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希望のカガリ

「カガリ……」


 今のカガリに、言葉は届かないかもしれない。


 だが。


 だからといって見捨てるわけにはいかない。


 お前は、私の大事な……。


「目を覚ませ。カガリ!」

カガリは、私に目を向けた。しかしすでに、ここに集まっていた街の人間の半分は斬ってしまっていた。

「あんたが相手をしてくれるのかい?」

もはや今のカガリに、心は宿っていなかった。

「関係のない市民まで、傷つけてはいけない」

その言葉を聞いたカガリは、私の事を鼻で笑っていた。

「何がおかしい?」

「あんただって、関係のない市民を斬っただろう?」

一瞬、私はカガリがなんのことを言っているのか、わからなかった。


 私が市民を斬った?


(あぁ、そうか……)

先ほどの光景を、カガリは見ていたのか……と、私は勘付いた。確かに端から見ていれば、私が市民を斬っているように見えたかもしれない。

(私はひとを、斬ってはいない)

この剣では、ひとは斬れないのだ。一見鋭く研がれたような氷の刃に見えるが、実はこの剣には刃がないのだ。これは、私の魔術で加工した特殊な「鈍器」だった。そのため、相手に鈍痛は与えられるものの、斬るということは到底出来ない物だった。

「カガリ、私は人を斬ってはいない。この剣は……」

「言い訳かい? あんたらしくもない」

そしてカガリは私に剣を向けて構えた。構えすら、いつものあの子とは違っていることに、私は驚きと戸惑いを感じていた。

「見損なったよ……あんたには」

「……カガリ」

剣でしか止めることのできない自分を情けなく思いつつも、私も剣を構えた。

「来なさい」

そうすれば、この剣の形状がわかるはずだから……しかし、このことを知ったあの子がどうなるのかが、心配だった。

 だが、このまま市民を傷つけさせるわけにはいかない。だから……私は走り出した。今のカガリは正直強い。ジンレートとにもおそらく勝る力を持っている。だが、それでも私は負ける気はしない。

(心技体……か)

昔から、それらが備わったものこそが真の強さを得られると言われている。もちろん、私自身まだまだ未熟者だ。だが、カガリより年を重ねている分、私のほうに分があると思っていた。

(あの子にはまだ、心が備わってはいない)

それは、誰が見ても明らかなことであった。しかし、技についてはもはや言うことは何もない。技だけで言えば、師匠である私にも、引けをとらないほどの腕を持っていた。センスもある。生まれ持った才能だ。

 カガリのいいところは、構えや動きに癖がないことだった。基本に忠実で、無駄のない、素直な剣筋をしている。

 切っ先を地面すれすれのところに向け、引きずるような感じで私に突進してきたカガリは、動きに無駄がなく、かなりのスピードを出していた。

(大量失血しているというのに……このスピードが出せるのか)

私の間合いに入る直前に、カガリは剣を振り上げた。思い切り振り下ろしてくるカガリの剣を受け止めるのには、なかなか力のいる作業だった。受け止めると同時に、カガリは次の行動に移っていた。再び切っ先を下に向け、刃を私の剣の下にもってくると、そこから一気に剣を振り上げた。私の剣を吹き飛ばそうとしたのであろう。それを読んだ私は、咄嗟に剣を右に振り、カガリの剣との接触を避けた。そして、距離をとるために一歩後退した。

「……」

カガリはすぐに私を追って来るのではなく、少しずつ後退して動きを止め、何かを考えているようだった。しかし、何かに違和感を覚えつつも再び剣を握り直した。そして、再び私のほうに走り出した。

 今度は、私の目の前まで来ると、そこに残像を残して瞬時に私の後方へと移動した。そのまま斬りかかってくるが、カガリの動きが見えていた私は、難なくそれを交わした。

「今度はこちらから行こう」

私は剣を握る手に力を込めると、一気にカガリとの間合いをつめた。カガリの首元あたりでふたつの剣はぶつかり合う。しかしその時、カガリは驚きの顔をしていた。

「なんだ!?」

カガリはいったん後ろに退いた。しかし、構えのくずれたカガリを攻め立てるように、私はカガリの後を追った。

 リズムの崩されたカガリを攻めるのは、わけなかった。完全に間合いを読めずにいたカガリは、私に圧されるがままであった。

「何なんだ……」

苦しそうな顔をしながら、カガリは力ずくで私の剣を押し返した。

「透明なのか!?」

カガリはそう言いながら、私の剣をまじまじと見ていた。

「あぁ、そうだ」

私はカガリが振り下ろしてきた剣に、わざと腕を伸ばした。当然、刃と接触した部分が斬られ血が出てくる。そして、その血を自分の剣の刃の部分にたらした。こうすれば、氷よりも透明であるこの刃の部分も、見えるようになる。


 赤く染まったその部分の形状を見て、カガリは言葉を失っていた。




「よし……と」

街の連中は広場から遠ざけた。裏切り者の俺の言葉なんて、聞かないんじゃないかって思ったけど、今のカガリを前にしたら、言うことを聞かないわけにはいかなかったみたいだな。俺に言われるまでもないって感じで、みんな退いてくれた。

「ソウシ、大丈夫か?」

「えぇ……」

意識は取り戻したものの、どこかまだぼーっとした感じのあるソウシのことが、少し心配だった。

「本当に大丈夫か? 俺のこと、わかるか?」

「わかりますよ」

そう言いながらソウシは笑っていたけれども、笑顔に無理があるところから見て、やっぱり相当に辛いみたいだ。身体が辛いのか、この現状が辛いのかは、分からない。いや、どちらもあるのかもしれない。

「ちょっと、横になってろよ」

ソウシは、意地を張って横になろうとはしなかった。身体を木にもたれさせて、視線をカガリとルシエルの方に向けていた。

「ソウシ……」

ソウシは、俺のほうを向きながら首をかしげた。

「……ごめんな」

「何を謝っているんですか?」

「……こんなに事態が悪化しちまったのは、俺のせいだ。ついカッとなっちまって、俺が親父を斬りつけたりなんかしたから……こんな」

ソウシは首を横にふって、目をつむった。こんな時に不謹慎だとは思うけど、ソウシってなんで兵士なんてやっているんだろう……って思う。身体つきとか仕草とかを見ていると、上流貴族とかそういうものなんじゃないかって思えるし、前々から実はそうなんじゃないかとすら感じていた。

「ギルのせいじゃありませんよ。私の責任です。私がつい油断をしてしまったばかりに、気を失わされてしまうなどという失態をおかし……さらには、カガリとあなたの怒りに、火をつけてしまいました」

「お前のせいなんかじゃないよ」

俺たちはふたり、お互い自分自身を責め立てた。でも、今さら後悔してみても、俺たちではカガリを止めることはできないことは、わかっていた。今のカガリには、鬼気迫るものがある。俺たちでは到底、力不足だ。

「俺たちってさ……」

ソウシは目をあけ、俺のほうを見た。

「まだまだ、子ども……ってことかな」

そして、苦笑いをしていた。俺も、腰を下ろしてカガリとルシエルの方に視線を向けた。ソウシもまた、視線をそっちの方に戻していた。

 カガリ達の方には何か問題があったらしく、ふたりともその場に立ち尽くして動きを見せていなかった。

(ルシエル……カガリを頼むぜ)




「その剣……」

俺は、ようやく口を開くことができた。頭の中が真っ白になって、自分の目の前に広がった現実を、暫く受け止めることができずにいた。師匠の持っていた氷でできた剣の形状は、異様な形をしていた。それは、剣なんかじゃなかった。鋭利な部分がまるでない、それはただの鈍器であった。

「師、匠……?」

俺は混乱していた。こんなもので人は斬れない……。俺は、何かに気がついたように後ろを振り返ると、そっちを凝視した。しかし、そこには何人かのひとが倒れてはいたが、自分が探したものは存在していなかった。

「師匠の斬った人が……いない?」

俺はようやく、事実を見つめることができた。

「師匠は誰も、斬って……いや、それどころか、誰一人として、傷つけてもいなかったのですか?」

師匠は何も、答えてはくれなかった。

「そう、なのですね……」

俺は一気に力が抜けていくのを自覚した。まずは、指先の感覚がなくなった。剣を持っていられないほどになり、ついに剣は地に落ちた。呼吸もだんだんしづらくなってきた。俺は、このまま死ぬのかもしれない……そう、思った。

「カガリ……すまない。お前にこんなことをさせる為に、思いをさせる為に、このような剣を出したわけではなかった。だが、結果的にお前を苦しめてしまった」

師匠が何を言っているのか、俺には理解することができなかった。


 師匠は……一体何を謝っているんだ?


 全ては俺が悪かったというのに……。


「何もかもが、私のせいだ。市民にお前を人質の取られてしまったのが、そもそもの原因だ」


 師匠が悪い?


 師匠が原因?


 そんな馬鹿なことがあるか……。俺のせいに決まっているじゃないか。よく確かめもせず、感情に……怒りに自分を操作され、なんの罪もない人を傷つけてしまった。

「違う……師匠。みんな、俺の……」

胸は苦しくて、目頭は熱くなった。

「俺のせいだ……っ!」

嘆くと共に、俺は涙をこぼし、その場に崩れ落ちた。力の限界も来たのだろう。俺は、自分の身体を支えられないほどにまで脱力していた。それでも、涙はとまらなかった。

「カガリ……」

「……さい」

「……」

俺はなんとか腕で上半身を支えると、座ったまま深々と頭を地につけた。街の人たちの方を向き、土下座をしたのだ。

「ごめんなさい」

あたりは一瞬静まり返った……そして、少しするとざわつきはじめた。街のひとは、今、何を思いながら俺の方を見ているんだろう。やっぱり、殺したいほど憎んでいるのかな。ユイス隊長の命を奪ってしまっただけでも、償いきれないほどの罪を背負ったというのに、俺はまた、更に罪を犯したのだから。何の罪もない市民を、俺は斬ってしまったのだから……。


 許されるはずがなかった。


 絶望に飲み込まれた俺の隣に、師匠は静かに歩み寄り、同じく地面に腰を下ろした。そして、深々と頭を街の人のほうに向けて下げた。それに気づいた俺は、一瞬頭を上げ、目を見開いて師匠の目を見た。


 師匠の目は、とても真摯なものだった。


「……師匠?」

「申し訳ありませんでした。カガリが傷つけてしまったものは全て、私が治します。ですからどうか、カガリを責めないでください。どうしてもというのならば、私が全ての責任を負います」

俺は師匠の言葉に驚き顔をあげ、すぐさま師匠のほうを見た。

「師匠、何を言って……!」

師匠は頭を下げ続けた。俺は、そんな師匠の姿を見て、胸がどんどん苦しくなっていくのを自覚した。

「師匠……師匠が頭を下げることはありません! 全ては俺のせいなんだから……だから、もうやめてください! 俺なんかのために、頭をさげるのは……っ!」

師匠は、汚れなき実に聡明な方だ。俺のような罪人のために、頭を下げてはいけないんだ。

「師匠、頭を上げてください。お願いします!」

俺は、涙ながらに訴えた。すると師匠は、黙ってしばらく俺のほうを見ていた。けれども、数分の間そうしてから、口を開いた。

「カガリ、お前が頭を下げる相手は私ではないよ。街の者たちに……であろう?」

俺は、それを聞いてハっとした。

「分かっています。ですが、師匠が頭を下げることはありません」

師匠はまた、俺の目をじっと見た。そして軽く息をついた。それは、すこし困ったような顔つきで、嘆息したようにも見えた。

「私は、お前を息子同然だと思っている」

「えっ……」

俺はその言葉に驚いた。師匠は俺のことなんか、もうどうでもいいのかと思っていたからだ……。

師匠は一年前、俺が初めてラバースにてチームを組むことを許されたあの日、城へ出向いた俺を冷たく突き放した。そのとき俺は、嫌われたのだと思った。見捨てられたのだと思った。そして、全てを失ったと思った。それなのに師匠は今、こんなことを口にするのだ。

「息子……?」

呆然としながら、俺はその単語を繰り返した。

「息子の失態をわびるのは、親として当然のことだよ」

そう言って、師匠は優しく笑った。それを見て、胸が熱くなるのを感じた。

「そいでもって、大事な友達の為に頭をさげるのも、当然な行為だよな」

「そうですね。友達ですからね」

振り向くとそこには、ギルとソウシもいた。ふたりも師匠と同じように、微笑みながら地面に膝をついた。そして、街の人たちに向かって頭を下げた。

「みんな、本当にすまなかった。俺、ついカっとしちまって……親父にも、本当に酷いことをした……」

「ですが、これだけは信じてください。ユイス隊長を死なせたのは、本当にカガリではないのです。カガリに非はありません」

「ギル、ソウシ……」

俺は、手で顔を隠した。もう、どうにも涙を止めることはできなくなっていたからだ……。

そんな俺たちの前に、この街の統率者たるものが歩み寄った。

「私たちにも非がありました。カガリ殿、申し訳なかった。ルシエル様も、頭を上げてください」

「……」

頭を上げても、師匠は黙っていた。もしかしたら、名前がばれてしまってはいけなかったのかもしれない。

いや、もしかしたらなんかじゃない……当然だ。こんなことをしたと国王にばれてしまったら、何をされるかわかったものではない。

「師匠……」

心配そうに師匠の顔を覗き込んだ。すると、俺の心を察したのか、師匠はまた優しく笑った。

「お前が気にすることではない。私がこうしたかったのだから」

師匠が殺されるのでは……そんな不安が頭をよぎった。

「ギルフォード。改めて聞こう。この街へは、何をしに来たのだ?」

「何か良からぬことを企てているのではという情報が入って、それを阻止するためにも街を鎮圧して来いと……」

「我々は、断固としてフロートに敵対するぞ」

街のひとは、当然それに反発した。それを見ていた師匠は、何かを言いたそうだったけれども、口を噤んだ。おそらくは、それをやめるように説得したかったんだと思う。それをしなかったのはなぜなのか、俺にはわからないことだ。

「それは、おやめになった方がよろしいでしょう」

ズバっと言ってみせたのは、意外にもソウシだった。ソウシは、微笑みながらも言葉を続けた。

「はっきりと申し上げます。ユイス隊長が亡くなってしまったのは、フロート国王のせいなのです。国王が私たちラバースSクラスのものを、疎ましく思ったが為による策略にはまり、戦場において命を落としました」

「違う、それは俺の責……」

「あなたは黙っていなさい」

俺の言葉は、あっさりとソウシに遮られてしまった。

「だったら、なおさら国王を倒すために……」

ソウシは、今度は意地悪く笑って見せた。小悪魔という言葉が似合う、そんな笑みだった。

「ユイス隊長という大変お強い方ですら、なす術もなく殺されてしまったのですよ? 私が思うに、あなた方が何人束になってかかろうとも、国王を倒すことはまず無理だと思います」

あまりにもはっきりと断言するソウシの言葉が、街の人の怒りをかわないわけがなかった。俺は、これからまた、さっきのような惨事が起こってしまうのではないかと、心配になってきた。

「ソウシ。お前、言いすぎなんじゃ……」

見かねたギルが、ソウシを止めに入った。それでもソウシはやめようとはしなかった。ここで俺は、ふと不思議に思ったことがあった。

(師匠は、どうしてソウシをとめないんだろう……?)

師匠は、相手が間違ったことをしていたならば、例えそのひとがどんなものであろうとも、ちゃんと指摘するひとだ。それなのに、今はただ黙ってソウシの言葉を聞いている。

(ソウシがしていることは、正しい……ってことなのですか? 師匠)

どうみても、喧嘩を売っているとしか思えないソウシの行動が正しいものだとは、正直なところ俺には思えなかったけれども、師匠が動かないのならば、そう解釈するしか俺に道はなかった。

「話の途中ですまないが、私は怪我人の治療にあたります」

そう言って師匠は立ち上がり、俺が傷つけてしまったひとのもとに歩いていった。これ以上ソウシの話を聞く必要もないってことなのだろうか。ソウシが何を訴えようとしているのか、先まで知っているかのような行動に、俺は戸惑いを感じていた。

「……っ」

俺は、焦りを覚えた。

(……なんだ?)

師匠に、すみません……って、謝ろうと思ったんだ。でも、声が出なかった。それどころか、耳もどうにかなってしまったようだ。ソウシの口は動いている。ギルも何かを言っているみたいだ。それなのに、ふたりの声がまったく聞こえてこない……。

俺は、視界がぼやけてきていることにも気がついた。聞こえない代わりに、耳鳴りがしはじめて、頭は割れるんじゃないかってぐらい、痛み出した。

不安になった俺は、師匠の名を呼ぼうとした。でも、一気に目の前が真っ白になって……俺の意識はなくなった。




「カガリ!」

顔面蒼白。体は冷たくなっていました。私たちは完全に忘れてしまっていた。カガリがかなりの失血をしていたことを……。先ほど、あれだけの動きをしていたものが、急に倒れるなんて思ってもみませんでした。

「親父! 医者を呼んでくれ!」

傷はルシエル様によって完全にふさがれていました。しかし、失った血を元に戻すことなどできません。

「早く!」

ギルの父君は、集まっていた見物客の中から医者だと思われる人物を、連れてきてくださいました。

 ルシエル様も、カガリの様子が気になっているとは思いますが、関心のないようなふりをして、別の怪我人の手当てにあたっていました。それとももしかしたら、早く治療を終わらせて、カガリのもとに行こうとしていたのかもしれません。

「カガリ……しっかりしろ。コウ先生。カガリは大丈夫なのか!? 助かるよな!?」

コウというのがこの医者の名前なのでしょう。当然のようにそう呼ぶ彼を見ていると、本当に彼の故郷にいるのだなという思いがしました。ギルのような故郷というものを持たない私にとっては、少しだけ、羨ましく思えました。故郷がないからこそ、この度のような複雑な心境に陥ることも、ないのですが……。

 ただ、私にはやるべきことはありました。生まれながらにして、決められた使命がありました。そのために今を、生きています。そのために、私はラバースにも入りました。

「国王を倒す役者は、すでに決まっているんです」

「えっ?」

ぽつりと呟いたその言葉に、ギルは不思議そうな声を発しました。そんなギルをよそに、私はカガリの顔を静かに見つめていました。

「わしの家に運ぼうか。布団で寝かせてあげよう」

「あぁ、頼むよ」

ギルはそういって、カガリの体を持ち上げました。幾分背が伸びたとはいっても、やはりカガリはまだ小柄でした。ギルはいともたやすくカガリを抱きかかえ、街の中にと入っていきました。そして、私も後に続こうとしたのですが……街の人たちに止められてしまいました。

「……怒っていらっしゃるのですか?」

私は、飄々とそう言ってみせました。怒っていないはずがないとは思いますけどね。

もしかしたら、彼らにあたっているのかもしれません。無力だった自分の力に苛々を募らせてしまって……。まったくもって、情けない話です。

「……いや、君の言うことが正しい」

「えっ……?」

それは、私にとっては意外な言葉でした。それも、私に言葉をかけてきたのはギルの父君でした。

「君たちの動きを見ていて実感したよ。私たちのような一般市民に、どうこう出来るものではないと……」

彼がこの街のリーダー格なのでしょうか。誰も反論を述べようとはしませんでした。

「……すみません」

私は深く息をつきました。そして、今度は正式な使者として言葉をはじめました。

「私は、自分の弱さに腹が立ち、このように無礼な振る舞いをしてしまいました。ですが、今述べていたことは正直に、自分が思うことです。国王に刃向かってはいけません。彼自身に力はありませんが、彼の後ろ盾にはレイアス、ラバースという軍隊がいることを忘れないでください。下手に飛び込んでも、返り討ちにあうことでしょう」

現実とは、そう甘いものではないのです。「革命」というものは、簡単に起こせるものではありません。

「ひとつ聞いてもよいか?」

「はい」

ギルの父君が私に訊ねてきました。今はもう、街の人たちからも怒りを感じることはありません。

「あのひとは、ルシエル殿で間違いはないのか?」

私は、言葉に迷いました。誤魔化せるものならば、誤魔化した方がよいのだとは思いますが、すでに時遅しなのではないかと……。

「……師匠?」

私は、ルシエル様本人に答えを委ねました。目でそのことを訴えかけると、すぐに気づいてくださいました。ルシエル様は、最後の怪我人の治療を終えると、私たちのほうに歩いてきました。

「御察しのとおり、私は、レイアスのルシエルです」

ルシエル様は、胸元に光るレイアスの紋章の入った止め具を、苦笑しながら見つめていらっしゃいました。

「このようなものを付けて、表に出るべきではありませんでした」

その言葉を聞いて、街のひとたちは首を傾げていました。

「なぜレイアスのあなたがこのような街に? 何やら、カガリという一兵士に随分と思い入れがあるように窺えましたが……」

レイアスの兵士が単独である街に出向くということは、ほとんどありませんでした。彼らは複数で行動するのです。もしも……という時に備えてそうしているようですね。

 レイアスが一般市民にやられてしまうなんてことが起きてしまえば、最強伝説は一気に崩れ去ってしまいますから。それに、もともとこのあたりはレイアスの管轄外のはずです。それなのにルシエル様のようなお方が出向くというのには、何かそれなりの理由がない限りは、ありえないことでした。街のひとたちが疑問に思うのも無理はありません。正直なところ、私も少し驚いていますから。

 街の人たちの言葉に対して、ルシエル様は何も答えませんでした。しばらく黙っていて、言葉を探していらっしゃるようにも見えます。

「先ほど、あの子にも申しておりましたとおり……」

そして、ルシエル様はその重い口をあけました。

「私はあの子を……カガリを、自分の息子のように思っております」

それは、これまで誰にも明かすことのなかった、ルシエル様とカガリとの秘密でした。ふたりが関係を持っているということを知っているのは、本人たち以外では、私と他数名でした。それを、このような場所で打ち明けるとは……もはや、ルシエル様が何をお考えになっていらっしゃるのか、私には分かりませんでした。

「ユイス殿のことは、伺っております。ですから、今回カガリがこの街に赴くという情報を入手した私は、あなた方がカガリに危害を加えるのではないかという不安にかられました。その為、先回りをし、あなた方の動きを監視していました。そして案の定、あなた方とカガリは衝突しました」

「鎮圧に来たと言っていた。彼は、私たちから見れば、仇のようなものでしたから……」

街の人たちは、落ち着き、それでいて丁寧な言葉を使うルシエル様を前にして、態度も改まっていました。ただの兵士には、とても思えない風格を持っていらっしゃるお方なのです。私は黙って、ルシエル様の言葉に耳を傾けていました。

「そうでしょう。あなた方のお気持ちもわかります。ですが、カガリはユイス殿の仇ではありません。そのことをわかってください」

「国王のせいだと?」

ルシエル様は、黙って頷きました。そして、村人達がまた、王に反旗を翻そうというような決意を抱いている様子を、じっと見ていました。非常に、申し訳ないというような顔をされながら……。

「先ほど、このソウシが大変ご無礼を申しまして……失礼致しました」

それを聞いて、私は街の人たちのほうに頭を下げました。私は本当の事を述べたつもりではありましたが、確かにあれは、口が悪すぎました。少々自分に、苛立ちを覚えていましたので……街の人たちに当たってしまったんです。情けないですね。

「しかし、彼の言っていたことは正論です。あなた方のような、ただの剣士がフロートに歯向かっても……返り討ちに遭うだけです」

街の人たちは、ルシエル様の口からも同じ言葉を言われたことがショックだったのでしょうか。同様を隠し切れずにいました。

「だからといって、あなた方にフロート支持を強要すつるもりはありません」

「……どういうことです?」

街のひとたちは、みな一様に首を傾げていました。フロートの人間であるルシエル様が何を言いだすのか。想像もつかないのでしょう。

「待っていてください。いつの日か、必ずあなた方の気持ちを一身に背負い、立ち上がる者が現れます。ですから、その者に全てを託してください。先ほどのソウシも、そう申し上げようとしていたのです」

ルシエル様の仰る通りです。私にもわかっています。いつの日か、フロートに立ち向かう者が現れるであろうということを……。

これは、予知でも予言でもありません。真実です。なぜならば、その時は刻々と近づいているのですから。

「その者とはいったい……?」

ルシエル様は、首を横にふりました。そして俯き加減で答えました。

「それはまだ、はっきりとは申し上げられないのです」

その答えに、街の人たちはどよめきました。しかしその様子にもルシエル様は動揺などしませんでした。

「信じてください。必ず、その者は現れます」

私は立ち上がりました。そして、先ほどギルが向かった家のほうに視線を向け、街のひとたちにもそちらを見るように促しました。

「そのひとりならばもう、ここに存在しています」

「えっ……?」

その方向にいるのは、そう……カガリです。

「カガリもいつの日か、立ち上がるときがきます。必ず……」

ルシエル様は、強くそう言い述べました。その瞳は、輝きを放っていました。フロートに仕える者としては、失格ではありますが、私もその瞳の輝きに、笑みを浮かべるのでした。




 あれからどうなったのか、どうやってここに帰ってきたのかはわからない。俺が目を覚ました場所は、ラバース内のソウシの部屋のベッドの上だった。俺は、ゆっくりと体を起こすと、窓の外を見た。明るい。太陽の位置からして、まだ昼前くらいのようだ。

(どれくらいの時が経ったんだ?)

まだ、数時間しか経っていないのか。それとも、もう何日も経過しているのか……。とりあえず、お腹はあまり減っていない。

「気がつきましたか?」

ドアの方から声が聞こえた。それは、ソウシのものだった。隊服ではなく、ゆったりとした服を着たソウシは、手に何かを持っていた。

「あれからもう、三日が経ちましたよ」

「三日……」

心に、ぽっかりと穴が開いている感じだった。何か、大切なことを忘れているような……。何か、俺はいけないことをしていたような……。でも、それを思い出すことができなかった。

「ソウシ、あっ……」

自分が思い出せずにいることを、聞こうと思ったのだけれども、此処一年。ろくに言葉を交わしていなかったことを思い出し、俺は口を閉じた。ソウシには、俺がどうして言葉を途中でやめたのかが分かったようで、笑っていた。

「カガリ。ルシエル様なら大丈夫ですよ。街の人たちが、ルシエル様があの街に来たことは、黙っていると約束してくださいましたから」

そういえば、ルシエル様が来て助けてくださったんだ。俺のために、街のひとたちに頭を下げてくださっていた。俺は、街のひとを……いったい、何人斬ったんだろう。無意識のうちに、俺は自分の両手をじっと見ていた。そこには、血の幻影が浮かんでいる。人を斬った感触が消えない。

 俺は、怖くなった。いつか、俺はひとを殺してしまうのではないか……と。あのとき、俺は意識もなくひとを斬っていた。怒りで逆上して、それっきり……はっきりとした、記憶がない。

「街のひとたちを……ギルの故郷を、俺は傷つけた」

「いいえ。傷つけられたのは、あなたでしょう?」

「違う……」

ソウシは、寂しそうな顔で俺のことを見ていた。

「カガリ、ご飯ですけど……どうしますか?」

「……いらない」

「そうですか」

そう言うと。ソウシは布団の上に、手に持っていた果物を置いた。

「では、これでも食べてください。ルシエル様からの差し入れですよ」

ソウシは、ルシエル様と知り合いなのであろうか。俺なんかよりも、ルシエル様のことを、知っているように感じられた。


 それが、少し嫌だった。


 こういうのを、嫉妬っていうのだろうか……。

 

「……」

俺は、ひとつの事を聞きたかったのだが、なかなか聞きだせずにいた。それは、ギルのことだった。俺の傍にいるものだと思っていたけれど、どうも気配を感じなかった。

 俺は、どこにいるのか知りたかった。ギルの街の人を傷つけてしまったのだから、謝りたいと思った。

「……ソウシ」

俺は、思い切ってその重い口を開いた。すると、ソウシは俺の言葉をゆっくりと待ってくれていた。

「ギルは?」

その質問を聞いて、ソウシは少しの間、口を閉ざしていた。それが、何を意味しているのか、俺にはわからない。とりあえず、何かよくないことが起こったのではないかという不安にかられた。

「ソウシ、ギルはどうしたんだ?」

もう一度聞くと、ソウシはいつもの優しい顔で答えてくれた。

「元気ですよ」

とりあえず、それを聞いて一安心した。もしかしたら、あの後何か起きて、傷でも負ったのではないかと心配した。

「そうか……」

とりあえず、無事であることわかって俺は、重く息を吐いた。しかし、それならどこにいるのであろうかと、疑問が浮かんだ。ギルならば、俺が気を失っている間、ずっと傍にいてくれそうな心を持っていると思っていたのだが……。それとも、それは俺の思い上がりなのだろうか? 俺は、戸惑いを感じていた。

「無事でよかった。俺……」

こころの中で、後を続けた。

(できることなら、また三人でパーティーを組みたい)

さすがに、そんなにもずうずうしいことは、口にすることはできなかった。俺は、その言葉がうっかり漏れてしまわないように、口をつむんだ。

 その様子をソウシは、じっと見ていた。もしかしたら、俺の心を悟っているのかもしれない。

「今ならまだ、間に合うかもしれませんね」

「えっ……?」

ソウシは、突然思いを決めたような顔をした。そして、俺の手を力強くひいた。

「何? ソウシ。痛い」

それでもソウシは、俺の手を引っ張ることをやめなかった。そのまま手を引いて俺をベッドからひきずり下ろすと、部屋を出て行った。

 ワケのわからない俺は、とりあえず、ソウシに手を引かれるまま、後についていった。彼は、俺をひどい目にあわせるような人間じゃないって、わかっていたから。

「ソウシ……どこに行くんだ?」

すると、ソウシは少し焦りを見せながら答えてくれた。

「ギルのところに行くのですよ」

「ギルのとこ?」

ギルのところへ行くのに、どうして焦っているのかがわからなかった。でも、ソウシが焦りをこれだけ露にすることなんて、俺が知る限りではなかったから、きっと、今は走らなきゃいけないんだと思った。だから、体はまだ痛むけれども、それを堪えて俺は走った。

 ソウシは、俺がしっかりと走り出した後も、ずっと俺の手を引いてくれていた。その手は、とても温かかった。この一年、俺はソウシともギルとも、言葉を交わさなかった。あの村に行くまでも、俺は必要以上の言葉を交わさなかった。それゆえに、俺とソウシたちとの間には、もう、埋めることのできない、深い歪みができていると思っていた。けれどもソウシは、何も言わずにこうして、一年前と何も変わらない態度で俺に接してくれた。それが、とても嬉しかった。

 冷え切った俺の心を、再び一年前の俺の心に戻してくれた。それは、許されないことなのかもしれないけれど、せめて今だけでも……そう、強く願った。

「カガリ。よく聞いてください」

ソウシは、真剣だった。

「ギルは昨夜、クランツェ様に辞表を提出したんです」

「辞表!?」

それは、想像もしてみなかった言葉だった。ギルが辞表を出すなんて……。だって、あれだけ俺のことを友達とかなんとか、言ってくれていたのに……。それなのに、急にどうして? やっぱり、今回の一件で? それとも、一年前のユイス隊長のことを気に病んで? どちらにせよ、それが本当に原因ならば、俺にどうこう言う権利はなかった。

「カガリ……あなたのせいではありませんよ。これは、ギル自身で決めた答えなんです。そして、これは前々から彼の心の中にあったことなんです」

俺の頭の中は、どんどん真っ白になっていった。前々から決めていた? いつから? なら、彼がよく口にしていた言葉は? 友達だといってくれたあれも、すべて偽りだったのか? そう思うと、胸が苦しくなってきた。

「そんな顔をしないでください。ギルはあなたのことが好きですよ。誰よりも大切な友達だと思っています。そんなこと、いちいち言われなくてもわかるでしょう?」

分からない。そんなこと、分かるはずがない。俺とソウシとギルが仲良くしていたのは、たったの五日間のみのことなのだから……。アレから一年は、接触もなかった。それなのに、友達だなんて……。

 俺の心は、激しく乱れていた。自分は、ギルを友達だと思いたい。そうあってほしいと願う自分がいる。けれども、それはあるはずがないんだと、否定する俺もいる。俺は、また心を閉ざしてしまいたくなった。自分の殻に閉じこもりさえすれば、何も考えずにすむから。傷つかずにすむから。

「……がう」


 わかっているのならば、さっさと心を閉ざしてしまえばいいじゃないか。


 なぜ、そうしないんだ?


 俺は、自分自身に激しく問いかけた。


「違うんだ」

俺は、足を止めた。そして、耳をふさいだ。聞きたくなかった。俺の心の声を。わかっているから。どうして、心を閉ざすことをやめたのかを……。

「俺……」

錯乱する俺に合わせて、ソウシも足を止めてくれた。そしてまた、俺の言葉をまってくれているようであった。

「俺……ソウシとギルには、ずっと傍にいてほしいんだっ!」

俺は、泣き叫んだ。そして、涙を隠そうと顔を手で覆った。すると、ソウシが俺の近くまで歩み寄ってきて、俺の肩をぐいっと寄せてきた。そして、そのまま俺を抱きしめてくれた。

「わかっていますよ、カガリ。分かっています」

ソウシがあまりにも優しいから、俺は、あふれる涙を止めることができなくなった。

「あなたが心を閉ざすことをやめたのは、これ以上、独りでいたくなかったからですよね。あなたは、誰よりもひとが好きなおひとですから。それに、心を閉ざしてばかりいては、私やギルが、あなたから離れてしまう。そう、思ったのでしょう? この一年、貴方は随分と苦しんでいるようでした」

ソウシは、俺のこころをわかってくれていた。自分の気持ちなんて、今まで伝えたことなどなかったのに……。それなのに、ソウシはわかってくれていた。そのことが、言葉では言い表せないくらい、嬉しかった。

「カガリ。私たちはずっと、あなたのことを信じていましたよ。だから、あなたも私たちのことを信じてください」

そして、ソウシは俺の体を離した。

「カガリ、早くしなければ一生ギルに会えなくなってしまいますよ。急いでください」

俺は、無言のまま頷いた。

「行きましょう」

このままギルに会えなくなるなんてイヤだった。会って、謝りたい。それから……お礼が言いたいんだ。こんな俺のことを、信じてくれていて……ありがとうって。

街に来てくれたときも、本当は、俺は嬉しかったんだ。今回の一件で、またふたりと組めて、すごく嬉しかった。


 だから……。


 このまま別れるなんて、イヤだ!


 ギルに会ったら、なんて言う? 


 まずは……謝る? 


 ……いや。


(引き止めたい)

傍にいてほしい……ずっと。俺とソウシと、一緒にラバースで暮らそうって言いたい。失いたくない。そんな想いでいっぱいになった。


 そして、俺たちはラバースから十キロメートルほど離れた峠まで、いっきに走っていった。ギルの姿を追って……。




 けれども……結局、ギルに追いつくことはできなかった。




「……何も、言えなかった」

ラバースに引き返し始めた俺たちは、ほとんど無言で歩いていた。ここまで走りきったことによる疲れもあるが、それよりも、精神的なダメージのほうが大きかった。ソウシが言うには、ギルは旅に出たそうだ。あの街には帰らないって。旅に出て、ユイス隊長のような男になるんだって。

 それは、旅に出ないとできないことであったのか? ラバースの中ではできないことだったのか? それを本人に聞きたくても、もう、叶わないことだった。

 

 捨てられた気分だった。


 また俺は、大切なものを失くしてしまった。


「違いますよ」

俺の心の声に応えるかのように、ソウシは口を開いた。その顔はとても優しく、穏やかで、どこか、師匠を彷彿とさせるようだった。

「ギルは、あなたのことを永遠に友達だと思っているはずです。言ったでしょう? 私たちはあなたのことを信じているって。それは、たとえ遠くに行ったとしても、変わりませんよ。少なくとも私はそうです。たとえあなたの傍に、居られなくなったとしても……」

「イヤだ!」

俺は、ソウシに飛びついた。ソウシまで、消えてしまうのではないかって思ったから……。もう、俺を独りにしないでくれ。あいつの所にしか、居場所がない生活に、戻りたくはないんだ。

「ソウシ……俺の傍にいてくれ。俺、ソウシの望む人間になるから。だから俺のことを……捨てないで」

今の俺にはもう、すがることしかできなかった。そんな俺をみて、ソウシは何を思っていたのだろうか。しばらく、黙っていた。それから、ゆっくりと話はじめた。

「カガリ。あなたは、自分の名前の由来を知っていますか?」

それは、突然だった。これまでの話には、まったく関係ないように思われる内容であった。名前の由来? そんなもの、考えたこともなかった。俺の名前は村の長老様が付けてくださった。それが全てで、それ以上でも、それ以下でもないもの。

「……知らないよ」

すると、ソウシは俺に優しく笑いかけた。

「鍵です」

「鍵?」

なんだか、パっとしなかった。別に、どんな意味を持っていようと、興味もないけれども……。俺が、カガリ(・・・)であることに、変わりはないのだから。

「そうです。あなたは世界を変えるための、()となるのです」

話が飛躍し過ぎていた。俺は、ただソウシに傍にいてほしいと願ったのに。ソウシは、俺に世界を救わせたいと思っているのか? それとも、これは遠まわしな拒否なのか? 俺の傍にはいたくない……と。

「カガリ。信じなさいと言っているのに、まだ信じていませんね?」

「うっ……」

ソウシには、なぜか全てを見透かされているようであった。世界に神というものがいるのならば、ソウシのような人間のことを言うのかもしれない。

「仕方ないですね。カガリ。傍にいますよ。あなたの傍に。では、本題にうつりますからね?」

傍に居る。その言葉が、半ば投げやり気味だったことに少しひっかかるものを感じたが、俺はソウシが俺に伝えようとしていることを知りたいと思ったから、黙って頷いた。

「カガリ。これは、『ライローク』の言葉です。彼らにしかわからない言葉」

ライローク。それは、聞いたことがあるなんてレベルじゃない言葉だった。俺の民族の名だ。ライロークだけで使われている言葉? 鍵? 自分の村に、そのような特別な言葉があるなんて、全然知らなかった。さらには、それをなぜソウシが知っているのかも、謎だった。ソウシも、ライロークの民だと言うのか? でも、ソウシとは、村のひとみんなから感じた風のにおいがしない。だから、違うような気がするんだけど……。村のみんなからは、独特なにおいがしていたんだ。爽やかで穏やかで、そして、少しだけ獣のようなにおいが……していた。それはきっと、俺からもしているはずだ。しかしソウシからは、獣のにおいがまるで感じられなかった。だからきっと……違うんだ。

「あなたは、ライロークの……そして、世界を救うための希望なんですよ。あなたは、世界の転機に立ち会わなければなりません。そして、その鍵を必要とするものの手助けをしなければなりません」

鍵を必要とするもの? 俺が、世界の希望? そんなわけがあるはずない。だって、俺は罪人だ。村のひとたちを死に追いやった、ただの罪人なのだから……。こんな俺が希望だなんて言う世界ならば、いっそのこと、滅びてしまったほうがいい。

「カガリ。否定しないでください。これは、あなたの宿命です。変えられないものなのです。カガリ。あなたはもっと、強くならなければなりません。国王のような人間に、負けてはいけません」

俺は、ドキっとした。俺は、国王の悪口を、ソウシたちの前でもらしたことなどなかったはずだ。それなのに、ソウシははっきりと断言している。俺の敵は、「国王」だと……。


 ソウシは何者なのか。


 このとき、とても疑問に思った。

 

「俺は、鍵なんかじゃないよ」

俺は、歩き出した。こんな話は作り物だ。きっと、俺に生きる希望を持たせようとしてくれているのだと、受け止めることにした。

 そんな俺の後姿を、ソウシはしばらく、じっと見守っていた。

「鍵ですよ。世界を変えるために、あなたは必要な人間なんです。だから、どんなことがあっても立ち上がり、前を向いて歩き出すんです。今みたいに……」

ソウシが、何かを囁いた。けれども、俺のこころには届かなかった……たぶん。




 そしてそれから、五年の月日が経った。




 私は、ラバースでSクラスの隊長を続けていた。ソウシは、私の隊の副長を勤めている。しかしそんなある日、私の人生をまた、大きく変化させる出来事が起きたのだった。

フロート直属の孤児院「ヴィクト」から、新入隊士志願者がやってきたのだ。満十五歳の少年が、ラバースの傭兵育成組織に集められた。私は、優秀な人材を選ぶために、その棟に向かうよう命じられた。すると、そこには懐かしき少年の姿があるのだった。

(ラナン……)

緑の瞳を持つ、不思議な雰囲気を持つ少年。私の「光」だ。

 あの、深き森の中あった孤児院が「ヴィクト」だったのであろう。しかし、私が最後に訪れたときには、誰も居ない、蜘蛛の巣だらけの廃墟と化していた。移転していたのだろうか。ともかく、あのときの少年は、確かに生きていた。私と少年の関係が、国王に知れて排除されたわけではなかったことを知り、私は内心で胸を撫で下ろした。

 少年は私のことを追って、ここに入隊志願したのかもしれない。それは私の都合のいい解釈かもしれないが、それでも、彼が私の傍に来たという事実に、変わりはなかった。思わず駆け寄りたくなる思いを必死にこらえ、私は審査官にひとこと告げて、その場を去った。ラナンと接触してしまえば、今度こそ国王にラナンとの関係を知られてしまうかもしれなかったから……。

「あの少年を、ラバースDクラスに……」

それだけを伝えると、私はラバース本棟に帰っていった。その足取りは、久しぶりに軽かった。


「今日は随分と、機嫌がいいじゃないですか」

本棟に戻る途中で、後ろから呼び止められた私は、足を止めて振り返った。声でその相手は誰だか知れていた。金色の髪に、青の瞳を持つ。ローブを身にまとった青年。ソウシだった。

「ソウシ……あぁ。久々に、気持ちがいい」

私は窓際に寄ると、副長であるソウシの視線を感じながらも空を見上げていた。

「それはよかったですね。何かいいことでもあったんですか?」

そういうソウシの言葉には、どこか重みが感じられていた。そのことに気づきはしたが、何故だかは想像がつかなかった。聞けばよかったのかもしれない。しかし、今はこの満ち足りた幸福感に包まれていたかったから、あえて不安材料をつつくことをしなかった。

「カガリ」

「?」

私は、ソウシに名を呼ばれ、再び振り返った。するとソウシは、真剣な面持ちで私を見つめていた。

「あきらめないでくださいね」

その言葉に、どんな意味がこめられているのかもまた、今の私には分からないことだった。ただ、さすがに気になった私は、ソウシに言葉をかけようとした。しかし、それに気づいてか、ソウシはふと笑みを浮かべると踵を返して私に背を向けた。そして、そのまま本棟とは逆の方向……ラバース養成組織へと向かっていった。




 これで、全てが変わると思った。私の暗い人生に、転機が訪れたと思っていた。けれども、人生はやはりそう甘いものではないと、この直後に痛感させられるのであった。


『カガリ、城に戻れ』


 そう、国王に命令されてしまったのだった。私は、親友ソウシと、大切な存在、ラナンから、またしても引き離されてしまうことになった。

 国王にソウシとラナンとの関係がばれたからのことなのかどうかは分からないが、私にとって辛い命令であることに間違いはなかった。しかしここで逆らえば、今の現状に私が満足しているということを、安易に国王に知らせることになってしまう。それは避けなければならなかった私は、ラバースの制服を返却すると共に、その足で城へ向かって歩き出した。

(……鍵)

そんな絶望に包まれた私の中に、なぜかこのソウシの言った言葉が、響いてくるのであった……。


『どんなことがあっても立ち上がり、前を向いて歩き出すんです。今みたいに……』


 私が、どんな「鍵」になっていくのか。


 そもそも本当に、私は「鍵」なのか。


 今はまだ分からないが、私を必要とするものと出会うその時まで……。




 私は、生きよう。




 「鍵となるもの」として……。



 こんにちは、小田虹里です。


 今回の「鍵となるもの」は、私が初めてパソコンで書いた小説を、手直ししたものでした。

 当時の私は、ワードへの保存の仕方も分からなければ、ブラインドタッチもまだできず、一枚書いては、プリンターで刷って、ファイリングするということを繰り返し、未完成のまま、この作品は眠ることになってしまいました。

 しかし、大学でパソコンの授業が必須で、また、レポートも手書き指定ではないものに関しては、ワードやエクセルなどにて綴る事となり、この作品を、パソコンで打ち込み直すということを少しずつ、はじめました。


 この話の主人公は「カガリ」という少年ですが、実は、この少年は、私が高校一年のときに、ノートに綴っていた小説「COMRADE」というものに出てくる主人公の、師匠に当たる人物でした。

 その主人公の生き方や考え方が好きで、ずっと長いことその物語を綴っていましたが、師匠である「カガリ」にも、思い入れがあり、「カガリ」を主人公とした作品を書きたいと、この「鍵となるもの」が生まれました。


 その後、「カガリの厄日」や「ルシエルとの出会い」など、「カガリ」が主人公となる話の方が、多くなっていきました。


 こころに傷を持つカガリ。闇を抱えているカガリが、どうしようもない絶望の淵から這い上がっていく。そして、いつかは「鍵」として、未来を切り開く。それを信じて、私も夢みて綴りつづけております。


 誰もが、ひとには言えない過去や闇を持っていると思います。けれども、諦めずに突き進む勇気。そして、周りには必ず、自分を助けてくれる、見守ってくれる「友達」や「仲間」がいることを、忘れないで欲しい……そんな願いも込めて、こころより贈ります。


 私自身にも、強く言い聞かせております。


 ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。




 次回作でもまた、お会い出来れば幸いです。




 私も誰かの「鍵」となれますように、努力致します。


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