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40.諦めません <清美>



旅行から帰って、俺から高坂先輩を尋ねた。

高坂先輩も、学部は違うがねーちゃんと同じ国立大学に合格していた。


全く、先輩には敵わない。


話がしたいと伝えると、高坂先輩は俺を自分の家に招いたのだった。春休み中だったけど、部活の練習は毎日ある。俺は部活帰り、スポーツバッグを背負って『高坂』と書かれた立派な表札の前でインターフォンを押した。







「すごく若くて綺麗なお母さんですね」


部屋に上がる前に居間で挨拶を交わした女性の印象を伝えると、高坂先輩は眉を顰めた。


「で、話って何?」


俺をベッドに座らせ、自分は机の椅子に座って言った。


「姉の事です」

「……晶ちゃんが、何?」


察しの良い高坂先輩の事だ。

大体の内容に予想がついている筈なのに。

本当に喰えない人だ。


「俺、諦めません」


俺は正面から高坂先輩の顔を捕らえて、その両目をしっかりと見据えて言った。

高坂先輩は薄笑いを浮かべて目を逸らさずにこちらを見返している。


「……振られたんじゃ無かったっけ?往生際が悪いなあ」

「だから、先輩は諦めてください」


高坂先輩の顔に張り付いていたニヤニヤ笑いが消えた。


「何?」

「姉の事は、諦めてください。俺は別れるって受け入れたわけじゃないです。これからも別れません」

「清美がどう考えようと、相手次第だろ?」

「姉は―――俺の事が好きなんです。だから、先輩の入る隙はありません」

「遠距離恋愛は無理なんじゃ無かったのか」

「無理です。だから、俺が姉の近くに行くことにしました」

「―――は?」


ぽかん、と音がしたかのように。

大人の余裕を醸し出していた、目の前の野性的な容貌の男が、呆れたように表情を崩した。


「高校、辞めんの?」

「辞めません」


俺はできるだけ、落ち着いた声音で話し続ける事を心がけた。


「今年、インターハイとウインターカップに出場します」

「?」


急に変わった話題に、高坂先輩は眉を顰めた。話の流れがまだ掴めないようだ。


「3年でもインターハイに出場して、ベスト8に残ります。そのあと部活を引退して、インカレ常連校の一般受験に合格します。で、東京に行きます」

「おいおい、気の長い話だな。しかも随分ハードルの高い……お前ひとりの問題じゃないし、第一北海道で優勝するのも骨だぞ」


少し話の流れを掴んでくれたようだ。

しかし、更に彼の顔は険しくなった。

当然だ。現状じゃ、夢物語みたいな事を言っているんだから。


「4年間部活に専念してインカレで良い成績を収めて、BJAリーグの選手になります。大学の専門は外国語を学んで、通訳の資格を取ります。引退したらBLAリーグに所属する外国人バスケット選手の通訳か、トレーナーになります」

「お前、何を言って……」


いきなり、将来の展望を語り出した俺に、高坂先輩は戸惑っていた。


「就職する場所は―――なるべく姉の勤務地に合わせます。こればかりは努力だけで何ともならない処なので、その都度考える事になると思いますが―――」

「……」

「就職が決まったら、プロポーズしようと思ってます」


高坂先輩は眉間に皺を寄せたまま、俺の目を見据えていた。まるで俺の真意を確かめるように、瞳の奥底まで見通すような視線だ。


「……そんな事、親が許すのか……?」

「説得します。何度でも」

「バスケット選手になんて、なりたいと思ってなれるもんじゃないだろ?」

「それは……最悪、選手じゃなくても俺としては問題ないんですが……でも、姉が俺のバスケやってる処が好きだっていうので、頑張ります」




「……お前は馬鹿か?」




完全に呆れた、そう表情で語って高坂先輩は盛大に溜息を吐いた。


コンコン。


そのときノックの音がゴングのように響いて、俺達の試合は一時中断された。


「蓮君、お茶とシュークリーム持ってきたよ」

「ありがとう、蓉子さん」


『蓉子さん』?


随分と他人行儀だと思い、違和感の正体に気が付いた。


「森君って、晶ちゃんの弟なんだよね?晶ちゃんと同じで甘い物好きかな……?」


綺麗な女性にふわりと優しく微笑まれて、思わず俺はドギマギしてしまう。

若く見えるんじゃなくって、この女の人は実際若いんだと気が付いた。どうして気付かなかったのだろう。お互いの呼び方だけでなく、見た目の違いからも明らかだった。おそらくこの2人は血の繋がった親子では無い。


「あっはい」


つい頬を赤らめた俺を、高坂先輩はキツイ視線で見据えた。


いや、健全な高校生男子なら誰だってこうなるでしょう。美人なお姉さんに優しく覗き込まれれば……。いちいち、そんな事で睨まれては溜まらない。

自分は俺の大事なねーちゃんにちょっかい出しておいて、その態度はなんなんだ、と少しムッとしてしまう。


気を利かせるように、すぐにお母さん(?)が部屋を出ていくと、高坂先輩に釘をさされた。


「人の母親見て、朱くなるな」


不機嫌な様子に半ばあきれてしまう。


「『母親』……ですか?」


チっと舌打ちされる。どうやら俺の推測は大体間違っていないようだ。


「……で?何でわざわざ俺にそんな事を言いに来たんだ?」

「高坂先輩は―――姉の友達ですよね」

「……ただの友達でいるつもり無いって伝えたつもりだけど?」

「高坂先輩は、姉が嫌がるようなことはしない筈です」

「……」

「だから、伝えて置こうと。ついでに姉の様子を時々見て、俺に教えてください。それから、悪い虫が付きそうだったら、牽制してください」


「……は?何言ってんの?俺がその『悪い虫』になるかもしれないってのに」


「訳判らん」と高坂先輩はまた、険しい顔に戻った。今までの俺なら、それだけで少しビビっていただろう。野性味のある容貌の大きい男が凄むと、かなりの迫力がある。


だけど俺には確信があった。


高坂先輩が何故わざわざ、俺に忠告めいた事をして発破を掛けたのか。

おそらく高坂先輩がねーちゃんに気があるっていうのは、ある程度間違いではない。だけど彼は自分の気持ちより、ねーちゃんの気持ちを優先してくれている。決してねーちゃんが嫌がる事をしたり、ねーちゃんの意志を尊重せずに踏み躙ったりはしない。


「高坂先輩は、大事な『友達』の……姉の嫌がるような事はしない筈です。それに……俺が勝手に努力している内に姉が高坂先輩に心変わりしたとしても、それが姉の本心からの気持ちで姉が幸せになるんだったら―――それはもう、俺にはどうしようも出来無い事ですから」


高坂先輩はふいっと俺から視線を外して、窓の外を見た。


今日は天気が良い。

雲ひとつ無い冬の空に、柔らかい少しくすんだ薄青が広がっている。




「お前って……ホント、ムカつく奴だな」

「……は?」

「晶ちゃんがお前から目移りする訳ないって、確信持ってるから、そんな台詞堂々と言えるんだ」




拗ねるように、高坂先輩は口を尖らせた。




先輩のこんな表情は初めて見た。

いつだって自信満々で、余裕があって上から目線で。

察しが良くて、後輩の胸にグサリと刺さる厳しい言葉や、凹んで立ち直れないチームメイトを掬いあげる絶妙なセリフを、難なく操る人が。

男としてもバスケ選手としても、いつも俺の数歩先を歩いていた。プレイヤーとしてだけで無くチームの纏め役としても、少し天然な人望のあるキャプテンの補佐として、何でも無いような顔でチームを引っ張り、フォローしてきた人が。


自宅だから気が緩んでいるんだろうか。それとも、受験が終わって気が抜けたのか?


「お前はいつだって、そうだよ。才能も人間的な魅力も人一倍持っていて、おまけに晶ちゃんみたいな優しい姉に浴びるほど愛情を与えられている癖に、拗ねて逃げ出したりして―――贅沢なんだよ。ホント、羨ましすぎる―――そういうとこ見るたび、腹が立ってしょうがない。だから今度はどうやって虐めてやろうかって、いっつも考えてた」


「は?」


何を言われたのか、最初判らなかった。

いつも『絶対敵わない』そう思っていた先輩から『羨ましい』という突飛なセリフを言われて混乱した。それに聞き捨てならない事をサラッと言われたような。『どうやって虐めてやろうかって、いつも考えてた』って、ヒド過ぎるだろ。全く今まで気付いて無かった俺も鈍すぎるのかもしれないけど。


「―――わかったよ」

「え……」

「晶ちゃんの様子を見て、連絡する。『虫除け』もしてやる―――俺が可能な範囲でな。学部も違うしたぶん同じサークルに所属することも無いから、大した事は出来ないぞ」

「……先輩……」

「それから―――」


当然断られるだろうと、ダメ元で『諦めない宣言』にカコつけて要求した事を受け入れて貰えるとは。驚きに呆けている俺に、高坂先輩は真顔で付け足した。


「―――様子を見てる間に、晶ちゃんが俺に惚れちゃったら、その時は潔く諦めろ」

「いや、それは……」


さっき諦めると宣言したにも関わらず、はっきり申し渡されると往生際悪く抵抗してしまう。


俺はやっぱり、ヘタレな男だ。


「どちらにしろ、晶ちゃんが決める事だろ。うん、と言え。言えば、お前の不本意な申し出を受けてやる。破格な条件だろ?」


「―――はい―――」


やはり本人がなんと言おうと、俺は高坂先輩には敵わない。

……この時改めてそう、思った。



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