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31.本格的インド料理を堪能 <清美>

浅黒い肌と大きな瞳のインド人料理人が、厨房で忙しく働いているのを、俺はぼんやりと眺めていた。


ものすごい違和感ありまくり。


定山渓温泉は札幌市の南の端の山奥にある。そんな北海道の片田舎で本格インド料理をふるまうインド人料理人達。


「豊平峡スペシャルとチキンカリー、ポークカリー、それから桶蕎麦大盛とタンドリーチキンです」


給仕のおばさんが運んできた豪華なインド料理。専用の窯で焼いたナンはねーちゃんの顔より遙かに大きい。とろっとしたカレールーからは何とも言えないスパイスの香りが立ち上ってきて、俺たちの食欲を煽りたてる。

インド人が作る本格インド料理が売りである一方、北海道産の蕎麦粉を使った手打ち十割蕎麦もラインナップに加わっている。もともとカレー目当てだったはずのかーちゃんは、我慢しきれず迷った末そちらを注文した。ちなみにとーちゃんが頼んだ『豊平峡スペシャルセット』とは、三種類のルーとタンドリーチキンやシシカバブなどがセットになったボリューム満点のカレーセットだ。


「なんか不思議な気分……温泉街で本格的なインド料理が食べられるなんて」


ねーちゃんが呟くと、かーちゃんが楽し気に応えた。


「始めは街なかでインド料理屋を開いてたらしいんだけど、失敗しちゃったんだって。でもせっかく連れてきたインド料理の職人さんに申し訳ないから、実家の温泉で店を開くことになったらしいよ。そしたら思いのほかヒットしちゃって、中心地から車で一時間弱かかる場所だけどいつも満員御礼になるぐらい流行ってるんだよ」


確かにオープン時間に合わせて来たのに、食堂に入るのに列に並んでしまった。


「もともと温泉自体もかけ流しの良いお湯だって評判だったからな」


とーちゃんが、補足説明をする。







俺たちはいま、定山渓温泉に家族旅行に来ている。

とーちゃんとかーちゃんがずっと来たいと熱望していたカレー食堂に早めの昼食を取りにやってきた。食べ終わってから別に予約している宿にチェックインする予定だった。


ねーちゃんのT大合格が決まった翌日、かーちゃんが宣言した。


「家族旅行に行くよ!」


とーちゃんは、その横で黙って頷いていた。同じ会社だから勿論スケジュール調整はバッチリなのだろう。俺も問答無用で土曜日の練習を休まされた。

……ウチって、夫唱婦随ならぬ婦唱夫随だよね。亭主関白じゃなくて、カカア天下?

小柄なかーちゃんが我が家の舵をしっかりと握っている。


久しぶりに4人で囲む食事。

あと何回こうやって居心地の良い温かい時間を過ごせるのだろうか―――と無意識に数え出す自分に気が付いた途端、喉が詰まってくるような感覚を覚えた。慌てて自分の思考を振り払う。


すると大きなナンをちぎってカレーを味わいながら、ねーちゃんが俺にニッコリと笑いかけた。


「美味しいね」

「ほんとだ」


俺はホッとして、自分の手元に意識を戻した。大きく口を開けてナンに付けたカレーを頬張ると、ポークカレーの旨味が口の中に広がって、後から辛味が追いかけてきた。


「でしょー?」


かーちゃんがドヤ顔で笑う。


「ハナ、お蕎麦食べたい」


隙あらばかーちゃんに甘えるとーちゃん。キリッとした俳優顔が、だらしなく緩んでいて息子としては何とも背中が痒くなる。


「じゃ、一旦交換する?」


かーちゃんはとーちゃんが甘えているのをわかっていて、優しく応じる。

こういう甘々な姿勢は娘のねーちゃんにしっかりと受け継がれているなぁ、とボンヤリ2人の遣り取りを眺めながら考えた。

今までなら俺もねーちゃんのチキンカリーとポークカリーを交換して貰っている処だろう。でも今の俺たちの間には、周囲に気付かれないくらいの薄い膜のようなものが存在していて、そういった行為に歯止めをかける。


何とも曖昧な関係だ。


ねーちゃんは『姉弟に戻ろう』と言って、俺は『別れたくない』と言った。

2人の意見は平行線で。宿題はお預けのまま、締め切りが近づいている。このままじゃ恋人に戻ることもできず、仲の良い以前の姉弟関係を取り戻すこともできず、余所余所よそよそしさを抱えたまま大事な居場所を失ってしまうような予感がしている。


どうしようもないのか。

そもそも、俺がねーちゃんを女性として望まなければ良かったのか。

いや、あのまま黙っている事は耐えられなかった。


それならば。


今俺が抱えるもどかしい状態は―――決して避けては通れない道だったのかもしれない。







チェックインを終えてから4人で外を散策した。


ホテルの向かいにある足湯に入って観光案内所を冷やかし、その隣の定山渓神社に入る。石段を登って大きな鳥居をくぐる。森の中を分け入るように参道を進むと、朱い大きな屋根を被った社殿に辿り着いた。


「ひと気が無いね」


周りをぐるりと見渡して、俺が言うと隣に並んだとーちゃんが答えた。


「観光シーズンじゃないからな。やっぱり夏か紅葉シーズンじゃないか、観光客が押し寄せるのって」


目を合わせると、自分が大きくなったことを実感する。背の高いとーちゃんとほぼ目の高さが一緒だからだ。俺が立ったまま下ではなく横を向いて話をできる環境というのは今ではごく稀な事だった。


かーちゃんとねーちゃんが、神社の社殿で手を合わせている。

ねーちゃんは神様に何をお願いしているのだろう。

希望と不安の入り混じったこれからの都会の生活についてだろうか。それとも……。




今年の初詣で北海道神宮の立派な社殿に手を合わせた事を思い出す。

弟である俺の願いは叶った。

でも、男である俺の秘めた願いは破られた。

やっぱりあの時『不合格!』と祈っておけば良かっただろうか?ふとそんな後ろ向きな考えが脳裏に浮かぶ。だけど今時間が巻き戻ったとしても、きっと俺は絵馬に『必勝!』と書いてしまうのだろうな、という確信もある。


あーあ。

ねーちゃんと離れたく無いな。


俺はねーちゃんの華奢な背中を眺めながら、心の中で呟いた。







「あら、可愛いわね。そういえば、河童の彫刻ばかり」


次に寄った場所は『手湯』ができるらしい。お湯の中に2体デフォルメされたアニメキャラのような河童が居て、柄杓を頭に被っている。お湯の出口らしい場所にもオスとメスの河童が仲良く並んでいる。可愛らしい2頭身の河童に目を細めるかーちゃんに、とーちゃんが近寄った。


「近くにある『かっぱ淵』にちなんでいるらしい。川に引き込まれた若者が父親の枕元に立って、河童の妻と子供と仲良くやっていると報告に来たという伝説があって、河童のキャラクターを使っているらしいよ」


と訳知り顔で語る。かーちゃんが意外そうな顔をしてその顔をじっと見上げると、苦笑して種明かしをする。


「さっき、観光案内所で貰ったパンフに書いてあったんだ」


それから正直にパンフレットを取り出した。


「お湯を掬って河童の皿を満たすとぴゅーっと口からお湯が出てくるから、それに手を浸して願掛けすると願いが叶うらしい」


手湯の前にある『河童家族乃願掛湯』と書かれた味のある看板を覗き込んでいるねーちゃんに、とーちゃんが告げた。


「あ、『オン・カッパヤ・ウン・ケン……ソワカ』って3回唱えながら願い事を考えろ、だってさ。やってみる?」

「せっかくだから、やってみる」


ねーちゃんが、少し真面目な顔で頷いた。

おそらく観光用にあつらえた伝説だとは思うし、ねーちゃんもそれは分かっているハズ。でも、何故か真剣にお願いしているように見えた。




一体何をお願いしているのだろう?




俺は目を閉じている彼女の横顔を、見納めとばかりに穴が開くくらい熱心に眺めていた。



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