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星の日  作者: しんし
1/1

邂逅

 裏庭に降り立ち、ゆっくりと歩き出す。塔の正面へまわり古い木製の扉を開くと、ギィ、と錆びた音が小さく響いた。

 塔へ足を踏み入れた青年を、彼の記憶に違わぬ狭い空間と上階へ続く螺旋階段が迎えた。明かりは無く足元はほとんど見えないが、幼少期をここで過ごした彼は感覚だけで上ることができた。階段を上りきった所の扉の奥に、彼が暮らしていた部屋がある。

 彼、ミスラは、つい先日まで北の街のミステル騎士団に所属していた。契約期間の満了により騎士団を退団し、光の月一日付けで「中央」と呼ばれているこの街の自警団所属になる。そのためにこの街へ帰ってきた。

 とはいえ、明日光の月一日といえば、新年初日である。自警団の業務はその性質上年中無休だが、星の日の今日同様ほとんどの団員が休暇で、書面上の就任日は一日付けとなっているものの就任式が行われるのは二日だ。ミスラも一日は休むよう事前に言われていた。(もっと)も、ミスラひとりのために新年早々休み返上で就任式なんぞ誰もやりたくないだろう。ミスラだってやりたくない。

 そういうわけで、夜が明けてからのんびり来てもよかったのだが、書面上は一日付けなのだからと念のため、一日になる前に街に着いているように北の街を出てきたのである。

 今日、星の日は、年に一度一日中空に太陽も月も無い状態が続くという不思議な日で、「年に一度星が眠る日」や、光の月一日に誕生したとされる星の「創造の日」などといわれている。一日中暗いため家族や友人同士で集まり家にこもって夜明けを待つ。夜が明けたら新年を祝う。

 星の日の暗く寒い中を飛んで来なくとももう幾日か前に発てばよかったのだが、騎士団で親しくなった者たちはぎりぎりまで引き止めてくれたのでそうもいかなかった。ぎりぎりまでというのは昨日の日没、星の日が始まる直前までである。

 もう一年いればいい、最後に星の日を共に過ごさないか、と引き止めてくれた騎士団の面々は、星の日が近づき辺りが暗くなり始めた頃、ようやくミスラを解放した。次の行き先が決まっているから言われるまま残ることはできない。心からの感謝を伝え、再会を約して彼らの元を発った。

 そうして訪れたこの街は、ミスラが幼少期を過ごした街だ。帰ってきたといえなくもないが、少々特異な生い立ちのためこの塔に再会を喜ぶ知人や友人と呼べる者はない。それにミスラはこの街を離れるその瞬間まで塔の敷地から出ずに過ごしたため、街の様子も知らない。ほとんど新天地と言っていい。

 確か、街が近づいて塔が見えたのが午前一時を少し過ぎた頃だった。夜明けまではまだ随分、丸一日ほど時間がある。解放されてすぐ向こうを発ったらこの時間に到着したというだけで、ミスラはここへ寄り道することを、別段決めていたわけではなかった。ただ、数年ぶりに帰ってきたこの街の、塔が見えた時、何となく寄っていこうと思ったのだ。



「何も変わってないな、ここは……」

 数年振りに足を踏み入れたその場所は、部屋の主が姿を消してもそのまま放置されていたらしい。壁のランプに魔気を放るとじわりと灯ったが、長い間放置されていたせいか光は弱く、ゆらゆらと明滅して頼りない。

 ぼんやりと照らし出された薄暗い室内をざっと見回す。擦り切れた絨毯、草臥れた寝台、机に床に積み上げられた本の山、部屋全体が少し埃っぽいところもあの頃のままだ。

 ——いや。本は、確かここを出る前に書庫になっている隣室へ移したはずだ。本棚に入るだけは収めた記憶がある。一、二冊仕舞い忘れたかもしれないが、積まれた本には埃が積もっていない。誰かがここへ来たのだろうか。

 隣の書庫には日常生活で役に立つ本も子供向けの絵本の類いも無いが、いつ使うのかわからないようなのはいくらでもあった。ミスラがここを出て、今日でちょうど九年になる。その間に誰かしらここを訪れた可能性はあるが、本のためにわざわざここへ立ち入る者がいるのか、果たして。

 先程はただ変わらないと感じただけだったが、なんとなく息苦しい気がして、外の空気を吸おうと裏庭に面した窓へ近付く。

 ここで暮らせと放り込まれた時には既に歪んでいてぴたりとは閉まらなかったその窓は、ミスラの記憶にはない隙間ができていた。外へ向けて押し開く様式だが、限界を超えて内側へずれてしまっている。力をこめて押してみても軋む音を立てるだけで、正しい位置に戻らない。早々に諦めて窓台に視線を落とすと、積もった埃を乱雑に拭ったような、何かがずったような跡があった。指でなぞってみてもひやりとした石の感触があるだけだ。

 やはり、誰かがここを訪れたのだろう。それもごく最近に。

 訪れただけならいい。誰かが昔の自分のように、この部屋に押し込められているのでなければ。

「いや、まさかな……」

 ミスラは物心つく前に塔の裏庭で拾われたが、その身に宿す魔気(自然界に存在する魔気「ミール」と区別して「セレマ」と呼ばれる)が多かったため、セレマの少ない者たちの暮らす居住塔ではなく敷地の隅に建つ離塔に隔離されて育った。魔気の性質の関係で、セレマの少ない個体はセレマの多い個体を遠ざけようとする傾向がある。

 セレマの量は遺伝によるところが大きいといわれている。セレマの少ない者ばかりのこの塔内で、膨大なセレマを持つ子が生まれることはまずない。

 けれどもし、自分のようにセレマが多いことを理由にこの離塔での生活を余儀なくされた子どもがいるとして、その子どもが外の世界を望むのなら——いや。自分が塔を出てから生まれたとすれば、まだ幼い子どもだろう。塔を出てしまえば塔の人間に疎まれることはなくなるだろうが、自分は子どもの面倒なんてとてもじゃないが見れない。このご時世にごまんといる孤児を寮に住まわせて積極的に面倒を見ているらしい中央学園へ連れて行けば、引き取ってはくれるかもしれないが。

 そこまで考えて、ミスラは自らがどうにかしてやろうなどと考えたことに驚いた。

 ミスラは自分はどちらかというと冷めている方だと思っている。幼い頃から多くの本を読んで育った。中には壮大な創作や鮮明に描かれた自叙伝もあったが、感情移入などはしにくい性質であったし、特段お節介でも世話焼きでもない。助けを求められて手を貸すことはあっても自ら首を突っ込むようなことはしないし、これ以上の援助は不要と思えばその時点できっぱりとやめる。それにそもそも存在するかもわからないものに何を気を揉んでいるのやら。感傷にしたってらしくない。

 ミスラは小さく息をついて、室内に視線を戻す。ランプが調子を取り戻したのか先程より幾分明るくなったように感じられるが、それでもやはり薄暗い。目が慣れてきただけかもしれない。これならいっそ、外の方が明るいくらいだろう。

 星の日の空には太陽も月も無いが、この辺りは雲ひとつない快晴で、ここへの道すがらゆったりと空を飛びながら眺めた星空はとても綺麗だった。湖の上を通りかかった時には頭上と湖面に散りばめられた無数の星に包まれて、いつか本で読んだ宇宙とはこんな風だろうかと考えながらその景色をしばらく堪能した。この時期の湖に浸かれば凍えてしまうから指先で触れるだけにとどめたが、天幕を切り取って敷いたような湖面の星空は飛び込みたくなるくらいに、吸い込まれそうに美しかった。

 指先で揺れた星空を思い出していると、書庫になっている隣の部屋でどさりと物音がした。人が立ち入った形跡はあった。ごく最近のことだろうとも思ったが、まさか。

 物音に自然と書庫へ向いた意識が、質量を感じる程の濃密な神気を捉える。書庫から漏れてきているらしい神気がきらきらと光って、書庫へ続く通路は灯りのあるこの部屋よりも明るいくらいだ。

 ここに立ち寄ったのはただの気まぐれだったが、柄にもなく緊張していたのだろうか。塔の住人に見つかっては面倒だからと周囲の魔気を探りまでしたのに、この鮮烈なまでの神気に気付かないとは。

 自分のまぬけさに肩を竦めながら通路を進み、そっと書庫を覗き込む。室内に神気が満ちている。その隅の方、床に置かれたランプが柔らかな光を放つ傍らに、神気の塊があった。座り込んで何か本を読んでいたようだが、こちらに気付いたのか、徐に顔を上げた。警戒されるだろうと予想していたが、向けられたのはどこか困ったような視線と、静かな声だった。


「誰か、いるのか?」



◆ ◆ ◆


 書庫に在った神気の主は、いくらか年下に見える少年だった。本を探しているというからどんな本かと問うと、少年は首を傾げた。

「どんな?」

「うん? 本を探すんだろう、手伝うよ。この後用事があるにはあるが、まだ随分時間があるし……何て本だ? 作品名は、それか著者」

 この書庫の蔵書はすべて、ここで暮らしていた時にひと通り読んで把握しているから、作品名さえわかればここにあるかどうかわかる。尤も、住人たちの寄り付かない場所とはいえミスラがいない間に蔵書が変わっている可能性はあるし、どこにどの本があるかまではさすがに覚えていないが。大雑把にではあるが本の内容や著者によってしまう棚を決めていたから、ここにあるとわかれば簡単に見つけられそうだが、少年は首を横に振った。

「わからない」

「そうか。なら、内容は? 専門書を探してるなら、分野だけでも」

「ひとを助ける方法が書いてある、読める本を」

「治療者向けの本でいいか? で、読め……」

 読める本とは。ミスラは思わず首を傾げた。ひとを助ける方法というのも漠然としすぎている。

「読める本、ってなんだ? 専門書じゃ読んでもわからないか?」

「うん? わからない。読めれば、なんでも」

「そのわからないは何についてだ……? 助けるってのは? 病気か、怪我か」

 言いながら、適当に目についた医学書を棚から抜き取る。

「病気でもけがでもない」

「違うなら、まあ、よかったが。それなら何に困ってる? 本でなんとかできそうか?」

 手にした本をパラパラと流し読みしながら問うと、暫し沈黙がおりた。視線を遣ると、少年はどこかぼんやりと足元のランプを見つめていた。揺れているのはランプの炎だが、少しだけ少年の瞳も揺れたように見えた。

「わからない。ただ、助けてほしいと。お願いだからと」

「それは……」

「星の日は皆、部屋にこもって祈る。そういう決まりらしい」

「うん? ああ、そうらしいな。なんだ、急に」

 誰かがこの少年に助けを求めたらしいことはわかった。それしかわからない。要領を得ないとため息を吐きかけたところで急に別の話題を振られて、ミスラは再び首を傾げた。

 太陽が沈んでから星の日が明けるまで自室にこもり、塔の安寧と繁栄を願って地下の黒天使へ祈りを捧げる。この塔の住人たちの、規則に近い習慣だ。ミスラは幼少期をここで過ごしたためその習慣の存在は知っているが、なぜ今その話が出てくるのか。

 急かすでもなく待っていれば、少年はランプを見つめたまま話し出す。

「星の日は誰も部屋に来ない。今回もそうだと思っていた。決まりを破ってまで、必要ないことをお願いしにくるのか?」

「来ないだろうなぁ。しかしその様子じゃあ、きみは何をどうすればいいかわかってないだろう。必要なことだとしても、なぜきみに?」

「他のひとには頼めないと言っていた」

「……そうか。っと、失礼」

 本を探すのを中断して、床に置かれたランプを挟んで少年の正面に座る。何とはなしに見回した室内は少年から溢れ出す濃密な神気で満ちていて、ランプの放つ小さく柔らかな光以外に照明の類は無いのに、高い天井にまで届く壁一面の本棚は神気の光に照らされて闇に溶けず、ぼんやりとだが視認できる。

 すごいな、と半ば無意識に呟いたミスラの声に、ランプを見つめていた目がミスラの視線を追って本棚を見上げた。魔気も神気も、ミスラの目には見えているが基本的には目に見えないものだ。この部屋は少年の目にはどう映っているのだろう。本が並んでいて、梯子がかけられている、ただそれだけなのだろうか。ミスラが本棚から少年へ視線を移しても、少年は表情の読めない顔で本棚を見上げている。

 時間にはまだかなり余裕があるが、ここへは寄り道で訪れただけで、用事は別にある。申し訳程度の荷物は比喩ではなく五分もあれば片付くので荷解きなど考慮する必要はないが、これからしばらく住むことになる自警団の宿舎の自室や施設をひと通り確認しておきたい。手伝うとは自分から言い出したことだが、いつまでもこうしているわけにはいかない。

 本棚を見つめる少年の様子を暫く眺めてから、ミスラは、それで、と切り出した。

「きみは一体何ならわかるんだ? 助けてくれと頼まれた時、何に困っていて、どうしてほしいのか、言われなかったのか」

「身代わりになった友達を助けてほしいと言われた」

「身代わり?」

「友達は長という塔でいちばん偉いひとの娘だというから、その長の部屋へ行ったら、元はと言えばお前のせいだと、お前の力が足りないせいだと言われた。それで、出て行けと言われて、部屋に戻った」

「お前のせい……? その長の娘ってのは、何の身代わりになったんだ?」

「助けてほしいと言ってきたひとの身代わりになった」

「いや、だから……。身代わりになって、どうなった? ひどい目にあったのか」

「塔を出て行った」

「ああ。それで、助けてやりたいって?」

「うん」

「うん……」

 塔を離れた住人を助けてくれというのは、十中八九"ミールによる汚染"から守ってくれということだろう。塔の住人たちのセレマは極端に少ない。この街のミール濃度は他の街と比べても低いが、それでも身体が耐えられないためやむを得ず、神気が満ちていてミールがほとんど無いこの塔に閉じこもって生活している。塔を離れては、長くはもたない。とはいえ、彼らは皆有事に備えてミールから身を守るための魔装具を所持している。いつ何の用があって出て行ったかはわからないが、短時間なら何とかなるだろう。いくら神気が強くともそれをただ垂れ流してしまっているこの少年が塔を出られるはずもない。それならまだ、助けてほしいと言ってきたその本人が自力で何かしら行動する方が賢明ではないのか。現状この少年にできることなど無いように思えた。

 しかし。


「頼まれたら、応えなければ、ここにいられなくなる」


「きみが? まさか」

 耳を疑った。ここに、いられなくなる? そんなはずはない。

 ミスラの記憶が正しければ、塔には今、星の日に中庭で拾われたという「地下の黒天使様の生まれ変わり」とされる存在がいるはずで、凄まじい神気から察するにこの少年がその生まれ変わりとやらの可能性が高い。

「地下の黒天使」とは、その身から湧き出す膨大な神気によって塔を守ってきたという存在だが、今ではその力をほぼ失っている。現状、塔を包む神気はこの少年のお陰で保たれていると言っていい。住人たちにしてみれば、この少年は、ただここに在るだけで自分たちを生かす存在だ。有益なんてものじゃない。それを塔から追い出して、困るのは住人たちだ。

「誰かが、そう言ったのか? 願いに応えなければいけないと」

「いつも言われている、皆から。天使様、助けてください、と」


 皆を助けて。

 塔を守って。

 その代わりに、貴方の生活は保証する。

 ここにいればいい。

 ここには食べ物も、寝る場所もある。

 何もしなくても、大人たちが貴方を守る。

 外は危険だから、どこにも行かないで。

 その力で、皆を守ってください。

 天使様、天使様!


(……まるで脅しだな)

 天使様、と呼ばれているということはやはりこの少年が「地下の黒天使様の生まれ変わり」なのだろうが、纏う神気が尋常でないことを除けば、少しばかり華奢なだけのただの子どもだ。

 衣食住揃っていて大人たちが守ってくれるとだけ聞けば、このご時世だ、恵まれていると思えないこともないが、少年がひとりでは立てないように仕向けられているようにも思えた。塔の住人たちは「天使様の生まれ変わり」の力に縋るしかない。この少年の神気を失えば、セレマを持たない者は生きられない。こんな子どもを捕まえて閉じ込めても、守るからどこにも行かないでくれと言うしかないのだ。

「天使様……か」

 目の前の少年は、おおよそ被害者の顔はしていない。気付いていないのか受け入れているのかはわからないが、少年は不満を抱くわけでも、諦観しているわけでもなく、ただあるようにここにいるだけだ。ランプの炎を映して鮮やかな夕暮れの瞳をした少年の、感情の乏しさが、ミスラはなぜか無性にかなしかった。

「なあ」

 かなしくて、だから、少年のなにかそういった()()()()()()()()とは別のところで、関わりを持とうとした。

「俺は夜が明けたら、この街の自警団の第一部隊所属になる。少なくとも向こう一年は籍を置く予定だ」

 唐突に語り出しても、少年はじっとこちらを見るばかりで微動だにしない。

「出動がなければ基本的には街にいるから、何か困ったことがあれば頼ってくれ。俺にできることなら、力に……と言ってもきみは塔を出ないと思うが、俺が」

「なら」

 自分がここへ来るから。と言う前に、ぽつりと落とされた声に遮られた。

「本の読み方を教えてほしい」

 驚いて言葉に詰まると、少年はまっすぐにミスラの目を見据えて言った。

「字が読めない。困っている」

 そんなところだろうと思ってはいたが、なるほど、読める本とは。

「わかった。時々ここへ来るから、都合が合えば字を教えよう。久しぶりに読みたい本もあるしな」

「本を、読めるように」

「書けるまでにしてやるさ」


 そんな約束を、してしまった。



◆ ◆ ◆


 ミスラが自警団の宿舎に着いたのは、午前三時を回ろうかという頃だったが、それにも関わらず予想外の出迎えがあった。

「こんばんは。私が自警団団長のユウキです。よろしく」

「これは、驚いたな……明日から第一部隊に配属されるミスラです。よろしく」

 団服を着込んだ青年が恭しく礼をして見せるのに、ミスラも同じように返す。お互い顔を上げると暫し見合って、どちらからともなく笑った。

「あの時は本当に助かったよ、ありがとう」

「ああいうのはお互い様だろう。俺も色々と勉強になった」

「うん、とても勉強になったし考えさせられた。昨日の事のようでもあるけど、なんだか懐かしいな」

 新人であるミスラが団長であるユウキと親しげに話しているのには理由がある。ユウキとは、ミスラが騎士団の魔獣討滅遠征に参加していた折、偶然出会った。

 自警団では正式な入団前の訓練生を現場に慣れさせるためと実力を見るため、補助要員として遠征に参加させることがある。北方の森周辺での魔獣の目撃情報を受け、ユウキの率いる隊が訓練生を伴って遠征に出たのだが、森に入って暫く、急な濃霧に見舞われて焦った訓練生がはぐれてしまった。その訓練生を、騎士団の本隊と別行動をしていたミスラが偶然発見し保護した。

 そのはぐれた訓練生というのが、能力はあるが少々きつい性格で自警団員が手を焼いていた少女(初対面のミスラの感想は「とんだじゃじゃ馬」だった)で、それがどういうわけか合流を果たした時には妙におとなしくなっていた。それを心配した団員が謝辞もそこそこにミスラを詰問し、そこへ騎士団が追っていた魔獣の群れが現れ、さらに群れを追って来た騎士団が割って入ったのでその場は一時かなり混乱した。

 とはいえその場に居合わせた面々は皆それなりの手練れである。ひとまず協力して群れを退けたが、訓練生の件に納得していなかったらしい団員のひとりが話を蒸し返したことでもう一悶着あった。ミスラがもう帰っていいかという言葉を飲み込んで冷静に詳細を話して事なきを得たのだが、まあそういった関係で親しくなった。

 今回の移籍は、ユウキからの打診を受けてのことである。

「団長直々に出迎えとは、人手不足は深刻らしいな。あの時の彼女は元気か?」

「おかげさまで彼女は元気だよ。驚かせようと思ったわけではないけど、人がいなくて仕方なく出てきたわけでもないよ。星の日でみんなお休みなんだ」

「それで、わざわざ?」

「ううん。星の日だからって、庭でみんなでお茶してるんだ。私は非番じゃないけど、急ぎの仕事も無いし、折角だからみんなと過ごそうと思って。そうしたらこんな夜更けに飛んでくる人影が見えたから」

「ああ……」

「そんな軽装で、空は寒くなかった?」

 ミスラが大丈夫だと答えると、ユウキは笑って、案内するよとミスラを宿舎の中へ促した。

 二人で屋内へ足を踏み入れてすぐ、ユウキは立ち止まって正面の扉を指した。

「正面が寮監室、隣の大きい扉は医務室。設備のことでもそれ以外でも、何か困ったらここに来れば寮長が話を聞いてくれると思うから、何でも相談して。寮長は治療者としても優秀だから、体調や怪我のことでも遠慮なく」

「わかった」

「寮長が不在の時は、そうだな……私のところに来てもらってもいいけど……とりあえず医務室には絶対に誰かしら居るから、体調のことなら医務室を覗いてみてもらったら確実かな。そうは言ってもみんなまずは寮長のところへ行くみたいなんだけど」

「慕われているんだな」

「うん。今も、みんなに呼ばれてお茶してるよ」

 騎士団もそうだが、こちらも団員同士の仲は良いらしい。

「向こう側は主に女性が使っていて、普段はあまり行かないかな。用があれば行ってもらって構わないけど。男性の部屋はこっち、先に部屋へ案内しようか。荷物もあるだろうしって思っていたんだけど……荷物、それだけ?」

「ああ、必要なものは現地調達で済ませているから。しょっちゅう引っ越すんだ、身軽な方がいい」

「そう、確かに」

 ユウキがひとつ頷いて歩き出したので、それに続く。庭では団員が集まって賑やかにお茶しているらしいが、時間が時間なので廊下は薄暗く静かだ。僅かに響く二人分の足音を聴きながら並んでしばらく歩いていると、ユウキはふと顎に手を当て、思い出したように言った。

「そういえば……ミスラ、この街に住んでいたことがあるって」

「うん? ああ、幼い頃に。もう随分前になるが」

「ひと通り見ておいた方がいいかと思って連れてきてしまったけど、配属は明日からだし、式は明後日だし、それに今日は星の日だ。どこか行きたいところとか、会いたい人がいるなら行ってきてもいいよ?」

「いや、そういうのは特にないな。宿舎に着いたらそのまま休ませてもらおうと思っていた」

 正直に答えたつもりだが、ユウキは立ち止まってなにやら真剣な眼差しでミスラを見た。

「本当に?」

「うん……?」

「そう。何か気がかりがあるように見えたけど……。気のせいならいいんだ、気にしないで」

 笑って彼は再び歩き出したが、まだどこか腑に落ちないような顔をしている。それに半歩遅れてついて行きながら考える。

「気がかり……」

「なにかある?」

 あるといえば、まあ、ある。先程塔で出会った少年の事だ。


 ミスラが宿舎へ向かうため塔を後にする少し前、少年が「ひとりで部屋を出たのは初めてだ」と言ったのでどうやって離塔のこの部屋へ辿り着いたのかと尋ねると、彼は「窓から出て窓から入った」と答えた。いつもいる部屋の窓から飛び出して、裏庭に面したあの窓から入ったのだと。窓が壊れていたのはそのせいかと得心がいったが、空を飛べるのかという問いに彼は首を傾げて「わからない」と言った。まったくわかることの少ない少年である。

 自分でも理解していない少年のよくわからない説明を受けて難儀したがまとめると、神気の扱い方についてはよくわからないが、とりあえず爆発させたらその反動で誰かが開けてそのままになっていた部屋の窓から文字通り飛び出した、ということだった。彼が普段過ごしている部屋の窓からこの部屋の窓が見えていて、ここに書庫があることと本から知識を得られることを世話係が教えたらしかった。

 めちゃくちゃだ。勝手もわからないのにとりあえず爆発させるなんてわけがわからない。第一、世話係がいるのなら本だって世話係に頼めばいいのだ。自力でどうにかしようとした結果なのだろうが、爆風で飛び移るなんて方法をどこで覚えたのやら。

 とにかく同じ方法で戻るのは危険なのでやめるようよく言い聞かせたが、歩いてきたのではないなら来た道を戻ればいいというわけにはいかない。それにこの少年がひとりで出歩いていたことは、バレるとまずいのではないか。彼は歩き慣れていないようで壁伝いに歩いていたし、多少危険ではあるが、ミスラは自分が窓から戻してやれば良かったのではないかと思う。

 彼はちゃんと無事にいつもの部屋に戻ったのだろうか。全く気にならないというわけではない。

「そういえば……」

「ん?」

「ここへ来る途中少し寄り道したんだが、忘れ物をした」

「え、大丈夫? 必要なら手伝うけど」

「ああ、いや、さすがに眠い。ひと眠りしたら行ってみるよ」

「そう? まあ、そろそろ明け方だしね……いや明けないのか……と」

 いつの間にか、廊下の突きあたりまで来ていた。ユウキは一番奥の扉の前で立ち止まると、振り返ってミスラに鍵を差し出した。赤色の細い輪に、形も大きさも異なる銀色の鍵が三本さがっている。

「ここがミスラの部屋。これ、大きいのが部屋の鍵で、小さいのは机の引き出しと、細長いのが棚の鍵。部屋の鍵は寮長が予備を持ってるけど、他はそれしかないからなくさないようにね」

「わかった。ああ、出動の時はどうしてるんだ? 失くしそうなんだが」

「みんな寮長に預けて行くけど……騎士団ではどうしてたの?」

「向こうは全部自動で、こういう鍵はなかったな。最初にセレマを登録したら、あとは入り口で機械が勝手に照合して、扉の開閉も施錠もやってくれる」

「開閉もぜんぶ……自動……?」

「扉の前に立つと、扉がこう、横の隙間に引っ込む」

「ええ? それって引き戸?」

「まあ構造的には近いか。引き戸をそのまま自動にしたような感じだな」

 身振り手振りを交えてもいまいち伝わらない。実物を見てもらえば手取り早いが、自動の扉なんて北の街以外では見たことがない。

「俺も初めは戸惑ったが、北の街はどこもそうだからいちいち驚くわけにもいかなくてすぐに慣れた。ユウキも行けばすぐに慣れるんじゃないか?」

「んん、横に……やっぱり引き戸だよそれは。魔気で動かしてるってこと?」

「さあ? 構造については学ばなかったから、自動だいうことしかわからないな」

「そう、うん……ちょっと想像できないけど行ってみたくはなった。ええと、部屋は今日からここを使って。他の案内は……後日でいいかな」

「ああ、ありがとう」

「疲れたでしょう、ゆっくり休んで。掃除はしてあるけどずっと空き部屋だったから、備品とか足りないものがあったら言ってくれればこっちで用意する。枕はごめん、合わなかったら自分で調達してね」

「机とベッドがあるなら十分だ。枕はなんなら無くても寝られるから平気だよ」

「あはは、うん。じゃあ、おやすみ。よい眠りを」

「ありがとう。おやすみ」

 来た道を戻っていくユウキを見送って、受け取った鍵を鍵穴に差し込んで回すと、かちゃりと小気味良い音がする。そっと戸を押して中に入ると、入り口のそばに机とランプ、奥には棚と、窓際にベッドが置かれていた。空き部屋だったと言っていたが、綺麗に整えられていて埃っぽさもない。

 荷物と外套を机に置き、ベッドへ向かう。横になると途端に睡魔に襲われて、抗うことなく目を閉じた。

 少年の名を、聞いていない。


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