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37.繋いだ手は温かい <晶>



家族旅行の夜に、せめて昔みたいに手を繋いで隣で眠りたいと思ったのは、完全に私の我儘だった。


それなのに絆されて布団を持ってきて手を繋いでくれた清美は、私が泣いているのに気が付いてしまった。

布団を捲られて、恥ずかしさと情けなさに思わず腕で顔を隠す。その腕を清美に剥がされてしまった。一瞬パニックになりかけたけれども、目の前の清美もダラダラと涙を流しているのに気が付いて、茫然としてしまった。


「清美のほうが、スゴイよ」


思わず素になって指摘すると、清美は素直に頷いた。


「うん」


私の顔を優しくティッシュでぬぐいながら、ガシガシと乱暴に自分の顔を拭く清美に、私は思わず笑顔になった。

清美もホッとして、緊張を解いたようだ。そして2人で改めて手を繋いで横になった。




温かくて大きな清美の手。

何度もこの手が、私の少し冷えた手を温めてくれた事を……覚えている。

いつも清美の大きな手が、心が、私を励まし支えてくれていた。清美にはそういう意識は無かったのかもしれないけれども、彼と同じ家に暮らせた事、私を好きだと思ってくれる存在がいつもすぐ傍にいるという事実は―――臆病な私の心を、いつも補ってくれていた。


鴻池さんと清美が、手を繋ぎ……名残惜し気に離した光景を、ふと思い出す。

清美がさっさと鴻池さんに乗り換えたなんて、勿論思っていない。

でも仲直りをして、2人の距離が以前より縮まったのは事実だろう。


清美はいつか。私を恋人と見ることを諦め、誰か他の人の手を取る。

その未来をあの時、疑似体験したのだ―――そう、思った。

その誰かが鴻池さんになるのか、もっと違う女の人になるのか、わからないけれど。


清美が幸せなら、姉としての私にとっても、嬉しい事なのだ。

その時が来たら、たぶん……私は祝福できると思う。


女としての胸は痛むけれども、それで清美を思う全ての気持ちがひっくり返る訳では無い。

それくらい、私たちは『家族』になっていた。

今まで過ごしてきた年月が、長年ゆっくりと降り積もって厚い地層を形成し―――一時の恋愛感情の縺れで、踏み固められた土壌をすべて押し流されるということは無い。


だけど。


私の中に生まれてしまった、清美に対する恋心は当分の間消えそうも無い。

これから先、清美が誰かと手を繋いでいるのを、楽しそうに笑顔を交わすのを見るたび、それは私を密かにさいなむのだろう。




いつか、この熱も消えて過去のものになる時が来るのだろうか。




そう思うと、寂しかった。

もしかして、一生他の男の人を好きになる事は無いかもしれない。


だって私、清美より素敵な男の子に今まで出会った事が無い。


いくら見慣れていても見飽きない、整った精悍な容貌。しなやかな筋肉から成り立っている長身の体は野生の生き物のように俊敏に動き、私の視線を釘付けにする。

直情的で沸点は低いけれど、すぐにケロリとして何でも無いような顔で大股に歩きだす。

誰とでも気さくに付き合える、明るい性格。

栗色の髪は柔らかくて眩しくて、どこにいてもすぐ目に入る。

小姑のように小言を言ったり、いちいち細かい事を心配したりするから辟易することも多いけど―――そうやって私に執着してくれることが、求められる存在であることが、ずっと嬉しかった。




最後に一度だけ。




そう心の中で願っただけだと思ったのに。


自分が実際に行動に移している事に気が付いて、内心慌てた。

仰向けに眠る清美の眦から、ツっと落ちた雫を指で触った後、無意識に清美の唇にキスしていた。


驚いて目を見開いている清美。


触れる唇から柔らかい温かさが伝わって来て、私の胸は喜びに震えた。

そっと唇を離すと、アッと言う間に視界が反転した。


次の瞬間には清美が私の体を組み敷いていた。

見つめる瞳の中に、普段そこに存在しない熱のようなものが灯っているのが判った。私は抗わなかった。何故なら私も、ずっとそれを望んでいたから。




私に触れて欲しい。

ずっと奥深くまで。

私たちの間にできてしまった、薄い膜のような余所余所しさを侵して、私を彼でいっぱいに満たして欲しい。


一度で良いから。







** ** **







結局、その願いは果たされなかった。

でも、果たされなくて良かったと思った。


もし一時の感情に流されて一度でも先に進んでしまったら。

また仲の良い姉弟きょうだいに戻るまでに、かなりの遠回りが必要になるかもしれない。


目が覚めたように正気を取り戻した清美も、ホッとしているようだった。

私たちはその日、隣り合った布団で眠りそっと手を触れ合って眠った。




私はこの日の事を、ずっと忘れないだろう。




私の大事な弟で―――初めての恋人。




ずっと引き籠って、自分の小さな世界の中でしか生きていけないかもしれないと覚悟していたのに、私を外に連れ出して世界に飛び出す勇気をくれた人。


今はまだ、カサブタを剥がしてしまった擦り傷みたいにじくじくと心が痛むけれども。

いつかその傷がすっかり治ったら、ただの姉弟として笑い合える日がくるのだろうか。




―――そうだと良い。




うつらうつらと夢の世界へ踏み出しながら、私はそう願ったのだった。



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