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崩壊のカガリ

「我々に楯突いた、カガリ=ヴァイエルをひっとらえて参りました」 

「御苦労、ジンレート。さすがだな。早かったではないか」

ジンレートは苦笑いをしていた。この男にしては珍しい。

「はい、ヴィレアスを倒す手間がなくなってしまったので……」

「なに?」

ジンレートが頭を下げている男、ザレス国王は、怪訝な顔をした。それはそうだろう。ならば誰がヴィレアスを落とした? ラバースか? そんなはずはないと考えたのだろう。潜在能力が違いすぎるのだ。

「ラバースによって、倒されました」

「ラバースにだと!? そんなことができるものか。退路は固めてあったはず。あいつらは袋の中のねずみだ」

ジンレートは意識のないカガリを摘み上げると、国王の前に投げ捨てた。カガリはその力に抵抗することなく、そのまま床に転がり落ちた。ぐったりとしたカガリの身体からは、まだ出血が続いている。早いところ、治癒をしてあげたかった。このままでは本当に死んでしまう。

 私には、早く国王がカガリを手放すようにと、祈ることしかできなかった。ここで姿を見せるわけにはいかない。私は本来、今は別の地区の制圧に向かっていることになっているからだ。

「カガリのせいか……」

国王は立ち上がると、カガリの前に歩み出た。そして、うつ伏せに倒されているカガリの顎を、足で蹴り上げた。

「余計な真似を……。なんの為にお前をあそこに待機させたと思っているのだ? お前のみを生き残らせ、邪魔なSクラスの者どもを排除するためだぞ? それも、ヴィレアス攻略というレイアスの手柄と共に……だ」

国王はかなりお怒りの様子だった。手に入れたがっているカガリを、まさか殺しはしないであろうが、殺りかねないほどの殺気を放っており、私は扉の向こうで身を潜めながら焦りを感じていた。

「私の計画を、よくも邪魔してくれたな。ジンレート、カガリをレイアスの邪魔をしたという罪をもとに、二週間牢に入れておけ」

「御意」

二週間……カガリの身体が持つかどうか、ギリギリのラインだった。ジンレートがこちらに向かってくるのを察知し、私は音もなく、その場から離れた。見つかってしまうと、色々と面倒だからだ。

(二週間……)

静かにその言葉を繰り返した。この間も、少しずつでもカガリに接触して、治癒をしてあげる必要があった。しかし果たして、接触できるほどの隙があるかどうか……。

「カガリ……」

どうしてあの子は、これほどまでにも辛い思いをしなければいけないのだ。背負うものがあまりにも大きすぎた。

七歳のときに村を焼かれ孤児となり、以来国王の下で精神を病み、それが癒されることなく今日の出来事……。これではあの子が壊れてしまう。


 早くあの子を、抱きしめたかった。


我が子同然である、愛弟子カガリを……。


 


『お前のせいでラバースは崩壊だ。お前の存在が、人を不幸にする』

(違う、違う……違う!)

俺は心の中で叫んでいた。奴の声が聞こえる。聞きたくなどないのに。

(俺は今、眠っている。これは幻聴だ!)

『お前は永遠に独りなのだ。お前は罪人なのだからな』

(お前が……お前がやったことじゃないか! 俺は誰も殺してなんかいない!)

事実だった。今回だって、俺は誰も殺してはいない。すべて急所をはずしてある。俺は、人殺しなんかじゃない。俺は何も悪くない……。

『本当にそうか? ユイスはなぜ死んだ? ギルフォードはなぜ倒れた? ソウシだって例外ではないぞ? 後々私の手によって、消されるかもしれないなぁ。その原因を作ったのは一体誰だ?』

(隊長……)

彼は俺の代わりに死んだ。

(ギル……)

彼は俺をかばって倒れた。

(ソウシ……)

彼は俺に関わったから、この悪夢に巻き込まれてしまった。

(……俺)


俺はやっぱり……消えたほうがいいんだ。

 

『……リ』

まだ何か言うのか? もう充分だろう? もう、俺は……消える。

『……ガリ』

うるさい。静かにしてくれ……。

『……』

もう、何も聴こえない。何も考えない。俺の心は……無と化した。




「カガリ……駄目か」

皆が寝静まるのを待って牢まで来たが、カガリにいくら呼びかけても、反応はなかった。これは、私が思っていた以上にカガリの容態が悪いということを表していた。

「時間がないな。とりあえず、少しでも傷口を塞いでおくか……」

あまりにも治しすぎてしまうと、国王や見張りの者に怪しまれてしまう為、魔術で軽く塞いであげる程度のことしか、今は出来なかった。

「すまないカガリ。死なないでおくれ」

祈ることしかできない自分が、あまりにも無力で情けなかった。


「ルシエル様、もう御用はお済で?」

「あぁ、ミシェル。ありがとう」

私は門兵に軽く会釈をすると、煮えくり返りそうになる心をいかに正常に保つかを考えながら、裏庭に出た。そこには、一本の大きな木が生えている。その木にもたれかかると、私は空を仰いだ。

「情けない……」

大きな、偉大なる力……魔術。それを今、最大限に扱えなくてどうする。今使わずして、一体いつ使えばいいというんだ。自分の大切な愛弟子が、死に直面しているというのに、私は何もすることができない。

 毎晩牢に通って少しずつ癒しの魔術をかけたところで、全回復には至らないだろう。それに何より、心に負った傷があまりにも深すぎるのだ。心の治癒を牢内ですることなんて、とても無理だった。門兵に不審に思われてしまう。それに、カガリは一度も私の呼びかけに応えることはなかった。意識があるのかないのか。それさえも、定かではない。

 この木はいつも、私に安らぎを与えてくれていた。だが、今の私にはその効果はないようだ。自分の無力さに嫌気がさす。最も守りたいものを守れずにいるのだから、当然だ。

 消してしまいたいほどの自分の存在を嘲笑うかのように、月は煌々と私を照らしていた。そんな月を、私は力なく見つめていた。


 


「痛ぇ……」

「生きていただけマシでしょう。あなたも無茶をしましたね」

ギルが、思っていたよりも元気そうなので安心しました。ユイス様の死を前に、自暴自棄にすらなりかねないと思っていたからです。

「この目の傷……治らないかもしれませんね。見えていますか?」

ギルはそっと傷口に手を当てて、傷の深さを確かめていました。

「見えてるぜ? ぼんやりとはしているが……まぁ、問題ないさ」

カガリを庇った時にできた目の傷は、左の眉毛の少し上から下まぶたを抜けたところまで伸びていました。

「カガリは大丈夫なのか? 本当に……」

ギルには、カガリがフロートに捕まったとは言っていません。身を挺して守ったカガリを、みすみす敵側に渡してしまったとは、とても言い出せなかったのです。ギルには、カガリの傷が思った以上に深かったことから、私の尊敬する方にその身を預けたと話しておきました。

(……まぁ、嘘ではありませんからね)

カガリはフロートに連れて行かれました。ここに居ないのだから、それは間違いないと思います。カガリは近々、今回のことを責任に感じて、ラバースを脱退するかもしれません。しかし、今はそうしないであろうと言い切れました。ギルの傷の具合を心配しているはずだからです。まずはきっと、ここに戻ってくるはずだと推測されました。

(それにしてもあの時、あそこで引き返すとは思いませんでした。私としたことが……)

完全に、私の判断ミスでした。あのときのカガリには、戦う気力も体力も、残ってはいないと判断していたのですが、同時に生きる気力もなくしていた……ということまでは、気づいてあげられなかったのです。

カガリは死ぬ気であったのに、なぜまた独りにしたのか……。今さらながらではありますが、私はひどく後悔していました。

「いつ帰ってくるんだ? とりあえず俺は、三人でパーッと飲み明かしたいんだけどな」

頭をかきながら、まるで何事もなかったかのような振る舞いをするギルの姿に、私は少なからず違和感を覚えていました。なんだか彼が、遠くで話しているような……そんな感じがしたのです。こんなにも傍で、話しているというのに……。

「……ギル」

私はその理由をすでに悟っていました。だからこそ、はっきりさせようと思いギルに声をかけました。

「辞めるのですか?」

「何をだ?」

ギルはあえてとぼけた真似をした。それで私を交わせるとでも思ったのでしょうか……。全く動じない私の目を見たギルは、大きく息を吐くと、降参だというような感じで肩の力を抜きました。

「……分かってるんだな、ソウシは。あぁ、ここを出るよ」

「いつですか?」

せめて、カガリが戻ってくるまではここに居て欲しかった。カガリの不安定な心を、ひとりで支える自信は、はっきり言ってなかったからです。

「そんな急の話じゃないさ。まずはカガリの帰りを待たないとな。なんかさ……あいつって、どこかほっとけない感じがするんだよな」

確かにそうでした。はじめは、ある方の意志に従いカガリに近づいたのですが、今は私「個人」がカガリに興味を抱いているし、放っておけない気さえ感じさせるのです。

特に他人に興味を示してこなかった私にとって、この感情は珍しいものでした。彼には何か、特別な力が備わっているのでしょう。ひとを惹き付ける、何かが……。

「大丈夫なんですか? カガリは……」

声は後方から聞こえてきた。ギルのものではありません。私は声がした方を向きました。すると、そこには生き残ったSクラスの仲間が立っていました。

彼の名は、シキト。目じりが少し下がり気味で、優男を感じさせるその男は、この隊の中でも指折りの剣士だった。

「大丈夫ですよ。カガリのことは心配いりません」

「……だってさ。みんな、よかったねぇ」

他人事のように言うシキトの後ろには、生き残った全てのSクラスメンバーが並んでいました。どうやら、身を挺して自分達を守ってくれたカガリの安否を、心配していたようでした。

「なんだぁ? あいつ、みんなに慕われてるじゃないか」

ギルは嬉しそうに笑っていた。そして、みんなに向けて手招きをした。

「こっちに来いよ! 一緒にカガリの話でもしようぜ? あいつってさ、あぁ見えてすっごく可愛いんだぜ?」

先輩後輩……全てのSクラス隊員は、少し戸惑いながらも私達のほうに歩み寄ってきました。

「なぁ先輩。この際敬語とかはもういらねぇよな。俺達、九死に一生を得た仲間なんだからさ」

先輩方の肩を組みながら話すギルに、半眼の目で答える先輩方の口元は、優しく笑っていました。

「お前はいつだって、敬語ではなかったじゃないか」

「そうだっけ? ま、いいじゃないか。細かいことはさ!」

今まで、どこか重い関係をお互いに持っていた私達が、一つの輪になった瞬間でした。私達を壊そうとして仕組まれた今回の一件は、皮肉にも、団結力と信頼を生み出したのでした。


カガリを中心として……。


(国王。歯車が動き出しましたよ)


少しずつ、世界は変わろうとしていた。


 


「出ろ!」

あれからようやく、二週間が経った。ついにカガリが解放される日にとなったのだ。この二週間、私は気が気でなかった。毎夜少しずつでも治療を試みようと牢に通ってはみたものの、あまり効果が得られなかったことは痛かった。日に日に弱っていくカガリを前に、焦りと不安は留め止めもなく、募っていくのであった。

 カガリは牢から出されると、城外にと放り出された。意識のないカガリは、そのまま横たわっていた。運が悪いことに、今日は雨だ。このままではカガリの体温が下がってしまう。私は、見張りの者が去るのをじれったく待った。どうしても、カガリとの関係を隠す必要があったからだ。

「……行ったか?」

注意深く辺りを見回した。人影も何の気配もない。私は倒れているカガリに音もなく近づくと、すぐにカガリを抱き起こした。そして、空間転移の呪文を唱える。このまま歩いてこの場を去ると、途中何者かに目撃される恐れがあるからだ。さらに、ぬかるんだ土の上を歩いて移動すれば足跡がくっきりとついてしまう。カガリのものとは明らかに違う足跡がどこかに続いていっては、後で追っ手が放たれる可能性があった。

「転移」

次の瞬間、私達は森の中にと出た。目の前にはちょっとした洞窟がある。私は雨をしのぐため、その中に入った。

「カガリ……」

どっと疲労感が押し寄せてくる。精神的なものもあるが、この転移の魔術は普通の術の何倍もの力を要するのだ。それだけ高度であることを示す。おそらくこの魔術が使えるものは、私を含めてこの世界に三人いるかいないか……と、いったところであろう。あのレイアスの隊長、ジンレートでさえ、この魔術は扱えないし、存在すら知らないだろう。

 私はだるさを感じながらも、カガリの治療をはじめた。傷は大方ふさがってはいるが、所々で骨折をしていた。変に接着してしまっては、今後この子は満足に動くことが出来なくなってしまうだろう。私は慎重に、出来るだけこの子にこれ以上苦痛を与えないように注意を払いながら、治療した。

「ルシエル様……」

ふと背後から声がした。しかし私は、動じる必要はなかった。なぜならば、私が彼をここに呼んだからだ。

「ソウシ……」

そこには、雨で身体を濡らし、軽く息の乱れているソウシの姿があった。ここまで、走って来たのだろう。私のような魔術を、彼は持ち合わせてはいない。

「遅くなりました、ルシエル様。カガリのこと、ありがとうございました」

「いや……」

私はうつむき加減で答えた。

「私はこの子に、何も……してあげられなかった」

私は、身体の冷たくなったカガリの手をそっと握ると、目頭が熱くなるのを感じた。そして、己の無力感に嫌悪するのであった。


「落ち着きましたか」

手当ては終わった。脈も呼吸もやや弱い感じだが、正常範囲だ。これでもう、死ぬことはない。肉体は……の話だが。

 カガリの心は、完全に壊れてしまっているようだった。カガリからは、生気が全く感じられない。何度も呼びかけたが、決して応えてはくれなかった。

 私は悔やんだ。国王が何をしようとしていたのかを知っていながら、カガリに知らせてあげることも、救ってあげることもできなかった。完全に、役立たずであった。

あの時……カガリが私を訪れるために城へ来たときに、ひと言告げてあげればよかったのだ。あの時は、下手に助言をし、カガリが国王の意志に背く行動をすることを恐れた私は、あえてカガリを突き放す行動に出たのだが、それが裏目に出てしまったのだ。

もしもあの時、カガリに助言できていたならば、何か打開策が練りあがったかもしれないし、これほどまでもの犠牲者を、出さずに済んだかもしれない。後悔先に立たずとは言うが、もう少し、カガリのことを考えてあげればよかった。ラバース兵のことも、だ。


あの時は、カガリと距離を置くことが最善の選択だと思ったのだ。


私は、まだまだ未熟だった。


 そう、思い知らされた。


「あぁ。落ち着いたよ」

私は力なくも笑みを浮かべ、ソウシの顔を見た。するとソウシは私の答えに対して、首を横に振った。そして、心配そうな目で私を見た。

「カガリのことではありません。ルシエル様……あなたのことです」

私はその言葉に少し驚いた。

「……私のこと?」

「そうです。顔色が優れないようですが……」

そういわれて、私は初めて己も疲れ切っていることを自覚した。だが、私の場合は単なる疲労だ。眠れば回復する。カガリの痛みのそれとは違っていた。

「私は平気だ。それより、カガリのことを頼むよ。私はもう、行かねばならない」

「ルシエル様」

ソウシは一歩前に出て私の名を呼んだ。

「どうかしたのかい?」

「カガリのことが、それほどまでにも大切ですか?」

ソウシのその問いかけに、私は大きく頷いた。

「大切だよ。カガリは私の……息子だ」

「そうですか……」

ソウシはそっと、カガリの額を撫でた。先ほどまでは冷え切っていた体だが、今は発熱していて、汗で髪が指に絡んだ。

「迷惑をかけるな」

その言葉にソウシは目を狼狽させた。この男には珍しい反応であった。ソウシは常に仮面をかぶったかのような表情しか表に出さないのだ。

ベースは笑顔。どんなに怒っているときも、その顔には笑顔が隠れていた。これは、相手に自分の心理を悟られまいとする作戦のひとつだそうだ。誰が教えたものでもなく、ソウシが自分で考えた策であった。

「そんな……迷惑だなんて。とんでもないです、ルシエル様」

「ソウシ……お前もまだ子どもだというのに、色々とすまない。だが、お前ならきっとやり遂げてくれるであろう事を、私は信じている」

ソウシは深々と頭を下げた。

「もったいないお言葉です」

「……私は行くよ。何かあったら、すぐに知らせて欲しい」

「分かりました」

本当は、もう少しカガリの傍にいてあげたかった。この子が目を覚ますまで……。しかし、今日はこれからも任務があった為、これ以上城を抜け出している訳にはいかなかった。


 カガリとの関係を、王に悟られてはいけないことには訳が有る。それは、王の性格と計画だ。王は、カガリを自分の意のままに操れる駒にしようとしている。そのためには手段を選ばない。カガリをひとから切り離し、王自身の場所以外のカガリの居場所を全て滅ぼすということが計画だ。そのため、私がカガリと接触していることが王にばれてしまっては、私も排除されてしまう危険があるのだ。

もっとも、私は王に殺されるほど弱くはないと自負しているため、たとえ災いが自分にふりかかってきたとしてもいっこうに構わないのだが、王の手が私に伸びたという事実だけでもカガリの心を傷つけてしまうため、カガリとの間に関係を持っていることを、執拗に隠す必要があるのだ。

「では、頼んだよ……転移」

私は後ろ髪をひかれる面持ちで、再び力を使い、この場を去った。




「さて……」

私はカガリをそっと抱き上げました。もともと体重の少ないカガリではありましたが、この二週間で更にやせ細ったように思われます。どうみても、健康な育ち盛りの少年には見えません。顔色も悪く、熱があるというのに青白い……今にも、心臓が止まってしまいそうでした。

「ルシエル様の信用を、裏切るわけには行きませんからね」

私はカガリを背負うと、洞窟の外に出ました。雨はいっそう強くなっていました。この状況を、天もが涙しているように思えました。

 ここはラバースから数キロ離れたところにある、小さな洞窟でした。ラバースまで、そう長い距離ではないのですが、カガリを背負ったままではそう早くはたどり着けないでしょう。水避けの道具がないため、カガリを濡らさずに帰ることも出来そうにありません。

「どうしましょうか……」

私は、このまま無駄に濡れていても仕方がないと思い、とりあえずもう一度、洞窟の中に戻ってカガリを地面に下ろすと、自分の上着を脱ぎました。そして、カガリにかぶせてからもう一度背負いなおします。カガリの微かな温もりが、薄手のシャツの上から伝わってきました。

 ラバースの隊服は、なかなかの厚手の生地であるため、少しは雨を凌げるのではと考えた故の行動です。私はともかく、カガリは少しでも雨を凌げないと困るので、私は祈るような気持ちでそうすると、森の中を駆け出して行きました。

(早くカガリを、ベッドの上で寝かせなくては……)

ルシエル様は、カガリを自分の「息子」だと仰っていました。では、私にとってのカガリの存在とは一体、何なのでしょうか……。

はじめは、ただのただの好奇心でした。しかし今は弟なのか、友達なのか……はっきりとはわかりませんが、カガリのことをとても可愛いと思っていることは確かでした。可愛いという意味には、「大切」という想いも含まれます。

「カガリ……か」


私は真っ直ぐに、ラバースを目指しました。


(最近は汗にまみれることが多くなりましたね)

私はうっすらと笑いました。苦笑しているわけではない。疲れて顔の筋肉が動かなくなってきたため、引きつった笑みになってしまったのです。普段ならばこの距離ぐらい、いくらでも全力疾走できるのですが、今日はカガリを背負っていることもあり、さらには雨と、このぬかるんだ地面が私の体力を奪っていきました。

「カガリ、もう少しですからね」

ラバースの外壁が見えてきました。目標物が見えてくると、自然と元気が戻ってくるとは、人間はなんとも単純な生き物ですね。私はふと自分がおかしくなり、笑みを浮かべました。

「……?」

門のところに、誰かが立っているようでした。その人影は次第に大きくなり、お互いの顔を確認できるほどになりました。

「ギル?」

そこにいたのは、ギルフォードでした。傘もささずに彼は門のところに立っていました。

「……何を」

「何してるんだよ!」

私が言葉を終える前に、彼の方が先に私が言おうとした言葉を、投げかけてきました。怒声交じりの彼の言葉に、私は思わず首をかしげました。

「何を怒っているのですか?」

そう言いながらも、私は足を止めなかった。早足で自分の部屋を目指しました。早くカガリを休ませなければ……その思いだけが、今の私を動かしていました。

「何をって……カガリ、どうしたんだよ。なんでぐったりしてるんだ!?」

足を止めない私を追って、ギルも早足でついてきた。私を止めようとはしなかったので、私はそれを横目で確認しながら、言葉を続けました。

「国王にやられたのですよ」

「国王に!?」

ギルは驚きの声をあげた。国王がよき王ではないことは、先日の件ではっきりとしていたが、王がなぜカガリをこのような目に遭わせたのかが、分からなかったのでしょう。ギルは深刻そうな顔でカガリの方を見ていました。

「どうして……カガリが?」

「カガリの力が欲しいらしいですよ」

「どういう意味だよ」

私は言葉を濁し、皮肉じみた笑みを浮かべました。

「国王に直接聞かなければ、わかりませんよ。このような愚弄な行為をする人間の欲望なんて……ね。まぁ、興味もないですけど」

ギルはしばし黙り込みました。その間に私たちは、私の部屋に無事たどり着きました。自分の部屋の中に入るとすぐに、私はカガリをベッドの上に寝かせました。カガリの体温が低い。私は心配になり、ギルの方を向きました。

「ギル、すみませんがカガリを着替えさせてあげてください。雨で濡れてしまいましたから。服は、私のものを適当に選んでください。そこの箱にいくつか入っています。私は、医務室にある毛布を借りてきます」

しかし、彼から返事は返って来ませんでした。私は、聞こえていなかったと判断し、言葉を繰り返しました。すると、我に返ったギルは、慌ててタオルと服を取りに動きました。それを見届けてから、私は医務室へと走りました。


「早くしないと……」

私は医務室のある第二棟に向かって走っていました。ここまでカガリを負ぶって全力疾走してきたため、多少息が乱れていました。しかし、足を止めている余裕はありませんでした。

 ルシエル様が治療してくださっているため、生死に別状はないのでしょうが、見ているこっちが痛くなるほど、カガリは憔悴しきっていました。国王はカガリに一体何をしたのか……。それを間近で見ていたルシエル様の悔しさと歯がゆさも、想像出来ました。手に届くところに居ながら何も出来ないことほど、辛いことはありません。

「すみません、毛布を借りたいのですが……」

医務室に着くと、軍医が椅子に腰掛けていました。そして、私の顔を見るなり眉をひそめました。

「どうしたんだい、ソウシ。血相を変えて……」

「え……?」

私は、確かに焦っていました。けれども、それを表に出しているつもりは全くなかったのです。

これまで、何が起きても笑顔を絶やさずに来たつもりだったのですが、まったくの他人にそう言われるほど表情に出していたなんて……。よほど自分にも余裕がないのだと感じてとれました。

「あ、ソウシ」

医務室の一室からひょっこりと顔を出してくる人物が居ました。自分の顔見知りだったため、私はふと息を吐きました。彼は自室よりも、ここをよき居場所としいていました。

「シキト……」

彼は、怪我や病を患っている訳ではありません。単に個室でじっとしていることを好まないだけでした。この医務室をほぼ個室と化していて住み着いている、Sクラスの変わり者でした。

「ソウシの声が聞こえたからさ。何々、毛布を取りに来たんだって?」

「えぇ、カガリが……酷い熱なんです」

「カガリが?」

シキトは目を見開きました。そして軍医も驚きの表情を浮かべていました。なぜ驚いているのかは知っています。ふたりとも、カガリがこの二週間ラバースに滞在していなかったことを知っているからです。

「ここへ連れてきなさい」

軍医も、先のヴィレアス戦でのことは知っていました。今では、このラバースにカガリを邪険視するものは、居ないといっていいほどでした。

「いえ、私の部屋で休ませます。今、ギルにカガリの着替えを頼んでいるところです」

軍医は首を傾げました。熱があるのなら、当然私の部屋などより医務室で治療を受けた方がいいと判断するのが普通だからでしょう。しかし、今の私の頭の中には他人にカガリを預けるという発想が、まるで浮かばなかったのです。自分の手元で看病する義務があると感じていました。

 カガリがここまで酷い目に遭ったことには、自分の責任も少なからずあるからだと思います。あのとき、カガリが引き返すという可能性を考えてさえいれば、国王に捕まることもなかったはずです。自分の判断ミスで、ルシエル様の大切な愛弟子、いえ、息子であるカガリを酷い目に遭わせてしまったことに、苦虫を噛み締めました。身体だけではなく、精神が崩壊しているかもしれないとルシエル様は仰っていました。自分は、とんでもないことをしでかしてしまったのだと、判断の誤りを後悔し呪いました。

「カガリ、具合はどうなの?」

シキトだ。愛嬌のある目で私を見てきた。一見、何も考えていなさそうに見えて、彼は頭の切れる男であり、空気も読める人間でした。

「……よくありません。医者(せんせい)、毛布を二、三枚借りて行きますね」

「何かあったら、すぐに連れて来なさい」

「はい」

忌まわしき二週間前のあの事件以来、カガリの捉え方が皆本当に変わっていました。友好的になり、この二週間、Sクラスの者はもちろん、国王やレイアスの仕打ちを知ったラバースのメンバーは、カガリのことを気遣うようになっていました。

「僕も後で様子を見に行こうか?」

去ろうとする私の髪を引っ張るかのように、シキトが声をかけてきました。

「いえ、今は私とギルで面倒を見ます。落ち着いたらまた、声をかけますから」

「了解」

そういうと、彼はまたカーテンを閉め、布団の中へと入っていきました。軍医も私に背を向け、二週間前の事件で傷を負いながらも、生きながらえた者のカルテを見ていました。


 私は毛布を抱え込むと、また自室に向かって駆け出して行きました。




「……お前、大変だったんだな」

青白く、痩せたカガリの顔から順に、雨に濡れた体全体を優しくタオルで拭いていった。体のいたるところに古い傷痕があることを、俺はこのときはじめて知った。

 

あの事件の前日。俺はSクラスの仲間たちに、一緒に風呂に入ろうと提案した。もしかしたら命を落とすかもしれない戦いの前に、裸の付き合いというものをして、親睦を深めようと考えたんだ。俺たちはこれでも優秀な兵士だ。だけど、今回の相手は魔術士だった。かなりの危険を伴うことは分かっていた。そのため、俺は結束力を高めようとしたんだ。

そしてその意見に、そういうことをあまり快いとは思わなさそうなソウシでさえ、了承してくれたんだ。でも、カガリだけは……何度説得しようとしても、答えは変わらずに「拒否」だった。

『俺は、仲間じゃないから……』

そう言って拒んでいた。

カガリは、城から突然Sクラスに編入してきた特異な兵士だった。そのため、確かにみんなから避けられている感じはしていた。なぜかカガリだけは、それまで任務も独りで行っていたし……。とにかく、編入してきたときから謎が多かった。

そしてただでさえ孤立していたのに、例の作戦会議でよりいっそう立場は悪くなっていた。

だからこそ、皆を避けるようにして、この親睦会を断っていたのだと思っていた。無理やり参加させても、かえって逆効果になると思い、断念したわけなのだが、もしかしたら風呂に入れない本当の理由は、この傷を見られたくないということだったんじゃないか……今ではそう思った。

新しい傷痕は先日の戦いのものだろうが、この古傷はもっと昔につけられたものだ。もしかしたら、城に居た頃に、国王によって刻まれたものなのかもしれない。

「なんで言わないんだよ。お前は……」

自然と、涙があふれてきた。苦しい。どうしてこんなにも苦しいのかわからないけれども、俺は傷ついたカガリを前に、涙を止めることはできなかった……。




「ギル、カガリの様態はどうですか」

この男にしては珍しく、息を切らしながら自室にソウシが布団を抱え込んで戻ってきた。俺は、こくりと頷くと、ソウシは安堵の笑みを浮かべた。

「そうですか……よかった」

そして、着替えの済んだカガリに布団を三枚かけ、さらにその上から上布団をかけた。

 ずっと走りっぱなしだったソウシは、ようやく落ち着ける時間を見つけることができ、ベッドの隣に置いてあった椅子に腰をかけ、はぁ……っと、重々しく息をこぼした。俺もまた、近くにあった椅子に手を伸ばし、ゆっくりと座った。




「捕まっていたのか? 今まで……カガリは」

あれから一刻が過ぎた。俺もようやく落ち着きを取り戻し、雨で冷えた体を温めるために、ホットミルクを飲みながらソウシと向かい合っていた。

「えぇ……」

「ある人のところって言うのは、国王だったのか?」

俺の心には、沸々と怒りがこみ上げてきていた。

「いいえ……」

ソウシのこの短い答え方が、まるで俺の怒りをあおっているようだった。

「お前も……カガリも、なんで本当のことを黙ってるんだよ! 俺のことが信用できないってぇのか!?」

ついに怒りを面に出し、俺はソウシを睨んだ。しかし、ソウシはうっすらと困ったような笑みを浮かべるだけであった。

「反論もしないのかよ!」

「……怒らないで下さい、ギル」

ソウシはようやく俺に応えた。

「あなたを信用していないわけではありませんよ。私も、カガリも……。ただ、私たちにも事情がある。それだけなんです」

「事情? 事情って……なんだよ。そんな、隠さなきゃならないようなことがあるのかよ!」

ソウシはまた、沈黙した。これ以上は答えるつもりもないらしく、俺から視線をはずしてマグカップの中をぼんやり見ていた。

「ある人ってのも……内緒なワケか?」

「……すみません」

人には、いくつか知られたくないというものがある。しかし、このふたりにはそれが多すぎるんじゃないのかという気がした。何もかもが謎だ。

確かに、俺達はまだ出会ったばかりだ。何でも話し合える仲になるにはあまりにも日が浅いと思う。そうとは分かっているけれど、俺はふたりのことを、もっと知りたいと思っていたから……。

「……分かった」


少し、寂しさを感じていた……。

 

どうしてこんなにも、このふたりが気になるのかは俺にもわからないが、カガリに関しては……ユイス師匠のことが関係しているのかもしれない。師匠が身を挺してまで守った少年、カガリ。彼と師匠との間に、一体どんな関係があったんだろう。それに、城で働いていて、急にラバースSクラスに編入してきたところにも謎を感じる。

でも、それだけじゃない気がしてならない。なんていうか……カガリからは、不思議な何かを感じるんだ。

 

ソウシ。


彼は本当に謎だらけだった。今思い出してみると、同期だったような気がする。俺がDクラスに入った時に、確かに彼もいた。しかし俺は、話なんてほとんどしたことがなかった。

彼は、誰とでも気軽に話していて、誰とでも仲良くやっているような感じだった。けれども実は、本当に彼と真のある話をしてきた者は、ここにはいないんじゃないかと今なら思う。彼は、決して自分のことを語らないし、決して相手の中に深く入り込もうともしないからだ。少なくとも俺には……ソウシはそんな生き方をしているように感じた。

(ほんと、謎ばかりだな……)

「ギル……」

「なんだ?」

ソウシは、真剣な目をして俺を見てきた。何事かと思い、思わず息をのんだ。

「……カガリは、あなたのことが好きです」

その言葉には、なぜか重みがあった。俺だってカガリのことは好きだし、この言葉は嬉しいものだったけれども、どこか……慎重にならなければならないと、こころの奥底から声が聞こえてくるようだった。

「カガリは……ある時から今まで、友達というものを一切持とうとはしませんでした。しかし今、彼はあなたと友達になりたいと思い始めています」

話の先があんまり見えてこない。だから俺は、ただ黙ってソウシの話を聞くことにした。

「カガリは今回の件で、酷く傷ついたと思います。おそらく……心を閉ざしてしまうでしょう。私達を、避けるようになるかもしれません。それでも決して、彼との間に距離を置こうとしないであげて下さい」

ソウシは、いつもになく真剣な面持ちだった。言葉にもどこか、迫力というものが感じられる。普段穏やかな人間なだけに、余計に圧力を感じた。

「このままでは、カガリは一生孤独な人生に……いや、それだけならまだマシかもしれませんね。国王の人形になるよりは……」

「国王の……人形?」

不思議な言葉が出てきた。国王の人形とは一体どういう意味なのだろうか。カガリと国王との間には、何かが確実にあるようだった。そう確信した俺に対して、ソウシは目を細めてより一層声のトーンを落とし、言葉を続けた。

「カガリの力を、国王は欲しているのですよ」

「カガリの力を? フロート国王が?」

ソウシは頷いた。そして、眠っているカガリの方に視線を移しながら後を続けた。そういえば、さっきもカガリの力を欲していると話していたことを思い出した。

「カガリは、私達とは比べられないほどの力を秘めているそうです。今はまだ、それを上手くコントロールできないでいるようですが、いずれは開花することでしょう。国王は、その力を自らのものにしようと思っているのです。そのために、国王はカガリを孤立させようとしてきました」

「何のためにだよ……」

「カガリの居場所を、奪い去るためですよ。国王の下でしか、生きていけないようにしようと企んだのです」

ユイス隊長を殺し、多くの仲間を殺したフロート国王に対して、ますます怒りがこみ上げてきた。国王からは、人の心が全く感じられない。そんな人間が治める国のために、今まで汗水流して、時には血までも流しながら働いてきたなんて。なんて馬鹿らしいんだ。俺は頭に血が上るのを感じ、苛立ちを覚えた。

「……なんて奴なんだ」

そんな血も通わないような男が治める国が、豊かであるはずがない。現に、民は苦しんでいる。このままではいけない。

「ギル……私はカガリを助けたい」

俺に視線を戻して、ソウシはそう言った。

「カガリを守りたいんです」

その力強いソウシの言葉に、俺はふと笑って答えた。

「俺もだよ。だって、カガリは俺達の友達だからな」

身体の小さな、俺よりも年上の少年カガリを、守りたいと正直に思った。

 カガリとは、まだ会って日が浅いなんてもんじゃない。たったの三週間くらいさ。でも、俺はあいつを守りたいと思ったんだ。

はじめてあいつと顔を合わせたときは、なんて寂しそうな顔をしているんだろうって思った。少しでも触れれば、壊れてしまいそうなあいつを、あっという間に放ってはおけなくなった。


だからあの会議のときにも、助け舟を思わず出したんだ。


カガリを守るために。


 ヴィレアス戦で、カガリとソウシとチームを組めて本当に良かったと思う。たった五日ではあったけども、戦いまでの間、一緒に過ごせてすごく楽しかった。特に、カガリをからかうのは何だか兄弟と遊んでいるみたいで、ここが傭兵組織だってことさえも、忘れさせてくれてた。それだけ、充実した日常を送らせてくれたんだ。

仮面をつけたような顔じゃなくて、本当のあいつを垣間見ることができたと思ったから、より嬉しく感じたのかもしれない。

(守りたい……)

この少年を、これ以上壊させない……そう、胸に誓った。俺が本当に「友達」になりたいと思ったひとだから……。


 ユイス隊長を殺されたとき、それがカガリを護るためだと知ったとき。それでもカガリを怨んだり、妬んだりしなかったのは、カガリのことが好きだからだ。ここを辞めようと思ったのは、目標を失ったからであって、カガリから離れたいと思ったわけではない。むしろ、カガリのことを思えばここから離れるべきではないし、街への仕送りのことも考えれば、少ない給料ながら、ここでの職を離れるべきではなかった。けれども、ユイス隊長一筋で生きてきた俺にとって、ここはもう、俺の居るべき場所ではなかったんだ。


 カガリを、ユイス隊長の代わり……みたいな扱いに、したくはなかった。


「ん……」

日も沈んで、月明かりが窓から差し込んできていた頃。そんな中、ようやくカガリの意識が戻った。

「カガリ!」

カガリはうっすらと目を開け、暫くぼんやりと天井を見ていた。状況が飲み込めていないせいだろう。

「……」

カガリは目だけを動かし、俺とソウシを順に見た。そして、体をゆっくりと起こしはじめた。

「おいおい、まだ無茶するな」

制する俺の手をさめた目でどけると、カガリは何も言わずに部屋を出て行ってしまった。傷ついた体を引きずりながら……。

 俺もソウシも、それをただ見ていることしかできなかった。カガリの目が、あまりにも冷え切っていたからだ……。寂しげというようなレベルなんかじゃない。冷たい人形のような顔をしていた。

「予想以上に……壊れてしまったようですね」

ソウシの口元は、いつものように笑っていた。でも、その目には怒りの色が浮かんでいるのがはっきりと見えた。王への怒りであることは、言うまでもない。

「王を……潰すか?」

そんな言葉が思わずぽろっと出た。今まで考えたこともなかったことだが、こんなにも自然と出てしまうほど、今の俺は王が憎いらしい。ソウシも案外同意するんじゃないかなって思ったんだけど……ソウシの口からは、予想外の言葉が出た。

「それは、私達の仕事ではありませんよ」

「えっ?」

ソウシは、遠くを見つめながら笑っていた。その笑顔は、今までに見せたことのない、不思議なものだった。俺の語彙力だけでは、表現できないほど、神秘的なものだった。

(私達の仕事じゃない? どういうことだ?)

この言い方は、他の誰かがその役目を持っているようじゃないか。しかも、ソウシはその人物を知っているようだ。

(……誰だ?)

頭に浮かぶ人物は、カガリぐらいだった。王の呪縛を解き放つためにも、カガリにはその役目があるのかもしれない……。

「それは……カガリの仕事だと?」

しかしソウシは首を横にふり、あっさりと俺の言葉を否定した。そして、何か尊きものを見るかのような目で窓から空を見上げた。

「いずれ……分かりますよ」

それだけ言うと、ソウシは歩き出した。俺もあわててソウシに続いて部屋を後にした。

「どこに行くんだ?」

「カガリを追いましょう」

そう言いながら、ソウシは迷わず馬小屋のあるほうにと足を進めた。カガリの姿は見当たらないのに、まるでソウシには、カガリの居場所がはっきりとわかっているような感じがした。

「止めなければ……」

ソウシはそう言って、少し慌てている様子だった。俺たち兵士は、自由に外へと行き来することが禁じられている。だから、音を立てないように気をつけながら、俺達は馬小屋のほうに急いだ。




『カガぁっ! 見てみてっ! 僕、こんなに文字を覚えたよっ!』


俺はあの子に、古代文字を教えてあげていた。そしてあの子は、俺に会うことを毎日楽しみにしてくれていた。だから俺は、毎回あの子に宿題を出していて、俺がまた孤児院へ会いに行くと、あの子は嬉しそうにそれを持って見せに来てくれた。宿題をやらずに居たことなんてなかった。あの子は必ず俺が用意したものは全てこなし、さらには、俺が驚くほどどの分野においても、上達していくのだった。


『次こそは勝ってやるっ!』


古代に関する教養だけではなく、俺はあの子に、剣や銃などの色々な武器の扱い方も教えていた。あの子も興味が元よりあったみたいで、嬉しそうに学んでくれた。なかなかの負けず嫌いで、俺に負けるとひどく悔しがって、さらにと修行に励んでいた。俺は、会うたびにあの子の成長を見届けることになった。羨ましいほどの才能の持ち主だった。それでいて、こころは清らかで真っ直ぐ。いつでも明るい顔で、俺のことを向かいいれてくれた。


『これ、カガにあげる! きっと似合うと思うんだ』


そう言って、あるとき渡してくれたのは、緑色のリボンだった。ほんの少しずつ孤児院のシスターから渡される小遣いを、こつこつと貯めて、町で買ったのだと言っていた。

誰かからこんな贈り物をもらうなんてこと、久しくないことだったし、何より大切に思っていた弟に、瓜二つの容貌を持つ少年からのものだ。俺が感激しないはずはなかった。心恥ずかしげにそれをもらうと、肩につくほど伸びていた髪を、そのリボンでひとつ結びにした。するとあの子は、とても嬉しそうな笑みを浮かべるのだった。嬉しいのは、俺の方だというのに……。


『また明日ね!』


そしてあの日もまた、あの子は変わらぬ笑みを俺に向け、手を振って見送ってくれた。そして俺自身もそのつもりでいたから……簡単にその場を後にしてしまったんだ。


(また明日……か)


そんな日は、もう二度とは来なかったのに……。あの笑顔を、俺はもう何年見ていないんだろう。あの笑顔のためだけに生きてきていたのに、突如としてその生活を奪われてしまった。

あの少年は、元気にしているのであろうか。会いたい……あの子に会いたい。せめてもう一度だけでもいいから、会いたい。俺が完全に壊れてしまう前に、俺が俺である間に……。


(ラナン……)




「カガリっ!」

カガリはやはり馬小屋にと向かっていました。隊務があるという訳でもないのに、こんな時間にその傷ついた体でどこへ行こうというのか……。風のにおいで、カガリがこちらへ向かっていることまでは察知できるものの、どうしてここへ向かっているのか、その心情までは、読み取れませんでした。ただ、今はとにかくカガリを止めなければならないと思い、私は走りました。雨はもう止んでいましたが、あの体で出歩くには無理があります。カガリに負担がかかることは、目に見えて分かっていました。それに私たちには、外への行き来の自由はないのです。そんな規定を護る義務など、もはや存在していないのかもしれませんが、ここでまだ兵士として甘んじて生きていくのならば、必要なことでした。あえて規則を破り、注目を浴びる必要はありません。

「どこへ行くのですか!? こんな時間に……クランツェ様に見つかったらどうするのです! これは、規則違反ですよ!」

クランツェという人物が、ここラバースの主でした。彼は、「レイアス」のリーダーであるジンレートのような、野蛮で冷血な男ではありませんでしたが、違反者には容赦がない、厳しい男でした。鉄の男とは、よくたとえたものです。

 ここ、「ラバース」の兵士がなぜ隊務以外で外を出歩くことを禁じられているのか。それは、敵国のスパイではないかという疑いを、国王に持たれないようにするためです。

「……」

カガリは、冷たい目で私を一瞥するだけで、気持ちを変えるつもりはないようでした。馬小屋に着くと、一頭の馬に手綱をかけ、馬を引き連れて小屋から出ました。

「カガリ! よすんだ!」

ギルは、馬の前に立って進路を塞ぎました。しかしカガリは、その足を止めません。

「邪魔だ」

そういうと、馬にさっそうとまたがり、力強く馬のわき腹を打ちました。ギルが前にいるというのに、なんのためらいもなく突進してきます。このままでは、ギルが馬に蹴倒されてしまいます。


 カガリの目に、私たちは映っていない。


「ギルっ! 避けなさいっ!」

「おわっ……」

ギルはぎりぎりのところでそれを飛び交わすと、バランスを崩して尻餅をつきました。私は、ギルに手を差し出しながら、すでに遠くなったカガリの背中を見ていました。

「なぁ……まずいんじゃないか?」

立ち上がると、ギルもまた同じくカガリの背中を見つめていました。

「えぇ、まずいですね……」

クランツェにばれないようにすることは可能であったとしても、カガリの心を元に戻すことは、もう無理なのかもしれないと、このときふと思いました。あの冷え切ったこころを、目を目の当たりにして、私たちに成す術はありませんでした。

(どうすればよいのですか……ルシエル様)

私は天を仰ぎました。




「懐かしい……」

覚えている……この道、この景色。夜の色が強く、視界も悪かったけれども、迷わず馬を走らせることが出来た。身体が記憶しているからだ。

胸が熱くなる。あの日が来るまで、約一年間毎日通い続けた道であった。

(この先だ……)

この坂道を登れば、孤児院だった。この時間なら、裏庭にまだ少年はいるはずだ。この暗さだし、人目につかなくてちょうどいい。

「ラナン……」

思いを胸に、俺は裏庭に来た。しかしそこに、彼はいなかった。不安がよぎる。もしや、彼までもが国王の毒牙にかかったのではないかと……。

 考えられなくはなかった。俺が毎日どこへ行っていたのかが国王にばれていたのならば、少年の存在が知られてしまっている可能性がある。もし、俺と関わりがあると国王に知られていたら、少年の命の保障は……ない。

 俺は不安と恐怖で押しつぶされそうになり、胸がぐっと苦しくなった。誰かこの嫌な想像をかき消してくれ……そう心の中で叫びながら俺は表に走った。

「ラナンっ!」

俺は孤児院の中に入った。俺の姿を他の誰かに見られるのはまずかったが、そんなことを気にしている余裕は、今の俺にはなかった。ただ少年の姿を、生きている姿を確認したい。その一心で、目を凝らした。

 部屋の中は薄暗かった。ろうそくが立っていないため、月明かりしか部屋を照らすものがない。おまけに、埃っぽかった。思わず咳き込んでしまい、俺は手のひらで口を覆った。

「誰も……いない」

人の気配がまるでなかった。どこを探しても、誰ひとりとして存在していなかった。

「そんな……」

俺は愕然として、その場に崩れ落ちた。苦しかった……。頭の中は、もう真っ白だった。

ただ、罪の意識だけがはっきりと、この虚ろな俺の心の中に存在していた。俺は、何よりも守りたいと思っていたものをまた失った。

(俺のせいで……)

消されたとしか考えられなかった。少年だけではない。この孤児院の存在自体が、抹消されたんだ。それも、最近のことではない。この人気の無さ。埃積もった室内に、顔にかかる幾多ものくもの巣。ここは完全に、廃墟と化していた。


もはや、俺を疫病神と言うジンレートの言葉を跳ね返すことなんて、出来なくなっていた。彼の言葉を認めるしか……ない。


俺は気を失うまでずっと、その場で泣き続けていた。




 カガリは翌日、昼下がりの頃に帰ってきました。


朝会にも出ていないカガリを庇うのには、なかなか骨が折れました。クランツェにどういうことかと問われ、咄嗟に「急病で街の医者に診てもらっている」と応え、その場をどうにか取り繕ったのですが……まぁ、帰ってきたカガリの顔色は相当悪かったので、これでごまかせたと思うことにしました。

 カガリは顔面蒼白で、ふらつきながら戻ってきました。馬の姿はなく、どうやらどこかに行き、そこから歩いて帰ってきたようです。まだ傷が完全に癒えていないというのに、無茶をしてくれました。しかし、それだけならまだよかったのですが、カガリはさらに自分の殻の中に閉じこもってしまったように、その様子からうかがえました。私やギルが何度声をかけても、完全に無視されてしまう次第です。私たちの声が耳に届いているのかどうかさえ、分からなくなってしまいました。

 私はルシエル様に誓い、どんなことがこの身や誰の身に起きたとしても、カガリを取り戻す……そう、こころに決めていましたが、こんなカガリを前にしては、その信念も揺らいでしまいそうでした。ましてや、生まれながらの使命などでもない、ギルに対してまで、これ以上カガリのために、ここに居て欲しいだなんていう我が儘を、通す自信もなくなりました。

(あなたなら、どうしましたか……?)

私は、ふとある少年の姿を思い浮かべていました。


 その少年には、一年前「ヴィクト」という孤児院で出会いました。もっとも、出会ったといっても、私は彼がそこに居ることを知っていて、訪ねたわけなのですが……。彼に「グレイス」という銃を授けに出向きました。もちろん、ラバースの命令ではありません。これは、()の(・)任務(・・)でした。誰にも気づかれないようそこへ行くと、裏庭に生えている一本の木の下で、淋しそうにどこかを見つめる少年を見つけました。

 少年は、色素の薄いブロンドの髪に、色白で、大きな緑の瞳を持つ、異端児でした。この世界に「緑の瞳」を持つ者など、他には居なかったのです。それゆえに、孤独だったのでしょう。孤児院の子どもたちからも、さらにはシスターからも蔑まれ、孤立しているようでした。

 そんな子に、何故「神の器」とさえ呼ばれる銃を授けたかというのは、他でもない。ルシエル様のお導きでした。私にとってルシエル様がこの人生においても、この世界にとっても全てでした。ですから「何故」と思うことすら、ありませんでした。信じて間違ったことなど、一度もありません。


 傍から見れば、私はおかしな兵士だと思います。しかし、それでもよかったのです。ルシエル様、そしてそのルシエル様から託された銃を手にする少年。さらには、息子とまで呼ばれた「カガリ」を、護ろうとするのは、自然なことでした。

(諦めるわけにはいかないですね)

私は、変わり果てたカガリの姿を目で追っていました。




 諦める訳には、いきませんでした。




 カガリの為にも。




 この、世界の為にも……。



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