3話 四女の出逢い
ピンク色のリボンを絡めて編み込まれた髪を緩やかに纏め、裾に花の刺繍が施されたピンク色のドレスに身を包んだエレナは、もう何度目かわからない溜め息を飲み込む代わりに、隣に立つアリシアの腕にぎゅっと抱き着いた。
「大丈夫よ」と微笑む姉は励ましてくれているのだろう。しかし、濃紺の殆ど飾りもないシンプルなドレスにも関わらず、それがかえって元来の美しさを引き立て、淑やかな華やかさを醸し出す姉に励まされても、自身の場違い感を再認識するだけある。
やはり、来るのではなかったと早くも後悔に襲われるが、先日の誕生会での姉達の様子を思い出すにつけ、このまま帰るのは忍びない…というより、恐ろしかった。
特に、髪に化粧にと張り切って飾り付け、とどめに『どうせ捕まえるなら将来性のある殿方になさいな』と、輝く笑顔で力強くコルセットを巻いてきた三女を思うと、何もありませんでしたなんて報告はとても出来そうにない。
ダスティ叔父に案内されて訪れたのは、どこぞの貴族様の夜会でもパーティーでもなく、先の戦で勝利した軍を労うための、王宮主催の戦勝祝いを兼ねた慰労会であった。
確かに、国中の貴族に招待のかかるこの会ならば、名ばかりの伯爵家令嬢であるエレナが参加しても不自然ではないし、軍部の若い将校が選り取りでお相手探しの場としても相応しいのであろう。事実、会場のそこかしこで、お年頃の男女が社交に勤しんでいる。
だが、三人の姉と老齢の家人夫婦に囲まれ、領内から殆ど出ることもなく過ごしてきたエレナにとって、年頃の男性との関わりなど無に等しく、初めての婚活の相手が溌剌とした青年将校というのは、大変ハードルが高く感じられた。
憂鬱さにまた溜め息を飲み込んでいると、不意に近くで「ダスティ!」と掛かる親しげな声。振り向いた先では、エレナがつい先程顔と名前を覚えた人物―…この慰労会の主役とも言うべき、軍司令のウィルヘルム公爵がにこやかに此方へと近付いてくるところだった。
ウィルヘルム公爵といえば、代々当主が軍司令を務めてきた王国の軍門でも特に名高い家柄。何故、叔父がそのような大物と知り合い…それも、相手の表情から察するに、親しげであるのか疑問に思うが、それより。
エレナは公爵の背後に付き従う人物…その男性から漂う張り詰めた空気に固まった後、長い前髪から覗く鋭い視線に気付き、反射的に半歩後退り姉の背に隠れた。
「両手に花か、羨ましい」
「ご冗談を、ウィルヘルム公爵。それより、此度の戦の勝利、おめでとうございます」
「なんだ、堅苦しいな……まあ、いい。万年色恋に無縁な不精者の君が女性を二人も連れているということは、そちらはクラリス伯爵家のお嬢さん達かな?」
「お初にお目にかかります、アリシア・クラリスでございます」
「エレナ・クラリスでございます」
叔父からの目配せを受けて恭しく礼を取る姉に習い、エレナも慌てて頭を下げる。
そんな二人を頷きながら見つめる公爵の瞳は、どこか嬉しそうだった。
「アリシア嬢といえば、亡き父君に代わって伯爵家の采配を振るっているそうだね。立派なことだ」
「恐れ多いお言葉でございます」
「夜会の折に、何度か遠目に拝見したことはあるが…いやはや、お美しい!妹君のエレナ嬢も、大変可憐でいらっしゃる。なあ、マークス!」
「自分にはわかりかねます」
「なんだ、不精者はここにもいたのか?せっかく美人を二人も前にしているというのに、最近の若い者はつまらん、つまらん!」
大袈裟な身振りで落胆する公爵に対し、話を振られた件の眼光鋭い男性…マークスは、淡々とした態度を崩さない。国の有力者の一人である公爵を前にしながら、不遜とも取られかねない態度に姉の影でエレナはハラハラするものの、本人はおろか公爵すら気にする様子はなかった。
親子ほど年が離れているように見受けられるが、それ以上に気の置けない仲だということだろうか。そうだとしても、日頃から遠慮がちなエレナには心臓が悪いことこの上なく、感情の読み取れなさも相俟って、初見からのマークスに対する苦手意識は上昇するばかり。
あまりのいたたまれなさに、早くこの場から解放されたいと切に願うものの、続いて公爵の口から出てきた思いがけない提案に、エレナは溜め息に代わって悲鳴を飲み込むのだった。
「いい機会だ。マークス、エレナ嬢と一曲踊ってきたらどうだ」
「っ……?!」
「お断りします」
公爵の突然の言葉にも戸惑うが、間髪入れずに返ってきた明確な拒否に、外面の恐ろしさに加え、この短時間で自分は不興を被るような何かをしてしまったらしいショックに、少しでも気を緩めると涙が溢れそうになる。
背後の妹の異変に気付いたアリシアが無言のまま不穏な空気を醸し出すが、叔父は苦笑するに留まり、話に割り込む素振りを欠片も見せない。
もっとも、王宮の片隅で細々と事務仕事に務めるだけのダスティに、公爵のお言葉に口を挟むことなど出来る筈もない……のだが、先程の二人の態度を鑑みるになきにしもあらずではないか。そう見当をつけたアリシアが再度叔父へと視線で圧を送るものの、知らぬふりで受け流されてしまう。
一方の公爵はというと、そんな姉妹など構ったことではないようで、殊更晴れやかな笑みを浮かべると、「上官命令だ」と躊躇いもなくとどめの一言を告げた。
それを言われてしまうと、もう、マークスに拒否権はないらしく、鬼のような形相で上官を睨んだ後、不承不承といった様子でアリシアに隠れるエレナへと掌を向けてくる。こうなるとエレナにとっても拒否権はないに等しいのだが、どうしても鋭い視線と気配に圧され、恐ろしさで素直に取ることが出来ない。
業を煮やしたマークスは、無理矢理に手を握りダンスの輪の中へ引っ張っていくと、狼狽するエレナに構うことなく向かい合わせとなって腰に手を添え、ステップを踏み始めた。
名ばかりとはいえ、貴族の家に生まれた年頃の娘の嗜みとして、執事や姉達からとりあえず踊れる程度には、エレナもダンスを習っている。
ところが、社交界デビューの日以来、領内に引きこもって一切の夜会やパーティーに参加していないため、人前で踊るということに慣れていない。おまけに、初めての夜会でのダンスの相手は叔父が務め、一度踊ったきり壁の花に徹していたため、身内以外の人間と踊ること自体が初めてだった。
羞恥に緊張、加えて初見で苦手意識を持った相手と至近距離で見つめ合う恐怖で、混乱の極みにいるエレナはもはやダンスどころではなく、何度もステップを間違えたり、足を踏みかけては体をよろめかせる。おかげで悪目立ちをするらしく、ダンスに興じる男女からの視線を集めた挙げ句、『あれが例の伯爵家の…』といった囁き声まで聞こえる始末。
諸々の気不味さに耐えかねたエレナは、曲が終わるやいなや、そそくさと礼をして姉の元に戻ろうとする―…が、再び大きな手に掴まれ、元の位置へと引き戻されてしまった。
「っ……お離し、ください」
「……上官命令ですので」
「でも私、」
「ダンスの拙さは私の技量不足のせいです。貴女に恥じるところは、何もない」
公爵に向けて拒否を示した時と同じ、きっぱりとした力強い物言いに、エレナは恐る恐る顔を上げる。震えるその瞳に今にも溢れてしまいそうな涙が溜まっていることに気付いたマークスは、一瞬息を詰めた後、意を決した表情で「失礼」とひと声かけ、それまでただ添えられるだけだった手でしっかりと腰を掴み、再び奏でられる音楽に合わせてステップを踏み始めた。
先程よりも速いテンポの曲に、エレナの足は何度も縺れそうになるが、その度にマークスがリードして軌道修正していく。また、踏みかけた足を避けて体をよろめかせた際は、腰を引き寄せ支えるのだった。
一曲目のぎこちなさが嘘のようなスムーズなダンスと明らかに近付いた距離に、もしや先程はマークスも遠慮していたのだろうかと気付き、エレナの中で少しだけ彼に対する苦手意識が薄らいだ気がして、微かに口許を緩める。
その瞬間、珍しくマークスがステップを飛ばしてリズムが崩れるが、強引に繋いだ腕を引いて直ぐ様体勢を立て直す。再び「失礼」と呟かれたが、今度は互いの視線が交わることもない。エレナも「いえ」と返すのみで、ダンスが終わって壁際に戻るまでの間、会話が交わされることはなかった。
2曲も踊れば上官命令も十分果たしただろうと考えたのか、3曲目の音楽が流れる前にマークスに手を引かれ、形ばかりのエスコートを受けて壁際へと戻れば、それはもう盛大に頬を緩ませた公爵と、少々呆れ顔の姉と叔父が二人を出迎える。
どことなく漂う生暖かい空気に、エレナは小さく首を傾げ、マークスは不服げに眉を寄せた。
「やれば出来るじゃあないか、マークス!騎兵師団の連中を見たかい?君が若くて可愛い娘さんと踊ってるものだから、驚天動地の顔をしていたよ!いやあ、見物だった!」
「……お戯れは程々に、閣下。エレナ嬢の迷惑も省みられますよう」
「えっ!?あ……いえ、その……こちらこそ、ご迷惑をおかけしまして……」
「先程も申し上げた通り、貴女は悪くない。軍務にかまけて社交を疎かにしてきた自分の落ち度です」
「マークスが……人を気遣っただと……?!」
余程衝撃だったのか、まじまじと見つめてくる公爵を鬱陶しげに横目に見るだけで、マークスはそれきり黙ってしまう。
またそんな態度を取るなんてと、二人のやり取りを見ているエレナの方がハラハラしていると、それまでずっと黙って成り行きを見守っていたアリシアが、些かひんやりとした声音で割って入った。
「ところで、妹のお相手を務めてくださったマークス様のお名前を伺ってもよろしいでしょうか?」
「あ、ああ!そういえば、ろくに名乗りもせず申し訳ない。美人を前に、年甲斐もなくはしゃいでしまったようだ……マークス、改めてご挨拶を」
「……マークス・ガリレウスです」
「口下手な部下に代わって紹介させていただくと、彼はガリレウス侯爵家の当主でね。まだ27歳だが、軍部では騎兵師団の団長を務めている。この年で独身なのも、王都にいるより戦場にいる期間が長いのが原因でね……まあ、それも今回の和平条約で一旦は落ち着くだろう。私の右腕として今後も昇進間違いなしの有望株ですよ、お嬢さん方」
饒舌な上司からの含みのある紹介にエレナ頬をひきつらせ、助けを求めて姉に視線を向けたところで、はたと固まる。てっきり、先程の声音と同様、冷え冷えとした表情を浮かべているとばかり思った姉は、どこか苦々しく眉を寄せ、唇をきつく引き結んでいた。
まるで、一人静かに何かに耐えているような姉の様子が気掛かりで、公爵への返事も忘れ「アリシア姉様?」とそっと呼び掛けたところで、ようやく我に返ったらしい。
「ウィルヘルム公爵がそれほど仰るなんて、さぞ立派な殿方なのでしょうね。妹には勿体無いことです」とやんわり断りを入れて適当な挨拶を交わし、エレナを連れてその場を離れる。
一連の流れを見届けた後、公爵と二言三言交わしたダスティ叔父が追い付いたところで、抗議するように叔父へ向かって「悪趣味よ」と呟いた姉の言葉の意味を問い質す勇気を持たないエレナは、黙ってこの夜起きた濃密な出来事の数々を反芻するのだった。
.