*** 118 練習生のトレード ***
この物語はフィクションであります。
実在する人物や組織、用語に類似する名称が登場したとしても、それはたぶん偶然でありましょう……
また、リアルとは異なる記述があったとしても、それはフィクションだからです……
みなさま、リアルとフィクションを混同されないようにお気をつけ下さいませ。
2月中旬に、スカウトのアンジーが俺のキャンプを訪ねて来た。
アンジーは1日中練習生たちの訓練を熱心に見学していたよ。
特にヒルクライムダッシュと投手用筋トレマシンには感心してたけど。
「いやユーキ、エリックには聞いていたが、どの練習生も素晴らしいじゃないか。
ストレートの球速は全員時速155キロ以上だし、その上キミ直伝のジャイロやカットボールまで投げられるようになっているし。
間違いなくメジャーでも通用するピッチャーになっているな」
「アンジーにそう言ってもらえると心強いですね」
「それで実は今、日本のプロ球団であるラクーンズが若手投手を2人欲しがっているんだ」
「ラクーンズといえば2年前にアンジーと契約して2軍改革をした球団でしたか。
確か原宿研究室からトレーニングコーチも派遣していましたね」
「そのおかげかどうか、去年は2軍から上がった若手が随分と活躍して、とうとうセントラルリーグの優勝も果たしていたが。
どうやら今シーズンはベンチ入りの8割が若手になるそうだ」
「それはよかったですねぇ。
確かパシフィックリーグの優勝はパンサーズでしたか。
ということは、日本シリーズはアンジーの改革を導入したチーム同士の対戦だったわけですね。
さすがです」
「はは、いくらなんでも結果が出るのが早すぎるとも思うが」
「いえ、1年も経てば結果は十分に出るでしょう。
でしたらラクーンズの練習環境も万全ですか」
「もちろん。
もう既にワイルドキャッツとほとんど変わらない環境になっているよ。
だがどうも1軍のローテーションピッチャーが足りないそうなんだよ。
それで依頼を受けて若手の活きのいい投手を探しているんだ。
それでどうかな、『ユーキ軍団』の中から2人紹介してもらえないだろうか」
「ははは、たった7人しかいないのに、軍団は大げさじゃないですか?」
「いや……
キミはこうしたキャンプを来年も続けて行くつもりかい?」
「ええ、出来ればそうしたいと思っていますけど」
「エリックもワイルドキャッツにこの『投手版ユーキ・メソッド』を導入するつもりのようだしな。
そうなればキミが育てたピッチャーの数は膨れ上がって行くことだろう。
今は分隊かもしれんが、遠からず軍団になっていくだろうね」
「はは。ところでラクーンズは年俸をいくら用意しているんですか?」
「普通の3Aチームの投手だったら1人3000万円なんだが、キミが育てたギガンテスのエクスパンド・ロースタークラスだったら、1人5000万円出すそうなんだ。
もちろん住居は球団が用意してくれるそうだし、専属の通訳もつけるとのことだね」
(5000万円か……
今1ドル180円になってるから約28万ドルか……
エクスパンド・ロースターの5倍強だな。
今年の年末には160円になるから31万ドルか……)
「ところでこのトレードはGMのブレットやエリックも承知してるんですか?」
「もちろん。
ブレットはキミがノーと言えばノーだし、人選についてもキミに一任するそうだ」
「球団に入る移籍金はどうなりますか?」
「年俸と同じく1人5000万円払うそうだ」
「ということは、そいつらは球団経営に貢献したことになりますよね」
「充分に貢献したことになるだろうね」
「それじゃあ練習後にみんなに聞いてみましょうか……」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「ということでみんな、日本のラクーンズという球団がメジャーのエクスパンド・ロースタークラスのピッチャーを2人探している。
年俸はそれぞれ28万ドルだ」
「「「 !!!! 」」」
「また、練習環境はほとんどワイルドキャッツと変らないそうだし、住居も専属通訳も付けてくれるそうだ。
この中で誰か日本に行ってもいいって思うヤツはいるか?」
「あ、あのボス……
俺たちって日本の1軍で通用しますかね?」
「俺は間違いなく通用すると思うが、念のためアンジーにも意見を聞いてみよう」
「そうだね、誰が行っても最低10勝は出来るだろう。
日本の環境に慣れたらもっと勝てるだろうし」
「ま、マジっすか……」
「それじゃあアンジー、ラクーンズのフロントに言って10勝で3万ドルのボーナス、その後は1勝に付き5000ドルのボーナスって付けて貰えますかね」
「それだけ勝ってくれたら喜んで払うだろう」
「で、でもボス……
日本の球団に移籍なんかしたら、もうボスのコーチングを受けられなくなるんですよね……」
「ん?
いやそのチームは既に『ユーキメソッド』を実践してるぞ。
まあ投手用ユーキメソッドはまだ導入してないけど、日本のギガンテス・アカデミーには導入する予定だから、投手用筋トレマシンも用意させるし。
だから、ここと同じトレーニングがしたかったら、日本のアカデミーにも出入り自由になるように頼んでやるぞ」
「でも、このドミニカキャンプにもう来られないかと思うと……」
「はは、移籍した奴は移籍金という形で球団に貢献したことになるんだ。
だから俺からブレットに頼んで、ドミニカキャンプにも参加出来るようにしてもらおう」
「ほ、ほんとですかい!」
「そうそうユーキ、ところで移籍する投手はキミの軍団メンバーだと日本で宣伝しても構わないかい?」
「ええアンジー、もちろん構いませんけど……
でも口頭で言うだけですよね」
「あの…… ボス、俺たちにアイデアがあるんですけど……」
「なんだジョナサン、そのアイデアっていうのは」
「あの、ボスの背番号は30番ですよね。
それでもしも俺たちがアクティブ・ロースターに上がれたら、背番号も新しく貰えますよね」
「そうだな、候補の番号の中から自分で選ばせても貰えるな」
「そのときに、例えば301番とか302番とかって選べますかね……」
「はは、そんなに大きなナンバーは誰も付けてないから、希望すれば間違いなく貰えるだろう」
「でしたら、俺たちは300番台を希望したいんです。
そうすれば、俺たちがユーキ軍団の一員だということがすぐに分るでしょうから。
構いませんか?」
「そりゃまあ、俺は構わんけどさ。
お前たちそれでいいんか?」
「もしも俺たちがメジャーに上がって投げられるようになったり、ローテーションに入れたとしたら、それは全て『投手版ユーキメソッド』のおかげでしょう。
つまりボスのおかげです。
そうして背番号を見るたびに、ボスの名を汚してはいけないと気合が入ると思います……」
「はは、そこまで大げさに考えなくてもいいと思うが……
だがまあ好きにしろや」
「「「「 ありがとうございます! 」」」」
そうそう、日本への移籍なんだけど、練習生の中からアメリカ人のマクスウェルとドミニカ人のラニーが手を挙げたんだよ。
そういえばこいつら、メジャーでスーパースターになりたいっていうよりも、早く稼げるようになって家に仕送りしたいって言ってたか。
マックスは5人兄弟の長男だっていうし、ラニーも7人兄弟の長男だったわ。
マックスのストレートは161キロで、カーブも1メートル近く曲がってたよな。
ラニーはジャイロをマスターしててカットボールも安定してたか……
生真面目なマックスとお調子もんのラニーの組み合わせだな。
それにこいつらみょーに仲がいいみたいだから、2人一緒に行けばホームシックになることもないだろう。
うん、こいつらなら大丈夫そうだ。
それでまあ、餞別もどきとしてマックスに背番号303番と、ラニーに304番をつけてやったんだ。
なんか2人とも随分と感激してたわ……
ん?
300番はミゲルで301番はホセで302番はジョナサンな。
こいつらの方が先輩だし。
「それじゃあアンジー、こいつらが日本に馴染むまで面倒をみてやって頂けませんでしょうか」
「もちろんだよ。
一流のスカウトはアフターサービスも万全だからね」
それで早速2人はアンジーに連れられて日本に行ったんだ。
2人ともモヒカンにしてたのには驚いたけどな……
来日後の練習初日に2人が投球練習してるの見て、ラクーンズのオーナー代行と監督とヘッドコーチは肩を叩きあって大喜びしてたそうだ。
まさか、ここまでもの凄い球を投げる奴が来てくれるとは思ってなかったんだと。
練習後にはその豊田っていうオーナー代行が奴らをメシ喰いに連れてってくれたそうなんだけど、何が食べたいって聞かれて2人が答えたのが『SUSHI』だったんだよ。
2人でマグロの赤身とヅケを50貫喰ったそうだぞ。
でも早速2人から俺に連絡が来たんだ。
あの栄養満点でメチャ旨のメシを日本でも喰えないものかって。
ちょうどいいことに、日本のアカデミーにシェフとトレーナーを派遣したところだったから、ブレットに頼んで2人をメシ喰い放題にしてもらったんだ。
ついでにアカデミーは八王子製作所製のピッチャー用筋トレマシンも導入してたから、トレーニングも出入り自由にしてもらったし。
それで都合のいいことに、アカデミーのグラウンドとラクーンズの2軍練習場は結構近いところにあったもんで、マックスとラニーはしょっちゅうメシやらトレーニングやらに行けるようになったんだよ。
そうしたらさ、2人から話を聞いたラクーンズの若手たちが、アカデミーの筋トレ施設とレストランを使えるようにしてくれって首脳陣に直訴したそうなんだ。
それで俺の大ファンだった豊田オーナー代行が、俺の開発したマシンやメニューだって聞いて、大喜びで大金を払ってくれたんだと。
おかげでラクーンズの若手たちもアカデミーの施設を使えるようになったんだ。
そしたら若手たちの筋力がみるみる上がって、投手は150キロ台後半の球が投げられるようになっていったし、打者のスイングスピードも爆上がりしたそうだ。
オーナーである親から球団経営を任されていた若い球団社長も、アカデミーに通い込んでみるみるマッチョになっていったそうだわ、ははは。
それからさー、ラニーのやつ、公式戦初登板のときの試合開始直前の投球練習で、鼻んところにアライグマの鼻つけて登場しやがったんだ。
ケツんところには太いアライグマのシッポつけてたし。
まあ、もちろん試合中は外してたけどな。
奴ぁ顔が小さくて毛深いもんだから実に似合ってたそうだわ。
テレビ見てた子供が「ほ、本当にアライグマが投げてる!」とか言ったそうだし……
(註:アライグマは英語では「ラクーン」という。ウオッシングベアーではない)
それで2人して勝ちまくるもんだから、もう人気沸騰だと。
そのシーズンでは2人合わせてなんと30勝もしやがったし、おかげでラクーンズはとうとう日本シリーズも制してたし。
ラニーはハンドソープのCMに起用されて、アライグマの着ぐるみ着て手ぇ洗ってるんだ。
たどたどしい日本語で、「みんなー、お料理はー洗わなくってもいーから、お食事の前には手ぇーを洗おうねー♪」とか言いながら……
おかげでそのハンドソープの売り上げが10倍になったんだと。
容器にはアライグマの鼻つけて笑ってるラニーの写真もついてるし。
マックスも身長2メートルで金髪青目で超イケメンなもんだから、もう女性ファンが凄まじいらしい。
男性化粧品やらスーツやらのCMに出まくってたぞ。
2人ともCM出演料が年俸上回ったそうだしな。
それからアンジーのアドバイスで、ラクーンズのホームスタジアムに『家族連れ&女性専用席』が作られたそうなんだよ。
ついでに鳴り物や酒瓶も持ち込み禁止にして、入り口で荷物検査もして、球場内に場内警備員も配置して。
スタンドも禁煙にして、スタンド下に大画面テレビのある喫煙ルームも作ったそうだ。
そしたらニコチン中毒のオヤジたちが入り浸ってるらしいんだけどさ。
そんなん家でテレビ見てりゃあいいのにな。
2019年の今ではフツーのことだけど、当時では相当に画期的な試みだわ。
おかげで家族連れや女性客が安心して球場に来られるようになったんだ。
しかもチームは2人のおかげで勝ちまくってて首位独走中だし。
それでそのシーズンの観客動員数が一気に5割増しになって、スポンサーの数は倍になったそうだし。
なんか客はみんなアライグマの鼻つけて応援してるらしいぞ。
ま、まあみんな楽しそうだからよかったかな……
マックスとラニーの大活躍のおかげで、翌年にはパンサーズからも2人欲しいっていう要望が来たんだ。
それでまたドミニカキャンプの卒業生たちが海を渡っていったんだけどな。
マックスやラニーの活躍や稼ぎはユーキ軍団では有名だったし。
そいつらも大活躍したから、ラクーンズとパンサーズ以外の球団からも依頼が来るようになったんだけどさ。
なんせあいつら4人で、毎年両リーグの投手タイトルを総ナメしてたしな。
4人合計で100勝とかもやらかしてたし。
でも他の球団はファーム改革とか全くやってなかったから、アンジーも俺もユーキ軍団の移籍は全て断ったんだよ。
なんか連中、歯軋りして悔しがってたそうだわ。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
2月中旬にドミニカにジョーがやって来た。
どうやらエリックに聞いて俺の新変化球を見に来たらしい。
「お前ぇまたとんでもねぇ球ぁ投げるようになったそうだな……」
「あ、ああ、ちょっと試したら投げられるようになったんで、今練習してるところなんだよ。
それにしても、まだキャンプイン前なのにこんなところまで見に来てくれたんか」
「まあ俺の商売ぇにも関わることだからな。
その球ちょっと俺に見せてみ」
「ああ……」
それでまずミゲルのミット目掛けて4メートル級カーブ投げたんだけどさ、ジョーの奴、唸り声あげてずっと見てるんだわ。
最初は球筋見てたけど、そのうちミゲルのミット位置ばっかり見るようになってたよ。
「それじゃあ次は6メートル級投げるぞー」
そしたらジョーの奴、野太い声で叫び声上げてたわ。
「な、なんじゃこりゃぁー!」とか言って……
アンタは殉職刑事かよ……
それで4メートル級と6メートル級を30球ずつ投げた後は、今度は高速ナックルを投げたんだ。
まだミゲルは捕球する自信が無いそうなんで、新作のデカくて頑丈で表面が平らなプロテクターに当ててだけど。
これ、ちょうど俺の前に弾かれてくるんで、まるで壁に向かって投球練習してるみたいなんだよ、はは。
そしたら今度はジョーの奴、完全に無言になっちまったんだ。
ちょっとヘンな言い方だけど、なんか哲学者みたいな顔つきになってたわー。
驚いたことに、それからもジョーはずっとキャンプに滞在したんだ。
まあ、いつも3月のアリゾナでのキャンプイン前はどっかで自主トレしてたそうなんで、今年はそれをドミニカでやるだけだそうだけど。
それにしてもさすがはジョーだよ。
練習生たちに混じって、ほとんどすべてのメニューをこなしていくんだ。
練習生のピッチャーたちって、コントロールボードに50球ほど投げた後は、キャッチャーを座らせてもう50球投げるんだけどさ。
ジョーがそのうちの最後の10球を、打席に立って勝負するようにもなったんだ。
なんか練習生たちもすっげぇ喜んでたわ。
まあ去年のホームラン・キングに投げられる機会なんてそうは無いからな。
そうして、午後は俺がミゲルに投げるのをずっと見てるんだ。
真後ろから見たり打席に立って見たり、ベース横5メートルぐらいから見たりして。
あれたぶん、カーブのバウンドの癖とか見てるんだろう。
そうそう、ジョーはキャンプの食事にも随分と驚いてたわ。
「旨ぇ……」とか言った後は夢中で喰ってたけど。
まあジョーももういい歳だから量は半分ぐらいにしといてやったよ。
スポーツマッサージも大いに気に入ったらしくって、毎日みっちり施療してもらってたわ。
そしたらジョーが言い出したんだ。
「今日からは俺にも受けさせろ」って。
それで手首をガチガチにテーピングして貰って、まずは4メートル級のカーブを投げたんだ。
さすがはジョーで一発で捕球してたわ。
「やっぱりそうか……
変化は激しいが、バウンドが大きいんで却って捕りやすいぜ」
なるほどな、地面すれすれのフォークのショートバウンド捕るよりも、バウンドして腹のあたりまで来るカーブの方が捕りやすいのか。
まあ言われてみればそうだわ。
6メートル級も同じだそうだ。
でもさ、さすがのジョーも高速ナックルは無理だって言うんだ。
「あれを捕れるようになるには3000球ぐらいは見ねぇとな」って言ってたわ。
「だからあの妙な平らなプロテクターを俺の分も注文しておけ」
「いやジョー、気を悪くしねぇで貰いたいんだが、実はもう用意してあるんだ」
「そうか……」
「ところでジョー、エリックに言われて練習生たちは全員アリゾナに連れて行くことになってるんだけどよ。
ジョーの目から見てウチの練習生たちはどうかな?
ま、まあ、あの日本人の若いのは、高校出たばっかりだからまだまだだろうけど」
「違うな……」
「え?」
「あいつらはもう『練習生』じゃねぇ。
あのジャパニーズを除けばどいつもこいつもアクティブ・ロースター級だろう。
それどころか、他のどのチームに行ってもローテーションの3番手から4番手だろうな。
それにあのジャパニーズもけっこう面白ぇ球ぁ投げてたぞ。
来年が楽しみだ」
「そ、そうか。ジョーにそう言ってもらえると心強いな……」
「それにしてもお前ぇ、よくもまああいつらをあんだけ鍛え上げたもんだな。
何が秘訣なんだ?」
「たぶんメシだわ」
「メシか……」
「あのメシって、実は栄養素が完璧に計算されてるんだ。
だからメシ喰ってトレーニングしてるとみるみる筋肉が育って来るんだよ。
俺のキャンプはワイルドキャッツの練習と同じで、ほとんど強制してることって無いんだけど、メシを全部喰えっていうことだけは強制なんだ」
「あんだけ旨ぇメシだったら、強制に文句言う奴ぁいなかったろうに」
「そうだな、シェフたちのおかげだわ」
「聞けば首都での食材調達部隊までいるそうじゃねぇか」
「まあな、球団から預かった若手育成費のうちのけっこうな部分をつぎ込んでるからな」
「やっぱりお前ぇはてぇした野郎だわ……」




