16.紅茶付きシューセットを頼みました <清美>
試合会場は席を立つ人波で溢れていた。何とかそれを掻き分けて入口を通過すると、理留ちゃんを左腕にぶら下げたままの地崎が振り返った。
「せっかくだからどっかでお茶、飲んで行かね?」
「いーけど……」
地崎の視線を辿ると―――これ、鴻池も誘っているんだよね。
せっかく誘ってくれた地崎の好意を無下にしづらい。
けれども鴻池と一緒、と言うのも気まずい。
それに何より理留ちゃんの表情がまた硬まってしまった。
2人きりにならなくて……大丈夫なのかな?
「鴻池は?」
「……うん、私も大丈夫」
確認する地崎に、鴻池も遠慮がちに頷いた。
さっきから歯切れの悪い言い方をする鴻池が引っ掛かる。最近ほとんど話してなかったけど、そう言えば少し元気が無いと言うか以前のような勢いがない。何より傍若無人に叩いて来なくなった。
以前は強い口調で上から目線の発言をする事が多かったのに。
地崎は何を考えているんだ?
俺が鴻池に迷惑を被った経緯を粗方伝えているのに、何故彼女を引き留めるような提案をするのだろう。
強引すぎるアプローチが鳴りを潜めている所為か、試合中意外と鴻池の隣に座っていても不快感は無かった。
―――しかし気まずい事には変わりはない。何しろ以前告白し追い縋った彼女を……俺は手酷く撥ね付けたのだから。
地下鉄でいったん、大通駅まで戻った。
大通駅周辺の地下通路は、最近リニューアルが進んで明るくなった。待合スペースや喫茶店、小物やパンを販売する雑貨店などが設置され寄り道しやすく改装されたのだ。更にここは南北線と東西線、東豊線という札幌市の地下鉄全線の乗り継ぎが出来る便利な場所だ。
地上に出れば市電にも乗り換えが可能だし、東端のテレビ塔を起点として60メートルほどの幅の大通り公園が帯のように西へ伸びている。確か小学校の社会の授業で長さが100メートルくらいだと聞いた。テレビ塔の下から西へ視線を遠くに向けると、大倉山のスキージャンプ台が見える。冬の間暗くなっると、練習用なのか夜飛行機の滑走路みたいにライトがポツリポツリとその形を浮かび上がらせている。
そう言えば中1の夏休み、浴衣を着たねーちゃんを連れて大通公園の盆踊りに遊びに来た事があった。あの時のねーちゃんは可愛くて、可愛くて―――綺麗だったなあ……。
あのあと俺は本格的にねーちゃんを意識してしまい、彼女を避け続ける事になった。
そんな痛い経験を通して―――今後は決して自分からねーちゃんの手を離すまいと、その時誓ったのだけれども。
もし本当に離れ離れになってしまったら、ねーちゃんを想う俺の気持ちは、どうなっちゃうんだろう?
持て余し気味のこの狂おしい感情がもし―――目の前にあの小柄な黒猫のような存在がちらつかなければ、消え失せてしまう類のものだとしたら?
―――ねーちゃんに対して抱いている、この喉が渇いて仕方が無いような執着心を……俺が忘れてしまうことも有り得るのだろうか?
それとも離れている間ずっと―――寂しさに再び苦しみ続けるのだろうか。
** ** **
俺達は新しく地下街に出来た『トトール』に入った。
午後2時以降からの特別セットメニューが目に入る。うん?ケーキとドリンクのセットか。
カリカリした生地のシュークリームから、はみ出した滑らかそうなカスタードクリーム……これ、試しに食べてみよう。そんで美味しかったら、ねーちゃんを連れて来よう。
それはほとんど無意識だった。
注文した後で気付く。
もうこういう行動は生活の一部になっていて―――仲違いや擦れ違いの存在も忘れて、勝手に体が動いてしまう。
こんなにも俺の中には―――ねーちゃんが息づいている。
この思いが消えてしまうかもしれない?―――そんなこと、有り得ない。
だけどこんなに体に染みついた習慣も―――発揮する場を失い、意味の無い物になってしまったとしたら……。
席に着くと、それぞれのメニューが被っている事が判明した。
俺と理留ちゃんが同じ。紅茶付きシューセットで―――地崎と鴻池が2人ともカフェラテを頼んでいた。ちなみに席の配置は勿論、地崎と理留ちゃんが隣り合わせとなる。だから向かいの余った席に、俺と鴻池が並んで座った。
「意外。甘い物好きなんだ」
ポツリと隣で鴻池が呟いた。
「うん、姉貴が好きだから」
思わず口を付いて出た。
言ってから(ちょっとマズかったかな)と一瞬思ったけれども、鴻池は「そうなんだ」と大して気にしていないように普通に頷きを返しただけだった。
面倒くさいなぁ……いちいちギクシャクしてしまう自分が。
俺達は最初、もっとさっぱりとした付合いだった。
サバサバした鴻池とは趣味も合って、ねーちゃんを除いた女子の中では話し易い方だったのに。あと2年間もこんな調子で部活動をやっていくのかと思うと……気が滅入る。
「……『幼馴染』じゃ、ないから」
先ほど見た試合展開について、俺達は当たり触りの無い話をしていた。
話について行けない理留ちゃんは黙々とシュークリームを食べていて―――いち早く皿を空にしていた。
それを見た鴻池が置いてけぼりになってしまっている理留ちゃんに気が付いて「こんな可愛らしい幼馴染がいるなんて、地崎君羨ましいな」と話の矛先を理留ちゃんに振った処だった。
すると硬い声で理留ちゃんが、そう返したのだ。
「『幼馴染』で間違いないだろ?」
地崎が言うと、理留ちゃんは空になった皿を見つめたまま反論した。
「『彼女』だもん」
「……理留」
「あ、彼女だったの?地崎君の……じゃあ、お邪魔だったかな?」
冗談のように明るく言った鴻池を、顔を上げた理留ちゃんはキッと睨み返した。
「そうよ、邪魔よ!」
「理留!」
地崎が強い口調で彼女を制した。ビクリと理留ちゃんが肩を揺らす。自分が言ってしまった台詞にバツが悪くなったのか、叱った地崎の方に目を向けず再び皿の上に視線を落した。
地崎は溜息を吐くと立ち上がって、ダウンジャケットに腕を通してカーキ色のメッセンジャーバッグを背負った。
「理留、帰るぞ」
「……」
地崎は手早く理留ちゃんのジャケットと鞄を抱え込み、彼女の腕を引いて席を立たせた。
「ちょっと、コイツこれ以上ここに置いとけないから、帰るわ。誘って置いてごめん」
「あ、ううん……大丈夫」
戸惑うように、鴻池は首を振った。
俺は地崎の視線に頷いて「また、明日な」と言った。
「理留」
促すように言うと、理留ちゃんは俯いたまま返事をしない。地崎の声音は優しかったけれども、自分が取ってしまった失礼な態度を意識してしまい、どうすべきか迷っているように見えた。
「あの、理留ちゃん。私、地崎君とはただの部活仲間でしか無いから、安心して」
「……」
俯いていた顔を少し上げて、理留ちゃんは鴻池をジットリとした目で見た。
「本当に違うの、心配しないで!好きなのは、こっちの人だから……あっ」
俺は思わず息が詰まって、咳き込んだ。理留ちゃんがチラリと俺に目線を向けるのが、目の端に映り込んだ。
「……あの、でもこの間、振られたんだけど……」
バッサリ一刀両断な発言が得意な鴻池らしからぬ弱気な物言いに、何とも言えない気まずさが俺達の間に加速する。
シンとした時間が数秒通り過ぎて―――鴻池より弱々しい蚊の鳴くような声で、理留ちゃんが「ごめんなさい……」と頭を下げた。瞳にウルウルと幕が張って来たので、今度こそ地崎が彼女を促してテーブルを離れた。
何とも情熱的な彼女だなあ。
しかし鴻池も……まだ俺の事、好きだったのか……。
いい加減ドシスコンの俺に引いてしまって、遠巻きにしているんじゃないかと思っていたけど……俺も人の事言えないけど、しつこいというか物好きだなぁと、妙に神妙な気持ちで考えた。
それにしても4人席に隣りあって座っている状態は―――距離が近過ぎてなんか微妙だ。
「あの、席こっちに移っていい?」
「……あ、うん」
俺は鴻池の斜向かいの席に移動した。
やっと少し人心地が付いて、俺はミルクティーに口を付けた。
「……あの、森?」
「ん?」
気恥ずかしくて俺はミルクティーに目を落したまま、おざなりな返事を返した。
鴻池の視線が何処に向いているのか目では確認していなかったが、何となく彼女も自分のカップに目を落しているんじゃないかと、考えた。
「ずっと……謝りたかったの」




