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クラリス四姉妹の結婚  作者: 崎野 実
第1章 四姉妹の事情
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2話 次女の思案

エレナの誕生日の翌朝、次女のシエラは小ぶりなトランク一つを持って玄関にいた。朝、といっても、王都で待つ教え子への午前の授業に間に合わせるため、陽が昇るか昇らないかの早い時刻なので、見送りに立つのはアリシアとマーサだけ。


いつもなら、ここにエレナも並ぶのだけれど、昨夜は遅くまであれやこれやと話に華を咲かせていた上、自身の結婚話を急に振られて少々参ってしまったのだろう。珍しくぐっすり眠って、起きてくる気配はなかった。

フィリスに関しては言わずもがなである。



「シエラ、忙しいのに申し訳ないけれど、これをダスティ叔父様にお願い」

「気になさらないで、アリシア姉様。ええと…お渡しする手紙は、これだけ?」

「そうよ」

「……わかりました」



クラリス伯爵家の紋が刻まれた蜜蝋で封のされた手紙の中身はきっと、一応は王宮で働く叔父へ、エレナの為にどこかの貴族さんの夜会なりパーティーなりの紹介をお願いする、家長代理としての格式ばったものだろう。

これくらいきっちりしっかり訴えなければ、面倒くさがりのアノ叔父が動くことはないだろうから、との長女の気苦労が垣間見える。


とはいえ、もう少し、私的な内容のお手紙は認めなくてよろしいのですかと、遠回しに伝えてシエラはチラリと様子を窺うものの、きっぱりと否定する姉の普段通りの涼やかな表情には微塵も揺らぎがない。

アリシアの隣で同じくそわそわしていたマーサも、全くの無反応に静かに肩を落としていた。


そこへ、まるでタイミングを見計らっていたかのようにこじんまりとした馬車が止まり、今日は執事から御者へ装いと業務を変えたビクターが、シエラのために馬車の扉を開き、トランクを受け取って座席の一つに丁寧に下ろす。

それを見届けると、気を取り直してとばかりに咳払いをしたマーサが、「朝食にどうぞ」と小花柄の可愛い刺繍が施された布で包んだサンドイッチを差し出した。



「わあ、可愛い!このステッチはエレナかしら?」

「はい、就寝前によく縫い物をされているようですよ」

「シエラもあちらでたまには練習なさいね」

「…………はい」

「時々でいいから、時間を作って庭の手入れにもいらっしゃい」

「…………はい」



さりげなく釘を刺してくる姉からそっと視線を外し、これ以上何か言われる前に「いってまいります」と紺色のワンピースの裾を摘まんで軽やかに礼をすると、返事代わりの溜め息が落とされる。

そそくさと馬車に乗り込み手を振れば、苦笑混じりではあるがアリシアも軽く手を振り、マーサは隣で「お気をつけて」と涙ぐんでいた。今生の別れでもあるまいに大袈裟だとは思うが、それでも帰省の際に繰り返されるこの光景を見る度、シエラは何とも言えない切なさで胸が小さく軋むのだった。


湿っぽいのは苦手なのにと吐きかけた息を飲み込んでいると、不意に頭上からバタン!と大きな音と共に、「シエラ姉様!!」と酷く慌てた声が落ちてきた。



「お見送りのご挨拶が出来ず、申し訳ございません!いってらっしゃいませ!」

「いってらっしゃい、シエラ」



寝間着の上にストールを羽織ったエレナと、欠伸を隠そうともしないフィリスが、開いた窓から身を乗り出して手を振っている。フィリスはともかく、エレナが声を張り上げるなんて、滅多にあることではない。

余程焦っているのだなと思うと可笑しくて、先程までのしんみりとした空気も吹き飛び、彼方にも見えるよう、シエラも大きく手を振り返しておいた。







シエラがランウェル公爵家に家庭教師として呼ばれたのは、三年前……今のエレナと同じ17歳の時だ。お相手のお嬢様の名前はシャーロット、当時まだ7歳。10も離れているとはいえ、子どもと子ども。

恐らく、亡き父と懇意にしていたランウェル侯爵が当時のクラリス伯爵家の窮状を聞き及び、お情けでお嬢様の遊び相手としてお呼びがかかったのだと、シエラは理解している。


あの頃は天候不良でただでさえ少ない領内の農作物が不作の年が続いたのみならず、散発する北方の連合国との戦の度に臨時の徴収が続き、領地経営は大赤字。

足りない分はクラリス伯爵家の蓄えを切り崩し、出来る限り領民に不自由をかけないようにしていたのだが、そもそもの蓄えがささやかなものなので、家計は火の車。

家庭内では、フィリスに続いてエレナの社交デビューが控え色々物要りだったのみならず、他にもトラブル続きで、家長代理が板についてきていたしっかり者のアリシアも、さすがに参りきっていた。


そんな時にやってきた、公爵家での家庭教師の話。最初こそ戸惑いはしたものの、よくよく考えてみれば、一人分の食い扶持が減るのみならず、ほんの僅かでも家にお金を入れられるのだから、万々歳ではないか。

以上に思い至り、コンラッド王国文官筆頭と名高いランウェル公爵家の名前に怖じ気付いていたシエラも、開き直り腹を据え、この話を受けたのだった。


今となっては、これで良かったのだと心から思う。


自分は、女だてらに家長代理として領内経営に腕を奮う長女のような知恵と胆力も、社交界を飛び回っては愛嬌と喧嘩を振り撒く三女のような社交性と度胸も、姉達を助けて家のことを家人と共に引き受ける四女のような気配りと家庭力も、持ち合わせていない。

代わりに持っていたのは、勉学への探求心だけ。だが、そんなものは、長らく良家の深窓の子女に不要とされてきたため、社会的に見れば、悪く言われることこそないものの、自分は"ちょっと変わったお嬢さん"であろう。


それでも父を始めとする家族は、本を読み耽って知識の吸収に没頭することを褒めてくれていたけれど―…まさか、こんな形で生きることになろうとは。

思いがけず感慨に耽っている間に、馬車は王都の門へと差し掛かっていることに気付き、シエラは慌てて受け取った包みを開く。中から出てきたマーサお手製のサンドイッチを頬張りながら、傍らに置いた手紙を横目に軽く息を吐いた。


果たしてこれを受け取る叔父は、父が亡くなってから今に至るクラリス伯爵家の波乱の日々と、主に長女の苦労についてどう思っているのだろうか。

本来ならば、姉が家長代理に立たずとも、もっと楽で簡単な道だってあった筈なのだ。そこのところを、叔父はわかっているのか、いないのか。







「クラリス伯爵代理より、お手紙をお持ちいたしました」

「そりゃ、どうも」



わざとらしく強調された堅苦しい挨拶に対し、叔父は普段通り気のない返事を寄越すだけ。姪を家の中へ招くことはおろか、ペーパーナイフを取りに行く手間すら億劫なのか、玄関先で手ずから封を破るものぐさぶりに、余計な言葉が口をついて出そうになるのを懸命に堪え、じっとりとした視線を送るに留める。

本来ならば、渡すだけ渡してさっさとお暇したいのだが、それだけだとこの不精者の叔父は手紙の存在を忘れ、返事を寄越さないことも度々のため、いつの間にか、こうしてその場で読んでもらい、内容の念押しと共に簡単な返答を聞いておくのが慣習となっていた。


もう四十路も間近なのだから、いい加減にしっかりしてくれとシエラが念じていると、手紙を読み終えたらしい叔父が思案げに顎へと手を当てた。



「社交界でエレナのお相手探し、ねぇ……」

「うちみたいな貧乏領主にわざわざ持ってこられる縁談なんて、ろくなものがないですからね。真っ当に幸せになりたかったら、自分の相手は自分で探さないと」

「……何と言うか、相変わらず逞しく育ってるな」

「おかげさまで」



基本的に放置放任の頼りない後見人のおかげで、逞しく育つしかなかったのですよ。とは言わないあたり、大人になったものだとシエラが慰みに自画自讃していると、珍しく叔父が思案げに呟いた。



「要はお年頃の貴族様が集まる場所に連れて行けばいいんだろ?それなら、あてがないわけじゃない」

「……あら、まあ……」



不精者を絵に描いたような叔父にあてがあったことにも、いつもなら面倒なの何だのでぶつくさ小言を垂れる叔父が文句の一つも零さなかったことにも、天変地異の前触れかという程に驚いたのだが、淑女としての嗜みを総動員して表に出すことを辛うじて堪える。

一方、叔父のダスティはというと、なおも顎を撫でながら、眉に寄せた皺もそのままに姪を見下ろした。



「問題は、エレナがあの家……正確には、あの庭がある家から、出たがるかどうかだ」

「それは……確かに……」



叔父の言わんとすることはよくわかる。帰省の度に姉から釘を刺される自分と違い、エレナは割り当てられた自身の庭を大変大事にしており、事実よく世話をしているのであろうことは、昨日のピクニック気分のお茶会でよくわかった。

一見手付かずに放ったままのように見せかけ、その実よく手の行き届いた庭は、自然の領分と人の領分が緩やかに分けられており、草木を飾る花々は観賞用の派手さこそないものの、エレナの為人そのもののような柔らかな彩りで、ほっと息を吐ける心地のいい空間を作り上げていた。


母が作り、父から姉妹に分け与えられた、四つの庭。育てる植物も手入れの程度もまちまちだけれど、エレナが誰よりもあの庭を大切に想っているであろうことは、想像に難くない。

ああ、だから、お相手探しに前向きでなかったのか。自分などはてっきり、控えめな妹のいつもの気後れだとばかり思っていたのに。


つい先程まで最低評価の頼りない後見人の株が僅かに上がるのを感じながら、ではこの人は形式的な保護者としてどうするつもりかと様子を窺っていると、「まあ、そんなことは相手の男がどうにかすりゃあいいか」と何とも適当に懸案事項を先送りにされる。

本当に、本当に、そういうところですよ…!との心の声は押し込め、シエラはマーサを見習って咳払いで切り替えることにした。



「とにかく!都合がつき次第、連絡をよろしくお願いします。余裕を持って、忘れずに!ですよ?」

「へいへい、わかってるよ」

「……うちからは、アリシア姉様が付き添いますから」

「それがいいだろうな、当主の代理なわけだし……ああ、ついでにあいつにも着飾るよう言っておけ。もういい年だろ?見映えだけは抜群なんだから、飾っとけば騙されて引っ掛かる男も、」

「そういうわけで、叔父様は二人のエスコートをしっかりお願いしますね」

「アァ?!何で俺までっ、」

「叔父様の仲介で行くんだから、当然じゃないですか」



今度こそぶつくさと小言を垂れ流す叔父を放り、ビクターの待つ馬車へと戻るシエラは、一人静かに決意する。もしも、いつか自分にご縁というものが回ってきたら、その時は、家柄も外見も問わないが、甲斐性だけはある人を選ぼう、と。







「おかえりなさい、シエラ!」

「只今戻りました、シャーロット様」



ランウェル公爵家へと戻り、王宮へ出仕前の公爵と夫人に挨拶した後、いざ生徒の元へと向かっていると、廊下の角から飛び出してきた影が胸元へと抱きついてくる。くすりと笑って緩くウエーブのかかった柔らかな金髪を撫でれば、シャーロットは再び「おかえりなさい!」と嬉しそうに微笑んだ。

本当に、可愛らしいお嬢様だと、シエラは密かに癒されるが胸の内に留め、教師の顔に戻って少女の眼前へ人差し指を立てた。



「シャーロット様、私が実家へ帰る前にお渡しした宿題は、お済みですか?」

「勿論!コンラッド王国の成り立ちと歴史について、お父様の書斎から本をお借りしてまとめたわ」

「計算の方はどうです?」

「そちらは……ちょっと難しかったから、セシリアン兄様に教えていただいたけど、ちゃんと全部解けたの!」

「……よく頑張りましたね、素晴らしいです」



セシリアン兄様、の名前に、銀糸の髪とサファイア色の怜悧な瞳を思い出して一瞬息を詰めるが、直ぐ様笑顔で教え子を褒め、苦手な計算を頑張ったご褒美は何にしようかと思考を切り替える。


"ちょっと変わったお嬢さん"だった昔の自分と同じく、シャーロットもまた令嬢の嗜みより勉学を好む子どもである。

ただ、違う点があるとすれば、先祖代々宰相や大臣を輩出し続けてきたランウェル公爵家において、女性といえど勉学に励むことは当然のこととされ、むしろ積極的に学びの場を与えられていることが一つ。

もう一つは、現在徐々にではあるが文官武官問わず女性の進出が見られるようになっており、彼女が一人前の大人となる頃には、磨いた才を発揮する機会に恵まれる環境が今よりも整っているであろう、ということ。


これもまた、時代なのであろう。たかが10年、されど10年。若さとは未来の輝きなのだなと思うにつけ、自身の年齢と今後の身の振り方が大きな課題として、重くのし掛かってくるのだった。



「っと、だめだめ、全然切り替えられてないじゃない…!」

「どうしたの?」

「い、いえ……ああ、そうだ!宿題のご褒美に、シャーロット様のお好きな古典を何か読ん、で…」

「そんなものは時間の無駄にしかならない。当家に雇われた教師を名乗るならば、妹の時間をもっと有意義に使うのだな」



冷めた抑揚のない声に音を立てて振り向いた先には、件の銀糸とサファイアブルー。家庭教師復帰初日にして、その最大の難関たる人物の早々の登場に、これはいよいよ切り替えが困難になってきたと、シエラは密かに冷や汗を流す。

だが、無垢で純真、加えて年の離れた兄を無邪気に慕うシャーロットにとっては、この絶対零度の空気も無に等しいらしく、頬を膨らませて可愛らしく怒りながら、あろうことか皺一つない兄の背広をポカポカと叩いていた。



「もうっ!お兄様ったら、どうしてそんな意地悪をおっしゃるの?」

「事実だ。古臭いお伽噺に現を抜かす暇があるなら、経済書の一つにでも目を通せ」

「お伽噺だって、立派な教養ですのよ?ねっ、シエラ!」

「え……はい、さようでござい…ます、ね……」



不穏さを増していく空気に背中を伝う汗まで冷たさを増していくが、蛇に睨まれた蛙よろしく固まる自分にはどうすることも出来ず。妹に余計なことを吹き込むなと、言葉より余程雄弁に語る視線に晒されて、心中深くで涙した。



「では、シエラ・クラリス―…貴女に問おう」

「は、い」

「物語を読んで、得られるものは何だ」

「……豊かな言葉の表現ですとか、感情の機微、文化や歴史、先人の知恵、あと、」

「それらは、法務 政務 財務の書簡作成にあたって必要な能力が、一つでも含まれているのか?」

「…………いいえ」

「では、無駄だ」



氷のように冷たい眼差しに射ぬかれ、震える掌を必死に握り締めながら、美形が凄むと常人以上の迫力があるのだなとか、これはまたはっきりばっさり切り捨ててきたななどと、明後日の方向に思考を逸らせて、シエラは怖じ気付く心を無理矢理に奮い立たせる。

きっと、彼の言うことに間違いはないのだろう。では、納得出来るかとなると、それは無理だと心が叫ぶ。しかしながら、感情論で話の着く人ではないし、次期当主=未来の上司候補と揉めて、いたずらに職場の空気を乱すつもりもない。


よって、ここでもまたシエラは自分が大人になることを選び、セシリアンの言い草に肯定も否定も示さず、「さようでございますか」とだけ微笑んだ。

しかし、聡明な彼にはそんな態度すら見え透いたものらしく、柳眉を歪めて更に言葉を重ねようとしたところで、二人の様子を窺っていたシャーロットが兄を見つめて大袈裟に嘆息をする。



「あまりシエラをいじめてばかりだと、嫌われてしまいますわよ?お兄様?」

「結構だ」



家柄と才能でエリート街道を突き進むセシリアンにとって、落ちぶれた伯爵令嬢の自分など、元より快く思われてないのは承知の上だったが、ここまではっきり宣言されるとむしろ清々しささえ感じるなと感心する横で、シャーロットはまた可愛らしく頬を膨らませていた。


そのまま振り返ることもなく颯爽と去っていく背中を見つめながら、やはり結婚の条件には甲斐性ともう一つ、愛想の良さを付け加えておこうと密かに決めるシエラであった。



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