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8.いつもどおりの朝 <清美>

朝、目を覚まし着替える。

ストレッチをして、ランニングをするために玄関を開けた。


何かあっても大抵は、こうやって走っている間に気分がスッキリしてくる。


……ハズだった。


家に着いても、胸苦しさは去らない。

再び十分に筋肉を伸ばしてから、シャワーを浴びた。


リビングの扉を開けてホッと息を吐く。

味噌汁の良い匂いが漂っていた。どうやらねーちゃんはいつも通りのルーティンで動いているらしい。

以前の光景が、繰り返されていないと知ってほっと息をつく。


俺がキレて彼女をソファに押し倒し、それに動転したねーちゃんが俺を置いて行ったのだ。閑散とした朝の、薄暗い淋しい居間を思い出すと今でも冷や汗が出てしまう位トラウマになっている。


またしても昨日、動揺してねーちゃんに捨て台詞を吐き俺はそのまま自室へ逃げ込んでしまったのだ。だから悪夢が繰り返されるのではないかと……じりじり後悔に胸を痛めて、浅い眠りと悪い夢の間を彷徨っていた。


とりあえず今、日常と変わらない様子に安堵しているところだ。


「おはよう」


俺が言うと、ねーちゃんは顔を上げて微笑んだ。

その屈託の無さに胸を撫でおろす。


「おはよ。ご飯よそってくれる?」

「うん」


しかし、これはこれで戸惑う。

ねーちゃんの態度が全く変わらないというのも―――違う意味で不安を掻きたてるものだ。




まさか……昨日のコトは夢だった……?!




ご飯を食べて歯を磨く。洗い物を手伝ってお弁当を鞄にしまい、学校へ向かう。


俺達は肩を並べて歩く。朝早い住宅街はひと気が無い。近頃は地下鉄駅付近の人目が増える場所まで、ねーちゃんの手を取って歩くようになっていた。その行為にやっとねーちゃんが慣れてくれたのだ。


俺は無意識にねーちゃんの手を取った。


するとねーちゃんの肩がピクリと動いて、俺が握った左手を見た。彼女は一呼吸息を吐いてから優しく右手をそこに添え、そしてゆっくりと……俺の右手の指を自分の手から外した。


俺は立ち止まる。


「ねーちゃん」


信じられないような気持ちで、ゆっくりと彼女を見下ろす。


「何で?」

「手を繋ぐのは、やっぱり変だよ」

「彼女と手を繋ぐのが、変?」


ねーちゃんは俺を見上げた。

その表情は読めない。


「昨日、やめるって言ったよ……」

「俺は納得していない」


諦める訳には行かない。

俺はもう自棄になって逃げ出すのは、嫌なんだ。


……昨日は逃げちゃったけど……


根本的な所から目を背ける事はしないつもりだ。

強い視線を向けると、耐えきれないようにねーちゃんは視線を逸らした。


ねーちゃんはそのまま、顔を背けて歩き出した。


俺はその小さな背中を見ながら、歩幅を調整して歩き出す。


普通に歩けば、俺達の距離はどんどん開いていく。例えそれが無理をしているように他人に見えても、歩幅を合わせる努力を怠れば近くに居続ける事はできない。俺はその事実を刻み込むように、気持ちを新たに歩みを進める。

頼りなげな肩にかかる黒髪を見ながら、俺はじりじりする胸の内を押さえつつ学校に着くまでの道のりを、ねーちゃんの斜め後ろを歩き続けた。







** ** **







「なんか、元気ない?」


土曜日の練習の中休み、体育館の隅でぼんやりしていた俺に、地崎が声を掛けた。


「んー……判る?」


笑ったつもりだった。だけど、微妙に顔が引きつっている自覚はある。


「覇気が無いよねぇ」

「ハキ……覇気ねぇ。無いねぇ……」

「また、ねーちゃん?もしかして、勉強ばっかして構って貰えないから、拗ねてんの?」


「はは」


俺は力なく笑った。


「やっぱ、無理があったのかな」

「何が?」

「人それぞれ考えている事って、違うんだなって、改めて思い知ってさ」

「……」


俺の額に地崎がピタリと手を当てた。


「何だよ」

「熱は……無いな」

「あるかっ」


俺は武骨な男の手を跳ね除けた。


「いや……単純なお前の台詞とは思えなくて」

「俺を何だと思っている」

「天然タラシ・直情型・単純思考のドシスコン」

「……」


はっきり言ってヒドイ言いようだが―――はっきり否定できないのが、なお悲しい。


「……大丈夫か?」


要するに心配してくれているらしい。

俺は悩むたび、いつもすぐ地崎に胸の内をぶちまける。地崎はいつもうんざりした顔をしているので、俺のウジウジした悩み事や浮かれきった惚気話を聞くのは本当は面倒なんだと思う。

でも今日のコイツは。

俺がいつもと違って、愚痴も言わず黙って凹んでいるから心配してくれているんだろう。そんな気がする。


「うーん、ちょっとしんどいけど……もうちょっと頑張ってみるよ」

「やっぱり、森先輩のこと?」

「うん」

「……何があった?」

「……振られた」

「え?!」

「俺は了解してないけど。思い直して貰うよう説得するつもり……でも、時間が経てば経つほど、どんどん自信無くなって来たなぁ」


例え仲直りしたって、俺達の意見は平行線のままだろう。

だとしたら、三月までしか今の関係は続かない。

ねーちゃんが道外受験を諦めてくれるか……受験に失敗してくれるか、しなければ。


「この間まで、ラブラブだったのに」


地崎が目を丸くした。


「うん、俺もそう思ってた」


俺が俯くと、地崎が溜息をついて諭すように言った。


「……よっぽど酷い変態プレイ、強いたんだろ」

「はぁ?……なっ、何言ってんだっ!……んなワケあるかっ」


俺とねーちゃんはまだ、清い仲なんだ。

なんてこと言うんだ。

俺は腹を立てつつ、頭の端で想像する。


『変態プレイ』って……


例えば、メイド服着て……とか?

思わず妄想に思考を持っていかれてしまい、ダラシナイ顔になっていたのだろう。それを引き気味に見て地崎が更に言葉を重ねた。


「それか、お前の執拗な束縛にとうとう嫌気が差したか……」


それは、安易に否定できない。

ある意味、的を射ている指摘だった。


はーーっと溜息を吐いて、地崎は俺の背中をポンと叩いた。それからニコリと笑って練習の輪に戻って行く。

何だかんだ言って、心配してくれたのだろう。

俺は頭を振って―――地崎の後に続き練習に戻ったのだった。




その時その背中を、また彼女がジッと見ていたなんて、俺は自分の事で精一杯で全く気が付いていなかった。



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