*** 117 神に愛された男 ***
この物語はフィクションであります。
実在する人物や組織、用語に類似する名称が登場したとしても、それはたぶん偶然でありましょう……
また、リアルとは異なる記述があったとしても、それはフィクションだからです……
みなさま、リアルとフィクションを混同されないようにお気をつけ下さいませ。
合計60球の投げ込みが終わると、開いたままになっていたエリックの口がようやく閉じた。
「な、なあルイス、ユーキは最近キャンプでこの『大災厄カーブ』を覚えたのか?」
「ええ、新しく作った体幹筋トレマシンを使っているうちに、カーブのキレが良くなって来たんで、工夫してみたそうです」
「な、なんとまあ……」
「彼は練習生にやらせる前に、いつも自分でトレーニング方法を試しますからね。
おかげで練習生と同じように進化したんでしょう」
「なあ……
あのカーブ、打てる奴いると思うか?」
「そうですね、100球連続で見せてもらったらなんとか当てるぐらいは……」
「そうだろうな……
それにしてもまた恐ろしい変化球を会得したもんだ……」
「どうやらあれだけじゃなくって、他にも新しい変化球を練習し始めているようですよ」
「な、なんだと……」
「それじゃあミゲル、次はまた『高速ナックル』の練習をするから、コントロールボードのスリットから球筋を見てやってくれ」
「うん」
そうなんだよ、この前思いついて、試しに180キロのストレート投げるつもりでナックルを投げてみたんだ。
そしたらさー、ただのストレートになっちまうかと思ってたら、本当に無回転に近い状態で投げられると、球が小刻みにブレて動いたんだわ。
きっと球速が上がった分空気抵抗も激しくなったんで、縫い目の位置が少しでも変わると動いちゃうんだろうな。
まるでナックルをそのまま時速160キロにしたみたいに、なんかこう「ブブブブブ」っていう擬音が似合いそうな感じで上下左右にブレてるんだよ。
笑っちまったぜ。
これ、もし変化パターンが安定して実戦でも投げられるようになったら、相手のバッターもさぞかし驚いてくれるんじゃないかな。
俺が高速ナックルの投球練習を始めたら、練習生たちが周りに集まって来たよ。
「何度見ても信じらんねぇ球だわ……」
「ウチのボスもとうとう超災厄に昇格だな……」
「これ打席に立つ相手選手は気の毒だよなぁ……」
「夢に出て来そうな変化だわ……」
「お、俺、ピッチャーでよかった……」
30球ほど投げ終わると俺はミゲルに聞いてみたんだ。
「なあミゲル、この球捕れそうか?」
「うーん、大分変化のパターンも分かって来たんだけどさ。
まだキャッチボックスに入るのは少し不安かな」
「それじゃあ毎日少しずつでいいからまた見てやってくれよ」
「なあユーキ、それよりもサクラメント・プロテクターに頼んで、表面が平らなプロテクターを作ってもらわないか?」
「それつけて全部俺に向けて弾くんか……」
「うん、まあ2ストライクまでかランナーのいないとき限定の球種になっちゃうけど」
「ま、まあミゲルがそう言うんならいいけどよ。
でもジョーはなんて言うかなぁ」
「ミスター・キングなら1か月もあれば余裕で捕れるようになるんじゃないかな」
「それもそうだな」
「それじゃあ今晩サクラメントに電話してみるよ」
「いや、俺が鶴見さんに頼んでおくわ」
「ありがと」
「なあ、なんかミゲルはあんまり驚いてないよな……」
「ボスの常識外の変化球にもう慣れちまってるのかも……」
「まあ、あのジャイロだの6メートル級カーブだのを平然と捕球してる奴だからなぁ」
「お、俺キャッチャーじゃなくってよかった……」
それからみんなで昼メシ喰いに行ったんだけどさ、またエリックが硬直してたよ。
「な、なんだこの旨さは!」とか言って。
しかもだ。
エリックとルイスの分は量が半分以下なんだけど、俺や練習生が喰ってる分は優に普通のランチ3食分だからな。
その料理が3回に分けられてテーブルに並ぶんだ。
天使メイドさんたちが暖かい料理が食べられるようにって、気を利かせて3回に分けて作ってくれるようになったからなんだけど。
それがまた飾りつけも綺麗でさ。
もう完全に高級フレンチのフルコースみたいなんだぜ。
「ユ、ユーキ、みんなこれを毎食食べているというのか……」
「ええ。
因みにこの料理の栄養バランスは最高ですよ」
「それにしても随分とカネがかかっているだろうに……
こんなマグロのSASHIMIまでついているんだから……」
「はは、マグロの刺身には筋肉を形作るためのBCAAが大量に含まれているんで出しているんです。
でもそれほどコストはかかっていませんよ。
神保さんの部下が、ドミニカの首都の南にある漁港で30隻ほどの漁船団を組織しましたんで、毎日のように最上級のマグロを送って来てくれてますから。
それも日本から輸入するのに比べて20分の1以下の値段ですからね」
「なんとまあ…… そこまでしているのか……」
「ええ、いつも言っている通り、体造りは3割がトレーニングで7割が食事ですから。
ですから球団から預かった育成費200万ドルも、7割は食費に回そうかと思ってます。
なんだか漁船団はもっと増えそうな勢いなんで、今後はアカデミーにもお裾分けしていく予定ですね」
ルイスが微笑んだ。
「はは、ドミニカでは生の魚を食べる習慣が無かったんで生徒たちも随分驚いてましたけど、なにしろあのミラクルボーイとその練習生たちが旨そうに喰ってますからねぇ。
今では全員が食べられるようになってますよ」
「そうか……
だからユーキは、まず練習生たちをサンフランシスコの最高級寿司バーに連れていっていたのか……」
「ええ、もちろん」
食休み時間には何人かがマッサージルームに行ったんで、俺たちも見学することにした。
「なんとスポーツマッサージルームまで作ったか……」
「そういえばエリック、膝の具合はどうですか?
ここの施療師さんたちの技量は俺と変りませんから、診てもらったらどうです?」
「あ、ああ、選手たちの施療が終わったら診てもらおうかな……」
午後もエリックは熱心に練習を見学していたよ。
特に投手用の新開発筋トレマシンやヒルクライムダッシュは真剣に見ていたわ。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
夕食が終わると、俺とエリックとルイスの3人は応接室に移った。
「俺に構わずにどうぞ酒も呑んでください」
「いや、酒はこの話が終わってからにしよう。
それにしてもユーキ、見事なコーチングだ。
あの8人のピッチャーが、たったの2か月であれほどまでに成長していたとは……」
「いやまあ、みんな頑張っていましたからね」
「それで君にいくつかお願いがあるんだ」
「なんでしょう」
「君は3月1日のギガンテスのキャンプインまではここドミニカにいるつもりかね」
「ええ、あの新型カーブのコントロールももう少し磨きたいですし、ミゲルにも高速ナックルを捕れるようになってもらいたいですからね」
「それではあの練習生たちも、2月末までここにいさせてやってくれないだろうか」
「それは構いませんけど……
でもそうすると奴らがウエストコーストリーグのオープン戦に出られませんよ」
「そもそも3Aリーグの春季オープン戦というものは、3月1日のキャンプインのときに派遣するロースター候補を絞り込むためのものだ。
あの練習生たちは、ヒデオ以外は私の名で全員候補として推薦しておく。
まあヒデオも来年には間違いなくロースター候補になるだろうが」
「それは連中も喜びますね」
「それからもうひとつお願いがあるんだが……」
「承ります」
「あの料理をサクラメントでも出せるようにしたいんだ。
それでシェフやアシスタントを派遣してもらえないだろうか。
もっともマグロやカツオを用意する資金までは難しいかもしらんが……
それからあのスポーツマッサージの施療師もお願いしたいんだ」
「わかりました。
実は日本のアカデミーにもシェフを派遣させて頂けるようにお願いしようと思ってましたから、ちょうどいいです。
3人のシェフにも、あと何人かシェフを育ててくれるように頼んでいましたし。
それからあのマグロやカツオについても、サントドミンゴ漁港の漁船団がまだまだ大きくなりそうなんですよ。
ですから、もうそろそろドミニカからサンフランシスコまで空輸出来る態勢が作れそうです」
「それはありがたい。
それから君が考案したというあの新しい筋トレマシンも購入させてもらえないだろうか」
「それでは日本用と併せて注文しておきましょう。
マシンの使い方に関しては、派遣して下さったコーチたちが習熟していますから、彼らに指導させてください」
「なにからなにまですまんね」
「いえいえ、これも貰った年俸のうちですよ」
用件が終わってエリックと2人になると、ルイスがウイスキーを取り出した。
「なあルイス、あのユーキという男は本当につくづく凄い男だな」
「同感です。
自分が高みに上がるだけならそれが出来るメジャーリーガーは多いですが、歳もそれほど違わない同僚をあそこまで引っ張り上げられるとは……」
「彼が高校時代と大学時代に弱小野球部をコーチングして、強豪チームに育てたという逸話には半信半疑だったが、今回のことで完全に納得したよ」
「わたしも野球指導者を目指す者として、素晴らしいコーチングを受けさせてもらいました……」
「体造りの7割は食事か…… 確かに盲点だったな……」
「ええ、彼の言葉を借りれば、どんなに腕のいいカーペンターでも材料が無ければ家は建てられないですからね」
「はは、しかもそのために港に漁船団まで組織させるとはな」
「その食材調達スタッフもそうなんですが、あのシェフたちやトレーナーたちも凄いですよ。
まるでユーキのことを神に愛されている人物であるかのように思っていますから」
「他チームの連中に言わせると『ナショナルリーグの災厄』だそうだが、身内から見れば『神に愛された男』か……
あの超絶的な変化球を見れば、サンフランシスコのファンたちもそう思うようになるかもしらんな……」
「同感です。わたしは既にそう思い始めていますから……」
大天使神保は微笑んだ。
(ふふふ、何人かはようやく正解に辿り着いたようですね……)




