その2
私には姉が一人いる。
両親は不慮の事故で亡くなってしまったので、2人で暮らしていた。結婚を反対されていたようでどちらの親戚にも会ったことがない。私にとってたった一人の家族だった。大変なこともあったけれど、穏やかで平和な日々。緩やかな幸せがこのままずっと続くと思っていた。
姉が突然失踪してしまったことによってそれは一瞬で崩れ去ってしまったのだけれど。
ゆっくりと意識が浮上する。目を開けると2人の男の人と女の人が私をのぞき込んでいた。
「おっと、目が覚めたか」
「気分はどう?起きられるかしら」
「…………ここは」
起き上がるとあたりはすべて白、白、白。病的なほど白い空間が広がっていた。隣には話かけてきた男女、少し離れたところには十数人程だろうか、こちらを伺いながら話をしているようだった。
「ここは『不思議の国』の入り口だ。いきなり驚いただろうが……チェシャからの薬を飲んでこの世界に来たのだろう?」
「はい。どうしてそれを」
「俺たちもあんたと同じだからさ。大切なものを取り戻すためにこの世界へ来た。先に自己紹介をしようか。俺はジル、こっちは」
「クレアよ、よろしく」
「他の奴らは後からな。状況がわからないままだと進まないからな。チェシャからロクな説明されてないだろうしな」
「……おっしゃる通りです」
ジルとクレアの話はこうだった。これから行く不思議の国で、住人の願いを聞くと鍵の一部をもらえる。その鍵はその人にとって大切なものを取り返す手がかりであり、鍵を完成させるとこちらの願いを叶えてくれる、らしい。ただ、この鍵の一部同士は何故か『アリス』しかくっつけることができない。
「『アリス』?チェシャにも言われたけど私は」
「鍵を作れる能力を持っている子を総称して『アリス』って呼んでいるのよ。『不思議の国』に入る前にチェシャからプレゼントをもらえるんだけど、何も聞いていないわよね?」
「はい」
「そう。……だったらやっぱりあなたが『アリス』ね」
「…………?」
「どういうことかわからないって顔をしているな。不思議の国へ行ったら追々分かってくるさ」
2人の説明はチェシャの説明よりも大分わかりやすかったが、理解できたかというと簡単には頷けない。
(こんなふわっとした条件で本当に大丈夫なのだろうか……?)
「あの、一つお聞きしてもいいでしょうか」
「おっと、なんだ?」
色んなことをとりあえず置いておくとしても一番気になっていることは。
「不思議の国へはどうやって行くんですか?」
チェシャも2人も言っている不思議の国への行き方だ。ここは白い空間が広がっているだけで何もない。ジルは不思議の国の入り口だと言ったが、とてもそうには見えない。
「あぁ、言い忘れてたぜ。扉を作れるのも『アリス』だったな」
「床に手を当てて扉をイメージしてみて。不思議の国への扉が作れるわ」
「は……?」
「疑いたいのは分かるんだけどいいからやってみて」
半信半疑で両手を床に手をつき、目を閉じて扉をイメージする。すると一瞬手が熱くなったので驚いて目を開けてみると、そこには重厚な雰囲気のこげ茶色の扉があった。両開きな扉の片一方を開けると、真っ黒で先は見えない。
「すごいわ、思ったより早くできたわね」
「よし、これで行けるな。……おーい!行くぞ!」
(え。この中を行くの?)
私の不安をよそに、みなためらいもなく扉を開けて中へ入っていく。
「俺たちも行こうか。もしかして怖気付いたか?」
ジルはニッと笑うと私の手をとった。
「不思議の国へようこそ、アリス!歓迎するぜ」
「――――!?」
そしてそのまま扉の中へダイブする。落ちてしまう……!想像する衝撃に思わず目をつむったが思った以上に足が地につく感触が早かった。
「あれ……?」
「落ちると思ってびっくりしたか」
「最初はムリもないわよ。ジルったら乱暴すぎ」
おそるおそる下を見ると、足元には豪華な模様の赤い絨毯。上を見上げると大きなシャンデリアがキラキラと輝いていた。壁には大きな絵や調度品が飾られており、素人目にも高価であるということがわかった。どうやらさっきの扉は大きな屋敷につながっていたようだ。……これは不法侵入になるのではないのか?他の人たちはここへたどり着くことを想定していたのだろうか。内心ヒヤヒヤしているのは私だけのようで、取り乱している人はいなかった。
「公爵夫人の屋敷だな」
「ジルは行ったことがあるのね。私は初めてだわ」
「あぁ。公爵夫人の願いは確か」
「────何やら騒がしいわね」
鈴を転がしたような綺麗な声が降ってきた。部屋の真ん中にある大きな階段から豪奢なドレスを着た女性がゆっくりと下りてくる。一階まで数段を残してピタッと止まった。大きな扇子を開き口元を隠しながら目を細めこちらを一瞥する。
「公爵夫人」
「こんな大人数で押しかけてくるなんて嫌ね」
「そうかい。用が済めばすぐに出ていくさ」
「そうして頂戴」
ジルと公爵夫人と呼ばれた女性の間に何やら険悪そうな空気が流れている。身分が高そうなのにそんな口をきいて大丈夫なのだろうか。2人の間に何があったのか。
「鍵の欠片をどうしたらもらえる?」
「そうね、新しい扇子を作るために孔雀の羽が欲しいわ。取ってきて頂戴。あなた方にできたら、だけど」
「おおせのままに。……アリス、扉を作ってくれ。今度は壁に手をあてたらいいだろう」
「あ、はい」
ジルに言われたとおりに壁に手をあてて扉をイメージする。しばらくするとさっきと同じような扉ができた。
「あなたが『アリス』?」
「はい」
「…………」
公爵夫人はじっと私を見つめてくる。夫人の無機質そうな瞳からは何も感情が読めない。
「アリス、行きましょう」
「クレア……っわ」
クレアに声をかけられ振り向いたとき、何かにぶつかった感触がした。慌ててみると小学生くらいの小さな男の子がしりもちをついていた。
「ごめんなさい!大丈夫?」
「こちらこそごめんなさい」
いつの間にこんな男の子がいたのだろうか。男の子を立たせてあげて、どこにもけががないかを確認する。
「どこか痛いところはない?」
「僕は大丈夫です。お姉さんは?」
「……私も大丈夫よ。あー、えっと」
男の子に『お姉さん』と呼ばれたとき、ツキンと胸が痛んだが気づかないフリをした。ごまかすようにポケットを探る。
「確か……あった!これ、おわびのしるし。あげる」
「え…………?」
「アリス!行くぞ!!」
「じゃあ、本当にごめん。私は行くね」
戸惑っている男の子に飴を2、3個押しつけて私は扉へと走っていく。
「おい、そっちに行ったぞ!」
「意外と素早いから気を付けて!!」
「ここは俺がひきつけておく!」
(え、何が起こっているの!?)
目の前で起こっていることが信じられない。呆然と立っているのは私だけで、他の人たちは銃や剣、弓矢など様々な武器を持って『孔雀』へと向かっていった。その『孔雀』はというと……。
「ちっ、デカいと戦いづらいな」
「あんまり近づくなよ、近づきすぎると……」
「うわっ!こいつ火を吹くぞ!!」
10メートルはあるだろうか、大きく見上げないと全体も見えない大きさ。美しい羽ははためかせるたびに大きな風がおこる。火を吹きながらこちらを威嚇する様はまるでアニメで見た怪獣みたいだった。
「キィェェェェェェェェェェェェェェ!!!!」
……私の知っている孔雀と違う。