30.行ってきます <清美>
センター試験初日。
お弁当を作る手順もかなり様になってきた今日この頃。俺はねーちゃんのためにおにぎりを2個握った。
おにぎりの具はチーズおかかと紀州南高梅の減塩梅干。お握りにまぶす塩の塩梅には最近自信を持てるようになった。
最初は握りこみすぎて、ぎゅうぎゅう・ガチガチのお握りしか作れなかったけど、最近はふんわりと空気の混ざったおにぎりを握れるようになってきた。
おにぎりの次は麦茶を用意。それから昨日コンビニで手に入れた赤いパッケージのチョコレートを取り出した。
『きっと勝つ、と』というダジャレで、受験生に受けているあの有名なお菓子。頭を使うから甘いお菓子は糖分補給にちょうど良い。
パッケージの裏面には、メッセージを書き込む余白がある。俺はそこに油性ペンで『必勝!』と記入した。
馬鹿のひとつ覚えと笑わないで欲しい。他に適当な言葉が思いつかないんだ。
部活はあるけど、今日は土曜日だからねーちゃんの見送りができる。
おにぎりをプラスチックのパックに入れて、チョコレート菓子と一緒に赤いランチョンマットで包み込んだ。
すると、ねーちゃんが2階から降りてくるささやかな足音が聞こえてくる。
朝ごはんは、納豆とレトルト味噌汁に目玉焼きとトマト。薬味にネギを刻んで、味付け海苔を添えた。
ねーちゃんが受験勉強に専念するようになってから、俺たちが朝食の席を一緒にするのは土日祝日だけになった。
正確には進路で揉めてからずっと、朝は別々に登校している。最初は寂しくてどうにかなりそうだった。
だけど今は仕方ないと納得している。
ねーちゃんは受験生なのだ。早起きして自室に籠りずっと勉強しているのだ。彼女の優しさにつけこんで自分の我儘に付き合わせていた状態が非常識だったのだ。
「おはよう、ねーちゃん」
「おはよ。朝ごはん、ありがとね」
「うん、食べようか」
大したものを作っているわけじゃないのに、いつもねーちゃんは感謝の言葉を忘れない。そのたび俺は自分がやってきたことが報われている気がして、充足感を感じる。
2人で食卓を囲む。最近俺たちは静かだ。
気まずく居心地悪く感じていた沈黙が、今ではなんだか落ち着く空気に変わっている。貴重なこういう2人の時間も、4月には跡形も無くなってしまうのだな、と思うと切なかった。
食べ終わった後いまだに洗い物に手を掛けようとするねーちゃんを制して、俺は彼女を洗面所に送り出した。
茶碗を洗いながら、ねーちゃんが持っていくべき物を、ひとつひとつ頭に思い浮かべる。
よりによってこんな日に大雑把な性質を発揮し、彼女が必要なものを忘れるのではないかと心配になったからだ。
俺ってやっぱ小姑気質なのかも。これまでも小言が多いとねーちゃんに指摘されていた。
しかし忘れ物をして困るのはねーちゃん本人なんだ。やはり、俺が正しいと思う。
「はい、お弁当」
すっかり身支度を終えたねーちゃんにおにぎりを渡す。
ねーちゃんは目元を緩めて、微笑んだ。
「ありがとう」
胸に抱きこむように受け取る様子を見て、俺の胸は熱くなった。
だけどブンブンと首を振り、冷静さを取り戻す。
厳しい目元をわざと作って、ねーちゃんに対峙する。
「受験票、鉛筆、消しゴム、それから、時計―――持った?」
「うん」
「忘れ物無いね」
「うん。『お守り』も持ったよ」
しっかりと応える落ち着いた声。
不意を突かれて、言葉に詰まった。
「……よし。じゃ、いってらっしゃい。頑張って」
「はい」
殊勝に頷くねーちゃん。
なんだか、従順だな。
うーん……こういうねーちゃんも、萌える。
思わずムラッと来たが、その衝動を理性でもって無視する。
「行ってきます」
ねーちゃんはそう言って、我が家の玄関を出て行った。
小さな背中がそこから消えても、余韻を味わうように、俺はしばらくそこに立ち尽くしていたのだった。




