戦線
今なんとおっしゃいました?
少年はいまいち状況が理解できてなかった。
「早くしろ! もうすぐ動き出すぞ!」
「あ、ああ」
少年はデバイスを手首に取り付ける。すると画面に心電図の様な波形が表示された。
「それは貴様の生体反応だ。その反応が一定以上を示すことによって対象の人間とリンクすることが出来る」
「は? 何言ってるかさっぱりなんだが」
そのとき、今まで静観を決めつけていた蜘蛛の化け物がごごごと活動を始めた。
「うわ! 動いた!」
「ここまでか。少年、いったん逃げるぞ! 逃げながら説明する!」
少女は少年の手を引き蜘蛛の横を通り過ぎる。路地を右左右と、蜘蛛を少しでも撒けるように移動する。
「少年、手短に説明するぞ、貴様は私の武器になり、私があの化け物と戦う。分かったか?」
「いや手短すぎるだろ! 意味が分からねえよ!」
「理解しなくてもいい! 私の言う通りにしなければ死ぬぞ!」
「う・・・・・・分かった。で、どうやっておまえの武器になるんだ」
「そ、それはだな」
と、少女は少々口ごもり、少年から目線を外す。
「わ、私とき、きす、をするんだ」
「何て言った? 小さくて聞こえない!」
「き、キスだといっておるだろう! 何度も言わせるでない!」
「は?」
これぞ鳩が豆鉄砲を食らった顔である。
「いいから、早く!」
「ま、待て待て待て! どうしてそうなる! なんで俺が初対面の女の子にキスしないといけないんだ!」
「詳しく説明している暇はない! 来るぞ!」
二人の後ろには蜘蛛の化け物が今にも迫ってきていた。
「説明は後からいくらでもしてやる。とにかく今はキスだ! 接吻だ! ちゅーだ!」
少女は半ばやけくそになったように喚いている。
「それとも・・・・・・私とじゃ嫌か?」
少女は少し目を伏せ、頬を赤らめる。その様子を見て少年は、どきりと心臓が高鳴るのを感じた。
この子も恥ずかしいと思ってるんだ。少年はそれを感じ取った。この子にしてみたら、初対面の人間とキスするなんて無意味なことを申し込むはずがない。きっとなにか意味があるんだ。
少年は覚悟を決める。
というより、ものすごい興奮している。
あふれる性の衝動。今まで女性経験が全くない少年は怪物に追いかけられることよりも初めてのキスで頭がいっぱいだった。
後ろにはもう巨大蜘蛛が追いついてきている。あと数秒もすれば追いつかれるのは目に見えていた。
「お前が言ったんだからな! 後悔するんじゃないぞ!」
「なんだその不本意とでも言いたげな言い方は!」
「不本意どころじゃねえ、超本望だ! 本当だったら綺麗なお姉さん良かったところだが、ロリっ娘も悪くねえ。後で警察なんて呼ぶんじゃねえぞ!」
少年の顔はもはや少女の目の前にあった。
少女は少年の目を見ることもできずもじもじと下の方をみている。
「鏑木法助だ」
「え?」
「俺の名前だ。キスする相手の名前くらい知っておいた方がいいだろ」
「な、なるほど。我が名はイリアス・メルクリア。イルと呼んでくーーっ」
法助は少々強引にイルを抱き寄せ、その唇に自分の唇を重ねる。
柔らかっ! なにこれ超気持ちいいんですけど! 法助初体験!
その瞬間、法助が身につけた腕時計型デバイスの波形が大きく脈打ち、赤く染まる。画面に白抜きに「LINK」という文字が映ったかとおもうと、その時計から大きな光が放たれた。
眩いばかりのその光は法助とイルを包み込み、やがて見えなくなる。 そのあまりの光圧に怪物はあえなく吹き飛ばされる。
一瞬だった。一瞬で光は収まり、元の光景に戻る。しかしそこに法助の姿はなかった。
そこには大きな剣を携えた白衣の少女が直立していた。いうまでもなく、イルのことである。
イルが持っている剣は、果たして剣と呼べるのだろうかという出で立ちをしていた。刀身だけでも少女の身長はあるかというくらい長く、そして太い。剣の背を覆うようにカバーのようなものが取り付けられており、そこに何本ものケーブルがつながっている。剣に鍔ようなものは見あたらず、代わりに柄と刀身の間には大きく円型の結晶のようなものが設置されていて、ケーブルはその結晶のエネルギーを刀身に送るような接続をしている。
日本刀のようなシンプルさとは違い、ごてごてとした装飾の多さは、いかにその剣に破壊力が秘められているかを物語っている。
そのいくつものパーツが合わさった見るからに重そうな大剣を、イルは軽々と持ち上げている。
「ーーぷはっ! いきなりなにをするか! 歯が当たったではないか!」
イルはその手に持っている大剣に向かってしゃべりかける。
「・・・・・・はあ、幸せな気分だ。ってあれ? 視界がおかしい」
法助は自分の視界が普段よりかなり低いことに気がつく。身長の高い俺がイルを見上げるとはこれいかに。
法助の声は紛れもなくその剣から発せられていた。あろうことか、本当に人間が武器に、いわば変身したのである。
「全く、ムードもへったくれもない。・・・・・・は、初めてだったのに」
後半を小さな声でイルが呟く。
「おい、イルさん、で合ってるよな? どうなってるんだ」
「言ったではないか、我の武器になってくれと」
「形から変わるとかどんな物理構造してるんだよ! もっとナイト的な比喩で言ってるかと思ってたのに」
「最初から言っておるのに理解力の低い人間だこと。しかし機械仕掛けの大剣とは、なかなかいいデザインじゃないか。誉めてつかわすぞ。
そこまで話したところで、巨大蜘蛛が体制を立て直し、こちらに向かってくる。そのスピードは危機を察知したのか先ほどより俊敏で、一瞬でイルとの間合いを詰める。巨大蜘蛛の相当な重量からなるタックル。シンプルだがその威力は計り知れない。
「はああっ!」
「うわああ!」
イルは突撃してくる蜘蛛に向かって剣でなぎ払う。剣は蜘蛛に当たりがきんという金属音があたりに響く。
「固った! どんな皮膚してんだよ。ていうか振るなら先に言ってくれません? びっくりしたんすけど」
イルは答えない。
「おーい、ただの屍ですかー? ってうおおおお!」
間合いを詰めた蜘蛛が今度は鋭利な前足でイルをおそう。それをイルは大剣、法助で受け止める。すさまじい衝撃がつむじ風となりあたりを襲う。イルの白衣がバサバサ音を鳴らす。
「痛っ、くは無いけど怖! ねえねえイルさんイルさん。これ今どうなってるの?」
「うっるさいなもう! 武器は黙っておれ!」
「いやもう視界がぐるんぐるん回って訳分かんないのよこれもう。ってこれ蜘蛛なの!?」
鍔迫り合いをしているイルと巨大蜘蛛。蜘蛛がもう片方の前足をイルめがけて突き刺そうとする。
「ひっ!」
対応がわずかに遅れた。ほんのわずかな遅れだが、至近距離からの無慈悲の刺突は大剣をすり抜けイルの心臓に直撃する。
「危ない!」
法助は自分でもなにをしているのか分からなかった。視界も定まらず、ただ偶然見えたのは蜘蛛の足がイルをとらえる瞬間。
守らなければ。
そこに正義の心だとかキスした相手だからとかいう思いは無かった。ただ目の前で死にそうな人間を助けないとという常識的な判断。
その思いは結晶からエネルギー板という形でとなり現実に表れた。
剣に埋め込まれている結晶が赤く輝き、そこから透明な、バリアが形成させる。
すんでのところで攻撃をはじかれる巨大蜘蛛。その隙をイルは見逃さず、全力の力で前足に斬撃をたたき込む。
「おりゃあああ!」
前足二本がぽとりと地面に落ちる。
「助かったぞ! 法助!」
「ああ、自分でもなにをやってるのかさっぱりだ・・・・・・おえ」
「法助? 法助どうした?」
「いやさっきからぐるぐるしちゃって気分が・・・・・・」
「何をいっておるのだ。あいつを倒すまでの辛抱だ」
「いや、もう、無理かも。あ、無理、おええええええええええ」