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「……っく、ふわ……」
雪の降りしきる、まだ朝日も差さない早朝。暗闇の中にぼんやりと、窓から漏れる光に包まれた洋館が浮かび上がっている。
洋館の東向の一室にドンドンと鈍い音が響いており、その12畳ほどの部屋の一角、黒く光沢のある木材で組み上げられたベッドの上に、大きなシルクと羽毛で出来た簑虫が蠢いていた。
「おきぬ、めざめぬ、かくせいせぬ……。すー、すー…」
巨大蓑虫は部屋に響く扉を叩く音で少し目覚めかけたものの、起きないことに対する不退転の覚悟を、夢現に呟き、再びまどろみの中へ戻って行く。
扉の内側には本棚や机等が立て掛けてあり、まさかそれを突き破ってまで部屋に入ってくる者はいないだろうと鷹をくくっているのだ。
だがそれは考えが甘かったようで、先ほどまで扉を外側からノックと言うには余りにも暴力的に叩いていた女性が、調度品のバリケードごと扉を突き破って部屋へ侵入して来た。
その隙なくメイド服を着こんだ妙齢の女性は、部屋中に散らばった調度品の残骸や本などを蹴散らしながらベッドへと猛進し、茶色の毛を振り乱しながら簑を解体しにかかった。
「さぁ起きてください。今日ばっかりはお寝坊は許しませんよ。あと5分、もなしです」
彼女は、エヴァ・ルミフルガー。簑の中身の母親の従者で、今日までその世話係も兼ねている。
「うぅ……。こんないたいけな少年に日の昇る前にお布団から出ろだなんて、虐待だよエヴァ、ぎゃ・く・た・い。世が世なら児童相談所ものだよ……」
「訳の分からないことを言ってないで早く起きてください。お祖父様が食堂にてお待ちですよ?」
「起きます!」
エヴァからその名前を聞くや否や、布団から150cm程の黒髪の少年が飛び出してきた。蓑虫の中身であった少年は、アーヴィング・ラズニク。愛称はアヴィ。バルカン王国有数の貴族であるラズニク侯爵家の嫡男だ。
普段は両親譲りの可愛らしいルックスに似合わぬ、毒舌・冗談や行動で周囲を振り回しているアヴィだが、祖父だけは別だ。
「お祖父様はいつから食堂に!?」
「30分程前からです」
「どーして起こしてくれなかったのさ!?」
この裏切り者と言わんばかりの口調で、寝間着を脱ぎ散らしながらエヴァに詰め寄るアヴィだったが
「起こそうとは致しましたよ?しかしこのような事をされましてはわたくしとしましても、厳しいという物ですよアヴィ様」
アヴィの着替えを手伝いながら、部屋の中に散乱する本や木片をため息混じりに眺めるエヴァによってバッサリと切り捨てられてしまう。
「そうは言うけどさエヴァ、お祖父様が来るだなんて聞いてなかったんだから仕方ないじゃないか。来ると聞いてればこんな事はしなかったよ……。お祖父様は王都でお茶を飲む大事な仕事があったんじゃないの?」
「大事な孫の誕生日、それも10歳のに勝る事はない! だそうですよアヴィ様。アドリアン様かアリア様からお聞きになりませんでしたか? わたくしは2日も前にはアリア様にオイゲン様がおいでになるとお伝え致しましたが」
「いつもの事か……」
それでもなんとか他人に責任を転嫁し、自らの罪を軽くしようと足掻くアヴィだが、両親による伝達ミスが原因と知ると、
似た者夫婦め……、といつもどこか抜けたところのある両親をなじり、責任転嫁を諦めた。
「そのようでございますね。さぁ整いましたよアヴィ様、早く食堂へ」
「ううう……お祖父様さえ来なければ1日立て込もっているつもりだったのに……」
服装も整い、お祖父様が来ている以上、行かなきゃ行くより怖い折檻が……、と文句をこぼしながら階下の食堂に向かう少年の背中へ
「ドアや調度品を壊さなければ入れないように立て籠もっていた時点で、おそらく折檻は確定かと」
ずるっ、どんどんどん…… ベタッ。
「……ッッ!? 空からアヴィ様がっ!?」
容赦ない一言が浴びせられ、力の抜け落ちた少年は重力の導くまま階段を10段ほど滑り落ち、慌てたメイド達によって介抱された。
階段から落ちたアヴィは、メイド達の介抱もあって何とか立ち直り、屋敷の1階中央奥の食堂へ足を踏み入れた。
「アーヴィング、朝から随分と騒がしいではないか」
アヴィが食堂へ入ると、白髪の初老の男が白い髭を撫しながら、長いテーブルの最上座に座っていた。この男こそアヴィが恐れてやまない祖父、オイゲン・ラズニク。ラズニク家前党首で、家督をアヴィの父へ譲った後、王に請われ王都にて相談役として出仕している。先にアヴィがお茶を飲む仕事と称したのはこれの事だ。
「申し訳ありませんお祖父様。お祖父様が本日いらっしゃるとは聞いておりませんでしたもので……。朝食に遅刻した上にお騒がせしてしまったようですね。今すぐ部屋にて謹慎し反省して参ります」
食堂の入り口に立ち、オイゲンに近づかないままで、反省を言い訳に早々に祖父の前から退散しようと計るアヴィ。
「遅刻や騒ぎの反省など後でもよい。第一、おぬしの部屋は今、反省などできるような様子ではなかろう?」
「そ、それはその通りですが……」
やっぱりもう全部バレてるのか、と内心毒づくアヴィ。そこへオイゲンがとどめの一言を刺す。
「何より今日はお前の10歳の誕生日だ。何よりも先に今なすべき事があろう?」
アヴィが今何よりも先になすべき事、それはラズニク家の者が10歳の誕生日に誰しもが行う儀式であり、ラズニクが他家とは一線を画している事の根幹でもある。ちなみに物凄く痛いらしく、その事がアヴィの立て籠りを引き起こしていた。
アヴィはもはやそれから逃れる事は難しいと悟ったものの、それでも中止あるいは先伸ばしにしようと
「その通りですお祖父様。しかし父上と母上がいらっしゃらないようですが?」
「安心するがいい。あの2人は既にアルマをつけて祭壇へ向かわせておる」
両親がいなければ、それも行えないだろうと計るも不発に終わってしまう。
「それは安心ですねお祖父様!」
「そうだ、では我等も行くとしよう。クリスティアンが表で馬車を用意しておる」
「えーと、エヴァはどうするのです?」
「なに、あやつはおぬしのやんちゃの後片付けをしてから追い付くだろう」
「そ、そうですね……」
「うむ、では参ろう」
そう言ってオイゲンはあっという間にテーブルを回りこみ、万策尽き俯いたアヴィの手をつかんだ。
「お、お祖父様?僕ももう10歳です。手を引いていただかなくとも1人で歩けますよ?」
「ははは、何、先ほど階段から落ちたであろう?まだ寝起きということもある。また足がもつれて馬車と反対方向にこけてもいかんからな」
「お、お気遣いありがとうございます……」
そして食堂を出て玄関ホールの方へアヴィを引き摺る様にして歩いていった。
バルカン王国ラズニク領最大の都市にしてラズニク家の本拠地でもあるキシナウ。その中央を山裾まで貫く中央通りの終着点。その南側にラズニク家のカントリーハウス、北側には山道へと続く鉄門があり、その先の山は有事の際の城郭となっている。
アヴィ達は屋敷から馬車に乗り、城郭の中心にある主郭へと向かう。外郭の鉄門を過ぎ、更に曲輪を1つ越えると主郭である城館へと着いた。
石造りの城館の前で馬車を降りたアヴィ達は、城館の中をオイゲンの従者のクリスティアン・クープラズムの先導で上へ上へと上がっていく。
「あの、お祖父様。儀式は地下で行われるのではないのですか?」
「これで良いのだ」
「いやでも……」
オイゲンは前を向いたまま明確な答えを返さす、アヴィは不安げながらもその後をついて行く。
「着きましたよアヴィ様。少し動かしますので、しばらく部屋の外でお待ちください」
「え、ここは……?」
そして黙々と5分ほど上った頃、目的地に着いたということがクリスティアンから告げられた。
だが辿り着いた所は城館の最上層の一室だった。不審に思いながらも言われた通り部屋の外で待っていると
「さぁ、こちらです」
石と石が擦れるような重い音がした後、クリスティアンが部屋の中央に置かれた執務机の反対側から呼んだ。
「うむ」
と、一言頷きオイゲンは部屋に入り、執務机の足元に広がる暗闇の中へクリスティアンに続いて足を踏み入れた。置いて行かれてはたまらないと慌ててアヴィが部屋に入ると、執務机の下に階段が出現していた。
「え、ちょお祖父様? 置いてかないでくださいよ! ってうわ……仕掛け扉、というか床?こんなカッコいいギミックが仕込まれてたなんて……。地下に行くと聞いてきたのに上がるから何なのかと思いましたよ。クリス、この仕掛け後で教えてもらえる?」
「申し訳ありません。この仕掛けは、代々ラズニク家当主とその従者にのみ伝えられるものでして……」
まだ嫡男の身であるアヴィには教えられないと、クリスは申し訳なさそう話す。
「あの部屋は、かつては城主の執務室で、いざというときの脱出路の1つでもある。いずれアヴィも嫌でも覚えることになるから安心せい。他にもこのような仕掛けはいくつかあるが、この城を作られた初代様もこの仕掛けを仕込むのには一番苦労したと言われておる。何しろ全ての階層に周りからは分からぬよう、地下への階段を通さねばならないのだからな」
「ふわぁ、すっごいですねぇ。」
クリスティアンの持つ松明についていきながら仕掛けについて語り合う2人。やはりこの手の隠しギミックは男のロマンなのだろう。時折クリスティアンも話に参加しつつ20分ほど降り続けただろうか。片側だけで横幅1m高さ2m程の両開きの鉄扉が一行の正面に現れた。右の鉄扉の中央には何か受け皿の様なものがついており、反対側と繋がっているようだ。
「クリス」
「はっ」
オイゲンがクリスティアンを呼ぶと彼は執事服の懐から取り出した小刀で手のひらを傷つけ、血を鉄扉の受け皿へ注いだ。
「(僕もこのくらいで済むならいいんだけど……聞いた感じだともう少しヤバそう)」
ギィ……ギギギギギ。
クリスティアンが血を注いでから暫くすると鉄扉が軋むような音をたてながら開き始めた。
「さぁ行くぞアーヴィング」
「はい」
そうしてアーヴィングは嫌々ながらも、決して避け得ない儀式の祭壇へ歩き始めたのだった。
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