本編7 激戦
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レナは背後で膨れ上がる禍々しい存在に気付いた。しかし、その瞬間後ろを見たレナの視界に入ったのは既にシエラに向けてクマのぬいぐるみの口が大人を丸ごと呑み込める程開いている光景。
──レナの思考が止まる。手に持つ投擲用ナイフを投げようとする、しかし間に合わない。
──ガキイィィィン!
金属音が空へ鳴り響いた。
「野郎共!! 何ボサっとしてやがる、コイツを仕留めろーー!!!!」
ヴォルフがクマの化け物の口の中へと銀の大斧を突っ込み閉じない様に固定したのだ。
「うおおぉぉ!! 全員突けえぇぇぇ!!」
ランページの戦士達が取り囲み、幾重もの『退魔のルーン』が施された銀の剣や槍が怪物と化したクマのぬいぐるみの頭部へと突き刺さった。シエラが戦士達の武器に刻んだルーンは魔物への効果を増加させる上、武器自体の強度も上げる性質がある。
「やったか……!?」
「お前ら下がれ!!」
ヴォルフが戦士達へ向けて咄嗟に警戒の声を上げる。それと同時に怪物はヴォルフの銀の大斧をへし曲げながら上下のギザギザの歯を閉じ、噛み千切った。ルーンの刻まれた武器をかみ砕く程の『存在の力』をクマのぬいぐるみの化け物は備えていたのだ。
グオオォォォォ──!!!!
クマのぬいぐるみは頭を振り回し、武器を払いのけ雄叫びを上げて周囲を威圧する。そして見る見る内にその姿が変貌し……まるで脊髄から骨がそのまま突き出た様な背中の角をいくつも突き出し、黒い巨大な本物の熊の様な姿へと変貌していく。首から下の胴体も肥大化し、自分で動けるバランスを保てるようになっていく。
「化け物が……! おい、代わりの武器持って来やがれ!!」
ヴォルフ達は覚悟を決め武器を前へと突き出し黒き怪物を包囲する──。
レナは状況を判断し、尻もちをついて動けなくなっていた女の子を抱いて移動していた。
「大丈夫、私がちゃんと安全な所まで運ぶからね!」
「お姉ちゃん……?」
先程までのレナの無感情さは無くなり、今は命を助けようとしている。男の子も途中で拾い、怖がっている所を半ば強引に背負って後方部隊へと移動する。そこへ教会へ避難誘導へ行っていた筈のシェリルが馬に乗って駆けつけて現れた。
「エリカ、リゲル! 無事だったか……良かった」
「お兄ちゃん! 怖かったよぉ……う……うえぇぇん」
「帰って来てくれたんだ……そ、そうだ。シェリル兄ちゃん、シスター達を助けて!」
シェリルは馬から降りると子供の頭を撫でて落ちつかせる。
「シェリル、その子の事お願いね、私は前線に戻るよ!」
返事を聞く暇も無くレナは走り戻って行ってしまった。子供達がレナを見て怖がっているのがシェリルは少し気になった。……その後シェリルは子供達から戦場での出来事を聞く事となる。
「シエラ!! 後ろを頼む!!」
「は、はい!!」
その後ろにはシエラが消滅の魔眼で抉った大地をステラが先頭に立ち一直線に突き進む殺戮人形の軍団。ステラは中央の取っ手から上下に刃がついた巨大な両剣を装備している。その小さな体の二倍程の大きさの不釣り合いな黒き刃。
「く……今ならまだ間に合う!」
シエラは『消滅の魔眼』で敵の軍団を睨み、その力で殲滅しようとする。
「……させない、シエラ」
しかしステラは何か指で操作しながら、それを目に見えない程の速さで横へ振り抜き遠距離からシエラへ向けて投擲した。
「巫女様を守れ!! な……!! うあぁぁぁ───!!」
敵の挙動を見てシエラの前へと刻印された盾を持った戦士三名が、盾ごと体を斬り裂かれて横腹から血を噴き出しながら地に伏せた。その凶悪な質量は高速回転しながら有り得ない速度で戦士達を斬り裂いたのだ。
「なん……ですか、今の速度……」
そのまま走り続けるステラの手元へと吸い込まれる様にその両剣は戻って行く。シエラにはそのあまりの速さに対応出来る気がしなかった。何かカラクリがあると感じたが思考を巡らす余裕は無い。そのまま接近され、軍と軍がぶつかり合う。
「怯むなあぁぁぁーー! 蹴散らせえぇぇぇーー!!」
「ケケケケケ! ジャマ、シエラコロス、ジャマ」
……まるで悪夢でも見ているかの様だった。
撒き上がる血煙、赤に染まる大地、悲鳴。
(私はまだ……みんなに守られるばかりで、何もしてない!!)
「──ランティリット起動!!」
シエラは自分を守る為に目の前で息絶えた戦士達に心の中で謝罪と感謝の念を送りつつ、片手の手甲から放った無数の糸に存在の力を込め、地面に突き刺し自分の体を強引に空中に持ち上げた。既に敵と味方が交戦中で消滅の魔眼は使えない。
「させないって、言った」
ステラが空中のシエラに向けて目に見える速さの両剣を回転させ投げつけた。
──ガキイィィィン!
しかしそれは予測していたかの様に弾かれる。シエラは斬り裂かれた盾の無事な部分を手に持っていた。自らの『存在の力』を盾に込めて強化し防いだのだ。シエラは傷ついた盾を捨て、もう片方の腕の手甲から糸を放出する。
「貫き──縫い止めろ!!」
無数の糸が多くの殺戮人形達の頭や体を貫き地面へ縫い止める。シエラは視力と空間把握能力と器用さに長けていた。糸という獲物を選び、これまで操る鍛錬を怠って来なかった。
「天狼の巫女……なかなか、やる」
ステラの手に投げつけた両剣が吸い込まれる様にその手に戻る。シエラが着地をした少し離れた位置にステラが立っていた。
「見直した、でもステラ、接近戦、得意」
「いえ、もう勝負はついていますよ」
ステラが接近しようと試みる──しかし体が動かない。その両足には存在の力の糸が絡みつき自由を奪っている。
「!? いつの間、に?」
シエラは左手から放った糸を地中に潜らせその糸を操り、ステラが獲物を投擲した瞬間に足元から糸を突き出させ糸で拘束していた。
「種明かしは出来ません。そしてこれで──」
両手の親指に存在の力を込め──シエラは糸を弾いた。
──ピイィィイン。
それは破壊の旋律。
「──終わりです」
糸を伝いシエラの大きな力が流れ込む。ステラの細い両足は、小さな爆発音と主に弾け飛んだ。そのまま彼女はうつ伏せになり地面へと自らの重みで叩きつけられた。
レナは前線へ戻ると凄惨な光景を目撃した。巨大な黒い熊の様な怪物がその剛腕を振るう度、戦士達が傷を負いながら武器ごと跳ね飛ばされて行く。その周囲には多くの負傷兵達が後ろに下がっており、戦士達の血で大地を赤く染め上げていた。一方怪物の方は全くダメージを負った気配が無い。
──グオオォォォ!!
「ちくしょぉぉぉ!! 離しやがれ!!」
怪物がハーフブラッドの戦士の一人の体を掴み上げた。その戦士は反撃とばかりにその手に持った剣で怪物の目を貫き、周囲の兵士達もその手に持つ武器で全力攻撃を仕掛けたが──。怪物は無視したかのように捕まえた獲物の頭を食い千切る。すると、体の傷がみるみるうちに再生され、ダメージを無かった事にされてしまう。レナは助けに行く事に間に合わなかったが、それを遠くから走りながら見ていて気付く。
熊の怪物は人に宿る「存在の力」を肉体ごと喰らい、その身に吸収し欠けた部分の体を補っているのだと。ヴォルフも前に出ているが防戦を強いられている。
「お前ら、包囲の陣形を緩めるな!! こいつに捕まるのだけは避けろ!! 味方が捕まったら腕か頭を狙って斬り落とせ!! 負傷した奴は下がって交代しろ!!」
ヴォルフは的確な指示を出しているが戦況は一向に良くならない。レナが来た事に気付いたヴォルフは手短に現状を伝えた。
「レナか! こいつは強い再生能力持ってやがる、一度俺が首を斬り落としたがそれでも再生しやがった! 弱点は探っているが、こいつを確実に倒すにはシエラの力を借りるしか無ぇ」
「分かった、すぐに加勢に向かうよ! ──みんな! 待ってて、必ず連れて来るから!!」
そのまま走り出すレナの後ろ姿を横目で見遅り、ヴォルフは覚悟を決める。
「さて、俺の後釜が成長するまでは死ぬわけには行かねぇな」
シエラの存在の力の糸に縫い止められていた殺戮人形達もランページの戦士達によってトドメを刺され、前線の戦況はランページ側の優勢となっていた。両足を失ったステラを見おろす形で、シエラは消滅の魔眼を発動しようとする。
「ごめんなさい。止めを刺させて頂きます、ステラ」
「まだ、おわって、ない」
ステラは地に伏せながらも目にも見えない速度で両剣を投擲する──しかしシエラは自分の周囲へと予め無数の糸を縦に張りめぐらし、そ軌道を逸らすどころか両剣を地面へと跳ね返した。シエラは勝利を確信しつつ能力を発動する──。
しかしシエラはステラ切り札に気付いていなかった。両剣を投擲した後にそれをコントロールするカラクリ。それはステラの操る『存在の力の糸』。シエラと似て非なる力、物質に接続し、動かし操る力。ステラは倒れた筈の殺戮人形の一体へと糸を接続していた。
「……油断、大敵」
シエラの背後の殺戮人形が唐突に起き上がる。そして、存在の力が込められ通常の状態よりも何倍ものスピードでシエラの背後から襲いかかった。
──ザクリ。
長い黒き刃が肉を貫く音。殺戮人形の小さな体を横から貫く。
ライトブラウンの髪を揺らしながら前傾姿勢で軍刀を前に突き出し現れた人間の少女、レナ・バレスティ。しかし殺戮人形の動きはそれでも止まらない、体をじたばたとさせてステラの糸から伝わる命令通りにシエラを抹殺しようともがく。
「破ノ型──穿孔滅牙!!」
そうレナが叫ぶと同時に、イヴ・イルシオンの軍刀の幾何学的な文様が浮かび上がり『レナの存在の力』が増幅され、殺戮人形を爆散させた。




