傷心のカガリ
そして、あれから早一年が経ちました。
私もギルも変わらず、ここ「ラバース」にいます。カガリは……といいますと、あの日からほとんど言葉を誰とも交わさずに、ただひたすら任務についていました。誰よりも多くの任務をこなし、誰よりも実績を残した彼は、今となってはラバースSクラスの隊長となっていました。ユイス隊長の正式な後任です。
カガリはこの一年、誰ともチームを組むことはなく、毎日ひとりでいました。もしかしたら、この後任を狙って、多くの任務をこなしてきていたのかもしれません。総隊長になれば、作戦も何も自由自在。ある程度はクランツェに左右されるものの、一兵士と比べれば、自分の都合で戦闘システムを組むことが出来ました。
他の理由としては、何も考えたくなかったからこそではないか……ということも、考えられました。戦場に居れば、否応なしに頭を嫌なことから切り離し、ただ剣を振るうという現実に徹底せざるを得なくなるからです。
カガリは、私やギルがいくら話しかけても、決してそれに応えることはありませんでした。
「ソウシ……もう、駄目なのかなぁ」
不意に、ギルがそうもらしました。正直なところ、ここまで来てしまってはもう駄目なのではと、私も思ってしまいました。カガリは誰とも接触しないようにしており、ひととの間にかなりの距離をとっていたからです。
しかし、私は諦めるわけにはいきませんでした。ルシエル様から、任されているから……いえ、「友人」として、諦めるわけにはいかなかったのです。
「分かりません」
「ソウシ……俺、今回の任務が終わったらさ、ここを辞めるぜ」
私には、もはや彼を止める権利などありませんでした。カガリのこころを取り戻すために、一年もの間、ギルには我慢をしてもらっていましたから……。若き有望なる少年の未来を、これ以上私の勝手で狂わせてはいけないと感じました。
「分かりました」
「そんな顔をするなよな」
「えっ?」
その言葉に私は、ハっとしました。
「今、泣きそうな顔してたぜ? お前……」
「私が……ですか?」
カガリのためだけに、ギルは存在していたと思っていました。でも、実際は違っていたようです。私にとっても、彼の存在は大きなものになっていました。ギルは私にとっても、はじめての友達でしたから。私は、心に穴が出来たことを自覚しました。
「……すまないな、ソウシ」
「いいえ」
私は、笑みを浮かべました。彼には、もう充分すぎるといっていいほど助けられていました。これ以上、彼を縛ることはできません。私の我が儘で……。
「ギル、今までありがとうございました」
「おっと……別れ話は早いぜ? まだ任務前だ」
「そうですね。今日は……」
「あぁ」
ギルも私も、同じく一点を見ていました。その先には、今や誰もが近寄れないほどの空気を持つカガリがいました。背丈はあのときよりは伸びました。顔からはかわいらしさが消え、瞳は冷たく、哀しみを帯びた輝きを放っています。
「カガリと、一年ぶりにチームを組めるな」
「はい」
そう。今日は再び三人でチームを組むことになったのです。クランツェ直々の命令なので、カガリにも拒否することが出来なかったのです。カガリを筆頭に、私とギルの三人は、ここラバースのトップスリーでしたから、最強チームを組もうとすれば、自然とこの面子になったというわけです。
「さて……行こうか、ソウシ」
「そうですね」
私達は、カガリの元にと歩み寄りました。
「カガリ隊長、今日はよろしく頼むな」
「……」
カガリは、何も答えませんでした。今のカガリは、完全に闇の住人といった感じです。必要最低限の言葉しか、口にしません。
ギルは、軽くため息をつくと、剣を携え歩き出しました。
「行こうぜ」
その言葉には、どこか寂しさがまじっていることに、カガリは気がついているのでしょうか……。そんなことを思いながら、私もふたりの後に続きました。
今回の任務は、実に簡単なものでした。ある街の鎮圧です。あまりにも反フロート意識が強いため、鎮めるよう命令を受けました。なぜ簡単なのかといいますと、ただの民間人が相手だからです。毎日鍛えられている私達が、彼らに負ける訳はありませんでした。
「なんていう町なんだ? 俺、今日の朝会出てないからさぁ」
「えぇと……レイディアという街でしたよ。なるほど……剣術が盛んなことで有名なところですね。そのため私たちが選ばれたのでしょう」
ふとギルの方を見ると、その言葉に、彼は激しく動揺しているのがうかがえました。そして、蒼白な顔色をしながら、その町の名前を繰り返し呟いていました。
「どうしました? ギル」
私の声など、もはや彼の耳には届いていませんでした。彼の額からは、汗がにじみ出ています。その街に何かがあるということは、目に見えて分かりました。
「……ギル!」
そっとしておこうかとも思いましたが、あまりにも彼の様子が尋常ではなかったので、意を決して今度は、彼に聞こえるよう大きな声を出し、彼の名を呼びました。彼は驚き、体をびくつかせ、私の方に振り向きました。その様子を、カガリは横目でただ傍観していました。
「どうしたのですか? その街に、何か不都合な点でも?」
ギルは俯いて、暫く黙っていました。そして、大きく息を吐くと、ぼそりと呟きました。
「俺の……故郷なんだ」
「えっ……」
その言葉に、カガリも少なからず顔色を変えていました。私達一同は全員言葉を失い、馬の速度を落としました。そして、先頭を走っていたカガリは、手綱を引っ張り、馬を止めました。
「カガリ?」
カガリは、鋭い目を私達に向けました。
「お前達は邪魔だ。帰れ」
その言葉に、私とギルは一瞬固まりました。そのような言葉が出るとは、思ってもみませんでしたから。
もちろん、その言葉を聞いてカガリを軽蔑したとか、そういうものではありません。これが、今のカガリの口から出せる、精一杯の優しさだということが、ギルにも私にも、ちゃんと伝わっていましたから。カガリは、自分ひとりでこの重い仕事を引き受けようとしているようでした。
ギルの故郷……即ち、ユイス隊長の故郷でもあります。そのことは、カガリも気づいていることでしょう。あのとき、ヴィレアス戦のときに話を聞いていたのですから。そして、私達には「レイディア」を攻めることは出来ないということも、悟ったのでしょう……。
「カガリ……お前、ひとりで背負い込むつもりか?」
ギルの言葉を聞いて、カガリは馬を降り、ギルの馬の方に歩きました。何をするのかと、少し心配な気持ちになりながら、私はその様子を見ていました。
カガリはギルの馬の横に立つと、馬になにやら呪文のような言葉をそっとかけました。その言葉は、私やギルには意味の分からないものでした。その言葉を聞いた馬は、きびすを返し、今来た道を引き返そうとし始めました。
「な、なんだ!?」
「ソウシ。お前も帰れ」
ギルの馬にかけた言葉と同じものだと思われる言葉を、私の馬にもかけました。
「な、何をしたのですか!?」
手綱をいくら引っ張っても、馬を止めることも向きを変えることも出来ませんでした。馬はかなりの勢いで、ラバースに向かって引き返し始めました。馬の進路さえ変えられないほど、馬術に身の覚えがないわけがありません。それなのに、ギルも私も馬に自由を奪われ、身動きが取れなくなったのです。
「カガリっ!」
振り落とされないように馬にしがみつきながら、私はカガリの方に視線を向けました。その瞳は、やはりどこか物悲しそうでした……。
「くそっ……冗談じゃねぇよ!」
「ギル……どうしますか」
「決まってるだろっ!」
そういうと、ギルは意を決して馬から飛び降りました。それを見て、私もすかさず飛び降りました。馬の勢いが思いのほか鋭かったので、私達は派手にすっころびました。
「痛ってぇ……」
「大丈夫ですか? ギル……」
そういう私も、足に違和感を覚えていました。少し動かすだけで激痛が走ります。もしかしたら、骨が折れているかもしれない……そう思いながら、足をさすっていました。いや、さすったところでどうにもならないとは思いますがね。気休めです。
「俺は大丈夫だけど……お前は?」
「大丈夫ですよ」
痛いとか、そういう弱音は吐きたくありませんでした。私はいつものように笑っていました。こうやって笑っているのが、一番楽でいいんです。何事においても……。
「街から離れてしまいましたね。早く戻らなければ……」
「あぁ。街のことも気になるけど、カガリのことも心配だ。ユイス隊長のこと、あいつ責任感じているようだったし。何をしでかすかも分からないからな」
カガリは、ひとり街に残ってどうするつもりなのだろうと、私は考えてみました。もしも私が、カガリの状況下に置かれていたならば……そう考えていくと、脳裏にひとつの不安がよぎりました。
「……いけない」
「どうしたんだ?」
私はギルの顔を見ました。彼はことの重大さにまだ気がついてはいないようでした。
「カガリは……死ぬ気です」
「なんだって!?」
ギルは目を見開いて驚いていました。彼の生活ぶりや性格をみていると、彼の頭の中には「自殺」という言葉すら、存在していなかったように思われますから、よほど驚いた……というよりは、ショックを受けたのかもしれませんね。そこのところは、私にはよく分かりませんが、とにかく彼も焦りを感じはじめたようです。
「そんなのは駄目だ! なんで……どうして死のうとなんかするんだよ」
「……責任、からでしょう」
「責任? ユイス隊長のか? あれは、カガリに責任は……」
「えぇ、ありませんよ。悪いのはみな国王です。ですが、カガリにそんな考え方ができますか? 無理でしょう? あのお人よしでは……。それに、それだけじゃないんですよ、カガリの心を責めたてるものは……」
とにもかくにも急がなければいけない。馬はカガリの術か何かで、もう見えないところまで走っていってしまいました。あのような暴走馬を追いかけている時間はありません。私は、痛む右足に気を使いながら、街に向かって走り出しました。
「ギル、手遅れになる前に、街に行かなければ!」
「あぁ、そうだな!」
私達は、全速力で街を目指しました。
(……やはりひとりで来たか。お前はここで死ぬ気なのであろう。だが、そう上手く事は運ばないよ。あの男の性格を考えなさい。カガリ、これ以上傷ついてはいけない。本当に、このままでは国王の人形となってしまう)
声に出すことはできなかった。出せばカガリに聞こえてしまう。聞こえてしまえば、私がここにいることをカガリに知られてしまうし、運が悪ければ、国王の耳にまで入ってしまう。それは、避けなければならない……。
(だから、自分で気がつくしかないんだ。カガリ、気づけ……これは、罠だ)
私は、祈りながらも木の上に身を隠していた。
カガリは、まるで生気の感じられない目をしていた。その場に本当に存在しているのかと疑われてしまいそうなほど、カガリからは何も感じられなかった。
「ラバースSクラスのカガリだ。レイディアのものに告ぐ。即刻反フロートの旗を下げ、従順せよ」
背丈は少し伸びたものの、声はまだまだ子どもだった。しかしその声には、重みがあった。命を捨てる覚悟が、声に現れているようであった。
カガリの声を聞き、街の者が集まりはじめた。やはり今日ここに、ラバースの……いや、フロートの使者が現れるという情報は漏れていたらしく、街の者は皆、手に武器を携えていた。
この街は昔から、武芸が盛んなところであったと記憶している。他の街では珍しい、剣術道場があるくらいだ。見ると、用意された武器はどれもなかなかの代物であった。どこから手に入れたというわけではないらしい。みな、この街の鍛冶屋で作られているものだ。
(フロート領内では一番の武器を扱っているようだ。どうりで国王が動くはずだ)
フロート領内には、あまり鉄がなかった。そのため、剣はたいてい銅で作られるのだが、それでは敵国との戦争で物負けしてしまうのだ。だから、武器集めにはなかなか力をいれている。
「お前がカガリか。ユイスを殺したという、カガリか!」
カガリは否定しなかった。悪いのはみな、国王だというのに……。カガリは何でも自分が悪いと決め込み、自分で責任を背負ってしまう。そのせいで、いったい今までどれほど傷ついてきたことか……。
ユイスという者は、この街の英雄的存在であった。そのため、市民の怒りも大きいようであった。そしてその少年は、もっとも有力な剣士の多い剣術道場で、十代前半という若さで師範を務めるほどの実力を持っていたとも聞いている。
「私は、ラバースの……フロートの命を受け、この街の鎮圧に来た。それに従って欲しい」
そんな言葉に耳を傾けるものは、ひとりもいなかった。当然であろう。敵はひとりだ。この街のもの全員でかかれば、倒せるに決まっていると考えているのだ。もっとも、本当にそれでカガリを倒せるのかと言えば……そうではないと思う。これくらいの規模ならば、カガリはおそらく勝てるだろう。あくまでも、カガリが本気ならばの話だが……。
「俺達は断固として、反フロートを貫く!」
「邪魔をするならば、お前を斬るぞ!」
「ユイス君の仇を討ってやる!」
詰め寄る街の人々の目を、カガリは直視できないでいた。フロートへの怒り、カガリ個人への怒り。彼らの憎悪に満ちた目は、それだけでカガリにとって凶器となっていた。
「……私を、討ちたいか?」
私の耳には、泣き声のようにも聞こえたカガリの声だが、ここの人々には挑戦的に聞こえてしまっているようだ。
「それは余裕か? 俺達なんか、敵じゃねぇって事か!?」
「どうとってもらっても構わん。ただ、討ちたいと言うならば、討てばいいと思っただけだ。ユイス隊長を死なせたのは、私なのだから……」
どこまでもカガリは不器用だった。この言葉の意味を、理解できるものがひとりでも人々の中にいれば、よかったのに……。
『ユイス隊長の死は自分の責任だから、罪を償いたい』
そう、言っているのであろう。
(カガリ、お前はどこまで不幸になる。なぜそこまで自分ひとりで背負い込む)
カガリは、あまりにも優しすぎた。戦いの中に身を置くには……私は、カガリに戦術を教えたことを、今になって後悔した。
「なめた事を……やってしまえ! この男はラバース最強の男だ! 討ち取ればフロートへの打撃になる!」
リーダー格のような男の声を合図に、人々はカガリに向かいかかってきた。その様子を、カガリは剣も抜かずに黙ってみていた。
(……どうする)
考えている時間はない。瞬時に答えを出さなければ……。しかし、私は迷った。助けに行くべきか、とどまるべきか……。
(行かなければカガリは死ぬ。行くしかない)
そう決意し、カガリの前に魔術で防御壁を作ろうとした。しかし、それは失敗に終わってしまった。
「邪魔をしないで下さい。師匠」
その声を聞き、私は止まってしまった。そのことを今さら後悔しても、すでに遅かった。カガリの体は、剣で貫かれていた……。
「カガリっ!」
私はカガリに駆け寄ろうとした。だが、人の数が多くてなかなか近づけない。私は仕方なく、魔術を使った。
「風よ」
人々を風で吹き飛ばし、道を作った。そしてそのままカガリのもとに走った。
「カガリ! しっかりするんだ!」
急所を刺されている可能性が高かったため、私は焦りを感じていた。剣を抜くと、おびただしい量の血が噴出した。カガリの意識はというと、すでになく、ぐったりとしていた。
「癒しよ」
カガリの胸の傷口をすぐさま塞いだ。しかし、失血した分の血は元には戻らない。早く何かを食べさせたりしなければ、死んでしまう。この時代には、輸血なんていう方法は確立されていなかった。私は意識のないカガリを抱き上げた。
「すまぬ。ここは引き下がりたい。許してはもらえぬか」
私は人々に頭を下げた。しかし、皆の顔色は晴れるはずがなかった。怖い形相でなおも私達の元に詰め寄ってきた。
「お前……その額の刀傷に魔術ってことは、かの有名なレイアスのルシエルか?」
「……」
私はそうであるとは言わなかった。認めなければ、まだごまかしが効くかもしれないと考えたからだ。
「お前も俺達を鎮圧に来たってことか。国王は、どうやら本気で俺達のことを殺したいようだな」
「違う!」
私は、安易に否定したことを少なからず後悔した。わざわざ相手に疑問を持たせる理由などなかったのだ。
「違う? ならばお前は何をしに来たんだ!」
「私は……」
言葉には、出さなかった。
(カガリを助けに来たんだ……)
国王に見つからぬよう、レイアスの者たちに見つからぬよう、私は城を抜け出してきた。国王がこの街に目を付けていることは、前々から感づいていたから、いつかはこういうことをするのではと、分かっていたのだ。だから、注意深く国王の動きをこの一年、見続けてきた。そして今回、普通のラバースへの任務通告とは違う、特殊ルートでの方法が取られたので、心配になってここへ来たのだ。結果は、案の定。
「……」
私は言葉を選んだ。どういえば、私がここにいることが不自然でなくなる? どう言えばカガリとの関係が上に悟られない? そして出来ることならば、私がルシエルであるとも、知られたくはない。
「……私は」
結局、適当な言葉は見つからなかった。私は押し黙り、下に目線を移した。
「なんだ? 言えないのか? もういい。この男もやっちまおう! この男はこの世界でもっとも強い魔術士という噂だぜ!」
「いや、まずはカガリだ!」
その言葉を聞き、私は再び顔を上げた。
「この子に手を出すな!」
仕方ない……もう、上を気にしている場合ではない。上にはばれたところで、私もカガリも死んだりはしないからだ。私はカガリを地面に寝かせ、人々と対峙した。
「この子に手を出すことは許さん。退け! さもなければ……力で押し通す」
意識の戻らないカガリが心配ではあったが、もう、これしか方法がないと判断した。一気に片をつける。それが、最善だと信じたい。
「来い」
私は、魔術で剣を作り出した。刃は特殊な形をした氷でできている。おそらく、この技が出来るものは、世界で私ぐらいであろうと思う。私は人々に剣を向け、構えた。
「ソウシっ! 何をしているんだよ! 早く走れっ! お前は、もっと足が速いだろう!?」
私は苦笑しました。これでも精一杯なんですけどね……と。足が痛い。あまり怪我をしたこともなかったものですから、痛みには弱いんですよね。私はこれまで、戦場にも一切出なかった兵士でしたし……あの事件を除けば。
(こういう仕事は、シキト担当でしたからね)
私はこのままでは単なる足手まといになると思い、ギルの方を見ました。
「ギル、私の事は構わず先に行きなさい。嫌な予感がします」
魔術の波動を感じていました。あまりにも遠いため、断言は出来ませんが、これはルシエル様のモノのように感じられました。
「嫌な予感なら俺もしてるよ。でもさ、お前を置いていくわけにもいかねぇって」
そういって彼は、走る速度を私に合わせてくれました。
「ギル?」
彼は私の足を心配そうに見ていました。端から見た分には、怪我をしているなんてわからないように気を使っているのですが……。
「お前さ、足どうかしたのか?」
「いいえ。どうもしませんよ」
彼に向かって微笑むと、私は少しだけペースを上げました。このままでは街に着くまでに事が終わってしまうと判断したからです。全てが後手に回っている。このままではいけない。どこかで一手打たなければ、何のためにこれまでラバースにギルに留まっていてもらったのかもわからなくなってしまうし、何よりカガリを失ってしまうからです。
「迷惑をかけてすみません。もう少し早く走ります」
「迷惑なんかじゃないさ。大事な友達だからな」
私は思わず足を止めてしまいました。そして、驚いた顔でギルを凝視してしまいました。
「ど、どうした? 急に止まって」
「あ、いえ……すみません」
友達……ですか。嬉しいけれども、私なんてそう呼ばれるに値しない人間だということを、彼は知らないと思うと、なんだか胸が苦しくなりました。
「行きましょう」
私は再び走り出しました。
「なんなんだ、この強さは……」
魔術を持たない一般の市民に、私が負けるはずはなかった。相手が何人いようと、関係ない。魔術とはそれだけ絶対的な力であった。
(そろそろカガリを背負って突破できるか?)
私の目的は、カガリをここから逃がすことにあり、市民を傷つけることではない。辺りを一望して、私は頃合を見極めカガリを背負おうと後ろを向いた。しかしそこには、横たわっていたカガリの姿がなかったのだ。
(なに!?)
私は焦った。ずっと傍にあの子の存在を感じていた為、いないとは想像もしていなかった。あまりにも人が多く、あまりにも激しい動きを繰り返す市民によって巻き起こされた風のせいで、カガリの正確な位置を見誤っていたのだ。
(私としたことが……)
形勢が一気に逆転してしまった。人質にカガリをとられてしまったのだ。
「カガリを離してくれ」
私としたことが、最悪の失敗だ……。
「こいつを許す訳にはいかないんだ。俺達の希望を絶った者だからな」
「カガリは何も悪くない」
このような言葉が、怒りに駆られて冷静さを失っている彼らの耳に届くはずがないことは分かっていた。
「この男が元凶だ!」
(……やむを得ないか)
カガリの命がかかっている。
(怪我人が出てしまうかもしれないが……)
それでも、我が子同然のカガリが死ぬよりはマシだ。
私は決心した。
多少の怪我人は仕方ないと言い聞かせた。
「カガリを離しなさい。できないのならば……私はあなた方を攻撃します」
体中が痛かった。身を引き裂かれるような痛みが走る。俺は今、自分がどういう状況にあるのかを、理解できずにいた。視界もぼやけていて、はっきりとは見えない。
(……何がどうなったんだ?)
俺は、少しずつ記憶を辿っていった。
(俺は……命令を受けてレイディアに行くことになった。ギルと、ソウシと共に行くように命じられた。でも俺は……ひとりで来た)
その街は、ギルの故郷だったから。故郷を鎮圧するなんてこと、出来るはずがない。それに、ギルの故郷ということは……亡くなったユイス隊長の故郷でもあるんだ。ユイス隊長は、街の希望だったらしい。そんな彼を、俺は死なせてしまった。なんらかの形で、罰を受けなくてはいけないと、ずっと思っていた……。
街に来ると、俺はすぐにみんなに囲まれた。ラバースの隊服を着ているんだから、俺がフロートの手の回し者だということは一目瞭然であった。
(それから、どうなったんだ?)
腹部に痛みが走り、とにかく体がだるくて動かない。その感覚が邪魔してか、俺はその先を思い出せずにいた。
俺は今、目を閉じてるのか、開けているのかさえ、分からずにいた。
キィィ……ン――。
俺の耳に、刃物がぶつかり合う音が入ってきた。心臓が波打つ。嫌な予感がした。
(誰が……誰と戦っているんだ?)
それが見えてこないということは、俺はたぶん目を閉じているんだと思った。失明していたのならば、開けていても見えてはいないと思うが……。とにかく俺は、なんとかしてまぶたを上にあげようと、力を集中した。たったこれだけの動作が、思うようにいかないほど、俺は弱っていた。
やっとの思いで目をあげる。すると、外の景色がゆっくりと広がってきた。まず始めに見えたのは、ひと。たくさんのひとが倒れていた。次に目に入ったのは、立っているひと。誰かに剣を向けている。
(……誰?)
髪の長い、長身の男のようだ。ブラウンの髪に、青い瞳。額には、刀傷のある男……。それは俺がよく知っている、俺が誰よりも尊敬しているひとに、違いなかった。
(師匠……)
俺の体は、誰かによって支えられていた……というより、首筋に冷たいものを感じる。刃物の感触だ。
俺は悟った。自分が、人質に取られているという事を……。師匠は、俺のことを助けようとして戦っているという事を……。
(やめてくれ……師匠)
声を出そうとしても、しっかりとした言葉にはならなかった。かすれがすれの今にも消えてしまいそうな声。こんな声が、師匠の耳にまで、届くはずはなかった。
(俺のせいで……)
俺のせいで、師匠が悪者になってしまう。師匠は、これまで市民に剣など向けたことのない方だった。揉め事を嫌い、いつでも一線ひいて市民と接してきていた方なのに……。今、師匠は市民に剣を向けている。
「やめ……」
視界がにじんできた。なんとかしてこの争いを止めたい。そう思っているのに何もできない自分に、苛立ちともどかしさとを感じた。
「やめてくれ……師匠」
その声で、俺を人質にのっていた男が俺が意識を取り戻したことに気がついた。俺の首を太い二の腕でがっちり絞め、左手にナイフを持ち、俺の首筋に立ててきた。
「意識を取り戻したのかい。カガリさんよ」
男の動きに変化があったことを師匠は察し、俺のほうに視線を移してきた。
「カガリっ!」
師匠は自分を取り囲む市民を、剣を大振りして風をおこして吹き飛ばすと、俺のほうに駆け出した。それを阻止しようと街の人はまた師匠に向かって走りだす。
「どいてくれ」
師匠は魔術を唱えた。
(やめてくれ、師匠……)
俺なんかのために、魔術を使わないで……。師匠、いつも言っていたじゃないか。俺に向かって何度も何度も繰り返し、言っていたじゃないか。
『決してひとを傷つけてはならないよ、カガリ。剣を向けることも、魔術を向けることも。力とは決して、人々に脅威を与えるものであってはならない。力とは、人々を正しき道へと導く為だけに、使われなくてはならない』
(師匠……これが正しき道ですか!? 違うでしょう!? お願いだから……これ以上ひとを傷つけないでくれっ!)
そのとき、俺の頭にある考えが浮かんだ。その瞬間、時が止まった気さえした。それぐらい、この考えは突如として俺の中にあらわれたものであって、俺が一番納得できるものでもあった。
「……そう、か」
俺は最後の力を振り絞って、抵抗を試みた。なんとかして首から上を動かすだけの自由を手に入れる必要があった。今のままでは、完全に首をがっちりと極められていて、身動きを取ることは不可能だったから。
「動くな! 殺すぞ!」
そう言って男は、俺の首元にぐいっとさらにナイフを突き立ててきた。これは、俺にとって最大のチャンスだった。
ズッ……――。
そんなような音が聞こえた。
こうするのが、一番いいと思った。
俺が死ぬのが一番いい……と。
「カガリーっ!」
ソウシよりも先に、俺はその光景を目にした。
「カガリっ!」
俺の後に続いて、ソウシもその場に来た。
俺たちは、動けなかった。すぐにでも走り出すべきなのに。すぐにでも、手当てをしてやらなきゃいけないのに……。俺たちは、動けなかった。
あまりにも多い量の血に圧倒されたから?
それもある。けれども、そんなことよりも俺たちの動きを止めてしまった一番の原因は、カガリがあまりにも、満足した顔をしていたからだと思う。深紅にそまったカガリは、なぜか美しく、穏やかだった。
「なん……だよ。なんで、こんな……」
俺は震えていた。息が出来ない。何が起きているのか頭ではわかっているのに、心がそれを拒絶していた。こんなことが、あるはずなかった。だって、カガリに向けてナイフを持っていたのは、俺の……。
「……親父」
俺の呟きに驚きながらも、ソウシは一歩一歩ゆっくりとカガリの方に足を進めていった。
「カガリ……」
カガリは血を大量に流して、体は小刻みに痙攣していた。ソウシは、そっとカガリの体を抱き上げると傷の深さを調べるとともに、脈を確かめていた。俺の親父は、カガリの血しぶきを浴びながらその場に立ち尽くしていた。
ソウシの周り以外の時が、止まってしまっているような感覚だった。それを象徴するかのような人物がここにはいた。ブラウンの長い髪に青い瞳をもった男が、呆然とかたまっていた。額に傷を持つその男を、俺は知っていた。
ルシエル。
世界で最も強いと言われている男だ。そんな彼が、魂の抜けたような蒼白な顔をして無言のまま硬直してた。
「……っ」
ソウシの顔つきが変わった。それを見て、俺の鼓動は波打った。死んでいるのか、生きて
いるのか……。
「まだ、微弱ですが脈があります! 癒しの魔術を!」
その声で、ルシエルの瞳に光が戻った。音もなく風のような動きでカガリにそっとかけよ
ると、彼は魔術を使ってカガリの首筋の傷を癒し始めた。その様子を見て俺は少しほっと
し、肩の力を抜くとともに剣を抜いて親父の方に向き直った。
「なんで……こんなことをしたんだ!」
俺の怒声は静まり返った街中に広がった。
「カガリを……よくも傷つけたな。俺の、大事な友達を……!」
俺は剣を、親父に向けた。
「許せねぇっ!」
「ギル……」
こんなにも小さくて、こんなにも優しいカガリを傷つける者を、許してはおけなかった。それが例え自分の父親であったとしても……。カガリが街の人間の命を絶とうとしたのならば仕方がないかもしれない。でも、そんなことをあいつがするはずなんてなかったから……。悪いのは街の人間だと、俺は信じて疑わなかった。
(首を斬るなんて……)
ショックだった。まさか、街の人間がこんなにも酷いことをするなんて……。カガリはまだ、子どもなのに……。
街に向かう途中、運良く馬車とすれ違った俺たちは、馬車の持ち主のおっちゃんから半強制的にそれを貸してもらうと、すぐさま街に向けて馬を走らせた。おっちゃんはあっけに取られたような顔してたけど、俺たちには時間がなかったから……構わず借りていった。
街に着くと、妙な胸騒ぎがして吐き気までしてきた。ただ事ではないことが起きていると直感して、俺はソウシに足並みを合わせることをやめ、街の中心部に向かって走り出した。ひと気のなかった入り口とは違って、中に進めば進むほど、ひとの数は増えていった。それなのに、街は依然として静まり返っているんだ。俺とソウシの足音のみが、不気味に響いていた。
俺は、ついに街の中心にある広場にたどり着いた。真っ先に目に飛び込んだもの、それは血しぶきだった。俺の親父がカガリの首にナイフを向けていて、そのナイフはカガリの首を傷つけていて……。カガリは、うっすらと笑みをこぼしながらぐったりとしていた。
「俺が相手だ!」
街中のものが驚きの眼差しをギルにと向けていました。それはそうでしょう。まさか故郷に住むものを攻撃するなんて、普通では考えられませんから。この時代のもの達は、市民の団結力が強いんです。
「ギルフォード……なんの真似だ」
「うるせぇっ! さっさと剣を抜けよ!」
ギルは、完全に怒りで我を失っているようでした。そんな彼の様子を、ルシエル様も気にしていらっしゃいました。しかし、今はカガリの治療が何よりも大事なので、争いを止めに入ったりする様子はありません。
(私が止めないと……)
「ギル、おやめなさい! 親子で争うなんて……」
しかし、ギルの耳には私の声も届いてはいませんでした。
「ギルフォード……」
ギルは、剣を構えて走り出していました。
「カガリはまだ子どもなんだぞ!」
ギルは、叫びながら剣を振りあげました。ギルが本気であるとわかった父親は、剣を抜くとそれに応戦しました。
「これも、作戦のひとつなのか……」
ふたりの争いを辛そうに見ながら、ルシエル様はそう呟いていました。そして、カガリの方に視線を落とします。大量に血を流したせいで、顔は青白く、とても生きているとは思えない姿です。私は、今自分が何をすべきなのかを見失っていました。
「ル……」
「その名で呼ぶな」
ルシエル様はそう言い、私の言葉を遮りました。
「できれば、隠し通したい」
「……師匠」
「……」
私は別の呼び名を探し、そう呼ぶことにしました。ルシエル様もそれには何も注意をしてきませんでしたので、このまま後を続けました。
「どうすればよいのですか、師匠。私は……」
ルシエル様は、戸惑う私をじっと見つめてきました。そして、カガリの胸に置いていた手を放し、私の頬にそっと手を伸ばしてきました。
「師……匠?」
「自分で考えなさい、ソウシ」
「えっ……?」
そんなこと、今まで言われたことなどなかった。私はずっと、誰かの命令の元に生きてきていたのだから……。自分の意志とは、主人の言いつけを実行する上で、邪魔にしかならないものでした。だから私は、これまで自分の意志というものをもって、動いた記憶がありません。
「自分で?」
ルシエル様は、再びカガリにと視線を戻しました。戸惑うばかりの私は、剣のぶつかり合う音を聞きながらも、呆然としていまいました。それを横目で見たルシエル様は、最後に私に助言をしました。
「ソウシ。お前のしたいように動きなさい。お前はこの現状をどうしたい? 何がしたい? お前に何ができる? それを考えて動きなさい」
(……私がしたいこと。私にできること?)
それを聞いて、私の心から戸惑いという文字は消えていました。そして、なぜか心がすっきりとするのでした。
「分かりました」
そして私は立ち上がると、ギル達の方を向きました。剣をにぎりながら……。
「この争いを止めてみます」
「頼む」
ルシエル様にそう言葉をいただくと、私は深く頷きました。しかし、ふたりの仲に割り込もうとしたとき、私は他の市民らによってそれを阻まれました。
「退いてください」
「……ユイスくんの仇を討つ」
そう言い、彼らは私達に剣を向けてきました。それを見たギルは、更に険しい顔をしました。
「お前ら! ソウシにまで手を出すつもりなのか!」
「ギル、私なら平気です。あなたも怒りを鎮めなさい」
四方から来る攻撃を、器用に一本の剣と鞘とで防ぐと、私は重心を低くし、腕を交差させました。そして、人が近づいてきたのを見計らって一気に交差していた手を左右にと開きました。それと同時に強い風が起こり彼らは吹き飛びました。
「今すぐ攻撃の手をやめなさい。私達は何も、あなた方と争うために来た訳ではありません」
「信じられるか!」
死角から剣が飛び出してきました。一瞬ヒヤッとしましたが、この程度の剣術に負けるほど、私は弱くはないと自負しています。冷静に剣の切っ先が通る軌道を読み、後ろに交わしました。
「お願いします。話を聞いてください」
しかし、一向に彼らは私の言葉を聞こうとはしませんでした。
(……これは、鎮めるのが大変そうですね)
自然と私は、苦笑いをしていました。ですが、弱音を吐いている場合でもありませんし。もしも今ここで、ギルが父親を殺してしまったなら……。もしも私とギルがやられてしまったならば……泣くのも、傷つくのもそれは、カガリです。カガリをこれ以上、傷つけたくはありませんでした。
「目を覚ましなさい!」
私は強く剣の柄を握り締めました。
「あんた達は間違ってる!」
信じられなかった。信頼していた街のみんながまさかカガリに手をかけるなんて……。命こそ助かったものの、あと少しでもナイフが深く入っていたならば、完全に命はなかったはずだ。しかも、カガリを人質にとって、ルシエルにまで剣を向けていた。
ルシエルといえば、悪名高いレイアスの中で、唯一血なまぐささのない魔術士であったはずだ。小さい頃から、ルシエルはいい魔術士だと聞いていた。街のみんなだって、そのことは当然知っているはずなのに……そんな彼にまでも手を出したんだ。
俺は、今まで誇りに思ってきたものが崩れ去るのを感じていた。
「こんな街……滅んでしまえばいいんだ」
「何だと!?」
ギルの言葉は、街の人たちの心に更なる怒りを持たせてしまいました。火に油を注ぐといいますか……これは、失言だと私も思いました。こんなことを言われれば、誰でも怒るでしょう。これ以上、事態を悪くしないでくださいという感じで、私は苦笑していました。
それにしても、普段温和で明るいギルが、ここまで怒りを露にしているとは……。それだけカガリのことを大事に思っているのだと、改めてわかりました。
「かかって来い! 俺がまとめて相手をしてやる!」
「調子に乗りやがって! 同じ地に生まれたものだからお前のことは見逃そうと思っていたのに……もう、勘弁ならねぇ!」
「お前もユイスの仇だ!」
私に集中していた攻撃は、半分に分散され、ギルにも向けられました。
「ギル!」
「ソウシ……こんなどうしょうもない奴ら、斬っちまえよ!」
そういって、ギルは自分の父親の体を袈裟懸けに斬りつけました。
「なっ、なんてことを!」
悪い夢でも、見ている気分でした。子が親を斬るなんて……。
「ギル、やめるのです! 剣を収めなさい!」
街の人間の攻撃を交わしながら、私はギルに近づいていきました。事態を収拾するには、ギルを抑えることが先決だと思いました。
「こうしないと、俺たちが斬られるんだぞ!?」
確かに、彼らは本気で私達に剣を向けています。ですが、彼らはそれでも一般人であり、私達は雇われの身ではありますが兵士です。そんな私達が市民に易々と手を出していいはずがありません。それに、剣の腕だって違うんです。いくら剣術の栄えている街だからと言っても、本物の兵士とは格が違うんです。
「ギル! やめなさい!」
私は、意を決しました。
「何すんだよ! ソウシ!」
私は、市民にではなく、ギルに剣を向けました。
「彼らに手を出してはいけません」
その言葉に、彼はカッとなりました。
「なんだよソウシ。どうして街の連中の肩を持つんだ! こいつらはカガリの敵だ! カガリを傷つけたんだぞ!?」
「ユイス隊長の仇を取るために……熱くなっているんですよ。ただ、それだけです」
「カガリは悪くないじゃないか! カガリは仇なんかじゃないだろ!?」
ギルは、私に剣を向けました。
「そんなことはもちろん分かっていますよ。ですが、彼らは分かっていないんです」
頭に血が上っている彼には、なかなか私の思いは伝わりませんでした。
「俺は……カガリを守りたい」
ギルの想いは、私に痛いほど伝わってきます。
「私もです」
「嘘だ! お前もカガリの敵じゃないのか!?」
でも、私の想いは伝わらない……。
「違います!」
私達の言い合いは激しくなり、衝突するばかりでした。
「違わない! だから、カガリがやられても平気なんだ!」
私は、だんだん悔しくなってきました。自分の思っていることがギルに上手く伝わってくれないこと、上手く伝えられないことに……。
「平気なんかじゃありませんよ……。カガリが殺されでもしていたならば、おそらく街のものを全滅にでもしていたことでしょう。ですが、カガリは生きています」
「死ぬところだったんだぞ!? それなのに、お前は許せるって言うのか!?」
「……悪いのは彼らではない。国王です」
その言葉に、ギルはピクッ……っと反応しました。
「国王……」
「そうでしょう? ギル……目を覚ましてください。私もあなたも、頭に血がのぼりすぎています。今のままでは現状が……」
「ソウシ!」
不意に、頭に激痛が走りました。私には、一体何が起きたのかわかりませんでした。ただ、ルシエル様の叫ぶ声が聞こえたような気がしました。
「……っ」
痛みの走った部分に手を伸ばしました。すると、ぬめりとした嫌な感触が伝わってきました。見ると、べっとりと血がついていました。
「油断……しましたね」
意識が遠のいていく中、この現状が悪化しないかどうかを、しきりに気にしていました。倒れてはいけない……そう、何度も胸中で繰り返しましたが、もはや頭の中は真っ白でした。
「ソウシっ!!」
ソウシを鈍器でなぐりつけたのは、俺の親父だった……。親父は、血のついたそれを投げ捨てると、俺に剣を向けてきた。
「また……お前かよ」
ソウシの言葉で、冷静さを取り戻しかけてきた俺は、一気に消え去り、また怒りで頭がいっぱいになってきた。俺も、親父に向かって剣を構え直した。
「……覚悟しろよ」
(いけない……)
事態がさらに悪化してきた。このまま見過ごすわけにもいかない。私はカガリから手を放し、立ち上がった。
「ギルフォードとやら……その剣をおろしなさい」
「あんたは黙っていろよ!」
「そうはいかない。今の君は、親をも殺しかねない」
怒りに満ちた彼の瞳は、それだけでも凶器になり得るくらいの鋭さを秘めていた。
「こんな奴……親なんかじゃねぇよ!」
その言葉は、冷たく私の胸に刺さった。子どもにこんなことを言われることは、親にとってはとても辛いことであろうに……。誰よりも愛しいものからそのように言われるのは、私には耐えられまい。
「ギルフォード。親に向かって、そのような言葉を投げてはいけないよ」
すると、彼の怒りの矛先は私にと変わった。これでよい。
「あんたはどっちの味方なんだよ! カガリをやられて悔しくないのか!? カガリの味方じゃないのか!?」
私は、先ほどの光景を思い出しながら応えた。
「私の立っていた位置からは、あの瞬間はよく見えなかったが……」
ナイフを突きつけられていたのは知っていた。だが、彼、ギルフォードの父親が、カガリの首を本当に切るとは思わなかった。彼の頭の中には、カガリの首を切った瞬間に、私が魔術で攻撃して来るのではないかという考えが、少なからずあったはずだと考えていたからだ。
(そう……彼が、カガリを傷つけたとは考えにくい)
むしろ、自然に考えればこちらの方があり得る話であった。
(カガリが、自分で首を切ったのでは……)
あの子なら、考えてしまいそうなことであった。あの子は、自分の存在を認めていない。生きている意味を見出せないでいる。あの状況かならば、なおさら自分の死を望むのではないか。
「カガリはおそらく……」
「カガリっ!」
私の言葉は、ギルフォードの声によって打ち切られた。彼の視線の先には、カガリがいる。私は何事かとあわてて後ろを振り返った……と同時に、私の横を誰かがが走り去るのが見えた。
そして……。
(最悪だ……)
事態は更に悪化した。
「ソウシっ!」
街の人間は、カガリにとどめを刺そうとした。
それを、ソウシが防いだ。
自らが盾となって……。
「……ぅ」
ぼんやりとした視界に映ったもの。それは、赤だった……。
「……?」
はじめは、それがなんなのかわからなかった。自分のことも、よくわからなかった。頭が働かない。体はだるくて、ちっとも動かない。
「……ぁ」
しかし唐突に、記憶は戻ってきた。俺は、思い出した。俺は、死んだはずだ。首を切って……。
(死んでないのか? それとも、これが死後の世界なのか?)
俺は、目をゆっくりと左右に動かした。すると、俺の横に誰かが寝ているのがわかった。
「……?」
金髪で、色白い肌で……細い体。
「ソウ……シ?」
俺の呼びかけに、反応はなかった。でもそれは、ソウシに間違いなかった。
「ソウシ……ソウシっ!」
無理やり体を起こすと、俺はソウシに近づいた。そして、剣の刺さった体をゆすった。
「ソウシ、ソウシ……どうしたんだ! 起きろよ!」
どうしてこんなことになっているのか、どうしてこんなことになってしまったのか、どうしてソウシが刺されなきゃいけなかったのか……。
「……いやだ」
胸の中が熱くなってきた。頭の中はどんどん真っ黒になってく感じだ。この感覚……前にもどこかで……。
「……ぅ」
「カガリ……」
師匠の声が……聞こえたような気がした。
「うぁぁぁ……っ」
「なんだっ!?」
街の奴らは困惑した。カガリの顔つきが一瞬にして変わったんだ。俺にも、一体何があいつの身に起こったのかわからない。ぐったりとしていたはずなのに、今のあいつの体には血が滾っている。
目つきは鋭く、冷たい光を宿している。その目はまるで、獲物を狙う狼のようだった。
「ソウシを斬ったのは誰だ」
声もまた、いつものような子どもっぽいものではなかった。
その声を聞いた俺は、ようやく我に返った。
「カガリ……落ち着け」
まるで俺の声なんて、聞いちゃいない。カガリはソウシを刺した奴を探し出そうと、目を光らせていた。
「カガリ……動いてはいけない。お前は今、かなりの量を失血してるいるんだ。そんな状態で動いていたら……死ぬぞ」
その言葉を聞いて、カガリはふっと冷たく笑った。そして、剣を構えた。
「人間……いつかは死ぬさ」
捨て台詞のようにそう呟くと、カガリは走り出した。
「……ド」
誰かに呼ばれたような気もしたけれど、俺は呆然とカガリを目で追っていた。もう、何がなんなのか。どうして、こんなことになってしまったのか。
(俺のせいか……?)
俺が、逆上して我を見失って。ソウシはそれを止めようと必死になって周りが見えなくなり、俺の親父に……。それを見た、カガリはこの有様だ。
「ギルフォード!」
「えっ……?」
強く叫ばれるとようやく俺の耳に言葉がはっきりと聞こえてきた。それは、ルシエルの声だった。
「なんだよ」
もう、どうしていいのかわからなかった。カガリを止めなきゃ……。しかし分かっているけれども、俺には今のあいつを止められないような気がする。
そう思っている間にも、あいつは街の人間をすでに何人か斬っていた。斬られた奴らは、低く悲鳴をあげながら倒れていく。それでも俺は、動けなかった。知っている顔が倒れていっているというのに……。
「君にはカガリを止められまい」
ルシエルは、はっきりとそう言い切った。
「……そうだな」
俺は、完全に脱力しきっていた。いつの間にか、しっかりと握り締めていた剣も地面に落としてしまっていた。
「私がなんとかする」
ルシエルはそう言って、魔術で特殊な剣を作り出した。そして、ソウシの方に目をやった。俺も彼に続いて視線をソウシに向ける。
「ソウシの止血を頼む。それから、街の者をこの場から避難させなさい」
強く指示を出すルシエルの言葉は、熱の抜け切った今の俺にはありがたいものだった。彼の強さというものを、実感した気がした。
「分かった」
俺の言葉を聞くと、彼はすぐにカガリの方に向かっていった。俊敏で租のない動きはまるで、風のようだった。
「ソウシ……」
俺は、横たわっているソウシに近づいた。
「……」
返事はなかった。でも、息をしている。俺は、出血している場所を手探りで見つけると、自分の着ているシャツを破ってそこに当てた。
「ソウシ……ごめん」
後悔ばかりが、俺の頭の中に広がっていた……。
悪夢を、見ているようだった。