20.神様は意地が悪い <高坂>
晶ちゃんの背を追って改札を抜け、地上へ続く階段を登る。
体力の差は歴然だった。
なんとか地上の大通公園まで辿り着いた晶ちゃんが、膝から崩れるようにしゃがみ込んだ時、歩み寄った俺の脈拍は正常なリズムを維持していた。
はぁはぁと肩で息する晶ちゃんは、しゃがみ込んだ膝に頭を伏せているため、有名なホラー映画の、テレビの画面から飛び出して来る黒髪で顔を覆ったあの恐ろしいキャラクターに似ているな、と一瞬冷静に考えてしまった。
「晶ちゃん、髪が地面に着いちゃうよ。汚れるからベンチに座った方が良い」
俺は晶ちゃんをベンチへ誘導した。どうも、走るのに慣れていないようだ。あまり足に力が入らない様子の彼女を支えて、ちょうど空いているベンチに腰掛けさせる。晶ちゃんは、頑なに顔を背けていた。
晶ちゃんの横に腰掛けて、彼女の呼吸が落ち着くのを待つ。
暫くして、晶ちゃんは鞄の中からポケットティッシュを取出した。
俺から体ごと顔を背けた状態のまま、顔を押さえた。
彼女は泣いていたのだろう。
何となく予想はしていたが、心臓がツキッと痛んだ。
それから、はー、ふーう、と割と大仰に深呼吸をすると、勢いを付けて俺の顔を振り仰いだ。
やはり少し目の淵が朱い。
「ごめんね。急に走ったりして」
それなのになんでも無いようにニコリと笑う彼女が切なかった。
かなりレアな彼女の笑顔を捕えたというのに、俺の気持ちは沸き立たない。
随分ショックを受けている様子に、あっさりと清美から身を引こうとした行為が彼女の本心では無いのだと、改めて実感する。
清美め……。
マーブル状に入り混じった可愛い後輩に対する羨ましさと妬ましさが、俺の喉元までせり上がって来て、衝動的に手を伸ばした。
小さな肩に手を掛け、もう一方の手で彼女の背を引き寄せる。
ギュッと抱き込むと、彼女の体が、どこもかしこも小振りにできた華奢なパーツで構成されている事が実感できた。
その事実に感銘を受けている自分に気付いた。
「高坂……君?」
戸惑うような擦れた声が、囲い込んだ俺の体越しに漏れた。突然の事に動揺している為か、おそらく滅多に機会に恵まれていなかった全力疾走で疲労困憊している為か、彼女の体は身じろぎさえしない。
それとも、俺と力の差があり過ぎて、動く事も敵わないのだろうか。
可愛らしい小さな頭頂部に、思わずそっと頬を寄せた。温かい体温がそこから伝わって来る。
「あー、あったけー」
「?!」
「晶ちゃん、カイロみたい。ほかほか」
「……あ、あの」
「あんなに必死に走るからだよ。運動慣れしてない癖に」
「えっと……」
俺が何でもないように話すので、晶ちゃんは混乱し始めているようだ。
俺はちょっと、ニヤリと口元を歪めた。
そうそう、これは何でもない行為。俺にとっては普通の事なんだから、ちょっと抱きしめられたくらいで、晶ちゃんが動揺する必要は無いんだ。
男女の付き合いに如何にも免疫が無さそうな晶ちゃんは、だんだん判断が付かなくなるだろう。女友達の多い俺が女の子に抱き着く行為を大して重要なアクションだと思っていないという事実に、俺を衝動的に跳ね除けるべきかどうか判断に迷う筈だ。
「あの……高坂君、離れて……」
「晶ちゃんさー」
俺は彼女の台詞に割り込んだ。
「やっぱり、清美のことまだ好きなんでしょ?」
「……」
「雛子ちゃんと清美のツーショットに動揺し過ぎ」
「……」
「そんなに大事なら、何で手を離そうとするの?姉弟に戻るならこれからあんな光景、当たり前に見るようになるんだよ」
ビクリと閉じ込めた彼女の体が震えた。ヒドイ事を言っている自覚はある。動揺する彼女を体に感じて、苦い薬を飲んだような気持ちになるのは、気の所為じゃない。
晶ちゃんが清美を弟以上に思っているっていう事実に、どうしようもなく傷ついてしまう自分がいる。
蓉子さんへの俺の気持ちは、多少変質しようとも消えはしない。
だけど、いつの間にか。その思いの重さに潰されそうになる俺の気持ちを軽くしてくれる存在に、憧れの気持ちを抱くようになった。
他愛無い話に気持ちが沸き立つのは。
彼女が居そうな場所で、大勢の同じような年頃の学生の中から、その小柄な体を探さずにいられないのは。
例え彼女が多少痛みを感じようとも、敏感な心の襞に分け入りたいと思ってしまうのは。
やっと、蓉子さん以外の、俺を惹きつける存在を見つけたのに。
まただ。
やっと見つけた彼女の中には、もう既に別の大事な存在が居座っている。
―――神様は相当に意地が悪い。
気付いた瞬間既に失恋しているという体験は、もう懲り懲りだったのに。




