4.手を繋いで歩く <清美>
清美視点です。
俺はねーちゃんの手を引いてスタバを後にした。JR札幌駅に隣接するショッピングセンターの中を歩いて、地下鉄駅へ向かう。
一刻も早く2人きりになりたかった。
付き合う事が決まった当初は俺が手を伸ばすたび彼女の手はサッと引っ込められ、俺の指は何度も空を切ったものだ。しかし何とか食い下がり、恥ずかしがるねーちゃんを説き伏せ、泣き落とし―――手を繋ぐ事には改めて慣れて貰う事だ出来た。
そして、現在に至る。
俺はしっかりと彼女の手を握りしめた。
中学生の内に成長が止まってしまったらしくねーちゃんはとても小柄だ。おまけに童顔なのでパッと見、高1の俺の方が高3の彼女より年上に見えると思う。既に俺の身長は180センチを軽く超えており、ねーちゃんと並ぶとその差は実に30センチ定規ほどになる。
横を歩くねーちゃんをチラリと見下ろす。
すると真っ黒な仔猫の毛並みたいに艶々した天使の輪が目に入る。
身長差があるので歩いている時こんな光景がお馴染みになる。綺麗な黒髪を見ればいつも心は穏やかになる筈なのに、今日の俺の胸の内は何だかモヤモヤと落ち着かない。
高坂先輩は俺のバスケの先輩だが、ねーちゃんと同じ学年で高1の時はクラスメイトだった事もある。けれどもどちらからも接点があるとか、会話を交わす間柄だという話は聞いた事が無かった。特別親しくは無い筈だった。
ねーちゃんの母親と俺の父親が再婚した小4の頃、札幌に来て初めてバスケットボールに触れそのまま嵌ってしまいミニバスチームに所属した。
高坂先輩とはそのミニバスからの付き合いだ。
出身小学校こそ違うが、中学、高校でもバスケ部の先輩後輩として引き続きお世話になっており、彼は厳しいけれども―――尊敬できる先輩だった。
俺は随分色んな……意味で可愛がられた。
一体2人は何の話をしていたのだろう?
今日は模試だと聞いていたけど、偶然会場で出会ったのだろうか?
俺は高坂先輩に可愛がられている……というか、いつも苛められている自覚がある。『愛の鞭』と彼は言うが、正直厳し過ぎると思う。理に適った事しか言わないので不当な虐待では無いという事は分かっているのだけれど……。俺をシゴいている時の先輩の顔が本当に楽しそうなので、偶にあの人の正体は悪魔なのじゃないかと思う時がある。
彼がねーちゃんを構う行為が、その揶揄いの一環の冗談だというのならまだ納得できるのだけど。
中学でも高校でもバスケ部の副キャプテンとして誠実で真直ぐなタイプのキャプテンを支え、彼は常にチーム内の調整役に徹していた。そして後輩に的確な檄を飛ばし、長身を生かした強力なパワーフォワードとしてゲームを引っ張り―――高坂先輩は後輩達にとって、厳しくも頼もしい尊敬できる先輩だった。
男同士として接するのであれば、高坂先輩は立派な先輩である事に間違いはない。その事実に間違いはないのだが、こと対女性に関しては―――それは判断が難しい。
別に相手を弄んで捨てるとか二股を掛けているとか―――そういった類の悪い噂は聞かないのだが、部活動の外では常に女性に囲まれているのだ。女友達が多くよく休みに違う相手と出歩いているのを目撃されているし、とにかく彼女が変わるサイクルが短いらしい。長く続いたなーと思って数えたら最長2ヶ月だったとか。
そういう武勇伝が色々耳に入って来る。
他校の子や女子大生、OLなんかとも付き合いがあるという、まことしやかな噂も出回っている。女子相手には基本名前呼び「ちゃん」付けだし、とにかく女の子相手に慣れている印象がある。
つまり俺と正反対。
小学校の時クラスの女子達にきつい仕打ちを受け、それがトラウマで俺はねーちゃん以外の女子がずっと苦手だった。中学校に入ってから視野も広くなり徐々に苦手意識も減って来たが、未だにどうも女の子の扱い方が判らない。
大抵負けっぱなしである。
バスケ部の部員で同級生の地崎に『女難の相』が出ていると指摘された事もある―――冗談だと笑い飛ばせなかった。
そんな男としてもバスケ部員としても俺の遙か上を行く高坂先輩が、今まで特に興味を示していなかったねーちゃんと、カフェに並んで座っていたのだ。しかも一瞬手を握っていた気がする……俺が内心穏やかでいられない理由は誰もが納得するだろう。
そんな事をモヤモヤした胸の内で考えながらも体は覚えている道を辿って、地下鉄の車両に俺達を運び込む。家に近い出口からいつものスーパーに入ると自然に買い物カゴに手が伸びて、明日の弁当の為の卵と毎日飲む牛乳を手に取ってレジへ向かう。ねーちゃんが会計を済ませる間俺がエコバックに食べ物を詰め込んで―――そうしていつの間にか、家に到着したのだった。
「はー……最近寒いね」
昨日、初雪が降った。
それは雪として生まれた途端、アスファルトに吸い込まれてすぐ溶けてしまう程度のまだ本格的な降雪とは呼べない儚い結晶なのだけれど。
初雪の訪れは雪が産まれる氷点下まで大気が冷やされた、という事を意味する。まだ本格的に雪が積もる冬には遠いが、雪が降った次の日はぐっと空気が冷たくなるのだ。だから、昨日より格段に大気が冷たくなっている筈。
玄関で『寒い』と、息と共に吐き出すねーちゃんに向き合う。
頬を指の腹でそっと撫でると、微かに冷えているのが触れている肌と肌を通して伝わって来た。
ゆっくりと指で撫で下ろし、両掌でその頬を包み込んだ。すると彼女の顔が俺を見上げるように上を向き、ほんのりとそこに赤みが差す。
「清美の手って、温かいね」
照れながらもふんわり笑う小さな顔に、俺は思わず唇を寄せた。
ほとんど脊髄反射だった。ねーちゃんは避ける隙も無かっただろう。顔を離すと、今度は耳まで真っ赤になって目を丸くしている吃驚顔が、俺の瞳に映った。
「きよみ……っ」
批難する声が弱々しい。俺はクスリと笑って冗談に紛らせた。
「温かくなったでしょ」
「……!……」
ねーちゃんは、口をパクパクさせて固まった。
『いい加減慣れて欲しいなー』と思いつつもこういう初心な反応も可愛らしくて、まだまだ味わっていたい……とも思ってしまう。
俺はきっと、欲張りなんだろう。
「クルミ大福と焼き芋大福買っといたけど、もしかしてスタバでお腹いっぱい食べたばかり?」
揶揄うように言うと、ねーちゃんは我に返って即答した。
「食べる……!大丈夫、頭いっぱい使ったから」
ねーちゃんの甘い物好きは、相変わらず揺るぎ無い。
予想通り無防備な笑顔を見せる彼女に俺はホッと胸を撫で下ろす。
大丈夫だ。
ねーちゃんが俺の傍でいつも通り笑っている限り、俺には怖いものなんて無いのだから。