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5.クルミ大福と焼き芋大福 <清美>


ダイニングテーブルに大福の入ったプラスチックパックを置いて開く。ねーちゃんは、飲み物担当。キッチンでお湯を沸かして番茶を入れている。洋菓子を食べる時は大抵ミルクティ、和菓子を食べる時は番茶か緑茶だ。たちまちリビングダイニングに、三年番茶の心を落ち着かせる香りが拡がって来た。


ダイニングテーブルに向かい合い、目を輝かせて大福を選びとても幸福そうにひと口ひと口頬張るねーちゃんを、俺は遠慮なく眺めた。甘い物を食べている時のねーちゃんの集中力は素晴らしく、いくら俺がじろじろと彼女を観察していても咎められる事は滅多に無い。


小さな柔らかい手がその頬と同じくらい柔らかそうな大福を掴み、苺のように艶々と朱い小さな唇に運んで行く。


その様子を見ていると、自然に不埒な妄想が湧き上がる。

今すぐその手首を取って、グイっと引き寄せ抱き込みたい。乱暴に唇を食べながら抱え上げ、ソファにその華奢な体を押し付けて思う存分味わいたい……。

何故こんなに近くにあるのに自由に触れられないんだろう?―――と不思議に思ってしまう。


頭では分かっている。

人一倍照れ屋のねーちゃんを説得するのはなかなか困難を極めるだろうし、何より受験勉強まっただ中の彼女の邪魔をしてはいけない。やっと手を繋いだり、キスしたり、抱きしめるくらいの行為に慣れてくれるようになったんだ。これ以上、焦ってはこれまでの努力が台無しになる。


……だけど本能で欲しいと思ってしまう感情を打ち消すのは、かなりの骨だ。

簡単に組み伏せられるのは、以前証明済みだ。彼女の抵抗なんて、大した障害にはならない。もし、あの続きができたら―――


散々苦しめて泣かせた事も忘れて、都合の良い妄想に浸ってしまう。

仕事人間の両親は年末に向けてますます忙しく、家に近寄らない。北海道では本格的に雪が根付く前に基礎工事を終わらせるのが通例のため、設計事務所でバリバリ働く2人は今日も道内あちこちを飛び回っている。


だからこの時期、俺達が2人きりになる機会が多くなる。


そういう時間が増えるのは俺にとっては嬉しくもあり……晴れて恋人同士になった今では―――辛い修行の日々でもある。


両親にはまだ、俺達の事を伝えていない。

伝えたら、彼等はどういう反応をするだろうか。まだ思いが通じたばかりの俺は其処まで想像が及ばない。ややこしい事は先送りにして、ただねーちゃんとの時間を楽しんでいる状態だ。時間はあるんだからゆっくり考えて行こう―――そんな風に思っていた。


そうこうしている内に、ねーちゃんが大福を2つペロリと平らげていた。

既にハフハフと番茶に口を付け、両手に包みうっとりしている。その様子の愛らしさに、思わず目を細める。


そこで、忘れていた事を思い出した。


「今日―――何で高坂先輩と一緒だったの?」

「……高坂君?模試の会場で偶然会ったの」


やっぱり、そうか。


「それで何で高坂先輩と一緒にスタバに居たの?」

「……何でだっけ?」


ねーちゃんは首を傾げて、暫し記憶を探る。

俺はゴクリと唾を呑み込んだ。


だからその仕草は致命的に可愛すぎるから、止めてくださいっ!


「頭使ったから、甘い物はどうかって言われて……ガトーショコラを食べて……」


お、俺がいっつもねーちゃんに使っている手じゃねーか!


甘い物を持ち出すとねーちゃんのガードは極端に緩くなる。これが漫画だったら、今、俺の額にはタテ線が色濃く、クッキリ刻まれていたことだろう。


……高坂先輩、何でねーちゃんを誘ったんだろう?


ただ単に女の子が1人でいると誘わずにいられないっていう性質なのかな?そういう事をサラリと言いのけても許されるような雰囲気が高坂先輩には、確かにある。


―――俺なら絶対、そういう行動はとらないけど。


単なる部活の後輩のお姉さんだよ?あ、1回クラスメイトになった事あるか。でも、ほとんどまともに話した事無いって、ねーちゃん言っていたし。

対女子スキルが高すぎるんだよな、あの人。こうして自分に比べてみると、本当に実感する。


だけど心底思う―――俺のねーちゃんだけは巻き込まないで欲しい。


俺は説明のできない脅威を先輩に感じてしまう。それはねーちゃんの友達で地学部員の王子に感じるモノよりずっと強い脅威だ。あらゆる面で俺は高坂先輩に敵わない―――本能的にそんな気がするからだ。


無いとは思う、有り得ないとは思うけど……もし、高坂先輩がねーちゃんを落そうとしていたら?

初めて告白してきた相手だからって、すんなり俺の「付き合って下さい」にOKの返事をしてくれたねーちゃんだ。俺よりスペックの高い高坂先輩に言い寄られたらコロリと好きになっちゃうんじゃないだろうか……?!

そんな不誠実な行動、ねーちゃんが取るわけない。そう思う一方で、有り得ない事では無い……と何処かで警鐘が鳴っている。


だんだん、有り得るような気がしてきた……。だって甘い物に釣られて、すんなりスタバに連れ込まれているし。


でも高坂先輩は、後輩の彼女に手を出すような人間じゃない―――筋は通す人だ。そう言う意味では信用できるハズ……。


―――って。あれ?


そういえば、高坂先輩はいまだに俺達をただの姉弟だと思っている筈だ。先輩にとってねーちゃんは今『後輩の彼女』じゃあ、ない。

『後輩の姉』だ……!


あーこんなことなら、さっさとカミングアウトしとくんだった。


いや、待て待て。

高坂先輩がねーちゃんに気があるなんて、決まったワケじゃない。あくまでこれは俺の妄想だ。まずはどんな話をしたか……確認しなくちゃ。


「高坂先輩と、どんな話をしたの?」

「……」


途端に、ねーちゃんが押し黙る。

デフォルトのポーカーフェイスからは―――何も読み取れない。


俺の体に焦りに似たものが、じわりと滲んで来た。


高坂先輩が俺の最近の上機嫌の訳を気にしていたようだ、と地崎に聞いた。そういう興味だけなら良いのだけれど……いや、まだ大きな声で言えるほど確実な付き合いではないからあまり詮索しないで欲しい……。けど、先輩が直接ねーちゃんに興味を持っているという状況よりは、その方がマシじゃないか?


「俺の事、聞かれなかった?」

「聞かれた。何かあったのかって」

「なんて?」

「清美に告白されて、OKしたのかって」


そ、率直だな。


「それでなんて答えたの?」

「……なんて答えたっけ?あ、答えてないけど……なんか勝手に納得して『いいな』って羨ましがられた」

「そっか……」


バレたな。確実に。

察しの良い先輩のコトだ。


でも『いいな』って何だ。

それは俺の台詞だ。


常に女子に囲まれて、そんな状況でも余裕の態度を崩さない。どう考えても深いお付き合いも経験済みであろう高坂先輩に羨ましがられるほどの付合いはしていない。

だって、まだキスしかしていないし。


そこで、ちらっとソファが目に入る。


あ、胸は触った。というか掴んだ。どさくさに紛れて。

……柔らかかったなあ。もう1回触らせてくれないかなぁ……。


「清美?」


ねーちゃんが、心配そうに俺の顔を覗き込んでいた。


「あ、わっ。うん、えーと……」


夢想の世界から引き戻され、思わず動揺してしまう。黒曜石のように艶やかな瞳にまっすぐに見つめられて恥ずかしくなる。俺の頭の中がこんなどうしようもない事でいつも一杯になっているって知られたら―――ねーちゃんに軽蔑されてしまうかもしれない。

ますます近寄らせて貰えなくなったりしたら、かなり弱ってしまう。


絶対気取られたくない。

俺はスッと話題に戻った。


「きっと、わかっちゃったね。高坂先輩には」

「……やっぱり、そうかな?」

「うん。察し良いから、先輩は」

「あ、そうかもね……そうだったね」


何かを思い出すかのように、遠い目をするねーちゃん。今日の会話を思い出しているのだろうか。あまり面白くない。俺以外の男との会話を心の中で繰り返さないで欲しい。


「ねーちゃん、模試の見直ししないの?いつも、終わったらやっているでしょ」


注意を違う所に向けようと、俺は目下彼女が集中している受験に話題を戻した。


「あ、そうだね。やろっと」


ねーちゃんはそう言うと、白い帆布のトートバックから模試の資料を取り出した。日曜日に模試を受けると大抵ねーちゃんは、甘い物を食べた後すぐに模試の問題を開いて正誤を確認する。この作業が一番受験の力を付けるのに効果的なんだとか。

バスケの試合の後、俺達もすぐ反省会をして何処が駄目だったとかどうすれば良かったとか、感想を言い合って次の試合で同じミスをしないよう確認する。そういうのと似た感覚なのかな?


『T大入試実践模試』


テーブルの上に置かれた模試問題の薄い冊子の表紙が目に入った。


「え……?」


俺は邪魔しないようソファに移動しようとして……思わずグリンと首を捻ってその冊子を2度見する。


「T大模試?……ねーちゃん、T大受けるの?」

「うん」

「え……何で?T大って、東京だよ?受かったら春から東京暮らしになっちゃうよ?」

「うん、受かったらね。そうなるね」

「H大じゃないの?」

「H大は、後期に受けるかも」

「なんで……?」


ねーちゃんと付き合う事になってから一度も受験大学について確認していなかったという事実に、俺はあらためて気が付いた。ねーちゃんが家出する原因になった俺の暴挙は、元々進路に対する言い争いが原因だったのに。


俺は勘違いしていた。

恋人同士になったんだから、ねーちゃんはずっと俺の傍に居てくれる。そう勝手に思い込んでいた。


だって俺だったらそうする。ねーちゃんと離れて暮らすなんて、考えられない。だからバスケ強豪校のスカウトも断ってT高を受験したんだ。


それは、とんでもない誤解だった。

ねーちゃんの意思は全く変わっていなかったのだ。


「どうして?札幌じゃ駄目なの?札幌でも勉強できるでしょ?」

「天文学をやりたいの。専門でしっかりやれるのは、やっぱりT大が一番だと思うの」


ねーちゃんの声はしっかりと響いた。

その揺るぎ無さに俺は内心怯んだけれども、なんとか踏みとどまる。


「俺と付き合っているのに、ここを出て行くの?4年間も……?」

「たぶん大学院に行くから……最低6年間かな」


律儀に期間を訂正する無表情なねーちゃんが、いっそ憎らしい。

しかもその声の落ち着きが、更に俺を苛立たせた。


「6年間?!」


俺は立ち上がった。勢いが付き過ぎ、椅子がガタンと鳴って倒れそうになる。




「そんなに長く東京に……?ねーちゃん俺と……別れたいの……?」



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