3.君と友達になりたい <高坂>
『ねーちゃん、試験終わった?今ドコ?』
「清美?うん、終わったよ。今S台の近くのスタバにいるの」
『ひとり?』
「ううん、高坂君と一緒」
『高坂先輩?』
「もう、帰るよ」
『……うん。駅まで迎えに行くよ』
「駅まで?わかった。ありがと」
ちなみに『 』は俺の想像。おそらく、そう間違ってはいないだろう。単純な清美が言いそうな事は、何となくわかる。
ピッ。
スマホの電源を落とした細い手首をそんな事を考えがら、呑気に見ていた。
―――筈なのに。
何故か思わずそれを掴んでいた。
俺はそんな自分に吃驚して。小さな白い手を掴んだ自分の手を見て―――それから晶ちゃんの顔に目線を移した。
晶ちゃんも同時に、自分の手を掴む俺の手を見て、それから問いかけるように顔を上げた。
またやってしまった。全くの無意識だった。
「え……と」
俺は無理矢理、言葉を探った。
ああ、そうだ。聞きたい事があったんだ。
「晶ちゃん、帰る前に連絡先交換しない?」
「えーと……何で?」
「あの……俺、晶ちゃんとずっと話したかったんだ。で、友達になって欲しい……」
『友達になって欲しい』なんて。
こんな台詞人生で初めて口にしたかも。ほとんど無意識に出てきた言葉に、自分で言っておいて軽く動揺してしまう。
真っ正直な自分が恥ずかし過ぎる。カッと全身が熱くなった。耳まで真っ赤になっているのを意識する。本当にどうしちゃったっていうんだ、俺は。
「あ、うん。わかった」
あっさり。
晶ちゃんは頷いた。
あれ?
断る口実じゃ無くて、本当に理由を聞きたかっただけ?
言外に滲み出る雰囲気で女子と会話をしてきた俺としては、晶ちゃんの行動の意味を推し量る事が出来なくて、主導権が握れない。
どうも、調子が狂うなぁ。
「でも、連絡先交換ってどうやるの?」
「アンドライド?アイファン?」
「アイファンじゃ、無い」
「じゃあ、アプリ起動して……貸してくれる?」
「へー、そうやってやるんだ」
興味深そうに覗き込む晶ちゃんに、俺は言った。
「理系のくせに」
「……人と連絡先交換する機会、ほとんどないから……」
既に入っている連絡先は親族関係以外数件で、全て相手が登録してくれたと言う。
表情は変わらないまでも、ほんのり恥ずかしそうな様子にホッとする。俺ばかり動揺させられている状態は、どうも落ち着かなかったから。
「はい、どうぞ」
「ありがと……あんまり高坂君が面白がるような話、できないと思うけどいいのかな?」
「晶ちゃん面白いよ。俺、今日何度笑いを噛み殺したか分からない」
「え?そんな事いつあったの?」
晶ちゃんはチョコンと首を傾げた。
俺はその様子に何故か喉を詰まらせる。しかし気を取り直して何でもないように続けた。
「あと…話し易い。それに晶ちゃんは―――信用できる人間だと思うんだ」
「あ、ありがと……」
俺が手放しで褒めると、晶ちゃんは居心地悪そうにほんのり頬を染めた。
また喉が詰まった感じがして、俺は喉元に手を当てる。
そこで妙な視線を感じた。通りに面したガラスを振り返ると不機嫌そうな顔をした整った顔の男が、探るように俺の顔を睨みつけていた。
「あ、清美」
どうやら待ちきれなくてここまで来てしまったらしい。
清美の余裕の無い態度を目にしたお蔭で、かえって俺は落ち着きを取り戻す事ができた。出入口から回り込んできた背の高いハーフモデルのような男を、椅子から降りて悠然と、微笑みを湛えて眺める事さえできた。
「ねーちゃん、遅いよ。高坂先輩……どういう事ですか?」
「別に?お話していただけだけど。ね?晶ちゃん」
親し気に彼女に微笑みかけると、余裕の無い男は微かに眉を顰めた。
あれだけ晶ちゃんに大事にされていて、贅沢な奴。
『可愛い』後輩がジリジリしているのを目にするとどうしようもなく楽しくなってしまう性質なので、この態度は明らかに逆効果だというのに。
その俺の性質を十分知っている筈の清美は、数秒俺の目をじっと見ていたが、やがて心を落ち着けるように溜息を吐いた。
「何を話していたんですか……?」
大股で歩き寄り俺の目の前に立ち塞がる清美は、いつも部活で先輩に対して見せる従順さの欠片も感じさせ無い。こいつが俺に対してこんな態度を取るのは初めてかもしれない。
しかし何を話していたかについては、絶対に言いたくない。
特に清美には。
「さあ、何だっけ?」
だから惚けてニヤニヤ笑ってやった。
苦々しい顔で俺を見る可愛い後輩の余裕の無さに―――改めて自分のペースを取り戻す。
自分以外の人間が焦っているのを見ると、何故か逆に冷静になれるから不思議なものだ。
すると遙か頭の上で展開されていた空中戦を見守っていた晶ちゃんが、落ち着いた声音で仲裁に入った。
「……清美、帰ろ?ごめんね、ちょっと時間かかっちゃって。心配した?」
「……うん。」
「ちゃんと連絡すれば良かったね。スーパー寄って帰ろうか」
少し低い耳に優しい声で囁かれて、警戒心でピンと立っていた大型犬の耳が垂れるのが見えるようだった。
ちょっと不安そうに見下ろしながらも、清美は僅かに機嫌を上向かせたように見える。まるで周囲を警戒して唸っていたシェパードを、簡単に手なずける調教師のようだと思った。
「じゃ、高坂君またね。お互い試験まで頑張ろうね」
「ああ、また」
晶ちゃんが清美を促して大きな背を押しながら、俺に手を振る。清美は不承不承ぺこりと頭を下げた。
そんな2人に俺はニッコリと、持ちうる限り極上の笑顔で手を振ったのだった。