本編6 疑惑の戦場
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「やっぱりそう来やがったか……」
ヴォルフは望遠鏡を片手に敵陣を観察していた。異教徒らしきローブを着た人間が左右に一人ずつ、中央に子供を二人連れたシスターが先頭になり行軍している。
「個人的には異教徒はどうなっても構わねぇが、子供は別だ。くそ……シエラの消滅の魔眼はやはり使えねぇか……それに、杭に蕾がついてやがる、予想より早すぎる」
アトラスフィア・ウルフの消滅の魔眼は視界に入った物を見境なく消滅させる。視界に子供が入る限り、敵もろとも消滅させる事になってしまうだろう。杭自体を消滅させる事が出来るかと言う疑問の声も上がったが、杭は存在の力で守られており効かないという。
「杭の発動が確かに早すぎます……何かしら存在の力を一気に注ぎ込む手段を使ったとしか思えません」
杭の事も気になったが、シエラは今考えるべき事を優先する。
「ホムンクルスの殺戮人形達が卑劣な事は前回の戦いで身に染みています。今回は油断しません! レナ、何か違和感などはありますか?」
「あるよ、シエラ! 敵の数が聞いてたのより少ない、伏兵がいるに違いないよ」
レナはそう言うと周囲を凝視し出す。シエラとレナとヴォルフの三人は鎧の軍馬に乗りながら戦場の最終確認を自分の目で行っている。柔らかい土に革のブーツや蹄による無数の足跡をつけながら両軍は進み……。
「みんな! そこで止まって!!」
レナが唐突に声を上げ停止を促した。
みんなが疑問な表情と声をレナに向ける。
「シエラ、ここから先の地面を一気に消滅させる事は出来る?」
「え? それは、もしかして……。分かりました、皆さん下がってて下さい!!」」
シエラはレナがそう言った理由をすぐに察し、馬から降りて目に神経を集中させ始める。
空間に亀裂が入る──その瞬間。
「──シエラ、コロス、コロス」
身の危険くらいは感じ取れるのか、そう言いながら地面から腕を突き出し這い出てくる殺戮人形達。
50体はいるだろうか。その泥まみれの赤い瞳の子供の姿は見る者を不気味と思わせる意外何でも無かった。
──バチン!!
『消滅の魔眼』は容赦なく発動──シエラの前方の視界の空間が『無』となり、湿った大地を殺戮人形ごと抉り、消滅させた。さらに硬い部分の地肌が現れ、戦士達が動き易い足場となる。
「ふぅ、また凄ぇ物見ちまったな。レナ、シエラ。お手柄だぜ」
「ふふふー、私って軍師っぽい? ……ところで、シエラはその眼使っても疲れないの?」
「この眼の力はあくまで空間と精神を繋いで崩壊を促す物ですからね、まぁそれなりに隙は有りますが」
地面に隠れていた殺戮人形達をあのまま放置していたならば、前後挟み打ちされる形となり苦戦をしただろう。
ステラ達は大地が伏兵ごと抉り取られた事で一時的に行軍を停止していた。
「予想外。伏兵が跡形もなく、消し飛んだ。シスター、あなたの出番」
ステラはシスターの方を向き、命令を出す。
彼女はその命令に乗る他無かった。
「……行きましょう、怖がる事ありません」
「で、でも今の見たでしょ……!? こんなの絶対おかしいよ!!」
シスターは説得するが子供たちは震えが止まらずに立ち竦んで居た。
消滅の魔眼の力を間近で見たのだから無理もない話だった。
ステラは何を思ったのか、女の子に近づきある物を渡す。
「このお人形、お守り代わりにあげる」
「え!? あ、ありがとう……ステラ様」
人間の女の子が不意なプレゼントに驚きつつもステラから小さく可愛らしい熊のぬいぐるみを受け取った。
「子供は、大丈夫。私、嘘つかない」
その言葉を信じ、シスターと子供二人は手を取り合いながら抉られた大地の道を歩き始めた。
……ランページ陣営へとシスターが怯える男の子と女の子を一人ずつ手をつないで歩いて来る。
「何だありゃぁ? 向こうさんの次の作戦か?」
ヴォルフが不審に思う声を出しつつ片手を上げ、銃兵部隊に発砲準備の指示を出す。
「あの修道服を着た人……何……? 普通と"違う"」
レナはシスターを見た瞬間から余裕が消え、警戒心を増す。
「レナさん……?」
シエラがレナの変化に気付いたのか、少し心配気に見ている。
「止まれ!! それ以上近寄るな、そこで要件を言え」
射程距離に入った所でヴォルフは制止を呼びかける。彼女は言われた通りに止まり、胸の羽の生えた銀の十字架を握りしめながら要件を伝えた。
「私はエレジア・クリスフォード。見ての通りザザの街のシスターをしております」
それは三十代程ではあるが、美しい女性だった。
髪は長く女性らしく、清楚で優しげ……見る者を安心させるかの様な印象を皆に与える。
「クリスフォード……? もしかして、貴女ははシェリルさんの仰ってた……育ての親ですか!?」
シエラが声を上げて問う。
「まぁ! シェリルの事をご存じなのですか!? あぁ、最後にその名前を聞けて良かった……!」
エレジアは深い感情の籠った声で感嘆の声を漏らした。とてもシェリルを愛している様な、もしくは心酔しているかの様に見える。
「お前さんは立った今向こうで陣取ってる異教徒のシスターなんだろ? そう簡単に信用出来ねぇ」
ヴォルフがシエラの前に壁になる様にして銀の大斧を構えながら警戒の言葉を向ける。
「シスターをいじめないで!」
「そ、そうだ……! シスターは、僕達の為に……うぅ」
子供たちは気丈に振舞っているが、戦場のど真ん中に連れられているせいか顔色が悪い。
ヴォルフは罪悪感は感じたが、気を緩める気は無かった。
「私の事を信用する必要はありません。この子供たちだけでも逃がして頂きたいのです」
そして、テレジアはシエラの方を見る。
「向こうのリーダーは隙を見てあなたを殺せと言われました。この銃で──」
そう言うとテレジアは腰にかけてあった銀色の銃に手をかけようとする。
レナはその瞬間まで俯きながら、昔の出来事を唐突に思い出していた。
『──この子、私達と違う。何か、違う!』
……それは私が八歳の頃の出来事。
友達に違和感を感じて、私が触って確かめようとしたら手を払いのけられて……そこから大喧嘩になった記憶。その後その子の家に謝りに行った時の事を、何故か今、思い出した。
『れ~なちゃんっ? 僕怒ってるんだよ? 突然僕だけ仲間ハズレにされちゃうなんてさ』
『ご、ごめんなさい……私、どうかしちゃってて……その、私、何でもするから……』
『何でも? ほんと? じゃあお願いがあるんだけどさ』
『なんでもいいよ、わたしに出来る事なら……』
『本当? レナちゃんは本当はやっぱり優しい! じゃあね、その髪の毛をちょっとだけ──」
暗い密室の中で、月の光に反射し光るナイフが私の長い髪を斬り落とす。
心臓が苦しい。悪寒がして嫌な汗が出る。
(何……? この人、何処かで……会った? ううん、それよりも、この記憶を今まで"忘れて"いたの?)
「おい!! 妙な事──」
「待って!!!!」
レナが唐突に、制止の声を上げ場を静まらせた。
「……駄目、そいつの声を聞いちゃ駄目」
子供たちがそれに反発するかの様に声を上げる。
「そんな! お姉ちゃん酷い!! お話くらい聞いてくれても──」
「あなた達は黙ってて」
レナは底冷えするかのような視線と声を子供に向け黙らせた。
「あのお姉ちゃん……怖い……」
底知れない威圧感を感じたのは子供たちだけではなく、この場にいた全員だった。今は彼女以外、誰も口を開けない──。
「あ、あの……」
そんな空気を無視しようとシスターは口を開きかけたその時──レナは軍馬の上から投擲用ナイフを投げ放ちシスターの頬に傷を付けた。
気丈そうなシスターでさえ、その行為に恐怖を覚え体を硬直させる。これが、本当にあのレナ・バレスティだろうか?親しい仲のシエラもヴォルフも声が出せない。
「貴女、アトラスフィアの人じゃないね」
「な、何を言って──」
何とか弁明しようとする──しかし。レナが再度ナイフを投げる動作をするだけでシスターは再度口が動かなくなった。
「喋らないで、空気が淀む。その声で何か精神に影響を与える力、使ってるよね……?」
その後、レナが出した結論は皆の想像を絶する物だった──。
「貴女、メアクリスでしょ?」
誰もが耳を疑った。しばしの沈黙──。
しかし、シスターの対応は意外にも冷静な物だった。喋らず、子供達に向けて視線は顔などの挙動だけでランページの陣営への移動を促す。子供達はレナの表情をうかがうかの様に一瞬見るがその目に感情を感じられない。奇妙な空気の中、子供達は軍へと保護される形となる──しかし。レナはシスター・テレジアから受ける違和感が大きすぎて、もう一つの異常なモノに気付けずにいた。
(──ハヤク、クワセロ)
子供がステラから預かった熊のぬいぐるみ。
(ハヤク、ハヤク、ハヤク、チカイチカイチカイ)
「天狼の巫女様! どうか、あのお姉ちゃんからシスターを助けてあげて!!」
子供の女の子はシエラの姿を見るや否や駆け寄り救いを求める。シエラは、子供に顔を近づけ安心させようとする。
「だ、大丈夫ですよ、レナは……少し気が立ってるだけで……安心して待っていて下さ──」
(ハヤク、シエラヲ、クワセロオォォォォォオ────!!!!)
──パキィ!
突如、熊のぬいぐるみから何かが割れた音がする。それは、クマのぬいぐるみに仕込まれた──メアクリスの存在の力が込められた紫色の魔石が割れる音。
「──え?」
クマのぬいぐるみの頭だけが異常に肥大化し、その凶暴な牙が生えた口が大きく開き、シエラの頭を喰い千切らんと襲いかかった──。