせて頂く」
「それでは投げさせて頂きます。
球種とコースはその都度私が申し上げますので」
俺はマウンドに立った。
はは、この投球で俺の野球人生が決まるのかな……
「それではまずはストレートをど真ん中です。
力は70%ほどです」
「うむ」
俺は時速145キロほどのストレートを投げた。
(うおっ! な、なんだこの球はっ!)
スパーン!
(これで70%か…… なんという伸びだ……
危うくストレートを弾くという大恥をかくところだったわ……)
「次は身長175センチを想定した右打者の内角高めにもう少し速い球を投げます」
時速150キロのストレートが内角高めいっぱいに決まる。
ズパーン!
(さらに速くなったか…… それにコースも完璧だ。
こ、これが高校1年生が投げる球か。
い、いくら金メダリストといえども、これは野球だぞ……)
「次は外角高めであと少し速い球です」
(うお! 球が伸びすぎて浮いておるっ!
それすら見越してコースも完璧だ!)
ドパーン!
「次は外角低めに俺の全力のストレートを投げます」
時速158キロの球がうなりを上げて飛んでいく。
(これはワンバン、い、いやしない!
浮き上がってぎりぎりストライクだ!)
ズドーン!
(くぅーっ!
ミットの芯で捕えてこの衝撃とは……
現役時代のエース浅草橋の最速の球以来か。
いや、それよりも上だな……
最初からこの球を受けていたら絶対に捕れなかっただろう……
ああそうか、だから最初は70%の力で投げていたのか……
ふふ、久しぶりに熱くなって来たわい)
(このひとさすがに全体大野球部元正捕手だ。
いい音させてキャッチングしてるなぁ。
なんだか投げるのが楽しくなって来たぞ)
「次はカーブです。
最初の投げ出しは右打者の内角高めで、左右方向はストライクですが高さは相当に高いです。
その後は先生から見て右に曲がりながら落ちていき、ストライクゾーンを通過して外角低めに決まります」
(なんだと…… まさかそんな変化をするわけが……
うわっ、ボールを見失ったっ!
あっ、あんなに高いところにボールがっ!)
吉祥寺先生は思わず立ち上がった。
だが、ボールは急激に落ちながら右に曲がり、ストライクゾーンを通過した後は無人のキャッチャーボックスを抜けて行く。
(な、なんという変化球だ!
球種もコースも分かっていながらこの俺が完全なパスボールとは!)
「すまんが今の球をもう一度投げてくれんか……」
「はい」
(うおっ! また見失いそうになった! だが今度こそ!)
べしっ!
(かろうじてミットの網の先端で捕れたか……
それにしてもこのカーブは……
現役時代の2枚看板、両国のカーブの遥かに上を行っている……)
「それでは次はフォークです。
投げ出し方向は真ん中かなり高めですが、ホームベース手前8メートルから減速しながら60センチほど落ちて、ストライクゾーンを通った後はワンバンするかもしれません」
(ふ、フォークだと…… 最近大リーグで流行り始めたという変化球か……
ま、まさか日本の高校生が……)
投げられたボールは宣言通り高めに向かっている。
だが、ベース手前から急激に落ち始めて確かにストラークゾーンを通過し、ワンバンしてから吉祥寺先生の急所近くに当たった。
(うおっ!
これもなんという変化球だ!
こ、これは打てんぞ……)
「先生、大丈夫ですか?」
「あ、ああ、一番固いファウルカップをつけているからな。
それにさっきのフェルト地が衝撃を吸収してくれたよ」
「それはよかったです。
それでは次はジャイロボールを投げます」
「ジャイロ?」
「はい、通常のストレートはボールの進行方向に対して垂直の回転軸を持っているために揚力が発生し、重力と均衡して見た目が真っすぐな球になります。
これに対してジャイロはその回転軸が進行方向を向いています。
まあ、ライフルの銃弾の回転に近いです。
そのため重力に引かれて少し落下しますが、ストレートより空気抵抗が小さいので減速が少ないんです。
ですからまあ、『伸びながら落ちるように見える球』になります。
それでは真ん中高めから50センチ落ちるジャイロを投げます」
「わかった」
俺は回転軸がやや左側に傾いたジャイロを投げた。
宣言通り真ん中高め方向に向かっていたボールは、まるで球速が速くなっているかのような錯覚をもたらしながら落下して行く。
ベチっ!
(な、なんだこの球は!
さっきのストレート以上の伸びを見せながら落ちる球とは!
こ、こんな球誰も見たことがないぞ!
この男が編み出した新変化球か!)
「次は落差は少し小さくなりますが、先生から見て右に曲がって落ちるジャイロです」
(な、なんだと…… 今の球を曲げるだと……
そ、そんなことが出来るわけが……)
当初真ん中高めに投げられた球は、やはり伸びながら右に曲がりつつ落ちて行く。
ベチっ!
(あの伸びを保ったまま、落ちながら曲がった!
こんな球プロでも打てんだろうに!
だが、果たしてコントロールは……)
「もう一度今の球を投げてくれんか。
わたしはなるべくミットを動かさんようにするから、そのミット目掛けて」
「はい」
吉祥寺先生は、外角低めいっぱいに構えた。
あのミット目掛けてということは、投げ出しは少し内角寄りにした方がいいかな……
よしっ!
(うっ、このまま真っすぐ進めば俺の頭の左横を通過する球だ。
だがここは我慢だ! ミットを動かすな!
あっ、方向が変わって俺の左肩に向かっている!
だが我慢だ。我慢だ我慢だ我慢だ!)
ズパーンっ!
(ほ、本当に俺のミットのど真ん中に収まった……
な、なんというコントロールだ!
これは…… 千や2千の投げ込みで身に着く変化球コントロールではないぞ!
1万、いや2万球は必要だろう……
加えて足腰の強靭さも。
そ、そうか、この男はマラソンの金メダリストだったか。
世界最高レベルの足腰を持った男だったわい……)
「次は同じように伸びながら落ちるジャイロですが、今度は右打者の外角方向から内角方向にかけて曲がります」
(なんだと! 伸びも落ち方も変わらずに、左右変化だけ変えるだと!
そ、そんなことは不可能……
うおっ! ほ、本当に変化したっ!)
ボールは捕手の左側を抜けて行った
コースはもちろんストライクだ。
(なんという、なんという球だ!
お、俺は今高校野球の、い、いや、世界の野球を変える新しい変化球を見ているのか!)
「次はスライダーです。
少しだけ落ちながらまるで横滑りするように右打者の外角に流れて行くように見える球です」
(うおっ! 本当に右に流れて行くような球だ……
だがこれなら!)
バシーン!
(ふう、ようやくまともに捕れたか。
しかし……
ブランクが大きいとはいえ、このわたしが半分も捕れない変化球か……)
「次はカットボールです」
(ま、まだあるのか…… それも全く聞いたことのない球種が……)
「投げ出しは真ん中高めのストレートに見えて、ホームベース3.5メートル手前からベースにかけて急激に20センチほど落ちる球になります。
捕りにくい球なので気を付けてください」
(なんだと……
ストレートに見える球が、ベース手前3.5メートルから変化するだと……
そ、そんな変化球は有り得ないっ!)
どん!
(くっ! ほ、本当にベース手前3.5メートルから変化しおった!
かろうじてプロテクターの腹で止めたが……
お、俺は夢でも見ているのか……)
「次の球は『シンカー』と言います」
(ま、まだあるのかっ!)
「投げ出しはやはりストレートに見えて、ベース手前5メートルから20センチほど落ちながら右打者の内角方向に20センチ曲がる球になります」
(なんと……
今の『カットボール』に似た球が曲がるだと……)
ベチィ!
(ほ、本当に曲がりおった!
これは……
バッターが見たら、まるでボールが消えたように見えることだろうな……
これは誰も打てんぞ。プロも含めて……
だいたいキャッチャーがまともに捕れない球を打てるわけは無いだろうがな……
だが……
あの全力ストレート以外は、あまり球速に変化が無い。
近代野球では変化よりも緩急が重要と言われているし、あまり長く投げ続けると、少しはバットに当てるやつが出てくるかもしらんな……)
「次は『チェンジアップ』です。
打者のタイミングを外す球ですが、少し左に曲がりながら落ちる球にもなります」
「わかった」
俺は右手が最高点を過ぎた辺りで、手首を使わずに回転のほとんど無い球を投げた。
その後は全力投球のフォームを続ける。
(うおっ! ま、またボールを見失った!
こ、これは偽投球か?
い、いや投手の頭の上に突如ボールが現れたっ!)
その球は110キロほどのスピードで進んで行き、打席手前でやや曲がりながらストンと落ち、ミットの下を転がって行った。
もちろんストライクゾーンを通過して。
(な、なんという、なんというタイミングを外せる球だろう……
こんな球を合間に投げられたら、打者は堪らんな……
ふふ、久しぶりに滾って来たわい。
今すぐ現役に戻って、公式戦でこやつの7色の変化球にサインを出してみたいものだ。
きっと相手は驚愕で口もきけんだろう。
だが……
このチェンジアップ以外はかなり肘と肩に負担がかかるだろう。
高校野球の日程は厳しいものが多い。
連投で故障などしなければいいのだが……)
「次は『ナックルボール』です。
これは一見スローボールに見えますが、細かい変化をします。
まあ、肩が重くなった時に投げる息抜き用の球ですね」
(なんと、既に対策を考えておったか……
この男、野球能力だけではなく、相当に頭も良いようだの……
そう言えば入試では内申点もテストも満点だったか……
うわっ、な、なんだこの球はっ!
何故上下左右に連続して変化するのだっ!
あ、有り得んっ! 今俺は奇跡を見ているっ!)
ペシっ。
(み、ミットに当てるのが精いっぱいだった……
こ、これは、この球だけで相手打線を完封出来るかもしれん……
7色ではなく8色の変化球だったか……)
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