9.初めての気持ち <高坂>
高坂視点です。
話題は何でも良かった。
模試で偶然顔を合わせてから、俺は晶ちゃんにこまめにメールを送るようになった。
しかし返って来るのは挨拶の文言と、俺が送った問い掛けへの簡素な返事を合わせた数行。絵文字どころか感嘆符さえ無い素っ気ない返事が返って来て「何だか彼女らしいな」と笑ってしまった。
昨日のメールは何だっけ?
『最近、寒いね。12月6日のS台全国模試、受験する?ちなみに俺はもう申し込んだよ(^_-)-☆』
って、送ったら。
『うん寒いね。私も申し込んだよ。じゃあ、会場で』
と、ごくごく短い返事。
『会場で』と言ってくれたのを、好意的にとるべきか……はたまた模試まで2週間以上もあるのに、同じ高校に通っていて顔合わせない前提で返事する?って、悪くとるべきか……どう解釈したら良いのだろう?
自慢ではないのだが、俺は今まで女の子の関心を引くのに大きな労力を使った事が無い。あちらから気のあるサインが全く無い―――という状況でこちらから女の子との距離を詰めるという経験は今まで皆無だった。
俺にとっての『女友達』の定義は今まで―――『超えないラインを引いている相手』だった。
それは『女友達』の大半が、相手本人がはっきりと意識しているにせよ、いないにせよ……俺に対して異性としての好意を持っている場合がほとんどだからだ。
『友達』と言っても所詮、男と女。具体的なスキンシップの境界線を越えない相手を『友達』、それを越えると『友達以上』……と区別しているだけだった。
『女友達』との付き合いは……つまり水面下に公にできない好意を隠しながら、お互いの距離を慎重に測るもの。
まるでギリギリのバランスを保つジェンガのように、俺か相手が明らかな一本を取ってしまえば一瞬で瓦解してしまうような―――『友達以上』に今にも転がり込んでしまいそうな脆い関係のものが多かった。
しかし男と女が『友達以上』の関係になると、一気に嫉妬やら執着やら面倒なトラブルが起こる確率が増えてしまう。あわよくば踏み込みたいと考えている相手に対してできるだけ踏み込ませないよう躱しつつ、俺は慎重に女の子達とおしゃべりや付合いを楽しんでいた。
そんな風に多少の手間が掛かっても『女友達』が増えるのを拒まなかったのは、黙っていても女の子が寄ってくる体質であったと言う事もあったし、単に俺が女の子好きだからっていう事が理由でもあった。
だけど今改めて考えてみると―――それだけじゃ無かったような気がする。
無意識に……新しく出会った『女友達』の中に蓉子さん以上に好きになれる相手が見つかるかもしれないと―――微かな希望を持っていたからではないか?
誰だって、不毛な恋なんてしていたくない。
自分はもう蓉子さん以上に好きな相手は出来ない―――そう確信に近い想いを抱いていてもなお、やはり『幸せな夫婦の妻に横恋慕する、義理の息子』という役に甘んじている現実が、どうしようもなく空しくなる瞬間があるのだ。
誰か俺を夢中にさせてくれないか……?
余所見できないほど、強く。
意識していた訳では無いが、胸底にそういう気持ちが常にあったような気がする。
しかし俺は告白されて相手がある程度許容範囲だと判断した時―――自分にはずっと『好きな人がいる』から一番に思えないかもしれない、と敢えて断りを入れて受け入れていた。
相手にはとてつもなく失礼で不遜な、そんな条件を付けるようになったのは―――相手の事を誰よりも好きだと嘘をついて付合いを続けても、いずれ俺の心の内は露見すると分かったから。
初めて付き合った相手から別れる時にそう指摘され、以来俺は事前に断りを入れるようになった。
だから―――いつも一線を引いて、女の子と付き合っていた。
だけど、意識の外で。
いつか俺の心を強く惹き付け、敵わない恋に捕らわれているそこから引き剥がしてくれる存在に出会える事を俺は望んでいた。
絶対に叶わない俺の恋。
だけど、諦めようとしても諦められない現実。
我ながら、矛盾している。
甘いキス。素肌に直接触れる行為。熱を分けあい、寄り添って眠る事。
蓉子さんと交わす事が叶わない体で話し合う行為や体温に夢中になれば―――心もそれにつられて自然と執着していくのではないか……そんな風に期待していた。
けれどいつも……そういう結果に陥る事は無くて。
こんな俺と付き合い続けるなんてボランティア以外の何物でもない。
だからいつも長続きしなかった。
いつも振られるのは俺の方。
来る者拒まず、去る者追わず。
そうしてこんなスタンスでここまで来てしまった。
そして結局今まで、蓉子さん以上に俺を惹きつける相手に出会う事は無かったのだ。
そして晶ちゃんの存在は。
少なくとも今までの『女友達』と違う枠に、俺の中で分類されている。
彼女からはおよそ俺に対する執心というものは欠片も感じる事が出来無い。言うなれば一方的に俺が彼女に興味を持って関わっている、そんな関係だ。
学校に着くと、自分のクラスに入る前に隣のクラスを覗いてしまう。
つい、あの小柄な存在を探している自分に気付く。
ただ一方的に恩を感じていて、尊敬していて……話をしたいし、今何を考えているのか、これまで何を考えどうやって生きて来たのかを―――知りたいと考えてしまう。
相手からのサインが全く無いのに、こちらからついアクションを起こしてしまう。この状態の心持を、なんと言い表したら良いのだろうか。
一番この俺の状態に近い単語って……何なのだろう?
晶ちゃんから返って来た素っ気ないメールの文面を見て、液晶画面をなぞる。
何となく、もどかしくなる。
相手に向けて発した好意が同じ量で返って来ない。
鏡に反射するのではなく、そのまま透過して吸い込まれてしまったみたいに。その事に焦れる気持ちが確かにある。
けれどもそれは、蓉子さんに対するものと質は少し違って。
俺が晶ちゃんに抱いている感情。
帰って来ない好意に少し焦れつつも、納得してしまう状態。
これは……
『今、分かった。俺、晶ちゃんの“ファン”なんだ』
『?高坂君の言いたい事がよくわかりません』
思い付いて、晶ちゃんに唐突に送ったメール。
それに対して数時間経ってから送られてきた晶ちゃんの、素っ気ない返信メール。
その異性への好意の欠片も滲まない文字列の、液晶画面を見て思わずニンマリしてしまう。それは今ちょっと俺がおかしくなってしまっているという―――証拠なのかもしれない。
やっと、返信に文字以外の感嘆符『?』が付いた!
とかえって楽しい気分になって来るから、不思議なもんだ。
ふと思い立って『放課後、誰と一緒に帰っているのか』とメールで尋ねると、大抵一人で帰っているという返信があった。
俺は『一緒に帰ろう』と提案する。
またしても『何で?』と問われたが、その質問が出るのは織り込み済みだ。
『受験の情報交換しよう!』
ジリジリと返事を待っているとやや暫くして返信が来た。
『了解』
成功した!
ガラにも無くソワソワしながら、その日1日放課後までの時間を遣り過ごす。
何でこんなに、楽しいんだろう?
清美が晶ちゃんに夢中になる気持ちが、何となくわかってきたのかもしれない。
俺が晶ちゃんと一緒に帰ったと聞いたら清美はどう思うだろうか?
清美を裏切るような事は何も起こらないだろう。晶ちゃんの態度から、それをアイツも察する筈だ。
だけど、眉を顰めずにはいられないだろう。きっと苦々しく思うに違いない。
近づく俺と晶ちゃんの距離に対して、どう反応するだろうかと想像すると―――なんだか不思議にスッとするんだなぁ……。
あれだけ彼女に大切に思われていて、嫉妬できる清美が残念で羨ましい。
どうせ2人の絆は盤石だ―――晶ちゃんを陰ながら見守って来た俺にはそう見える。
だからちょっとぐらい『可愛い』後輩に痛い目見て貰っても良いんじゃない……?
俺がそれを見て溜飲を下げるくらいは許されるのではないか?
そう自分に言い訳して、放課後の一時を楽しもうと心に決めた。
性格悪いって……?
―――そうかもね!