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考察ファントムペイン


 閉園後、誰もいない遊園地に、俺と弓岡さんはこっそり忍び込んだ。


 不意に、ギャアギャアとカラスの騒ぐ声がした。

 非常灯の緑色のランプだけがぼんやり光るゲートを抜け、ジェットコースターを目指す。


 俺としては、係員か警備員に、忘れ物をしたとか言って、入れてもらうつもりだったのだが、驚いたことに、まるで人の気配がない。

 無断で入ったが、警報が鳴ることなどなく、すんなりと入れた。


「不気味だな……」


 思わず身震いした。

 本来、人が多いはずの場所だからなのか。それともこの遊園地が、何か歪んでいるのか。


「肝試しね、本当に……」


 夏のぬるい風が吹く。弓岡さんの赤いサマーセーターが、暗闇の中で浮きあがるようだった。


 ■■■


 最初に引っ掛かったのは、「指輪をなくしたのはジェットコースターに乗っている間」だと、弓岡さんがはっきり言ったことだ。


 このジェットコースターは、急降下や急旋回を行う。そんな激しい乗り物に乗っている最中に指輪をなくしたとして、果たして気付くだろうか?


 仮に気付いたとするなら、「なくした後、後日指輪を探した」というのがおかしい。

 婚約指輪ほど大切なものをなくしたら、後日とは言わず、すぐに捜すはずではないのか。


 そんな違和感を覚えたままジェットコースターに乗った俺だが、俺を絞め殺そうとした手を見て、全てが繋がったように思った。


 あれは弓岡さんの左手だと。

 このジェットコースターで切断され、壊死したと思われる、彼女のなくした左手だ。


「どうして正直に言ってくれなかったんです」

「だって、私の千切れたまま、行方不明の手を探してなんて言ったら、断ったでしょう?」


 弓岡さんを見て、彼女の左腕が、肘から先にかけて欠損していることはすぐに分かった。

 だがそれと、婚約指輪の紛失を関係させて考えはしなかった。婚約指輪は一般的に左手の薬指につけるイメージが強いが、そうしなければならないと決まっているわけではない。


「確かに、捜すものによってはお断りしますと言いました、でもそれは、俺の力が及ばなくて捜せないと判断したものです。正直に言ってくれた方が見つけやすいですし――」


 そもそも、捜す対象が大きいほど、見つけやすいに決まっている。


「……そう。優しいのね」


 弓岡さんは泣き笑いのような笑みを浮かべた。


 ■■■


 水晶の振り子を静かに垂らし、俺は一歩一歩、コースターに近付いていく。


 微動だにしなかった振り子が、ぴくりと震えたと思うと――激しく揺れ始めた。まるで、見えない手が、振り子を揺らして遊んでいるみたいに。


 反応は、停まっているコースターの前で最大になった。スマホのライトで照らしながら、コースターの下、レールとの間の隙間を覗き込む。

 一瞬、かすかに紫の光が反射した。そこに手を伸ばすが、隙間が細くてうまく手が入らないし、何か引っ掛かっているようで、取れない。


「く……」

「代わってくれる?」


 苦戦する俺の隣に膝をつき、弓岡さんはひとつきりの腕を、隙間にそっと差し入れた。場所を代わる時、一瞬触れた彼女の手は、夜風にあたったせいか、ひどく冷たい。

 俺より細い彼女の腕は、するすると、白い骨を掬い上げた。その薬指には、紫の宝石の嵌まった指輪があった。


「……やっと、……」


 彼女は呟く。その先は、言葉にしなかったから聞こえなかった。


 ■■■


 弓岡さんは、小さな生き物を抱くように、細い腕を抱えていた。


「ありがとう。おかげでやっと見つかったわ、でもまさか、コースターの下に骨が挟まったままなんて」


 俺は急に寒気がして、身震いする――やはり、この遊園地は、何かがおかしい。


 だが、弓岡さんは俺に構わず、骨の手首を撫でながら話し続けた。


「……このジェットコースターに、私が乗ったのは、……彼と来た時よ」


 彼、というのは、その指輪を贈った婚約者だろうか。


「私はここで事故にあった。乗っている途中に手が千切れて、出血で気を失った私だけど、気がついたら病院のベッドで朦朧としてたわ……」

「……それは」


 何と言っていいか分からない俺に、弓岡さんは遠くを見ながら話す。


「私は左手をなくしたけど、それで分かったこともあるの。……痛みを訴えて、何かと不自由な私を助けてくれる人はたくさんいた。水落くんもそうね。人の優しさを知った……同時に、残酷さも知ったわ」


 骨を撫でながら、ふふふ、と弓岡さんは笑う。


「彼は、私がもう役に立たないなんて酷く罵って捨てたわ。彼は私と結婚を望んだけど、それは私のことを、都合のいい家政婦に使うためだったと分かった」

「……それは、酷いですね」

「水落くんに指輪を探してほしかったのは、この婚約指輪が大切だからじゃないのよ。ただ、彼ね――婚約を破棄したのだから指輪を返せと言ってきたの。失くしたことは知っているはずなのに、だったらその分の金を払えってね」

「……。」


 もはや言葉も出ない。

 そんな男と結婚しなくて済んだことを良かったとも思ったが、そんな慰めを口にしていいものかどうか。


「だから、ありがとう、本当に助かったわ。これで彼に指輪を返しに行けるから――じゃあ、いきましょうか」

「ええ……」

「あ、そうそう」


 弓岡さんは、最後に、振り返って意味深な笑みを俺に向けた。その目は、俺と、俺の後ろにあるジェットコースターを見ている。


「このジェットコースター、事故が多発していたそうね。今日の昼間に見た、男の人が気絶したのもそうなのかしら?」

「ええ、そうですね……でも、もう大丈夫じゃ――」


 言いかけて、俺ははっとした。

 あの男の人の首を、そして俺の首を、絞めた手が、もうジェットコースターに現れることはない。今こうして、彷徨っていた手は持ち主の元に戻ったのだから。

 しかし――そもそも、弓岡さんが遭った、左手を切断する元となった事故というのは――?


「信じるかどうかは、水落くんの自由よ。私はね、ジェットコースターに乗っている間――左手を何かに噛みつかれたの。見間違いでなければ、人の顔だったように見えたわ。振り払おうとしたら、凄い力で引っ張られて」


「ジェットコースターのどこかに手を挟んでしまったんでしょうなんて言われたけど、私、もともとジェットコースターが苦手なのよ。手を伸ばすなんてできなくて、いつもどこかにしっかり掴まっているの。それが、うっかりどこかに手を挟むなんて――そんなことあるかしらね?」


 弓岡さんが見たという人の顔もまた――ジェットコースターで起きた事故によるものなのか?

 事故が事故を呼び、新しい血で次々に塗り固められていくジェットコースター。そんなことを繰り返し、いつか、そこで何があったのか誰も分からなくなってしまうのではないか。


 弓岡さんは真っ暗な中で、ジェットコースターを見上げていたが、俺は振り返らなかった。

 ジェットコースターの向こうから、無数の手や怨嗟の声を上げる顔がこちらを呼んでいる光景が、はっきりと想像できたからだ。


 ■■■


 裏野ドリームランドからから帰ってきて三日後、由佳から電話がかかってきた。


『ありがとうございます。弓岡さんからお礼のメールがありました。頼まれていたもの、見つけたんですね、さすが、先輩です!』


 それを見て、そういえば由佳に何の報告もしてなかったと気付く。

 元はと言えば、これは由佳に頼まれた話だったからな……かといって、あの遊園地での出来事を詳細に説明して彼女を怖がらせる気にはなれない。


「あ、ああ……まあな」

『そういえば、遊園地、楽しかったですか?』

「別に遊びに行ったわけじゃないからなあ……」


 ちっとも楽しいことはなかった。むしろ殺されかけたのだが。

 当たり障りのない返事を返しながら、俺は大学へ行く準備をする。


『ちょっと気になって調べたんですけど、先輩の行った、ドリームランドっていう遊園地、もうすぐ廃園になるそうですよ?』

「へー、まあ、休日だったのにガラガラだったからな」


 電話をしながら居間に行くと、ばあちゃんがお茶を飲みながらテレビを見ていた。

 朝のワイドショーで、アパートに住む一人暮らしの男性が殺された事件を報道していた。ばあちゃんが「物騒だねえ……」と呟いている。


 外に出ると、強い日差しに一瞬くらりときた。目も眩むほどの夏は、もうすぐだ。


電話の続き。

『それにしても、遊園地に行って、遊ばないのって寂しいですね……』

「まあ、仕方ないな」

『何だか、私も久しぶりに遊園地行きたくなりました。一緒に行きませんか?』

「っ!? ま、まあ、仕方ないな」



弓岡さんの左手がないことに関する描写は、伏線として張ったつもりです。

風に揺れる服の袖、彼女を見た時の水落の反応、そしてわざわざペットボトルの蓋を開けてから渡した水落の行動など。

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