2.抹茶ラテとガトーショコラ <高坂>
俺はカフェラテ、晶ちゃんは抹茶ラテとガトーショコラ。
注文したものを受け取って席を見渡すとソファ席の空きは無く、少し肌寒いが歩道に面したガラスの前のハイチェア席に並んで座る事にした。チラリと横を見ると、小柄な晶ちゃんが一所懸命な感じで椅子に這い上がっている。
……お、面白い……
俺は笑いを噛み殺して、再び口を手で覆った。
これで本当に同学年なんだから、人間って不思議だ。
晶ちゃんは会う度違う顔を見せてくれるので、良い意味で裏切られると言うか驚かされる。
今もまさにそうだ。ガトーショコラを食べてにんまりしている顔が珍しくて、思わずガン見してしまう。けれども彼女はガトーショコラに集中している為俺の視線に全く気が付いていない。
パクリとケーキを一口食べて、にんまり。
コクリと抹茶ラテを一口飲んで、にんまり。
パクリ、コクリ、パクリ、コクリ……。
この人今、絶対横に俺がいるの忘れているよね。
こちらも意地になっていつ俺の視線に気が付くかとジィ―ッと凝視していたが、とうとう食べ終わるまで彼女は一瞥も返さなかった。
フィーッと一息を吐き、それから何かを思い出したかのようにハッと息を呑んで―――やっとこちらを振り向いた。
「わっ、な、何?何で見ているの?」
あんまり気が付かないんで徐々に距離が詰まっていた。
やっと俺を思い出して振り返った彼女は、距離の近さに慌てている。
そんな様子もコミカルで何だかとっても面白い。
「いやあんまり集中しているから、いつ気付くかなって見てた」
「へ……ぇえ?」
彼女は怪訝な様子で瞼をパチクリと瞬いた。
「すごい集中力だね」
「う……だって、美味しくて」
「ホント、面白いね。晶ちゃんって」
「……」
揶揄われていると受け取ったようで、軽く睨まれる。そして恥ずかしいのか……頬が薄赤い。
そんな表情も初めて見るもので、俺は更に遠慮無くじろじろ眺めてしまう。彼女は更に頬を染めてプィッと顔を背けてしまった。
あ、もう無表情に戻った。
おもしれー。
「なんか清美の気持ちがちょっとわかったかも」
「え?」
俺がボソリと呟いた台詞は彼女に届かなかったようだ。代わりに俺は質問を投げかけた。
「清美となんかあった?」
「……!」
あらら。
たちまち耳まで真っ赤になった。表情は変わらないので、ますます面白い。
「告白されたの?で、OKしたんだ?」
「な、なんで……」
「んー……なんとなく?」
と言っても。
きっと清美の気持ちはかなりダダ漏れだから―――2人とある程度親しい人間で多少察しが好ければ割と簡単に気付くだろうな、と推測する。
もうその動揺した様子が、既に答えそのものだし。
真っ赤になってモジモジしている晶ちゃんは可愛いんだけど、これを見て悶えているであろう清美を想像すると、ムカッと来る。
「はー、いいなぁ」
あ、本音が。
俺は目の前のテーブルに突っ伏した。
つい口をついて出た言葉が……恥ずかし過ぎる。
他人の目の前で愚痴るなんて、俺も焼きが回ったな。ましてや女の子に『包容力があって余裕があるね』とよく言われる俺が、あの『森=ヘタレ=清美』を羨ましがるって、かなり恥ずかしい。
そう言えば以前も晶ちゃん相手に愚痴を零してしまった事があった。あれは中3のクリスマス、江別市の体育館だった。思春期に突入した清美が晶ちゃんを避けまくっていた頃、晶ちゃんはコッソリ変装してまで清美の試合を観戦しに来ていた。その時俺は彼女に対して思わず誰にも打ち明けていなかった本音を、呟いてしまったのだった。
晶ちゃんって見た目の割に包容力あるからなぁ……こんなに小さいナリして。
あーもう!
俺は、自棄になってじっと顔を伏せたまま沈黙した。
何か聞かれるかも。と思ったが、晶ちゃんは何も言わない。
何も言わないけど―――俺が羞恥で死んでいる間、黙って横に座っていた。
5分ほど経過した後、漸く俺は顔を上げる。
火照っていた頬も、すっかり醒めた。
晶ちゃんを見ると……勉強していた。
またスゴイ集中力で。
顔を上げた俺に、全く気が付かない。
「……晶ちゃん?」
少し置いてけぼりが寂しくなって声を掛けると「あ、回復した?」とクルリとこちらに顔を向け、晶ちゃんはふんわりと微笑んだ。
他人に興味なさそうだと思っていた彼女の、意外な優しさに胸がドクンと跳ねた。
ナンダナンダ。
体が熱くなった。ほんのり嬉しさが込み上げて来て、俄かに動揺してしまう。
「あ、うん……回復した」
「そう、良かった」
今度はまっすぐ目を見返してくれた。なんだか今までおざなりだった俺への対応が変わったような気がする。透明なビニールのカーテンの向こうから話し掛けているような余所余所しさを、サッと開けてくれたみたいに。
……なんとなく彼女から、気遣われているような気がした。
弱みを見せるなんて、俺のガラじゃない。
だけど結果的に、意図せずそれが彼女の人見知りの殻を剥がす役割を果たしたのかもしれない。
彼女の黒く艶々した双眸が俺をそのまま見ている。俺は何だかそこから目が離せなくなってしまい、つい目を細めてしまった。
「清美が羨ましいな」
「?」
晶ちゃんは、キョトンと首を傾げた。
その自然な仕草に一瞬胸がざわついたが、気を取り直して溜息を吐いた。
「俺ね……子供の頃がからずっと好きな人がいるんだけど、彼女は俺の事弟みたいなものとしか思って無いんだ。だから晶ちゃんに大事にされて、その上男として受け入れられている清美が―――すごく羨ましい」
俺は何だか素直な気持ちになって……今までほとんど口に出す事の無かった蓉子さんへの思慕を口に出してしまった。
晶ちゃんは一切詮索をしない。
だからこそ、反対に胸の内をばらしたくなってしまうのだろうか。
それとも―――本当は俺は、誰かにこの気持ちを聞いて欲しかったのかもしれない。彼女なら……この気持ちに余計な査定も助言もしないだろうという確信があった。
「……」
晶ちゃんは俺をじっと見つめたまま黙り込んだ。そして俺が気まずさを覚え始めた頃、やっと口を開いた。
「……高坂君、彼女いたよね……?」
おそるおそる確認するような口振りだった。
食い付くとこそこ?とは思ったが、晶ちゃんらしいとも感じた。
好きな相手がいながら別の相手と付き合ってきた俺を―――真面目そうな晶ちゃんは許容できないかもしれない。
俺が懸想している相手が義理の母親だなんて、彼女は夢にも思っていないのだろう。だからそう考えるのも普通なのかもしれない。だから俺はちょっと肩を竦めて話を逸らした。
「あれ?意外だな。俺のコト関心ないって思っていたけど」
「清美から聞いた事あるような気がして。そういえば試合で高坂君を応援している女の子、一杯いたよね。すごくモテているって言っていたなぁ……」
「うーん、本当に好きな人には男と見られてないから……いくらモテてもねぇ」
女の子から好意を向けられて、お返しに相手に優しく接する―――すると打てば響くように返って来る反応。それは気持ち良いし楽しいけれど、本当に俺が望んでいるものではない。言うなれば一番食べたいものを我慢して、代替品で小腹を満たしている感じ?―――それに近い気がする。
我ながら悪い例えだという自覚はあるので、決して口には出さない。
しかしそんな心の内を言葉にしなくても、既に晶ちゃんは眉を顰めていた。
「……考え方は人それぞれかもしれないけれど……」
「俺、ズルいかな?晶ちゃんはこういうの……嫌いそうだね?」
嫌われたかな?と思った。
だから先んじて言葉を被せた。
彼女に嫌われるのが怖かったのだろうか。蓉子さん以外の女子に何と思われたって動じないと思っていたのに。
すると彼女は、思案するようにゆっくりと言葉を繋いだ。
「……嫌いというか……」
俺から視線を外すと、晶ちゃんはガラスの向こうに視線を放った。地下鉄がちょうど着いたのだろう。透明な板を隔ててすぐ傍をこちらに一瞥も向けず足早に歩く人々の群れが通り過ぎる。
沈黙を痛く感じさせないのは、彼女の体質なのだろうか。俺は大人しく次の言葉を待った。
「高坂君は器用なのかな、って思う。私は一つ一つに時間を掛けてしまうから、好きな事を仮置きして違う事に手を着けるのが、難しいの。だから、一番好きな事をやる以外の時間を取る事はとても難しい……人に対しても、本当に好きな人以外と付き合ったり沢山の人を気に掛けたりっていうのは無理なんだよね……単純に能力として高坂君のようにできる対人スキルが無いの。だから『嫌い』とか『嫌いじゃない』とかじゃなくて、単にそう言う事考えもつかなかっただけ。私の質問で気を悪くしたなら―――ごめん」
真面目そうな外見の晶ちゃんの事だから、てっきり俺の軽い交友関係を耳にして呆れてしまったのだと決めつけていた。
そしてそれを内心怖れていたらしい俺は……謝られてちょっとポカンとする。彼女が眉を顰めた訳は嫌悪感では無く、単純に慣れない難問の答えを探していた故のものだったのだ。
その事に何故か安堵する自分が居た。
「晶ちゃんって……『変わっている』って言われない?」
晶ちゃんはまたしても眉を顰めた。
「……言われる。大抵の相手が望んでいる台詞が言えてないみたい。だから、浮いちゃうの」
『相手が望んでいる台詞』……それを口にする事は俺にとっては容易な事だ。だけど心の中に浮かぶ正直な言葉をそのまま紡ごうとする晶ちゃんには―――確かに難しい事なのかもしれない。
大抵の人間は、空気を読んで相手の期待する言葉を発する。
それが集団の中で生きて行くには―――必要なのだけれど。
今も俺が予想した通りの応えは返って来なかった。けれど……
「けど、俺は嬉しかったな」
「うん?」
「予想通りの応えじゃないけど……」
晶ちゃんの言葉は視野を広くしてくれる。
少なくとも俺にとっては、そうだ。
違う視点を与えてくれて、行き詰った俺を自由にしてくれる。
あの時も、そして今日も。
俺は、相応しい言葉を探して珍しく口籠る。
言いあぐねて晶ちゃんを見ると、彼女は俺を真直ぐに見返して来た。
その時、晶ちゃんのスマホが鳴った。
相手の名前が液晶に浮かび上がる。
『きよみ』
表示されたのは、案の定と言うかやっぱりと言うか彼女の『弟』で、今ではたぶん『恋人』に昇格した―――俺の後輩の名前だった。