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【転生勇者の野球魂】  作者: 池上雅
第5章 メジャーリーガー篇
106/157

*** 106 地区優勝決定直接対決 *** 


この物語はフィクションであります。

実在する人物や組織、用語に類似する名称が登場したとしても、それはたぶん偶然でありましょう……

また、リアルとは異なる記述があったとしても、それはフィクションだからです……

みなさま、リアルとフィクションを混同されないようにお気をつけ下さいませ。



 



 ドミニカやプエルトリコでのアカデミー設立に留まらず、ギガンテスはとうとう日本にもアカデミーを作ることにしちまった。

 まあ最初は高校3年生を対象に、夏の大会の後にセレクションやってアカデミーに入団させて、その後の成長を見ながらドラフトで指名するかどうか決める制度だったんだけどな。


 そのうちには優秀な現役中学生や高校生も集めて、提携した全体大付属校に通わせながら練習させようっていう目論見なわけだ。

 まあ『日本で第2のミラクルボーイを探せ!』っていうことだわ。


 それでもそう簡単に行くわけないよなって思ってたんだけどさ。


 ブレットに選手のテストデータを見せられて、意見を求められたんだ。

『この選手たちをアカデミーに入れるべきかどうか』って……


 それで俺目を剥いちまったんだわ。

 だってその年のリストに『野〇英雄』ってあったんだぜ!


 その後も1990年のリストには『鈴〇一郎』ってあったし、1991年のリストには『松〇秀喜』ってあったし!



 それで俺、ブレットとエリックにこいつらは絶対にアカデミーに入れてドラフト指名して、ワイルドキャッツに入団させて大事に育ててやって下さいって頭下げたんだ。

 2人ともけっこう驚いてたぞ。


 彼らがホームシックになって日本に帰っちゃったりしないように、球団に専属通訳も頼んだし、英会話の講師もつけたし、毎週のように俺の自宅に呼んで日本食も喰わせたし。


 ま、まあ野〇くんもイ〇ローくんも松〇くんも、初めて俺の家に来たときにはめーちゃんのあまりの美しさに大硬直して真っ赤になってたけど。

 やっぱ野球ばっかやってた高校生って純情だよな♪


 それにウインターホリデーにはドミニカに連れてって、ギガンテスアカデミーでの練習にも参加させたり、俺がつきっきりで練習にも付き合ったりもしてやったんだ。


 そしたらさー、3人とも憧れの神田さんがこんなに熱心に面倒見てくれてる!って感激して、すっげぇ頑張ってくれたんだ。


 おかげでもう、その後のギガンテスはウハウハよ。

 考えてもみてくれ。

 俺と野〇くんがローテーションで投げて、打線には俺以外にもイ〇ローくんと松〇くんがいるんだぜ。 

 とんでもねぇメンツだよな。


 エリックには「君にはスカウトの才能まであったのか!」とか叫ばれちまったけど……



 おかげでそれからは、日本のドラフトの目玉選手とかが、みんなドラフト指名蹴ってギガンテスアカデミーに入っちまうんだ。

 日本のプロ球団に行くのは、アカデミーの入団テストに落ちた2線級の選手たちばっかしだし。


 そりゃあもちろん契約金は日本の方が高かったけどさ。

 でも高いって言ってもせいぜい1000万円だろ。

 だけど努力の末にメジャーの一流選手になれたら年俸は2億円だし、CM契約なんかを含む野球関連所得は5億円を超えるのが当たり前だからな。



 これでようやく日本プロ球団のオーナーたちも気づいたんだよ。

 優秀な高校生の就職先を今まで独占して来たことが幻想だったって。


 球団幹部のジジイたちにとっては、米も味噌汁も無くって日本語も通じないアメリカで将来生活するなんて宇宙人の発想だよな。

 だけどテレビで俺の活躍とか見て、実際にMLBを選ぶ若者たちが激増したんだよ。

 それで慌てたジジイたちがギガンテス・アカデミーの練習を視察してみても、自分の球団の2軍とはもう完全に次元の違う練習で、その方法論や理論なんか全く理解出来なかったんだ。

 練習中に選手が水を飲んでるの見て『ケシカラン!』とか怒ってたらしいし。

 



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇




 上野たちが作った野球防具について、全米消費者センターの検査が終わった。

 結果はもちろん最高強度の最高品質だったわ。


 それでそのまま一般販売に移行するかと思ってたら、サクラメントの人たちが市に持ち込んで承認してもらうって言うんだわ。

 俺はそのときまで知らなかったんだけど、どうやら小中学校の野球チームって市から用具購入費なんかの補助を受けてたそうなんだ。

 それで市の承認を受けられれば、その補助金も使って用具を購入出来るようになるんだと。



 それで承認申請には俺も付いて行くことにしたんだよ。

 まあたまたまホームの試合前で休日だったし。

 そしたらなんとジョーも一緒に行くって言い出したんだ。

 しかもエリックが友人のサクラメント市長さんに連絡も取ってくれたし。


 そしたらさー、もう申請当日は市長さんやら市議会議員さんやらVIPが大挙して出て来ちゃったワケよ。

 そうした面々の前で、俺が投げた球をジョーが全て防具で受けるんだ。

 打者用防具を付けた上野にデッドボールを当てまくるとか。


 最初は顔面蒼白になってた市の関係者さんたちも、そのうち大歓声を上げて大喜びよ。

 なにしろカーンとかいい音立ててボールが跳ね返っていくし、ジョーや上野は平然と微笑んでるしな。

 それにジョーのキャッチャー用防具や俺の打者用防具は、毎日のようにテレビで見てるしな。

 最後は市長さんまで防具着けて俺のボール浴びてたぜ。


 それにアメリカって訴訟社会だろ。

 だから少年野球でボール事故が起きるたびに訴訟も起きてたんだ。

 そのうち何件かは、管理を怠っていた市にも責任があるっていう判決も出ちゃってたし。

 小中学校のほとんどが市立だったから。


 だけどまさか国技扱いされてる野球を禁止するわけにもいかないし、市としてもほとほと困り果ててたそうなんだ。

 そこに来て、この最高品質の野球防具が出て来たわけだな。


 特にアメリカ人たちが感心したのがフェイスガード付きのヘルメットだったよ。

 俺の趣味で作ってもらったもんだし、打者がボールを見辛くなるから嫌うかなとも思ってたんだけどさ。

 なにしろもうひとつの国技であるアメフトでは、選手がみんなこうしたフェイスガードのついたメットを被ってるよな。

 だからみんな『どうしてこれを思いつかなかったんだろう』って考え込んじゃってたよ。

 ついでに流線型の穴も開いてて通気性も良くってカラフルでスタイリッシュだし。

 市長さんなんか早く孫に買ってやりたいからすぐ売り出してくれとか言ってるし……


 それで結果として得られたのが市の『承認』どころか『推薦』よ。

 市内の小中学校に対してこの防具の購入に上乗せ補助金を付けて、数年後にはこの防具無しでの試合や練習を禁止する方向に動きたいそうだわ。

 驚いたよ。




 それで安心した上野とアメリアさんは、サクラメントチタニウムの敷地内に子会社となる野球防具制作会社を作ることにしたんだ。

 名称は『サクラメント・プロテクター』だとさ。


 アメリアさんは300万ドルも出資して筆頭株主になる。

 上野たちは八王子会長に報告した上で5億円をドルに替えてその製造会社に出資するそうだ。

 もちろん俺の指示で為替ヘッジかけながら。


 それで俺も100万ドル(≒2億5000万円)ばかり出資することにしたんだよ。

 そしたらさー、ジョーのヤツが200万ドル(≒5億円)出資するって言うんだわー。

 それであっという間に工場建設資金が集まって、防具の生産も始まることになったんだ。


 ああ、渋谷涼子のアホが1億ドル(≒250億円)出資するって言い出したんだけど、俺が却下しといたわ。




 ついでにブレットが、MLB本部経由で全ての球団に、ジョーが使ってるキャッチャー用防具やギガンテスの選手が使ってる打者用防具の注文を受け付けるって通知してたぞ。


 おかげでみんな大忙しよ。

 専務さんも帰国の予定を延期して、サクラメントチタニウムの工房でクラス1のオーダーメード防具作りまくってるわ。

 エアブラシ専門のイラストレーターは、日本から呼んで塗装工程の講師にしてたしな。


 それで新工場が出来るまでは、サクラメントチタニウムの倉庫を改造した工場で防具を作り始めたんだけどさ。

 当然上野と八王子康介君も、事業の把握や社会人としての修行も兼ねて製造現場に入ったんだ。

 それで上野たちは作業服を着て、始業1時間前に工場に行って掃除してたそうなんだけどな。

 まあ、俺たち日本人からしたら割と当たり前の行動だろ。

 まだ若造の新入りなんだから。


 ところが、これがアメリカ人たちをとんでもなく驚かせたらしいんだ。

 まずは共同経営者として階級的には副社長だの専務扱いされるはずの上野や康介君が、自分たちと同じ作業服を着てたことに心底驚いたんだと。

 さらに始業前に工場に来てタイムカードも押さずに掃除してるとか、まさに驚天動地の出来事だったらしいわ。

 ベテランのおばちゃん従業員の中には、感激のあまり泣いてたひとまでいたそうだし……


 それで上野たちは従業員さんたちに一気に受け入れられちまったそうなんだ。

 最初は得体のしれない東洋人が現れたって警戒してた連中も全員含めて。

 それでみんなで懇切丁寧に仕事を教えてくれたそうだよ。


 アメリアさんはそうした様子を涙目で微笑みながら見ていたそうだ……




 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇




 8月に入ってもギガンテスは快進撃を続けていた。

 なんと今期の勝率は68%にも達している。

 だけど、同じナショナルリーグ西地区のロサンゼルス・ドジャースも妙に好調で、3ゲーム差でギガンテスを追っていたんだよ。


 そんな中でウチのローテーションピッチャーの1人が肩を痛めちまったんだ。

 もう7月末の移籍期限も過ぎてるから補強も出来ないし、仕方ないからマイナーから若いピッチャーを3人ばかり呼んで交代で投げさせたんだけど、やっぱりそいつらにはまだ荷が重かったんだ。


 もちろんチーム全員で頑張ったよ。

 ロード9連戦を7勝2敗で勝ち越すとか。

 でも絶好調ドジャースが9連戦9連勝とかやらかして、8月末にはとうとう1ゲーム差まで追い詰められちゃったんだ。

 ナ・リーグ西地区の他のチームはみんな勝率4割以下とかで低迷してたけど。


 それで俺も黙っていられなくなって、中二日での登板を直訴したんだ。

 これ以上他のピッチャーをぶっ壊させるわけにはいかなかったから。


 つまり、『右投げの俺』『3番手投手』『4番手投手』『左投げの俺』『5番手投手』『若手投手たち』『右投げの俺』……

 っていうカンジのローテーションを提案したんだ。

 ジョーが俺を観察しまくって、少しでも肩や肘に異変があったらすぐにこのローテーションを止めさせるっていう条件で。

 もちろんセットアッパーもクローザーも総動員だ。


 後で監督のガイエルもしみじみ言ってたけど、こんなに苦しかったシーズンは初めてだったそうだな。



 それでもドジャースは引き離せなかったんだ。

 俺も登板してない試合で毎試合のように代打に出たけど。



 そのうちセットアッパーやクローザーも疲れ始めたもんで、俺はワンポイントリリーフにも出るようになった。

 ときにはセットアッパーとして3回ぐらい投げたりもしたし。

 しまいにゃ疲れの色の濃いクローザーに代わって、8回に代打に出たあとに9回にも投げたり……


 最初は喜んでたファンも、そのうちビビり始めてたよ。

 なんせ俺が毎試合のように出て来るから。

 試合途中で俺がセットアッパーとして登板すると、なんか悲壮な声を出すようにもなってたし……



 それでとうとう1ゲーム差のまま、9月下旬からの最終3連戦でドジャースとホームでの直接対決に臨むことになったんだ……


 この3連戦で3連敗したりすればドジャースの逆転優勝になる。

 1勝2敗でプレーオフになっても俺たちは窮地に陥るだろう。

 もう疲れ果てたピッチャーしか残ってないから。


 でもここまで来て優勝出来なかったら口惜しいよ。

 なんでも、どっちのチームが2位に終わっても、史上最高勝率の2位になるそうだし。

 もし1994年以降みたいに『中地区』もあってワイルドカード制度もあったらもう少し余裕もあったんだろうけど、1985年にはそんなものは無いからなぁ。


 だから俺は第1戦と第3戦の先発を申し出たんだ。

 その代わり、第3戦では途中でセットアッパーに代わってもらうっていう条件で。


 それで俺は、ホーム3連戦の前にライトの守備も練習したんだよ。

 途中でリリーフして貰っても、9回には俺がまたクローザーとして投げられるようにな。

 俺のライト守備を見て監督もコーチも本職の野手みたいだってびっくりしてたぞ。

 まあ俺も高校時代を思い出して楽しかったわ。


 なんか、日本の高校野球みたいだけど、もうこの際何でもアリだろ。




 俺は第1戦に先発して、ドジャースを散発4安打に抑えることが出来た。

 それでも2対0の僅差の勝利だったんで、けっこう緊迫した試合だったけど。


 でも第2戦は、ピッチャーを7人も注ぎ込んだんだけど、2対3で負けちまったんだわ。

 これでとうとう第3戦が最終決戦になる。


 先発した俺は、もちろん最高の気合で投げたよ。

 そのせいか、ドジャースを6回まで2安打無得点に抑えられて、俺はライトの守備に回ったんだ。

 得点はこの時点で3対0で勝ってたし、7回と8回は休ませてもらって、9回はまたクローザーとして投げるために。



 でも……

 7回にウチのセットアッパーがツーランホームラン打たれちまったんだ。

 そうして交代したピッチャーも、8回の先頭打者にソロホームラン打たれて同点にされちまったんだよ。

 さすがは絶好調のドジャースだけあるわ。


 さらに交代した若手ピッチャーも動揺して、ヒット2本とフォアボールでノーアウト満塁になっちまったんだ。

 これで勝ち越されたらキツイよな。

 いくら9回表を俺が抑えても、8回裏と9回裏で俺たちが打たなきゃ勝てないんだから。


 でもそんなピンチでも、監督のガイエルは俺をマウンドに戻さなかったんだ。

 ずいぶん悩んでたそうだけど、どうやら俺の肩を心配してくれていたらしい。

 それに延長戦になる可能性も高かったし。



 次の打者がライトにデカいフライを打ち上げた。

 打球の速度はそんなに速くなかったけど、ライトフェンス前2メートルほどの深い位置に落ちるであろう大きなライトフライだ。


 さすがの俺も、タッチアップされたら普通の送球じゃあ本塁アウトは無理だってすぐ悟ったよ。

 それで仕方ないんでまずフェンス際まで走ったんだ。

 そうしてそこからタイミングを合わせて、ボールの落下地点より少し前方まで・・・・全力で戻ったんだわ。


 そして……

 俺はそこで投球動作に入って、後ろに伸ばした素手の右手で・・・ボールを捕球した。

 そうして、瞬時にホームに向けて送球したんだ。


 打球の回転はそれなりにあったんだけど、握力280キロで回転を止めて、そのまま軸がやや右を向いたジャイロで……

 ラッキーなことに、球の回転を止めたときにボールの縫い目が指にかかってたしな。



 地上1メートルを俺のジャイロボールが飛んで行った。

 ファーストのクリスはカットするための位置を取ってたんだけど、俺の送球が完全にホームに向いてるのに気づいて、その場で背中から後ろにダイブしてスルーした。

 そのクリスの顔面のすぐ上を俺の送球が飛んで行く。


 そうしてホームベースの上に構えたジョーのミットに見事に収まったんだ。




「アウトォォォォォォォ―――――っ!」




 3塁ランナーはタッチされて茫然としてたよ。

 どう考えてもセーフになる飛球だったから。

 それになんだか俺の捕球の仕方もヘンだったし。


 それで敵味方観客全員が見守る中で、大スクリーンに今の俺のプレーのスローVTRが流されたんだ。


 そう……

 俺が投球姿勢で後ろに伸ばした素手でフライをキャッチして、そのまま送球したシーンだ。


 そしたらとんでもねぇ大歓声が起こってたわ。

 もうキミタチみんな鼓膜大丈夫?っていうぐらいの。

 客はみんな立ち上がって叫びながら拍手してたしな……





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